SIDE:江戸川コナン
灰原を煙突の中へと逃がし、ジンに麻酔針を撃ち込んだ俺はすぐさま階段を駆け下りた。
すると到着した酒蔵の中では予想外な光景が広がっていた。
(な、何で明美さんとカエル先生が!?……しかも、伊達刑事まで何で!?)
半ば開きっぱなしのドアの影から中の様子をうかがった俺は動揺を隠しきれなかった。
幼児に戻った灰原を抱いて座り込む明美さんと、ジンから受けた灰原の怪我を診るカエル先生。そして、『組織』の一員にして今回の事件の犯人である『ピスコ』こと枡山憲三が、伊達刑事によって拘束されていたのだ。
その上今、伊達刑事は自身の推理を枡山さんに聞かせており、その推理は俺が組み立てた推理とぴったり一致していた。
(……へぇー、やるじゃんかあの人)
中々高い推理力に、俺は無意識にニッと笑うと伊達刑事に向けて内心称賛の言葉を送った。
伊達刑事とは今日初めて会ったばかりでどんな人間なのかすら分からなかったが、ここまで辿り着いたその能力の高さから相当優秀な刑事だという事がうかがい知れた。
(これは……
――だが、俺がニヤリと笑いながらそう思ったそのすぐ後……俺はこの考えが甘かった事を痛感する事となる。
SIDE:伊達航
「……いや。恐らくだが、僕にはその理由が何なのか大方の察しがついたよ」
俺が枡山が行った犯行を洗いざらい説明した後、灰原の嬢ちゃん(話の流れから本名は『志保』と言うらしいが)の怪我の具合を見ていたカエル先生が唐突にそんなことを言い出した。
俺が分からなかった議員をシャンデリアの下に誘導させた手口を、カエル先生が分かったのだと言う。
それは恐らく、
カエル先生は俺に拘束されている枡山を見据えながら静かに口を開いた。
「恐らく……いや、ほぼ間違いなくあの議員はキミたち『組織』と深く関わっていたのだろう。だが彼が収賄疑惑で警察に捕まるのが時間の問題となり、彼の口から『組織』の事が暴露されることを恐れたキミたちは、彼の耳にこんな事を吹き込んだのではないかね?そう、例えば――」
「――『名誉挽回のチャンスを与えるから、会場の明かりが落ちたら光る場所で指令を待つように』とかね」
「…………」
カエル先生のその言葉に、枡山は顔をしかめて黙ったまま先生を睨みつける。どうやら図星のようだ。
しかし、カエル先生の言う灰原の嬢ちゃんがかつて所属していたという『組織』とはいったいどのようなモノなのだろうか?
俺がふとそんな事を思った。その次の瞬間だった。
「……ふ、ふは、フハハハハハハハハハハ!!アーッハハハハハハハハハ!!!」
突然、枡山が大きく笑いだした。
それに目を見開く俺たちが見る前で枡山がひとしきり笑い終えると、カエル先生を睨みつけながら口を開いた。
「そうか……先程の明美君とのやり取りを見て薄々そうではないかと思っていたが……お前だったんだな?明美君と志保ちゃん、この二人を匿っていたのは。なるほど、明美君がジンから逃げ延びた件も、お前が絡んでいるとなれば納得出来る」
「…………」
枡山のその言葉に、今度はカエル先生が沈黙する。
そんなカエル先生の顔を見ながら枡山はニヤリと笑ってみせる。
「クック!……これは予想外な朗報だ。
「……?」
「おいおい、何言ってやがる?テメェはこれから警察に連行されるって事、分かってて言ってんのか?」
少し嬉々としながら興奮する枡山に、怪訝な顔で何か言おうと口を開きかけたカエル先生よりも前に、俺は枡山にそう釘をさす。
コイツの言う『あの方』ってぇのが恐らくその『組織』とやらのボスの事だというのは察することが出来る。
しかし、コイツはこれからそのボスに今あった事の全てを伝えると言った。
……そんなことが出来ると思っているのか?これからお前は俺の手で警察に連行されてそれどころでは無いはずだというのに。
だが俺のその言葉に、枡山は先生に向けていた視線を俺に移すとハッと鼻でそれを笑い一蹴した。
「貴様こそ分かっているのか?私を逮捕する事など、
「はぁ?何言って――」
枡山の言ってる意味が分からず思わずそう声を漏らすも、その途中で枡山が口にした言葉に俺は凍り付いた――。
「――
「――なっ!?」
俺は驚き、自分の耳を疑った。今、こいつは俺の名前を
眼を見開く俺に、枡山がニヤリと笑って見せる。
「クック、
「な、にぃ……!?」
絶句する俺に枡山はやれやれと首を振りながら俺に問いかけてきた。
「……大体おかしいとは思わなかったのかね?
「…………」
俺はそれに答えることが出来ず俯く。
確かにそれは頭の隅で唯一引っかかっていた疑問だった。
あの議員を殺害した犯人であるこの枡山憲三は大手自動車メーカー会長。言わば経済界の大物だ。
そんなこいつが
コイツほどの地位にいる人間なら、自分の息のかかった配下にやらせることや、大金を積んで『殺しを専門にする者』を雇って議員を殺害させることだって出来たはずなのに。
そしてそれは吞口議員にも言える事だった。
一政治家である奴も、収賄疑惑で失脚寸前ではあったがそれなりに高い地位におり金と権力も持っていた。
そんな奴が自身にボディーガードを一切つけず、その『組織』とやらに良いように動かされていた。
『経済界の大物』と『政治家』。この二人が自分たちの身を守る対策もせず、『組織』に素直に与している――それが表す事は一つだけだった。
――それは、『組織』がこの二人を
それに気づいてしまった時、俺の顔にいくつもの冷や汗が浮かび上がった。
そんな俺の様子を見た枡山はケラケラと笑う。
「アッハハハハハ!ようやく気付いたか!貴様が今掴んでいるモノが
「――っ!!」
それが本当なら。
自動車メーカーの会長という地位だけでなく、そんなとんでもない『組織』の一員となれば、それらが警察に圧力をかけて何かと理由を付けてコイツを釈放させることは目に見えていた。
下手すりゃあ、コイツを刑務所にぶち込むどころか、裁判にかける事すら出来ないかもしれない。
息を呑む俺に枡山は更に俺を追い詰めるように冷たい口調で口を開く。
「そう、そして……。我々『組織』はその存在を知った人間を
「――近い内に消されるぞ?『組織』の手によってな……!」
「――――」
言葉を失う俺に、枡山は更にまくし立てる。
「いや、貴様だけではないな。いずれ、お前に関わった者全てが闇に葬られることになるだろう。貴様の仕事の同僚、友人、家族に至って全部な!」
「な、何っ!?」
血相変えて俺は枡山に食いつく。とてもじゃないが聞き捨てならない言葉だった。こいつは……こいつらは!俺が『組織』の存在を知ったからと言って、俺ごと俺の周りにいる奴ら全員を抹殺しようというのか!?
そんな事、出来るはずが……!!
俺のそんな考えを見透かすように枡山は言葉を続ける。
「出来ない、とでも思っているのかね?実際、我らはそうやって何人もの人間を闇に葬り、
まるで夢物語を聞かされているような感覚だった。それが本当なら枡山の所属する『組織』は半世紀以上もの間、社会の裏側でうごめき続け、その存在をひた隠しにし続けていたという事になる。
しかも、政治家や経済界のトップを手玉に取るほどの強大な力を持って――。
半ば放心状態の俺に、枡山はとどめとばかりに俺の泣き所をつつき始めた。
「……確か貴様には妻がいたな?しかも妊娠中の」
「ッ!!」
「可哀そうに……父親のせいで子供は生まれてくる事なく母親共々あの世へ送られることになるとはなぁ」
「て、テメェッ!!」
カッと眼を見開き、俺は枡山に向けて叫ぶ。
嫌な汗が全身からドッと噴き出る。まるで断崖絶壁の崖っぷちに追い込まれたかのような気分だ。
そんな俺に、枡山は今度は悪魔のような提案を俺に囁きかけてきた。
「……だが、お前たちが助かる方法は無いわけではないぞ?」
「……!……俺に……
ここまでくれば、枡山の言いたい事は直ぐに理解できた。
俺の言葉に、枡山は「ハッ!」と笑って見せる。
「分かってるじゃないか。私は『組織』では幹部クラスだが、それでも長年『組織』に仕え続けてきた実績があるし『組織』のボスからの信頼もある!私からあの方に口添えをして、貴様の身の安全を保障させよう!その代わり――」
「――
「…………」
不気味な笑みを浮かべた枡山のその要求に俺は沈黙する。枡山の言う『これから行う事』が何なのか、俺にはすぐに分かった。
俺がこの部屋に突入する直前、奴は灰原の嬢ちゃんと広田雅美に銃口を向けていた。
詳しい理由は分からないが、枡山の言う『組織』にとってこの二人は決して野放しに出来ない存在だという事なのだろう。
その枡山の凶行を今、俺が拘束して止めている――。
奴が俺の拘束から解き放たれた時、直ぐに何をしようとするのか自ずと察しがついた。
「さぁ、その手を放せ。たかが女二人のために大事なモノと自分の命、その全てを犠牲にすることもないだろう?」
冷淡に俺に軍門に下れと、そう要求して来る枡山。俺はそんな奴の言葉を聞きながら頭の中で愛する妻の顔を思い出していた。
警察学校時代から既に付き合って長い年月を寄り添って来た愛する妻――ナタリー。
彼女のお腹にいる子供も、もう服の上からでも分かるほどに大きくなってきている。
その子供と彼女の笑顔が頭の中でちらつき、枡山の拘束を僅かに緩めてしまいそうになる。
――だがその直後。ナタリーと入れ替わるようにして俺の脳裏に別の人間の顔が浮かんできた。
(……!)
――それは俺と警察学校時代を共にした、
滅茶苦茶やって。バカやって。そして、一緒に笑い合ったかけがえのない大事な仲間たち。
その内の三人が殉職して、残りの一人も音信不通で生きているのか死んでいるのかすら分からない。
今でも職務中に逝ってしまった三人の事を思うと、フッと泣き出してしまいそうになっている自分がいる。
アイツらはまだ若かった。殉職さえしなければもっと人生を謳歌できたはずだ。
だからこそ俺は、死んでいったアイツらの分まで幸せになって長生きする義務がある。
死んで
だからこそ――。
「……聞けねぇな」
「……何?」
ポツリとそう呟いた俺に、枡山は怪訝な目を向ける。
そんな枡山に俺は真っ直ぐ見据えながら力強く言い放った――。
「枡山会長。俺はアンタの要求なんざ、はなっから聞く気はねぇ!!」
「何だと!?」
顔を驚愕に染める枡山を見ながら、俺は奴を拘束する手にグッと力を入れた。
その痛みで「ぐぅっ!」と唸る枡山は俺を睨みつけながら叫ぶ。
「貴様、正気か!?私を逮捕する事が自分の命を縮める行為だとまだ気づいていないのか!?」
「気づいてるさ。アンタの言う『組織』の強大さがどれほどのモンなのかまだ俺には計りかねるが、少なくとも一刑事である俺一人が太刀打ちするなんざ無謀すぎるってぇ事だけは理解できてるよ」
「なら何故抗う!?貴様の妻子や仲間がどうなってもいいというのか!?
そうわめくように声を上げる枡山に、俺はピシャリと言ってのける。
「……犠牲にはしねぇ。
「はぁ!?」
唖然とする枡山に、俺は力強く言い放った――。
「俺は警官だ!!市民を守り、治安を守るのが俺の仕事だ!!お前らがどんなにデカい『組織』だろうが関係ねぇ!!この二人が元は『組織』の人間だろうが知った事か!!今は守るべき一般市民に違いはねぇ!!その上で俺は自分の家族も仲間も、全部守ってやる!!俺の大事なモノを奪う奴らなんざ、何処の誰だろうが絶対に許さねぇ!!!!」
――そうだ。死んでいったあの三人も、それぞれが事件に巻き込まれ
だが三人とも、己の職務から決して逃げたりなんかしなかった。
それぞれが自分の命を
短い人生ではあったものの、アイツらはアイツらなりにやり遂げる事が出来たと思う。
そしてそれは今も生きているであろう
恐らくアイツも一人で必死に何かと戦い続けている。一警察官としてだ。
それなのに、俺がここで今コイツの要求を飲んじまってみろ。
――向こうでアイツらに顔向けなんて出来るわけねぇじゃねぇか!!
ナタリーだってそうだ。アイツは警察官である俺を好いてくれてた。
警察学校時代から何度も危ない事に首を突っ込んでも、俺が交通事故で死にかけてこんな体になっても、アイツは一度たりとも俺に刑事を辞めてくれと言わなかった。
心配もしてくれていたが、必ず生きて帰って来てくれると信じてくれていたんだ。
そんな俺を……一刑事として働く俺を信じてくれているナタリーを裏切るわけにはいかねぇ。
無茶だろうが何だろうが関係ねぇ。ナタリーやアイツらが俺を――警察官として生きる俺を信じてくれている限り、俺は逃げるわけにはいかねぇんだ!!
「…………」
俺の宣言に枡山は目を見開いて絶句する。それはそばで俺たちの会話を聞いていたカエル先生や広田雅美、灰原の嬢ちゃんも同じだった。
周りが呆然とする中、俺は枡山に向けて静かに言い放つ――。
「枡山憲三。殺人及び銃刀法違反の容疑で逮捕する」
「…………。く、クククククッ、アーッハハハハハハハハハ!!!まさか……まさかここまで馬鹿な人間がいるとはな……!!」
ポカンと俺を見上げていた枡山が、やがて堰を切ったかのように笑いだし、そう声を上げる。
俺は手錠をポケットから取り出すため、奴の両腕を拘束している両手を奴の後ろ手で交差させて片手で抑えようと動かしながら口を開く。
「悪ぃな。自分で言うのもなんだが、馬鹿で真っ直ぐな性分なんだ」
「
枡山がそう言った、その次の瞬間だった――。
――突然、俺の顔面に強い衝撃が走り、視界が一瞬真っ赤に染まる。
「ッ!!?」
鼻に痛みを感じた俺は、その反動で枡山の片腕――銃を持っている方とは逆の腕を放してしまっていた。
その時、枡山に後頭部で思いっきり顔面に頭突きを食らわされたことに俺は気づくも、直後に枡山は自由になったその腕で俺の
「がはぁっ!!!」
腹に衝撃が走り、肺の中の空気が一気に口から吐き出される。
その息苦しさから、ついに枡山の銃を持っていた腕までも放してしまった。
鼻と腹の痛みで膝をつきそうになる体を何とか支え、俺は枡山を睨みつける。
だが枡山はそんな俺の様子には意に介さず、手に持ったその銃を呆然と見つめる広田雅美と灰原の嬢ちゃんへと再び向けてきたのだ。
何が何でも今この場でこの二人を殺そうという腹積もりなのだろう。
「ぐっ……ぐおおおおおッ!!!!」
俺は顔と腹の痛みをこらえながら、必死で枡山に飛び掛かる。
「ぐふっ!!」
枡山は俺に再び両手を掴まれ、床に押し倒されたことで苦悶の声を上げる。
そしてその衝撃からか、枡山の持っていた銃が火を噴いた――。
――パシュッ!!
――パシュッ!!
――パシュッ……!!
立て続けに三発。銃が暴発し、そこから銃弾が飛び出る。
しかし、その三発ともカエル先生たち三人がいる方向とは全く違う、明後日の方向へと飛んで行った。
「ぐぅっ、放せッ!!」
「大人しくしろ、枡山!!」
俺と枡山はもつれ合って床を転げまわる。だが、顔と腹にダメージを負っている今の状態ではなかなか枡山を取り押さえることが出来なかった。
その途中、また銃が暴発し流れ弾が当たる危険性が脳裏をよぎり、俺は枡山と取っ組み合いをしながらカエル先生たちに声を上げる。
「先生!!早く二人を連れてこの部屋を出てくれ!!」
「わ、分かった!!」
すぐさま頷いたカエル先生は急ぎ、広田雅美と灰原の嬢ちゃんを連れて部屋を飛び出して行った。
「待てッ!!」
「行かせてたまるかよッ!!」
慌てて立ち上がって後を追おうとする枡山の体にしがみ付いて再び床へと引きずり倒す。
バタン!と枡山が床に倒れた直後、一瞬部屋に静寂が訪れる。
「……?」
その時ふいに、チョロチョロと
何だ?と思い、半ば無意識に視線がその音の発生源を探し、見つける。
すぐそばにあった棚の一番下段に収納されていた大きな木箱に小さな穴が三つ開いており、そこから透明な液体が溢れ出していたのだ。
どうやら先程枡山が撃った三発の銃弾がこの木箱に当たっていたらしい。
『スピリタス』と書かれたその木箱から漏れた液体は、床に小さな川を作って伸びていき、
それを見た途端、俺の顔から一気に血の気が引いた――。
俺が枡山を拘束した時、その反動で枡山の口から落ちた
それにアルコール度数95%で
時間はかかりましたが、一万字越えで何とか投稿です。
次回は今回よりもオリジナル展開満載で行きます。