SIDE:カエル顔の医者(冥土帰し)
――ある晩。『米花私立病院』にいる私の元に一本の電話が入った。
「……はい、こちら米花私立病院……って豆垣さんかい?」
『おぉ、そうじゃ先生。すまんのぅ、こんな夜中に』
電話の相手は、私の古くからなお知り合いである
「何かあったのかい?」
『実はのぅ、持病の
「そりゃあ、頼まれた手前直ぐに向かいますが……腰痛なら何も僕に頼む必要なかったのでは?」
『先生の治療が一番よく効くんじゃよ。直ぐにスッと痛みが引いて楽になるんじゃ』
「全く……。そう言えば、妙子ちゃんはそこにいないのかい?」
『妙子なら仕事じゃよ。今日、うちの神社の境内で撮影があってのぅ、あいつもそこにいたんじゃが、撮影が終わると他の撮影スタッフらと共に
「……ほぅ、だから僕ならよいと?」
『信頼しとる証拠じゃよ。なぁ、先生?』
受話器越しにこちらを拝む仕草をしているのがまざまざと目に浮かぶようだ。
「……直ぐに向かいますので待っていてください」
ため息を一つつくと、久作さんにそう伝えて電話を切る。
やれやれと肩をすくめながら私は外出時、いつも持ち歩いてる大きなボストンバッグを手に、彼の元へと向かった――。
――車で急いで来てみたが、思いのほか久作さんの腰痛は直ぐに治った。
「いやぁ、すまんのぅ先生。もうすっかり良くなったわい」
「それは良かった。それじゃあ僕は病院に戻りますので、これで」
そう会釈して病院へ帰えるために自分の車の所に戻ろうとする私を久作さんが引き留める。
「もう帰ってしまうのかい?夜じゃし、今日の仕事はもう終わりじゃろ?ワシも今は家に一人じゃし、一杯付き合ってくれんか?」
「申し訳ありませんが、僕は酒を飲まないんです。……それに、いつ何時急患が舞い込むかもしれませんしね」
「むぅ~、勤勉じゃのぅ」
年甲斐もなく子供のようにむくれる久作さんをしり目に、私は豆垣家を後にして道路に止めている自分の車へと向かった。
そうして、道路脇に停めていた自分の車のドアの鍵を開けようとした瞬間、ふと視界の端に動くモノを捉えた。
何かと思い視線をそこに向けると、そこには豆垣家のすぐそばにある米花神社の石段を上る人影が――。
(……はて?こんな時間にお参りかね?)
不思議そうにその人影を見ていると、月明かりで一瞬、その姿が露になる。
(あれは……妙子ちゃん?)
それは久作さんのお孫さんの妙子ちゃんだった。妙子ちゃんは私に気づく事なく石段を登りきるとそのまま神社の奥へと姿を消した。
「……?」
不審に思い、私も彼女の後を追ってみる。
石段を上っている最中、神社の方から何やら男女の言い争う声が聞こえてきた。
よく聞き取れなかったので、登りながら耳を澄まそうとした、その次の瞬間――。
「……ぐぅっ!?」
唐突に響く、小さくくぐもった男の悲鳴。
「!?」
慌てて石段を駆け上がり、一息ついて目にしたのは、宵闇の神社の前に佇む、背中を向けた女性のシルエット。しかし、私はすぐにその女性の正体を察する。
「……妙子ちゃん?」
「――ッ!!?」
私に名前を呼ばれ、その女性――妙子ちゃんはビクリと体を震わせた。
そんな彼女に私はすぐさま駆け寄る。
「妙子ちゃん。一体どうしたんだい、こんな夜中に神社に――!?」
彼女の姿を見て、私は息をのみ、目を見開いた。
――震えながらこちらに振り返った彼女の顔や衣服に大量の血がべっとりと付着していたのだ。
「これは……!」
絶句する私の前――血まみれの妙子ちゃんのさらに奥にある神社の賽銭箱の前に、同じく血まみれで蹲る男の姿が。
そばには彼を血まみれにした原因であろうナイフも転がっていた。
「あ……ぁ……!」
私に何か言おうとしているのか、口をパクパクと開閉する彼女を置いて、私はその男に駆け寄る。
「キミ!キミ!!……しっかりするんだ。一体どうしたんだ!?」
「……あ……あい゛、づ……に……や゛られ……ッ!!」
震える手を持ち上げた男は妙子ちゃんへと指さしていた。
「ぁ……」
指をさされた妙子ちゃんはへなへなとその場に座り込んでしまった。
その瞬間、「ぐぅっ!!」とうめき声をあげ、体を丸め倒れる男。
見ると男は気を失っていた。
すぐに男を仰向けに寝かせた私は傷を確認する。
(これは……刺された場所が悪い。おまけにこれ程の出血……)
私はすぐに男の身元を証明する物を探し出すため、男のポケットに手を入れた。するとそこには財布があり、中から運転免許証が出て来る。
それを確認した私は、携帯を取り出し米花市立病院へと連絡する。
「……もしもし僕だ。今、米花神社で20代男性が血まみれで倒れてるのを発見した。出血量が多くこのままでは出血多量で死亡する恐れがある。警察にも連絡して、すぐに輸血パックを持ってこちらに来てくれ。男性の血液型は――」
運転免許証から男の血液型を病院に伝えると、私は電話を切って男の応急処置に専念する。
担いでいたボストンバッグを開け、中に入っていた医療道具や薬品を取り出していく。
すると、それと同時に第三者の声が境内に響いた。
「こ、これは……!?」
見ると、やや長めの髪を後ろで縛った20代の男が、石段のそばでこちらを見ながら呆然と立ちすくんでいるのが見えた。
「ゆ、
その男を見た瞬間、妙子ちゃんは思わず声を上げた。
裕二と呼ばれた男はハッと我に返り、妙子ちゃんの元に駆け寄った。
血まみれで震えて座り込む彼女を裕二君は息をのみながら優しく抱きしめる。
「い、一体何が?」
動揺を隠しきれないらしく震えながら声を上げる裕二君に、私は男の応急処置をしながら彼に声をかける。
「……キミは、妙子ちゃんと知り合いなのかい?」
「え?あ、はい。俺は彼女の婚約者です。……あなたは?」
「通りすがりのただの医者だよ。妙子ちゃんとは以前からの知り合いなんだが、たまたまこんな時間にこの神社に向かう彼女を見かけてね。気になって追いかけてきてみたら、こんな事に……」
「そんな……」
愕然とする裕二君に私は一つ頼みごとをする。
「悪いんだが、今僕は手が離せない。代わりに彼女から一体何があったのか事情を聴いてもらえないだろうか?」
「わ、分かりました」
――そうして、裕二君に話しかけられ、徐々に落ち着きを取り戻してきた妙子ちゃんは、ポツリポツリと少しずつ話し始め、私も応急処置の傍ら彼女の話に耳を傾けた。
高校時代に両親を亡くし、一時期グレて悪い連中と付き合いがあった事。自分が刺した男――
「……今夜、ここでお金を渡す予定になってたけれど……私、アイツとの関係を断ち切りたくて……ナイフを持ってアイツの元にやって来たんです。もう私の前に現れないように、そうきっぱり言うつもりで……でも、そしたらアイツ……逆上して襲ってきて……はずみで……あ、あぁ……!」
「そ……んな……!くっ……!」
ボロボロと涙を流しながらそう独白した妙子ちゃんに、裕二君は何と声をかけていいのか分からず彼女を抱きしめていた。
そんな二人に、私は安西の治療を続けたまま淡々とした口調で声をかける。
「……酷な事を言うようで悪いんだがね。こんな事になってしまったのは妙子ちゃん、キミにも責任がある。……キミがこんな男たちに祭祀用具の事を話さなければ、その杉山という人も死なずに済んだのかもしれないからね。……その罪は一生かけて背負っていくしかないだろう」
「う、うぅ……」
私の言葉に妙子ちゃんは涙目に俯く。そこへ裕二君が私に向けて声を張り上げてきた。
「でもっ!そうなってしまったのも安西たちがそれを盗んだのがそもそもの原因だ!妙子が話してしまったからだとしても、アイツらが盗もうなんてやましい事を考えさえしなければ……!それに、今だってそうだ!そいつが金が手に入らないと分かって逆上して妙子を襲わなければこんな事にはならなかった!全部こいつの自業自得ですよ!!」
そうして裕二君は、安西を治療する私の背中を睨みつける。
「それなのにあなたは、何でそんな奴を助けようとしてるんですか!?そんな奴助けたって――」
そこまで言った彼へ私は振り向き、真っ直ぐに彼に目を向けて言った。
「――当たり前だよ。僕は、医者だからね。目の前で死にかけている人がいれば迷わず治療するのが僕たち医者の使命だ。それが善人だろうが悪人だろうが関係なく、ね」
「…………」
私のその言葉に裕二君は言葉を詰まらせる。そんな彼と妙子ちゃんに、私は続けて言葉をかける。
「……それに、この男の命を救うのは妙子ちゃん、ひとえにキミの為でもあるんだ」
「え……?」
疑問の声を上げる彼女に私は再び安西の治療を行いながら、口を開く。
「……僕は残念ながら、この男が刺された瞬間を見ていない。だから、もしこの男が死ねば証言者は加害者側であるキミだけになる。……だが、前もってキミがナイフを用意していた事とこの男にキミが脅されていたという動機もある以上、キミが言う『はずみで刺してしまった』という証言は通らない可能性も出て来る。……その場合、最悪キミは殺人罪で起訴されるだろう」
「そんな……」
「っ……!」
苦悶の声を漏らす妙子ちゃんと裕二君に私はやんわりと言葉を紡ぐ。
「そう……だからこそ、この男――安西の命を救う事に意味があるんだ。彼が生きて嘘偽りなく証言すればキミの『はずみで刺してしまった』という証言が通る可能性も出て来る。そうでなくても、殺人罪は確実に免れる」
「「…………」」
呆然と聞き入る二人に、私は最後にこう締めくくる。
「すまないねぇ。こうなってしまった以上、僕はキミを
「……ぜ、ぜん゛ぜい゛ぃ……ッ!!」
再びボロボロと涙を流し泣き崩れる妙子ちゃんを裕二君は優しく抱きしめる。
それを合図にしてかようやく神社前に呼んでいた救急車が到着した――。
「いやはや……まさかロケ隊の中にキミたちもいたなんて知らなかったね」
「こっちだってびっくりしたぜ。旅館で蘭とヨーコさんと一緒にコンビニに行こうとしていた矢先に神社の方でパトカーと救急車のサイレンが聞こえたんで何事かと駆けつけて見たら、安西さんが救急車で搬送されてるわ
米花神社の事件から翌日、私は米花市立病院のロビーでコナン君(新一君)と会っていた。
どうも妙子ちゃんのいる撮影スタッフたちの中に今回、推理監修として毛利君が参加しており、彼と蘭ちゃんもそれについてきていたらしい。
彼が今日、一人で僕の所に来たのは一体何があったのかその詳細を聞きたかったかららしい。
「……一通りの事情は分かったよ。で、どうなんだ?安西さんの様子」
「ピンピンしてるよ。あの時、救急隊員が持ってきてくれた輸血パックのおかげで失血死することもなかったし、早急に応急処置もしていたからあれ以上出血する事もなかったしね。……だけど、手術が終わって目が覚めた途端わめきだしてねぇ、『あの女はどこだ!?
「けっ!呆れるほど面の皮の厚いヤローだな……!」
私から聞いた安西の様子にコナン君は心底軽蔑するようにそう吐き捨てた。
その時、数人のスーツを着た男性が私たちの元にやって来る。
「ちょっとすみません。よろしいでしょうか?私たちはこういう者です」
そう言って先頭のスーツを着た男が懐から出したのは警察手帳だった。
それを見た私は怪訝な顔を浮かべる。
「はて?事情聴取なら先程終わったはずだけど……?」
「ああ、いいえ。違います。貴方の事情聴取の事ではなく、実はですね――」
そうしてスーツの男は
それから少しして、私は今、安西の病室にいる。
目の前には不機嫌を隠さず、苛立たし気な顔を浮かべベッドに寝る安西がいた。
私は安西に声をかける。
「気分はどうかね?」
「あ゛ぁ!?最悪に決まってんだろうがッ!!早くあの女を連れて来い!それか神主のあの
目が覚めてからずっとこの調子だ。今この男の頭の中では妙子ちゃんたちから慰謝料をふんだくる事しか考えていないのだろう。
私は深いため息を一つつくと、安西に向けて
「……残念だがキミにはもうそんな事をしている暇はないんじゃないかな?」
「あ゛?」
「どうぞ、入ってきていいですよー!」
怪訝な顔の安西をしり目に、私は病室の扉に向けて声をかけた。
すると、先程のスーツ姿の警察官の男たちがぞろぞろと入り、安西のベッドを取り囲むようにして立った。
いきなりの事に安西は目を白黒とさせる。
「な、何なんだてめぇら!?」
「安西守男だな?脅迫罪、その他もろもろの件でお前に逮捕状が出ている。観念するんだな」
「なっ!?」
警察官の一人に逮捕状を突き付けられ、安西は絶句する。
そんな彼に、私は先程の続きを静かに口にする。
「キミ、妙子ちゃんやロケにいた
「な、に……?」
私の言葉に呆然とする安西に今度は逮捕状を持った警察官が私の言葉を引き継ぐように彼に声をかける。
「おまけにお前の周辺を調べてみたら出るわ出るわ余罪の数々。もはや塀の中に行くのは免れないと覚悟するんだな」
「…………」
「そういうわけで、キミはここを退院したら即警察のご厄介になるの確定だから。残念だったね」
もはや声も出ない安西に私は最後にこう言い捨てて病室を後にする。
去り際に背中越しに「ちっくしょおおぉぉぉっ!!」と叫ぶ声だけが届いていた。
――医者は病気や怪我は治せても、その人の持つ罪までは
例えそれが私であっても――。
軽いキャラ説明。
・豆垣妙子
アニメオリジナル回、『TVドラマロケ殺人事件』の犯人。
この作品でも安西を刺してしまうが、冥土帰しの尽力で安西は助かり、彼女の罪状は減刑された。
・島崎雄二と豆垣久作
二人とも、妙子が罪を償って帰って来るのをただひたすらに待ち続けている。
・安西守男
冥土帰しのおかげで九死に一生を得るが、余罪が明るみとなり、退院しだい即警察のご厄介に。