《The Dual Heads Giant》、それが第二十五層のフロアボスである。双頭の巨人は拳から繰り出される強力な一撃と、どんな攻撃も物ともしないほどの圧倒的な体力を兼ね備えていた。その猛威は圧倒的で、攻略組は多くの死者を出して撤退せざるを得なかった。
それから二日ほどたった日のことである。ディアベルはキリトからメッセージを受け取っていた。もしも時間があれば少し話をしたい、聞きたいことがあるのだというものである。第二十五層のフロアボス戦のことだろうか。ディアベルの采配や、詳しい内容についてだろうか。
ディアベルの心には少し暗雲が立っていた。自身の采配が最悪であったとはもちろん思っていないが、その一方で最善だったとも思えていない。もしも最善の采配ができたのであれば死人は出なかっただろうと考えていた。もしもキリトにそのことを指摘されてしまえば、もしも気を使わせてしまって攻略組に残ると言われたらどうしようか。攻略のための戦力が増えることは歓迎したいが、キリトの新しい旅立ちを応援したいディアベルとしてはそれが不安だった。
ところがキリトの「聞きたいこと」というのはそのことではなかった。
「彼女――【----】のことなんだけど――」
キリトから聞いた内容は、先日のディアベルの回想と殆ど同じものであった。ただ一点だけ違ったのは、つい最近の彼女をキリトが目にしたということである。
死んだ目をしてモンスターを薙ぎ払っていく【----】。自分のHPゲージを顧みることなく、はたから見れば自殺願望者ともとれる無謀な戦いを繰り返し続ける【----】。それは最前線でレベリングをしていた時にキリトが目にした彼女の姿であった。その瞳には何も映していないようで、真っ黒に染まった瞳は絶望さえ生温い悲痛な感情を湛えていたという。
彼女はキリトを目にした瞬間に逃げ去った。引き留める暇もなかったらしい。それはつい昨日のことで、ディアベルは何やら嫌な予感がした。彼女が最前線にいるということは確かにうれしいのだが、それ以上に彼女の心中を想像して心配を超えた心配がディアベルを支配していた。
もしも仮に少女があの時攻略組から抜けると言った時の少女であれば、いったいどうなってしまうのか。あの時何かに絶望していた彼女は、ともすれば自死を選びうる危うさがなかっただろうか。
いや、考えていても何も始まらない。ディアベルはキリトに協力する旨を伝えた。彼女にいったい何が起きたのか、彼女とコンタクトをとれないか。時間が許す限り全力で調べておこうと伝えた。
ディアベルはキリトに自分の知っていることをすべて話した。とはいってもこれといって目ぼしいものはなく、せいぜいが攻略組を抜けたときから絶望の表情を浮かべていたということくらいである。彼女と会ったのはその時が最後だし、キリトもそれ以降に会ったことはないという。
これ以上ここで話してもきっと何もわからないだろう。ディアベルもキリトもそのことは確信していた。
「――それで、ギルドの方はどうだい?」
だから彼女に関する話は一度脇に置くことにして、せっかくの機会だとディアベルはキリトに問いかけてみた。
「そうだな……。まあ何とか上手くやっていけてるよ。みんないい人たちばかりだし」
「そっか。何か困ったこととかあれば言ってくれ。それくらいの恩はあるからね」
これまでの攻略戦で何度も助けられた身である。時折クエストの協力もしてもらっていた。
ディアベルの言葉に躊躇いがちにキリトはうなずいて見せた。
「ん、まあその機会があったらよろしく」
彼はギルドについて詳しく語ろうとはしなかった。キリトは小さく笑みを浮かべていたが、どうしてだろうか、ディアベルには心から笑っているようには見えなかった。
ディアベルは心中で嘆息した。彼女に彼に、どうやらいろいろと問題を抱えているようだ。自分だってちょうどいま、双頭の巨人という問題を抱えている。偶然か必然か、ちょうど同じタイミングでそれぞれが悩まされているようである。
これはそういうことなのかもしれない。ディアベルは静かに息を吐いた。つまりは一度立ち止まれと、冷静になってそれぞれの問題に当たっていくべきだと。そういうことだろう。攻略を遅らせるのは好ましくはないが、このまま立ち止まるよりだったらこの不思議な偶然に取り掛かる方がいいのかもしれない。
「これから頑張らないとね。俺も、そっちも」
「……ああ、そうだな」
ディアベルはくすりと笑ってキリトと別れた。
最初にディアベルがしたことはといえば、同じ攻略組のプレイヤーたちに何か最近で変わったことが無かったか聞く程度だった。ディアベルはギルドのリーダーという立場もあって勝手に一人で調べることなんて出来ない。出来ることが大分限られている中での一番手っ取り早いものを選んだ。
彼女の名前は一切出さなかった。それは別段意識してのことではなかったが、きっとディアベルの心の中では何かあったのだろう。無意識の何かが、彼女について語ることを止めていた。
情報は多数集まった。大被害をこうむった《アインクラッド解放隊》のことだったり、活躍を続ける血盟騎士団のことだったり、二十五層のクエストのことだったりと大半は彼女に関わらないものだった。
しかしその中に一つだけ、非常に興味深い話が混ざっていた。
『最前線に幽鬼あり』
この第二十五層で数人のプレイヤーが目撃したという情報である。全身鎧に身を包み斧を振るう存在がいるという。兜のせいで顔は見えず、いくら話しかけようと返答は無い。ただ無感動に斧をモンスターに叩き付け、プレイヤーの姿を目にすると踵を返してしまう。誰もがその存在と意思疎通を取ることができず、その存在がプレイヤーなのかノンプレイヤーなのか判断出来ていないらしい。
あるいは、何かのイベントモンスターかもしれないとまで言われていた。何らかのフラグによって管理されているクエスト専用の存在かもしれない。
ディアベルは【----】であると根拠のない確信を抱いた。彼女しかいないと思った。
どうにかしてその"幽鬼"に会えないだろうか。現れるエリアは特に規則性など無く、現れる時間帯も決まっていないらしい。
「最新の目撃情報は――」
おそらくキリトのそれが最新だろう。攻略組のプレイヤーから聞いた話では三日前が最後らしいが、キリトのそれは昨日のこと。
目撃情報のあったエリアに行くべきか。ディアベルはそうじゃないと小さく首を振った。きっとキリトがそこに行くことになる。キリトの表情はもう一度彼女に会いたいと言っていた。ならば自分がすべきことは何か。何をすれば一番いいのか。
「――《生命の碑》」
ディアベルが思い出したのは、彼女が絶望するきっかけとなっただろう、第十層の攻略戦。彼女が死した戦士に唇を噛みしめていた。彼女は彼らの死を甚く悲しんでいた。もしかしたら、そこに何かがあるのかもしれない。彼らの死が、彼女に何かを告げたのかもしれない。
彼らについてディアベルが知っていることは僅かである。ともに戦ったこともあるが、それはもう何か月以上も前のこと。この激動の日々の中で次第にその記憶は擦り切れてしまっている。ただ完全に忘れたわけでもなければ忘れようと思ったこともない。彼らの名前を思い出せば、彼らの姿を思い出せば何かが浮かぶのかもしれない。
ディアベルはあの攻略戦に思いを馳せるべく、彼らに思いを馳せるべく《生命の碑》へと向かった。