SIDE:江戸川コナン
突然と響き渡った謎の声に、その場にいた全員が一斉に振り向く。
するとそこには、舳先に近い位置にある手すりに背中を預け、立っている男のシルエットがあった。
『!?』
コツ。
……コツ。
…………コツ。
――男の足音が船上に小さく響く。
やがて、レストランから漏れる照明の光の下に男は入っていき、その正体が露になった――。
『……?!』
今度は服部も含んだその場にいるほとんどの者たちが、男を見て驚愕の表情を浮かべる。
そして、それに代表するかのように鮫崎さんが男に向かって叫んでいた。
「……お、お前は……ッ!――」
「――
――そう。そこにいたのは、レストルームで俺や蘭たちがトランプゲームをしていた
俺はおっちゃんの
「……やはり、アナタがそうでしたか。お初にお目にかかります、影の計画師殿」
「……その口ぶりだと、とうに俺の正体に気づいてたみたいだな?何故分かった?」
目を細めてそう問いかけて来る叶さんに、俺は何とでもないかのように答える。
「大したことではありません。……少し前に知り合い経由で警察に連絡しましたところ、この船が出航して直ぐ、堤無津港の倉庫で身ぐるみをはがされて拘束されている人が発見されたと聞きましてね。……で、その人の職業を尋ねましたところ――」
「――フッ、なるほどな。それで俺が
小さく笑う叶さんに俺は肯定する。
「ええ。……それに、先程の磯貝さんの話から、レストルームでアナタを見つめる彼女を思い出し、より確信が強まりました」
「……そうか。やはり、
少し悲しそうにそう笑って見せた叶さんは磯貝さんへと目を向ける。
その視線を受けた磯貝さんは今にも泣き出しそうな顔で目に涙を溜めながら唇を震わせると、ふらふらと叶さんに歩み寄った。
「……お、お父さん?……本当に、お父さんなの……?」
「……奇麗になったな、渚。……見違えたよ」
眩しいモノでも見るかのように叶さんは目を細めて小さく笑いながら磯貝さんにそう言うと、磯貝さんは口に両手を当てながら静かに泣き始めた。
すると今度は鮫崎さんが叶さんに向けて口を開いた。
「……ようやく会えたな、叶。まさか、こんな形でテメェと出会う事になるとはな」
「俺もそう思ってるよ鮫崎の旦那。……20年前のあの時はすまなかったな。アンタの娘には悪い事をした」
「謝罪は聞かねぇぜ。……と言いてぇところだが、俺はもう刑事じゃねぇから逮捕権もねぇ。……一発ぶん殴ってやろうかとも思ったが、娘に直接謝るんだったらそれもチャラにしてやる」
フンと鼻息を鳴らしてそっぽを向く鮫崎さんに叶さんは小さく「恩に着る」と呟いた。
するとその直後、発狂したかのような大声がこの場に響き渡る。
「ば、馬鹿なッ!!お、お前は誰だ!?叶なわけがねぇッ!!アイツは間違いなく蟹江の銃弾を食らって海の
到底信じられないモノを見る目で叶さんを凝視しながら鯨井さんがそう叫ぶ。
そんな鯨井さんを見てハッ!と笑いながら叶さんが鯨井さんに向けて口を開く。
「おいおい、つれない事言うなよ。20年ぶりの再会だっていうのに随分な言い草じゃねぇか。なぁ――」
「――××××」
「……?…………ッ!!???」
叶さんが俺たちには聞き覚えの無い
そんな鯨井さんを見て叶さんはニィッと笑いながら言葉を続ける。
「そんなに信じられない事か?俺が
「あ……あぁっ!……そ、そんな……!そんなぁ……ッ!?」
そう呟きながら、鯨井さんは力なく首を振りながらも視線だけは叶さんから外さない。
認めたくはないというのに、否が応でも現実を直視させられて思考が麻痺しているようであった。
そこでふと鮫崎さんが、先程の叶さんの言葉に何かを思い出したかハッとして叶に問いかけた。
「叶、今『蟹江を閉じ込めてる』って言ったな?……じゃあ蟹江を舳先から引き上げたのはお前で間違いないんだな?」
「ああ。……奴ならあそこにもう一つ『救命ボート』の箱があるだろ?あの中で今もグースカ寝こけてるよ」
そう言いながら叶さんは船首に設置されている――鯨井さんが中身を捨てた箱の対面にある――もう一つの空けられていない『救命ボート』を親指でクイクイと指して見せた。
「……蟹江をあの舳先に吊るした時点で鯨井がいずれ奴も殺す事は踏んでたからな。引き上げて奴をあの中に隠してやったんだよ。鯨井へのちょっとした
「ぐぅ……ッ!」
心底楽しそうにそう言う叶さんに、鯨井さんは唸りながら彼を睨みつけていた。
すると今度はカエル先生が叶さんに声をかけてきた。
「20年ぶりだね。……僕の事、覚えているかい?」
「……ああ、覚えてるよ先生。あの時は急にいなくなったりしてすまなかったな」
そう言って頭を下げる叶さんに苦笑を浮かべるカエル先生。
「元気そうで安心したよ。……しかし、まさかキミがあの叶才三だったとはね……」
「ん?まさか先生、先生は気づいてなかったんですか?」
カエル先生の言葉に鮫崎さんが意外そうな顔を浮かべながらそう尋ねる。
それにカエル先生は静かに頷いた。
「うん、まあ、そうだね。……そもそも僕が叶才三の事で知ってたのは、『20年前の事件の後、姿を消した』って事くらいだったからね。……さっきも言ったように初めて会った当時は顔がぐちゃぐちゃだったから誰だか分からなかったし、その上、顔を本格的に治療する前に彼はいなくなってしまったからね。……叶才三が撃たれて海に落ちたっていうのも
「あー……そう言やあ、浜に叶の血の付いた上着が流れ着いたってのは、世間体的にはまだ公表されてなかったなぁ」
頭をかきながらそう呟く鮫崎さんのその言葉に、カエル先生が「へぇ……」と相づちを打った。
その様子から、やはりカエル先生は叶さんの血の付いた上着が浜に打ち上げられていた件は知らなかったようだ。
そんなカエル先生を前に、叶さんはバツが悪そうに口を開く。
「……先生には本当に悪かったと思ってるよ。……あの時、病室から出ていく先生が妙に気になって後をつけてみたら、先生が警察に電話で連絡しているのを見ちまってね。先生の口から『警察』という単語が出た途端、無性に『今すぐ逃げなければ!』って衝動にかられちまったんですよ」
「フン、記憶は失っても体は覚えてたみてぇだな」
鮫崎さんにそう指摘され、叶さんは苦笑を浮かべると言葉を続けた。
「……病室を抜け出した俺は記憶を失ったまま行く当てもなく各地を転々としたよ。……でも、潰れたままのこの顔じゃあロクに人との会話も出来ず、それどころか俺の顔を見て怖がってすぐさま逃げ出す奴もいる始末でね……」
「結構苦労したみたいだね」
カエル先生にそう言われた叶さんは小さく笑いながら頷く。
「ええ……。だが天は俺を見捨ててなかったみたいでな。放浪生活を始めてすぐ、野垂れ死に寸前だった俺を偶然通りがかった
そう言って当時を思い出すかのように上を向いて懐かしそうに目を細めた叶さんは言葉を続ける。
「……しかも
叶さんはそう言いながら、今度は自分の頬を指先で撫でて見せた。
「……その上、あの男はどういうわけか『
(……変装術に長けたマジシャン……?)
ふと、叶さんが言う『その人』に何か引っかかりを覚えた俺だったが、俺のそんな様子に気づくわけもない叶さんは話を続けた。
「……しかし逃亡生活を送る俺は、日に日に周囲の目や警察の動向が気になりだしてな。それと同時に大きくなっていく不安から、俺はやがて男に別れを告げ、元の放浪生活に戻ったんだ。男と初めて会った日からわずか一年足らずの事だったよ」
そこで小さくため息をついた叶さんは視線を自身の足元へと落とす。
「……だがあの男からもらった『変装スキル』は大いに役立った。顔の傷を変装で隠す事でそれで苦労していた当初の放浪生活よりも幾分かマシな生活が送れるようになったんだからな……。それから20年近く……代り映えのしないホームレス生活にすっかり慣れちまって、当初は不自由に思っていた事も苦にもならなくなったが、肝心の記憶の方は全く戻らずじまいだった……」
「じゃあ……いつ記憶が戻ったんや?」
服部が叶さんに向けてそう質問すると、叶さんは皮肉に満ちた笑みを浮かべながら――鯨井さんの方へと視線を向けた。
「……情けねぇことに、
「なっ……!?」
驚く鯨井さんを前に、叶さんはその時のことを淡々と語ってみせた。
「……もう、日課となっちまったゴミ漁りのためにゴミ捨て場にやって来た俺は、そこに束になって置かれていた古新聞の一つに目が留まった。……その新聞の一部に書かれていた
「!!……ま、まさか……それは……!」
愕然とする鯨井さんに叶さんは不気味に笑みを深める――。
「そうさ……!お前が仲間を呼び集めるために使った『古川大』の名前……!それを見た瞬間、俺の頭の中で失っていた20年前の記憶がまざまざと鮮明によみがえったんだよ……!!」
「あ、あぁあぁぁ……!そんな……!そんなぁ……!!」
思わぬ事実に鯨井さんは放心したままそう響く。
そんな鯨井さんを見て溜飲が下がったのか、叶さんは笑みを浮かべたまま話を続けた。
「……記憶を取り戻した俺はすぐさま行動に出た。当日、まだ出航時間より早くに早い時間帯に堤無津港に
「――鯨井。まさかお前が
「ぐぅっ……!」
恨めしそうに叶さんを見上げる鯨井さん、そんな鯨井さんを冷ややかな目で見ながら叶さんの話は更に続く。
「……それを見てお前の動向に興味を持った俺は、その姿のまま一度船を降りていくお前の後を秘かに付けて行った。……そして人気のない場所で変装を解き、今度は別の乗客としてこの船に乗り込んでいった時、俺はお前が周囲に
「…………」
「……んで、急ぎ船内に戻った俺は、お前が俺の変装をして受付にいた船員に『帰って来た』事を認識させて船室に戻り、再び変装を解いて客室から出て行ったの見届けると、前もって受付から拝借してきていたマスターキーでお前の客室に忍び込んだのさ。……そして、そこに置いてあった
叶さんの話が進むにつれて、鯨井さんの目つきも鋭くなっていく。
そんな鯨井さんを見ながら叶さんは先程とは打って変わってため息をつきながら言葉を続ける。
「……だがその時も、
そこまで言った叶さんに今度は俺がおっちゃんの声で質問を投げかけていた。
「……ちなみに叶さん。アナタが
「――ああ。当然、『復讐』さ。顔は変わってたとは言え、鯨井を含む三人とも
鯨井さんを冷たい目で睨む叶さんのその返答に、周囲の人々は一斉に息を呑んだ。そんな皆の視線を一身に受けながら、叶さんは今度は盛大なため息を一つつきながら天を仰ぎ見る。
「だが……
俺に向けてそう問いかけながら、叶さんはゆっくりと視線を磯貝さんに向けた。
「……今までさんざん悪事に手を染めてきた俺だが……実の娘の目の前で人殺しをするほど、落ちぶれたつもりはねぇからな……」
「お父さん……」
悲しそうな笑みを浮かべながらそう呟く叶さんに、磯貝さんも同じく悲しそうな目で叶さんの視線を交わらせる。
俺は二人のその様子を見て、お互いの胸中には複雑な思いが渦巻いているのだというのが感じられた。
するとそこへカエル先生が小さく笑いながら叶さんへと声をかけた。
「……よかったよ。
「?」
首をかしげる叶さんにカエル先生は二ッと笑って答えた。
「死んでしまったら
「……は、ハハッ!……全く、とことん骨の髄まで医者だな。アンタは」
指先で自身の顔を撫でながら叶さんは呆れ半分の笑みでカエル先生を見ながらそう言った。
カエル先生が意図した結果かは分からないが、そのおかげで先程まで周囲を張り詰めていた空気が少し緩んだような気がする。
……いや、一人だけ未だに気を張り詰めている人が一人いた。鯨井さんだ。
鯨井さんはまるで親の仇を見るかのように歯ぎしりをしながら叶さんを睨み続けていた。
そんな鯨井さんの様子を気づいているのかいないのか、叶さんは床に座り込んでいる鯨井さんに近づき、彼の数メートル手前で止まると、視線の高さを合わせるように同じようにしゃがんで見せた。
そして怒りで顔を歪める鯨井さんの前で叶さんはヘラリと笑いながら口を開いた。
「……しっかし鯨井、お前も馬鹿な奴だなぁ。せっかく時効を迎えられたってのに、こんな手の込んだ殺しをやらかすとは」
「うるせぇッ!テメェには……テメェには分かるわけがねぇ!こいつは
「俺を、越える?」
眉根を寄せてオウム返しにそう聞く叶さんに鯨井さんは叫び続ける。
「叶!俺は今でも覚えているぞ!20年前、俺が考えた計画を『ザル』だとぬかしやがったあの時のことを……!!だから時効が明けるこの日、お前が今まで考えた計画以上の完璧な計画を組み立てて、テメェを――」
「――『影の計画師』と呼ばれた
怨嗟の籠った声色でそう叫ぶ鯨井さんに叶さんは目を丸くするも、直ぐにハッ!と笑い飛ばした。
「笑わせんな。俺を越えるだと?金だけじゃなく、そんな事のためにかつての仲間まで手にかけちまうとはな」
「ぐぅっ……!」
唸る鯨井さんを前に叶さんはすっくと立ちあがる。
「……おまけに何の意図があったか知らねぇが、亀田や蟹江のみならず20年前のあの事件の関係者まで呼び寄せて巻き込みやがって」
「あ゛ぁッ!?そりゃあこっちが聞きてぇよ!!……何故だ!?何故あの事件に関わる人間がこの船にゴロゴロ乗ってンだぁ!?……俺は広告に叶の名前何て一文字も載っけてねぇっていうのによぉッ!!!」
鯨井さんがそう叫んだ瞬間……その場が一瞬静まり返った。
鮫崎さんと磯貝さん、カエル先生の三人は唖然とした表情を浮かべ、叶さんはキョトンとした顔で鯨井さんを見つめていた。
「……?……???」
何が起こったのか分からず、鯨井さんは先のほどまでの怒気が顔から一瞬にして消え去り、代わりに困惑の表情で叶さんたちをキョロキョロと見渡し始めた。
やがて、その静寂を破ったのは鮫崎さんだった。
「……おいおい、鯨井。お前まさか、『古川大』が何なのか分かってないのか?」
「あ、え?……か、画数が少なくて、覚えやすいから事あるごとに使えと
鯨井さんがそう言った瞬間、鮫崎さんが思わず失笑を浮かべた――。
「ははははははッ……!コイツは傑作だ!――」
「――『古川大』を縦書きにしてそれを横に寝かして見ろよ――」
「――『才三 叶』になるじゃねぇか!」
「えっ……!?」
鮫崎さんのその言葉に呆然となる鯨井さん。それに続くようにして磯貝さんも声を上げた。
「だからこのツアーに参加したのよ。丁度、時効が明ける日だったし」
「まぁ、半信半疑だったけどね?」
磯貝さんに同意するように、カエル先生も苦笑を浮かべて肩をすくめながらそう言った。
その事実を突きつけられ、半ば放心状態の鯨井さんに、鮫崎さんは鯨井さんの顔を覗き込むようにして口を開いた。
「つまり『古川大』は洒落をきかせた叶の偽名だったってわけよ」
「ッ!!……そんな……!そんなぁ……ッ!!」
それに鯨井さんは今度こそ心が折れたよう項垂れる。
そんな彼を鮫崎さんは小さく笑いながら言葉を続けた。
「ハハッ……こいつぁはなから勝負にならねぇなぁ、叶?」
鮫崎さんにそう問われ、叶さんも顔に手を当てながら呆れの交じった含み笑いを浮かべた。
「クック……ああ、全くだ。……鯨井、やっぱお前俺が直接手ぇ下すまでもなかったみたいだな?――」
そう言った叶さんは顔から手を離すと、未だにへたり込みながら放心状態で自身を見上げてくる鯨井さんに向けて、目を細めながらニヤリと笑ってみせた――。
「――なんたってお前は20年間――」
「――
――叶さんのその言葉を最後に、今この
補足説明。
浜に打ち上げられた叶の上着に関してですが、叶から脱げた後、別の海流に乗って叶とは違う方向へと流れていきました。
その結果、叶本人とは全く別の場所と時期に発見さる事となり、カエル先生に助けられた叶と着ていた上着の関係性が希薄状態になっています。
次回はこの事件のエピローグを少し書いた後、次の話へと移行いていきます。