SIDE:三人称視点。
「……いない」
先程までレストランにいた磯貝渚は、毛利小五郎の「このレストランにいた方が良い」という忠告を押し切って、一人
焼死体事件が起こるほんの少し前まで、ここで賑やかにお酒やポーカーをしていたのが、今は見る影もなくシンと静まり返っている。
「
磯貝がここに来た理由は他でもない、ここにいた
ちょっと前に初めて会ったはずなのに、どこか凄く懐かしい雰囲気を持つ
それは、異性を意識するような
誰もいないレストルーム。まるで世界に自分一人だけが取り残されたような孤独感に、磯貝は思わず胸元をギュッと握りしめ――。
「……!?」
SIDE:江戸川コナン
「ねぇ、今変な水の音しなかった?」
おっちゃんたちとレストランへ戻っている最中、唐突に聞こえてきた
俺の言葉に怪訝な顔をしながらおっちゃんは答える。
「変な水音?…………。カツオでも跳ねた音じゃないのか?この辺りは、カツオやトビウオの漁が盛んだって言うしな」
(そう……なのか?だが、それにしてはあの水音を聞いてから胸騒ぎがして落ち着かない。むしろ、ざわつきが増してきているのが分かる。……くそっ、鯨井さんも見つけなきゃいけないってのに、何だってんだ!?)
そう思った俺の視界にふと船の受付が目に入った。それを見た途端、俺は考えるよりも先に受付にいた船員たちに駆け寄った。
「ねぇ、関西弁のおにいちゃん、見なかった?」
「関西弁の?」
「ああ、あの少年ならさっき懐中電灯を借りに来たよ」
受付の中にいた二人の船員が続けざまにそう言い、俺は目を丸くする。
あいつが先にここに来てたんなら、俺にマスターキーを渡さずに自分で返しに来ればよかったじゃねぇかと最初思ったが、そんな思いは直ぐに吹っ飛んだ。
(懐中電灯?……だとすると、アイツ外のデッキに出て何かを探していた可能性が高い。……じゃあ、あの水音はまさか……まさかッ!)
そこまで考えた俺の体は自然と走り出していた。背後から蘭が「あ!ちょっと!」と俺を呼ぶ声が聞こえたが、今の俺にはそれに応える余裕は無い。
(馬鹿な!あいつに限って……そんなはずは!!)
自分に言い聞かせるようにして心の中でそう叫んだ俺は、船外の通路に飛び出す。
そして、通路を走りながらあらん限りの大声でアイツの名を呼び続けた。
「服部ぃ!……おーい、服部ぃーッ!!いるのかぁーッ!!いたら返事しろぉーッ!!おーい!!はっと――」
唐突に俺の声が途切れ足も止まる。俺の目の前にはまるで大量の墨を垂らしたかのような漆黒の大海原が広がっていた。
空に浮かぶ星々も今夜はあまり見えず、それがかえってこの世界を暗黒へと塗りつぶしている。
顔に当たる夜風も冷たく、俺の心の奥底に抑え込もうとしている一抹の不安を表に出そうと掻き立たせて来る。
「はっ……嘘だろ?嘘だよな!?服部!おいッ!!――」
俺は思わず船の手すりに飛びつき身を乗り出すと、あらん限りの声を大海原に向けて響かせた――。
「服部いぃィィィーーーーーーーーーーッッッ!!!!」
「はっとり――」
「こら!危ないじゃないか」
「――あ、え?か、カエル先生!?」
再び叫ぼうとしたところを背後から腕が伸びて来て俺を抱き上げた。
振り返って見るとそれはカエル先生だった。そばには何故か鯨井さんと磯貝さんもいる。
呆然となる俺に抱えているカエル先生がやや険しい顔で口を開く。
「だめじゃないか、もし落ちたりしたら――」
「――あ、でも……」
俺が反論しようと口を開きかけた時、それよりも先に磯貝さんが口を開いた。
「そうよ坊や。……この広大な大海原に放り出されたら、ちっぽけな人間なんて無力……助からないわ」
「…………」
磯貝さんのその言葉に、俺は二の句が継げなくなり大人しくなってしまう。
それを見たカエル先生はホッとした顔で俺を床に下した。
それと同時に、俺を探しに来た蘭とおっちゃんがやって来る。
「コナンくーん!……もぅ、何やってんのよぉ」
安堵を浮かべて俺に駆け寄って来る蘭に俺は声を上げる。
「だって、平次にいちゃんが――」
「ふん、あいつのこった。どーせどっかで犯人の手がかりを探してんだよ」
「そうそう。心配しないで、その内ひょっこり顔を見せるわよ」
おっちゃんの言葉に同意するように蘭もそう言い、再び俺は二の句が継げなくなる。
するとそれを見たおっちゃんは、今度は磯貝さんたちに目を向ける。
「それより、どうしたんです?カエル先生も一緒になって三人揃ってこんな所で?」
おっちゃんの質問に煙草を吸っていた鯨井さんが答えた。
「彼女に頼まれて、探し物していたんですよ」
親指で軽く磯貝さんの方を指さしながらそう言う鯨井さんに、おっちゃんは「探し物?」と怪訝な顔でそう呟きながら磯貝さんの方へ眼を向ける。
それに対して磯貝さんは何でもないかのように口を開いた。
「……
「どうしてもと言われてね?」と頭をポリポリとかきながら苦笑を浮かべてカエル先生がそう言うのと同時に、唐突に蘭が何かを思い出したのかハッとした顔を浮かべる。
「……あ。もしかして、この写真入りのロケットの事ですか?」
「え?」
目を見開く磯貝さんの目の前で、蘭がポケットからロケットのペンダントを取り出す。
「鎖が外れて、船の
そう言って蘭は手に持ったロケットを磯貝さんに渡した。
「ああこれよ、ありがとう。……きっと夕方あそこにいた時、落としたのね」
「じゃあ写真に映っていた女の子が渚さんで、抱えていたのがお父さんですか?」
「……ええ」
蘭のその言葉に、磯貝さんはさり気なく目をそらしながらどこか寂し気にそう響く。
そんな蘭に背後からおっちゃんが声を上げた。
「ったく、どうして直ぐ返さねぇんだ」
「だってぇ……。お父さんの顔の所に穴が開いてて、誰だか分かんなかったんだもん。……もしかしたら、他の誰かが娘さんと撮った写真かもしれないでしょ?……夕食の時、誰のか聞こうと思ってたの忘れてたの」
そこまで言った蘭はハッとした顔を浮かべると、申し訳なさそうに磯貝さんに声をかけた。
「あ……すみません。穴が開いてたなんて」
「いいのよ。どうせ
全く気にしていないという風にやんわりと磯貝さんがそう言いながら、ペンダントを首に付ける。
「……ッ」
その後ろで鯨井さんが信じられないモノを見るかのように、驚愕の目で磯貝さんを見つめていたのを俺は見逃さなかった――。
「アンタら何考えてんだ!殺人犯がこの船に同乗してるってのにうろちょろと!!」
レストランで鮫崎さんの怒号が響き渡った。
おっちゃん先導のもと、いったんレストランへ戻ってきた俺たちを迎えたのは、一足早くここに戻ってきて誰もいないレストランに怒り心頭で仁王立ちする鮫崎さんであった。
その怒りをほとんど一身に受けるおっちゃんは元上司なのもあってか小さく縮こまっている。
「毛利!何でレストランから外に出した!?」
「あぁ、いいぃやそのぉ……カエル先生以外のこのお二方が部屋で休むと言われたので」
鮫崎さんの言葉に冷や汗を流しながらおっちゃんが声を震わせてそう答える。
するとそれに便乗する形で磯貝さんも口を開いた。
「そうよ。貴方たちに命令される筋合いはないし。……それにこれ以上一緒に居たくないのよ、ヒステリックなお爺さんとはね」
「何だと!?」
歯に衣着せぬ磯貝さんのその言葉にカチンときたのか、鮫崎さんの怒りの矛先がおっちゃんから磯貝さんに移る。
しかし、磯貝さんは鮫崎さんのその怒りの視線を涼しい顔で受け流しながら、言葉を続ける。
「一人になるのが危険だって言うのなら、部屋に鍵をかけてこの子たちと夜明けまでトランプでもやってた方がよっぽどマシよ。ねぇ?」
そう言って磯貝さんは俺と蘭に同意を求めるように視線を向けてきた。
しかし、俺たちがそれに答えるよりも先にカエル先生が声を上げる。
「一人にならずに済むのなら、それもいいのかもしれないね?本当なら、こうやって夜更かしするのも健康に悪いから医者としては見過ごせない所なんだが、この状況じゃあ四の五の言ってられないしねぇ?……それよりも、鮫崎さん。探していた蟹江さん、見つかったのかい?」
「!……あぁいや、何処かに消えたままですよ。叶と一緒に」
カエル先生にそう問いかけられ、鮫崎さんはいったん怒りを収めそれに静かに答える。
娘さんの命の恩人ともあって、カエル先生には強気に出れないようだ。
そこへ蘭も声を上げる。
「あ、鮫崎さん。服部君見ませんでした?」
「おいおい!
驚いて声を荒げる鮫崎さんに、おっちゃんと蘭は委縮しながら同時に頷く。
「~~ッ、クソッどうなってんだこの船はぁ!?」
悪態をつく鮫崎さん。それと同時に、委縮状態から立ち直ったおっちゃんが力の入った声をレストランに響かせた。
「とにかく、これからは単独行動を避けてもらいます。犯人は、我々以外の誰か。もしかしたら、皆さんの中の誰かが一人になるのを、何処かで待ち伏せしているかもしれません」
それには俺も同感だった。
最初に銃声がした時、鮫崎さんは俺たちとレストルームに居たし、鯨井さんもトイレから戻って来ていた。
そして銃声がする直前には、カエル先生も戻って来ていたし、皆で上のデッキに駆け上がった直後に、船尾で爆発が起こり、遺体が入った箱に火がつけられた……。
上のデッキに駆け上がるまで誰ともはぐれてないし、途中で合流し、一緒にデッキに上がって来た磯貝さんにも火をつけるのは無理だ。
……となると、あの焼死体が亀田さんと断定している今の段階では、火をつけるのが可能なのは……あの時デッキにいなかった蟹江さんと……
「……ボク、ちょっとトイレ行って来るから、待っててね!」
そう言い残し、俺は席から立ち上がるとレストランを飛び出し、先程も入ったすぐそばのトイレに駆け込むと個室に入り鍵をかける。
(……もし本当に、
そう考えながら俺はポケットから阿笠博士が作ってくれた『イヤリング型携帯電話』を使って、博士の家へと電話をかけた。
『もしもし?……おお、新一か!どうしたんじゃ?』
電話口に出た博士に、俺は要件を手短に話す。それを静かに聞いていた阿笠博士は電話越しに一つ頷くと口を開いた。
『……わかった。さり気なく高木刑事にでも声をかけて調べてもらう事にしよう。……もう日を跨いでいるこんな時間じゃから今も警視庁にいるのかは分からんがな』
「悪いな博士。出来るだけ急いでもらえるよう頼むぜ」
もし、高木刑事が就寝中ならば、こんな時間に叩き起こされることになる。
俺は心の中で高木刑事に手を合わせて謝罪をせずにはいられなかった。
『うむ……で、要件はそれだけかのぅ?』
「ああ、それだけだ」と言いかけたのを俺は直ぐに止める。
もう一つあった。それは20年前の事件で一つだけ分からなかったこと。
「博士、20年前の4億円事件て知ってるか?」
『おお、知っとるよ。と言うか、丁度今その事件の特番を見ておった所じゃ。……民事の時効が明けると言って、昨夜から派手にやっとった。後で君が見たがると思って録画しておいたんじゃが』
「犯人たちの事、何か言ってなかったか?」
『ああ、確か言っとったよ。……主犯の叶才三の顔は分かっておったが、残りの三人の仲間はモンタージュ写真があるだけで身元は未だにはっきりしてないと……』
博士のその言葉を聞きながら俺は話を続ける。
「……俺も実は、その事件の事はおっちゃんやカエル先生から聞いてある程度は知ってはいるんだ。……カエル先生が当時撃たれた銀行員の女性を助けた事も」
『おお、そうか。……あ奴も当時は世界中から引っ張りだこな生活を送っとったから、その中で起こったあの事件は結構心労に来たと後々になって言っとったよ。……しかも治療後すぐ、
(次の仕事……)
俺はその単語を頭の端に留めておきながら、意を決して本題へと切り出した。
「それで話は戻すけど、主犯の叶の死は確かなのか?」
『ふむ……実際の所はやはりまだ分からんらしい。だが、弾痕と彼の血が付着した上着が浜に打ち上げられたから警察では、仲間割れによって彼は殺害されたと断定したそうじゃ』
「断定……死体も上がってねぇのにか?そんなあやふやな状態で死亡が確定出来るわけねぇと思うが……」
そう言った俺が耳を傾けるイヤリング携帯の向こうでも阿笠博士が頷くのが分かった。
『もちろん。表向きには
「今まで、ってことは、それが公表されたのは――」
『――ああ、民事の時効が明ける丁度この日……今テレビで流れているこの特番で
「!(ってことは――)」
思考の海に意識が沈むのを、俺は直前に踏みとどまる。まだ博士から聞かなければならない事があったからだ。
「……その血の付いた上着だけどさ。よく分かったよな、それが叶の上着だって」
そう、それこそが俺が一番聞きたかったことだ。弾痕と血が付いていただけじゃあDNA鑑定していたとしても当時は誰のものなのか分かるとは思えなかったからだ。
俺のその問いかけに、博士はすんなりと
『ん?……おぉ、上着の内ポケットに入っておったんじゃ。彼が肌身離さず持っていたという――』
『――
「っ!?……何だと!?」
驚く俺に気づいていないのか、博士はそのまま詳細を話し始める。
『その写真を元に警察が捜査したところ、とある家族のもとにたどり着いたらしい。その時、既に顔が割れていた叶の似顔絵を見せたら、あっさりとその家の主が叶であることが分かったんじゃと。……警察が家の者に話を聞いてみた所、その人たちは叶が犯罪を行っていた事など全く知らなかったらしく酷く驚いていたとテレビで言ってたのぅ』
「…………」
『……その後警察は、その家族に世間の目が浴びぬよう、上着の件同様
博士の話を聞きながら、俺は
『……この広大な大海原に放り出されたら、ちっぽけな人間なんて無力……助からないわ』
『いいのよ。どうせ
……おいおい、マジかよ。じゃあ、
だとしたら、この船には
(……一体、犯人はこの船にそんな人たちを集めて何を――)
俺がそう考えていた、その次の瞬間であった――。
――ダァン!
――ダァン!!
――ダァン!!!
――ダァンッ!!!!
――立て続けに四発の破裂音が、船全体に轟き響き渡った。
それが携帯越しに聞こえたらしく、博士も酷く慌てた感じで声を上げてきた。
『な、なんじゃ今の音!?』
「とりあえずいったん切る!何か気づいた事や知らせたい事があったら連絡してくれ!!」
『お、おい新い――』
何か言いかけてきた阿笠博士との通信を一方的に切ると、俺はイヤリング型携帯電話をポケットにしまって急ぎトイレを飛び出していた――。