第一層フロアボス攻略会議がトールバーナで開かれた。少女とディアベルらの偵察戦のおかげで、会議は順調に進んだ。βテスターが提供した情報も相まって、コボルドロードへの対策、作戦が綿密に練られていった。
八パーティーによるレイドの結成。盾役を務めるパーティーと、攻撃役を務めるパーティーと、センチネルを打ち倒すパーティー。これらが八パーティーの構成である。少女は当然ながら盾役のパーティーに組まれた。
少女のいるパーティーは昨日に軽く会話をしたエギルもいて、少女はほっと胸をなでおろした。ここ数日で色々な人と話してはきたが、それでも見知らぬ人ばかりの環境は少し物怖じしてしまう。一人でも知り合いがいてくれれば、それだけで安心感が違った。
パーティーを結成し終えると、時間はすでに夕方を回っていた。アインクラッドは現実と時間を同期していて、夜の時間にはしっかりと夜の暗さが反映される。わざわざ夜に攻略戦に出る理由もなく、明日の午後に集まることが決められて攻略会議は終わった。
そして翌日である。いよいよフロアボス攻略戦の日であった。少女は午前の迷宮区探索を取りやめて、装備やアイテムの充実に費やした。集合は午前十時半。互いのコンディションの確認やパーティー編成の最終確認を終えてから、コボルドロードが座して待つ第一層迷宮区の最上階へ向かう予定だった。
アイテムの補充や予備の武器の確認などを終えた少女は、システムウインドウの時刻を確認した。まだ時間は九時半で、今から待っていても退屈なだけだろう。少女は適当にぶらつくことにした。
とはいえ今のトールバーナは、最前線を走るプレイヤー以外はNPCしかいない。ここにあるのはNPCショップだけで、こういう時に暇をつぶせる店は殆どない。だから結局行く店はさっきまで見て回ったものと同じになってしまう。
少女が使っている武器は重量感あふれる斧である。一撃が重く取り回しづらい武器である。少女の《バトルアクス》は、トールバーナで扱われている武器の中では最も重い。鍛冶屋の武器強化でその
一方で少女は今まで軽い武器を手に取ったことは無かった。いや、一度だけ最初の最初にどの武器を扱うか考えたときに手に取ったのだが、それも三、四週間は前の話である。せっかくの空き時間、久しぶりにそうした軽く取り回しやすい武器を見て回るのもいいかもと少女は思った。
ふと少女は背後に人の気配を感じた。振り返るとそこにはフード姿のプレイヤーが立っていた。
「あっと、ごめんなさい」
少女が細剣の展示スペースから脇に避けると、フード姿のプレイヤーはぺこりと小さく頭を下げた。どこかで見覚えがあるプレイヤーだったが、すぐには思い出せなかった。
そのプレイヤーは細剣をいくつか見繕って購入すると、入り口にいる別のプレイヤーに顔を向ける。少女はそのプレイヤーを見て、二人のプレイヤーをどこで見たのか気が付いた。今回のレイド部隊の中で、二人だけのパーティーを組んでいるH隊だった。
当然のことだが少女のことを彼らは知らないだろう。何せいくつもある部隊の中の一人だ。ディアベルのように目立ったプレイヤーならまだしも、少女は何もしていないのだから。少女は彼らに話しかけようかとも思ったが、きっと見知らぬプレイヤーに話しかけられては迷惑だろうと話しかけるのを止めた。どこかで次の機会はあるだろうから、その時にすればいいと言い訳をした。
レイド部隊は誰一人かけることなく集合時間に集まり、勇ましく迷宮区を進んでいった。言うならば彼らは勇猛果敢な先導者。プレイヤー全員をこの世界から脱出させる英雄のごとき存在である。彼らは多少なりとも心にその高揚を抱いて歩いていた。道中に現れるエネミーなど鎧袖一触、数の暴力に押されてほぼ全く消耗せずに打倒されていく。
少女はそんな中で一人静かにコボルドロードへの戦意を高めていた。昨日の借りを返したい。この手であのボスエネミーを打ち負かしてやりたい。少女の抱くそれはデスゲームのプレイヤーのものというよりは、ごく普通のロールプレイングゲームを楽しむ者の感情だった。
どこか少女の心の中ではまだ現実感なんてなかったのだろう。誰の死もその瞳に映したことは無く、大切断のような現実との繋がりを意識させる出来事も一切無く、ただごく普通にこの世界で戦い続けていた少女の心は、どこか現実と乖離していた。そして少女はそのことに気付いてはいなかった。
暫くしてレイド部隊はフロアボスの座する部屋の前に辿り着く。彼らの間に言葉など無粋なものだった。ディアベルは全員の顔を見ると、静かに頷いて扉に手をかけた。彼らも小さく頷き返した。
彼らの心にある言葉はただ一つである。彼らの心には同じ想いが灯り煌々と燃えていた。
コボルドロードとの戦いは非常に良い立ち上がりであった。それぞれの部隊が自身の役割をしっかりと果たしていた。以前の偵察戦よりもプレイヤーが多いせいか
少女の働きも目を瞠るものであった。コボルドロードの一切の攻撃に屈せず、すべてをその身で、あるいはその斧で受け止めては弾き返していた。少女たちのパーティーはレイドの
それはひとえに少女と彼らの意識の違いにあったと言ってもいい。少女はこのソードアート・オンラインを正しくデスゲームだと理解していなかった。表面上は理解したふりをしていても、どこか心の底ではまだゲームだと軽視していた。だからこそ無茶が出来る。だからこそ敵の攻撃を恐れずに受け止められる。
少女はHPがギリギリとなるまで耐え忍び、タイミングを見て後衛に下がって回復をする。ごく普通の壁戦士としての動きだが、その見極めはマージンなど度外視したものに周りは感じられた。いや、確かにマージンはとっていた。HPバーが赤になった瞬間にはいつでも下がれる状態にしているのだから、確かに余裕はあったといえる。しかしそれは通常のゲームの話であって、このSAOにおいてはHPバーが
しかし今回はその動き、その気迫はより良い方向に進んだ。まだ年若い少女が勇ましく戦っていることに、レイド部隊の皆はやる気を漲らせた。彼女の負担を軽減しようと、彼女の戦意に負けないようにしようと、彼らはそれぞれコボルドロードにその気迫を真っ直ぐぶつけていった。
コボルドロードのHPゲージは一本ではない。フィールドボスやイベントボスなど強力な敵はその強さに応じてHPゲージの本数が増える仕様となっていて、このコボルドの王のゲージの本数は四本だった。彼らレイド部隊は勇ましく確実にそのゲージの数を減らしていった。
一本目、二本目、三本目。彼らの猛攻は確実にその巨体に辿り着いた。コボルドロードも自らの獲物をプレイヤーにぶつけていくが、どれもが壁戦士部隊の誰かに吸い込まれていった。
所詮は第一層のフロアボスである。まだまだこれから100も続くフロアボス戦の最初の一戦である。彼らのレベルの前に第一層のボスごときが立ち向かえるなど、十分にマージンを取った彼らに立ち向かえるなどありはしないだろう。
それは誰もがどこか心の中に僅かなりとも抱いた慢心。βテスターから集められた十分な情報、安全マージン以上のレベルで挑んだ余裕、想像以上の各部隊の活躍。それらすべての要素が複雑に絡み合って出来てしまった悲しい慢心である。
慢心にはツケを支払わされるが定めである。早いか遅いかは問題ではない。慢心を抱くものは必ずどこかで足を掬われるのである。今回のツケは、HPゲージが四本目――すなわち最後の一本になった時に支払わされることとなった。
「武器が変わるぞっ!」
ディアベルの言葉に、プレイヤーたちは一度コボルドの王から離れる。
βテスト時代、当然ながらこのコボルドロードはβテスターによって倒されている。その時の情報は、このレイド部隊のプレイヤー全員が共有していた。それはある情報屋プレイヤーが発行した冊子に書かれていたもので、最後のHPゲージに至ると武器種を変更するというものである。
コボルドロードは唸り声をあげると手に持っていた片手斧をどこかに投げ捨てる。それにはダメージ判定など無くそのままポリゴンとなって消え去った。そしてコボルドロードが腰から反りの入った武器を引き抜いた。
片手斧から
湾刀に持ち替えたコボルドロードは斬り下ろししかしない。故に囲んで叩くのが最善である。ディアベルたちのパーティーは当然のごとくコボルドロードを取り囲んだ。それこそが最善と信じて。それこそが最悪と知らずに。
あるプレイヤーはその異常に気がついた。あれは湾刀などではないと、あの武器はもっと別の何かだと。
「違う、あれは湾刀じゃない……!」
そのプレイヤーはキリトと言った。H隊のプレイヤーでβテスターである。βテスト時代に最前線を走っていたプレイヤーで、だからこそその武器に気付けた。本来なら第十階層のエネミーが使ってくる武器――刀である。
「逃げろっ!」
キリトの叫びは一歩遅かった。その声が木霊した時には、既にコボルドロードはソードスキルのモーションに入っていた。
どぅと強く大地を踏みしめて、腰だめに刀を構える。それは迅雷の如き一撃を放つための予備動作――居合の構え。ああ、なんということか。彼らは慢心のツケを支払わされることとなる。その死をもって。
コボルドロードの致命の一撃は、死角などなかった。全方位に、横薙ぎに。竜巻を彷彿とさせるそのスキルの名は
倒れ伏す六人のプレイヤーたち。彼らの頭上に浮かぶ星は、
突然のことに唖然とした表情を浮かべ、同時に彼らは絶望のあまり引き攣った笑みを浮かべた。コボルドロードの足音が響き、彼らは一様に死を予感した。時間にして一瞬のことだったが、その絶望は一生のものだった。引き延ばされた時間の中で自らの死を悟って彼らは恐怖に顔を引き攣らせた。
その瞬間、誰もが動けなかった。刀を振るおうとするコボルドロードを、彼らはただ足を止めて見ているばかりだった。
もしも武器がタルワールでないと気づいたならば。コボルドロードを取り囲んでいなかったならば。旋車の一撃でスタンにならなければ。プレイヤーたちが突然のことに動けなくなっていなかったならば。それはまるで針の小さな穴に月明かりだけで糸を通すが如き緻密さで、いくつもの不運が積み重なって、六人のプレイヤーに大ダメージとスタンという災厄を
初めて目にした絶望の表情であった。それはいつだったか自身も浮かべたことのある表情だった。死を覚悟して遺書を書き記した時の、あの時の表情だった。
どうしてだろう。少女は引き延ばされた時間の中で強く自らを戒めた。どうしてゲーム感覚でいたのだろう。少女は強くその慢心と油断を殴りつけた。絶望の表情は少女をゲームの高揚から現実へと引き戻した。
少女は誓ったはずだ。この世界で戦うことを。この世界を現実と見なして生き抜くことを。しかし実際はどうだ。どこかゲーム感覚ではなかったか。現実と向き合ってなどいなかったのではないか。
今こうして、目の前の灯が一つ消え去ろうとしている。システムという意思なき悪意にかき消されかけている。そんなこと、許されるはずもない。
気が付けば、少女の足は勝手に動いていた。全速力で、死を叩きつけようとするコボルドロードに向かって走っていた。
甲高い金属音が部屋いっぱいに響き渡った。コボルドロードが放った
コボルドロードは少女を斧ごと弾き飛ばそうとした。しかし必死の形相で立ち向かう少女は、一切引けを取らなかった。互いに互いを睨み付け、拮抗した刃からは火花のごとくライトエフェクトが飛び散った。
「逃げ、てっ!」
少女は必死に叫んだ。スタンが解除されたディアベルが転がって逃げるのとほぼ同時に、拮抗が崩れた少女は斧を砕かれて打ち上げられた。
続けざまに放たれるソードスキルは確実に少女の命を削っていった。少女は不完全な態勢のまま刀に嬲られていく。HPゲージは確実に減っていき、赤く染まっていった。少女は死ぬ。それは当然の結末であり、同時に誰もが許しがたい結末であった。
「ふざけるんじゃねえっ!」
少女が死ぬ直前、コボルドロードは刀を逸らしてしまった。禿頭の頼れる大男、エギルが刀を妨害すべく攻撃を放ったからである。
寸でのところで生き残った少女に、フード姿のプレイヤーが駆け寄った。それはキリトとともにH隊で離れたところにいたプレイヤーである。
少女に回復
「大丈夫? 少し休んでいて」
その声音は女性のものだった。少女はフード姿のプレイヤーを見ると、ばさりと彼女のフードが脱げた。茶色の長くしなやかな髪がさらけ出された。
「ここからは私たちが抑えるから、それまでしっかりと休んでいて」
コボルドロードの振り下ろされた刀は、黒髪の少年キリトがすべてさばいていた。皆に刀という武器の特徴を叫び、一手一手の意図を攻防の合間に伝えながら、すべての攻撃を防いでいた。
戦況は最悪である。パーティーが一つ壊滅し、これまで戦線を支えていた優秀な
だが絶望的ではない。最前ではキリトが刀武器をこの部隊で唯一熟知しているという利を余すところなく発揮し、フードをしていた女性はセンチネルを牽制しながら熟練の
奮戦を見せたディアベルらと少女に負けじと戦っていた。皆が胸に希望を抱いていた。あと一歩。あと一歩で第二層へと足を踏み入れられるのである。純粋な想いは力になると言うが、まさしくその通りである。彼らの想いは剣に託された。一振り一振りが想いの塊だった。
一人の死人を出すこともなく、コボルドロードは地に伏した。当たり前の結末だった。心を一つにして戦い抜いた彼らに負ける要素など無かった。一人一人が勇者であった。一人一人が英雄だった。たかが
皆が勝利の余韻に浸り互いに健闘を称えあう中、少女は一人反省していた。一人自らを叱責していた。
この世界は現実だ。茅場晶彦も言っていたではないか。この世界は遊びではないのだと。現実から目を逸らすものは何れ現実に押し潰される。まさしく自身がそうではなかったのか。
生きて健闘を称えあっているディアベルを視界に捉える。ともすれば彼らは生きていなかっただろう。あのカタナに断ち切られ、絶望のまま死んでいっただろう。そんなことは許せなかった。
少女一人に責任があるかというと、そういうわけではない。だが少女にとって責任がどこにあるなど関係なかった。少女自身に慢心があり、結果的に誰かの死に繋がりかけた。ただそれだけのことである。
少女は決意を新たにする。私はこの世界で
皮肉である。ああ、皮肉である。皮肉で滑稽で悲痛な決意である。
少女の想いは本物だ。偽善などではなく心の底から強く望んだ決意だ。しかし本物であるからこそ悲しいのだ。
少女は真実をひとかけらも知らない。一切真実を知らない。真実を悟ったとき、少女は苦悩するに違いない。なんと悲しく苦しく滑稽であろうか。
少女が自らを知る日もそう遠くはない。