とある探偵世界の冥土帰し   作:綾辻真

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今回は、冥土帰しが経営する『米花私立病院』の誕生秘話をお届けします。


カルテ14:鈴木次郎吉

SIDE:鈴木次郎吉

 

 

ワシこと鈴木次郎吉(すずきじろきち)は、ゴルフのヨーロッパオープン、ヨットのUSAカップ、世界ハンバーガー早食い選手権にサバンナラリーなどなど、今でこそ鈴木財閥の相談役の肩書をぶら下げたままの数々の大会に出場し優勝するといった隠居同然の生活をしているものの、従兄弟の史郎(しろう)に鈴木財閥の会長の座を譲る前はそれはそれは多忙な仕事の毎日を過ごしていた。

 

――そう、あれは今から30年ほど前、ワシが40代前半だった頃の話じゃ。

 

当時、バリバリの仕事人じゃったワシは、車はもちろん電車や飛行機、船などに乗り降りしながら世界中を飛び回っていた。

そんなワシがある日、外国のとある田舎町にて車で取引先の会社に向かっている時、突然ワシの車の数台前を走っていたバスが、横から走ってきた大型トラックに激突したのだ。

 

両方の車は派手に横転し、たちまちその場は地獄絵図と化した。

 

バスから放り出されたと思しき何人かの乗客はあちこちから血を流して呻き苦しみ、放り出されなかった乗客もバスの中で呻いているのが聞こえた。

周囲でそれを見ていた通行人たちが慌ててバスとトラックに駆け寄り救助活動を行う。

ワシとワシのお抱え運転手もそれに参加する。

横転したバスの中から血まみれの乗客を引きずり出し、懸命に呼びかけた。

幸いな事にどちらの車からもガソリンが漏れていなかったらしく、爆発や火事になる二次災害にならずに済んでいた。

だがそれでも、ざっと見ただけで重軽傷者が20人以上もおり、一刻も早く病院に運ばなければ助からないと思えるほど見た目の酷い重傷者も多くいた。

 

そこへ、誰かが呼んだのか救急車のサイレンの音が聞こえた。

 

助かった。そう思ったのは最初だけだった。何とやって来た救急車はたったの一台だけだったのだ。

場所が片田舎なためか救急車の台数も少なかったのもあるが、事故を電話で知らせた人が現場の惨状をちゃんと救急隊員たちに説明していなかったことも原因の一つだったと後から聞いた。

とにかく今から新しい救急車を呼んだ所で時間がかかるのが目に見えていた。その間にこの場で呻いている怪我人の何人かが確実に死ぬ。

万事休すか。そう思った瞬間だった――。

 

「僕に、任せてもらってもいいかね?」

 

唐突に事故を遠巻きに見ていた人ごみの中から、若い男がひょっこりと顔を出してそう言って来た。

それはカエルのような顔をした20代前半くらいの若い男だった。

その若者は駆け出しの医者らしく、修行のために世界各地を転々としていたらしいのだが、その旅の途中たまたまこの事故に遭遇したらしかった。

カエル顔の若者は来ていた救急隊員の一人の前に立つと、真剣な目で口を開いた。

 

「……このままでは、この場の怪我人の何人かが死んでしまいます。彼らを助けるには直ぐに治療が必要だ。だから――」

 

 

 

 

 

「――この場で、僕が彼らを手術する。だから、その手伝いをしてほしい」

 

 

 

 

 

この言葉にワシだけでなく救急隊員たちや周囲の一般市民たちも大いに驚いた。

まさかこの田舎町のど真ん中で手術を行うと言い出す者がいるなど思いもしなかった。

流石に救急隊員たちもその提案には最初こそ渋ったものの、一刻の猶予もない怪我人が多い以上、迷っている暇は無かった。

彼らから了承を得たカエル顔の若者は、早速自分の持ってるカバンから自前だという術衣と治療道具を取り出し準備にかかる。

その間にワシらは周囲の民家から毛布やシートの(たぐい)を多くお借りし、それらを道路に敷くと治療しやすいように怪我人たちをその上に並べたのだった。

そしてこちらの準備が整ったのと同時に若者の準備も終わり、直ぐに治療が開始された――。

 

――その直後、その場にいる誰もが息をのんだ。

 

彼の両手がまるで別の意思を持ったように素早く動き、洗練された動作で怪我人の一人を治療し始めたのだ。

それはまるで最初から体の何処をどう治療すればいいのか分かっていたかのような無駄のない動きであり、魚をさばくようにメスを患者の体内で滑らかに躍らせ処置を施していく。

ワシを含めその場にいる全員が呆然とそれを見つめる中、若者は一人目の怪我人の治療を終わらせていた。

 

「嘘だろ……まだ十分も経ってないぞ!?」

 

救急隊員たちの中の一人が呆然とそう呟くのが聞こえた。

ワシも自分の腕時計で確認する。確かに一人目の治療開始から終了まで十分もかかっていなかった。

その事実が周囲の者たちにも伝播し、どよめきが起こる。

そんな周囲の様子には目もくれず、若者は一心不乱に20人以上もの怪我人を片っ端から治療していき、やがて応援の救急車が多く到着した頃には、全ての怪我人の治療が完了した後だった――。

いつの間にかその怪我人たちも、最初の苦悶に満ちた表情は消えて、今はすやすやと安らかな寝顔を浮かべていた。

呆気にとられるワシらを置いて、その若者はさっさと術衣を脱いで道具も片付けると――。

 

「処置は終わりました。後は病院に搬送すれば問題ありませんので、では僕はこれで」

 

そう、呆然とする救急隊員の一人にそう告げてぺこりと頭を下げると、若者は人込みをかき分けてその場を後にして行った。

 

「……!ま、待て!待ってくれ!!」

 

ワシはハッと我に返り慌ててその若者の後を追ったが、すでにその若者の姿はどこを探しても見つからなかった――。

 

後日、その事件の事がニュースで取りざたされ、一躍有名となった。

あれほどバスもトラックも大きく大破したひどい事故だったのにもかかわらず、死者はゼロ。しかも負傷者全員が、一月を待たずして退院できるほど回復してきているのだという。

事故にあった被害者やその親族たちは、あの時助けてくれた若者に一言感謝を述べたいと、そうコメントしていた。

かくいうワシもあの若者の事が忘れられずにいる一人であり、彼の治療の腕に心底ほれ込んだ者でもあった。

ワシは鈴木財閥の力を使い、あの若者を探し出し始めた。

だが彼自身が言ったように、医療修行で世界中を旅しているためか彼の行方を中々捕まえることが出来なかった。

――だが、その数年後。執念の追跡が実ったのか、ようやく彼の所在を突き止める事に成功した。

 

なんと彼は今現在、ワシの住む日本の東京都にある米花町で開業医をしていたのだ。

 

 

 

ワシは直ぐにその場所へと向かい、彼と再会した。

 

「いらっしゃ――あれ?あなたはあの時の……」

 

若者はワシの事を覚えていたらしく、突然やって来たワシに大いに驚いていた。

だが彼同様、ワシの方も心底驚いていた。

なにせあれほどの腕を持っていた彼が、人気の少ない街の片隅で、ポツンと小さな診療所を開業していたのだから。

ワシは何故、こんな所で診療所を開いているのか彼を問いただしたところ、彼は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべながら口を開いた。

 

「いやぁ、実は前々から自分の病院を持つのが夢だったんですけれど、世知辛い話、それを建てるお金が無くって……それでも、なんとかなけなしの貯金をはたいて診療所を建てたしだいでして……」

 

その言葉にワシは愕然となる。彼ほどの、あの神がかった医療の技を持った彼が、こんな小さな診療所の開業医なんかで収まっていい訳がない。というか、収まらせてたまるか!

ワシは彼の両肩をがっしりと掴み、驚く彼に向けて一言、言い放った――。

 

――是非、自分とスポンサー契約を交わしてくれ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

それからはもはや、破竹の勢いだった。

スポンサー契約をしてから、彼の診療所は年月を重ねるごとに大きくなり、ついには『米花私立病院』と名を変えた立派な病院へと変貌を遂げたのであった。

そして彼自身も、ワシの期待を上回る成果を何度も起こして見せた。

世界中で難病、不治の病だとされていた病気のメカニズムをいくつも解き明かし、それらを撃退できる特効薬や治療法をいくつも生み出したのだ。

また、世界中で蔓延しているいくつもの伝染病にも対応し、それらを撃滅する事にも成功している。

他にも内臓や手足の部位欠損している患者のために、鈴木財閥の研究グループと協力して生体電気で動く義肢や、人工臓器の開発。更にはクローン技術を応用した部位再生にも手を染め、見事それらを完成させて見せた。

あっという間に一躍時の人となった彼はノーベル賞、国民栄誉賞などを総なめにし、世界中の医学者たちから引っ張りだこの毎日が続くようになった。

それと同時に、彼を慕う医学生たちも数多く集まり、彼の指導のもと医学生たちは膨大な医療技術の知識を吸収していった。

そのかいあって、世界各地の医療技術の進歩が驚異的なスピードで伸びた事は言うまでもない。

 

しかし、そんな生活に疲れ果てたのか40歳を過ぎた頃から活動拠点を米花私立病院のみに絞り込み、その過激な活動(スケジュール)を縮小させて多くの依頼を受け付けなくなった現在は、多忙でありながらも以前より充実した毎日を過ごすようになっている。

 

 

 

 

 

 

 

そうして今日ワシは、米花私立病院を訪れてそこで健康診断を受けていた。

 

「うん、気になる所は何もない。完全なる健康体だね?」

「ガハハハハッ!まぁそうじゃろう!先生と会ってからこの方、病気一つしなくなったからのぅ!視力が衰えたこと以外、70過ぎてもほれ、まだピンピンじゃ!」

 

健康診断を受け、その結果をかつて20代の若者だったカエル顔の先生から聞かされ、ワシは大いに満足する。

それを見た先生はため息をつくと続けて口を開いた。

 

「で?今度は一体何に挑戦するつもりなんだい?僕に健康診断を頼んだという事は、まぁた何かやらかすつもりだろう?」

「いやぁなに、ちょいと人力飛行機で世界一周をしようと思ってのぅ!」

「……相変わらず突拍子も無い事を思いつくね?あなたは昔っから」

 

呆れた目で見つめて来る先生にワシは再び笑い飛ばす。

 

「ガハハハッ!会長の座を史郎にやってようやくワシも肩の荷が下りたんじゃ、仕事人間だった分、今はこの老後生活を謳歌して楽しむのみよ!……先生。先生も一度休みなんかを取って趣味とかを見つけてみてはどうじゃ?きっと楽しいぞ?」

 

そう言ったワシに向けて先生は小さくフッと笑った。

 

「……趣味、とは違うかもしれないけど、生き甲斐なら今も昔も持ち続けているよ?」

「ほぅ?それってまさか?」

 

ワシの問いかけに先生はニッと笑う。

 

「もちろん、この医療の仕事さ。僕にとって今も昔もこれが生き甲斐。この目に映る命を救い、元気になったその人々の笑った顔を見るのが、僕の楽しみだからね?そのためなら、僕は何だってするさ」

 

嘘偽りの無い、真っ直ぐな目でそうはっきりと言った先生に、ワシも大いに満足する。

これなら今度の人力飛行機世界一周の旅も気持ちよく達成することが出来るだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……だが、その記録の達成後。とある月下の奇術師(怪盗)が起こした事件で、その記録が新聞記事の三面に追いやられ、気分をひどく害する事になるとは。この時のワシは微塵も想像していなかった――。




軽いキャラ説明。



・鈴木次郎吉

鈴木財閥の相談役にして、鈴木園子(すずきそのこ)の父方の伯従父。
先の人力飛行機世界一周の記録の件で月下の奇術師こと怪盗キッドを目の敵にするようになり、何度か彼に挑戦状をたたきつけるようになった困った人。
かつて冥土帰しの小さかった診療所を鈴木財閥がスポンサーになる事で大きな病院にまで発展させた立役者。
恐らくこのコナンワールドで冥土帰しと一番古く、そして長い付き合いをしているのは阿笠博士の次に彼だと思われる。

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