とある探偵世界の冥土帰し   作:綾辻真

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軽いジャブ回、その3です。


カルテ4:中原香織

(え……?)

 

私こと中原香織(なかはらかおり)は驚愕に打ちひしがれていた――。

東都大学の一角にある広い会議室。今日そこで医学部の教授たちによる論文の発表会があり、私もその発表会に参加していたのだ。

呆然となる私の視線の先――そこには私が父親のように慕っている……いや、()()()()()自分自身が助手を務める大山将(おおやままさし)教授が得意げに自身の手に持つ論文を発表していたのだ。

ただ()()()論文を発表しているだけなら、私はここまで驚きはしない。私が驚いたのは――。

 

(なんで……?なんで大山先生が、()()()()()()()()()()()()!!?)

 

大山教授が今発表しているのは、紛れもなく私の論文の内容だったのだ。

幼い頃、大腸がんで死んだ父親のために、医師になり6年の歳月をかけて研究し、そして書き上げた私の血のにじむような努力の結晶――。

それが今、大山教授が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、他の教授たちに公表しているのだ。

周りの教授や医師たちが大山教授の言葉に耳を傾けている中――私はただただ混乱の中にいた。

 

(どうして……どうして先生があの論文を……!?)

 

そう考えていた時、私はハッとなる。

確か少し前に、大山教授が私の研究室を訪れて来た時があった。

あの時は、別段大した用があった訳では無くただ様子を見に来ただけと先生は言って少しの間雑談をしたのだが、先生が研究室を去った後、私は机の上に置いていた論文が紛失しているのに気が付いた。

慌てて部屋中を探したが論文は何処にも無く、途方に暮れたその次の日、紛失した論文が何事もなく私の研究室で見つかったのだ。

昨日、あれだけ探したのにもかかわらず、だ。

 

(ま、まさか……まさか先生……。あの時、私の論文を盗んで複製(コピー)を……!?)

 

そこまで考えた瞬間、カッと目の前が赤くなったような気がした。

今すぐ先生のもとに飛び出し、周囲の医師たちに向けて『これは私の論文です!』と叫びだしたい衝動に駆られる。

だが大山教授はここ東都大ではそれなりに名の知れた教授だ。一介の助手である私が乱入したところで、周りの医師たちは私の声に耳を傾けてくれるのだろうか。

そんな不安が胸中を渦巻き、私は先の衝動をぐっとこらえる。

そうこうしているうちに、大山教授の発表が終盤へと移っていた。

 

――許せない。……信じていたのに、父親のように思ってたのに……!

 

信頼していた大山教授の裏切りに私は憎らしいやら悔しいやらで、グッと涙をこらえて俯き、自身の服をギュッと両手で握りしめながら人知れず小さく屈辱に打ち震えていた――。

 

「……?」

 

だが、そんな私を怪訝な顔で見ている人が一人いた事に、その時の私は気づく事は無かった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大山教授の発表が終わり、会議室の中に拍手の渦が巻き起こる。

 

――終わった……。

 

その拍手の音を聞きながら、私は絶望へと落ちていく感覚を味わった。

もうここにいる誰一人として、先程大山教授が発表した論文が、実は私の論文だったと信じる者はいないだろう。

大山教授は論文の発表を終え、同じ教授や医師たちの拍手を浴びながら恍惚とした笑みを浮かべている。

私はそんな大山教授に対し、どす黒い感情が沸々と湧き上がってくるのを感じた――その瞬間だった。

 

「……ちょっと、いいかね?」

 

拍手の中、唐突にそんな声がその場に響き渡り、拍手をしていた医師たちがピタリとそれを止め、声の主へと視線を移す。

私や大山教授も、同じくその声の主の方へと目を向けていた。

そこには、今回の発表会に特別ゲストとして参加してくださっていた大学外部の医師たちが座っている席があり、その声の主はその医師たちの中の一人であった。

カエルのような顔をしたその医師は、机に頬杖をつきながら軽く手を上げて目の前にいる大山教授を見据えている。

会場が静まり返るのを確認したその医師は大山教授に言葉を投げかけた。

 

「大山教授。今し方発表された論文について二、三質問したいのですが、よろしいですか?」

「あ、え……?」

 

唐突にそう言われたせいなのか大山教授は少し狼狽えて見せる。

カエル顔の医師はそんな大山教授をしり目に今度は私の方へと視線を向けてきた。

 

(え?)

 

内心驚く私に構わず、その医師は私へと声をかけて来る。

 

「そこの君。そう、そこの君だよ。すまないがこちらに来てもらえるかい?」

「は、はい……」

 

そのカエル顔の医師に促されるがまま、私は席を立って周りの医師たちの視線を一身に受けながら私は大山教授の隣に立ち、そのカエル顔の医師の前へと姿を現した。

一拍の沈黙後、カエル顔の医師は私へと声をかける。

 

「君、名前は?」

「な、中原香織と言います」

「香織君、か……。いい名前だね」

 

私の自己紹介にカエル顔の医師はニッコリと笑いかけると、再び大山教授へと視線を戻した。

そして、配られていた大山教授の論文(実際は私の論文)のコピーの束をパラパラとめくりながら大山教授に問いかける。

 

「さて、大山教授。改めて質問なんだがねぇ、この論文……『大腸癌(だいちょうがん)に対する遺伝子治療の開発』の8ページに書かれている投与する薬の成分に関する事なんだが――」

「あっ、えーと……そ、それは、ですね……」

 

カエル顔の医師が論文に書かれる事の無かった深い部分を質問した途端、大山教授の様子が明らかに変わったのが見て取れた。

顔からは焦りが浮かび、冷や汗がダラダラと流れ始める。

突然しどろもどろとなった大山教授を見て周囲の医師たちも怪訝な表情を浮かべ始める。

そんな大山教授を見てカエル顔の医師は目を細めると、今度は私に質問をしてきた。

 

「……では、中原君。23ページに書かれている高齢者が治療する際の注意点についてなんだが――」

「あ、はい。それでしたら――」

 

私はカエル顔の医師の質問に詰まることなくすらすらと答える事が出来た。

当然だ。これは私が6年の歳月をかけて書き上げた論文だ。論文には書かなかった深い部分だって知っていて当たり前じゃないか。

私があっさりと答えた事で周囲の医師たちは今度は驚愕の顔を露にする。

それからもカエル顔の医師は私と大山教授に3回ずつ、別々の質問を交互に繰り返し、私は難なくその質問を答えることが出来。反面、大山教授はカエル顔の医師の質問に一つとして答える事が出来なかった。

カエル顔の医師の質問が終わり、周りの医師たちは驚愕と動揺でザワザワと騒ぎ立てる。

そんな中、大山教授はまるで生気が抜けたように全身が真っ白となって呆然と立ちすくんでいた。

そして、質問を終えたカエル顔の医師は席から立ち上がると、私の所へ歩いてくる。

そうして私の前に立つと、手に持った論文のコピーを掲げて笑顔でこう言った。

 

「ありがとう。()()()()()()とても素晴らしかった。僕が大腸癌の治療をする際、是非とも参考にさせてほしいね」

「ッ!!……は、はいっ……!!ありがとう、ございます……っ」

 

泣きそうになるのを必死にこらえながら、私は何度も何度もその医師に頭を下げて感謝の言葉を述べ続ける。

それを見たカエル顔の医師は小さく微笑むと、周囲に向けて「お先に失礼させていただきます」と一言そう言い残し、呆気にとられる医師たちを置いて会場内を後にしていった――。

 

 

 

 

 

 

――後から知った事だが、そのカエル顔の医師は日本医学界でも頂点に立つほどの凄腕の医者であり、世界中からも注目されている超大物でもあった。

私も噂ぐらいなら知っていたのだが、まさかそんな凄い医者がお忍びで東都大(うち)の発表会に来ているとは夢にも思わなかった。

 

あの一件以降、大山教授は周りの教授や医師たちから白い目を向けられており、肩身の狭い生活を送っている。いずれ、東都大を去る日も近いだろう。

私はというと、それよりも先に東都大の医学部を辞めた。

東都大を出て、別の所で医師としての私を売り込み、そこで一から始めようと決めたからだ。

 

 

 

 

そして――売り込む先は、もう決まっている。




軽いキャラ説明。


・中原香織

単行本10巻~11巻、アニメでは46話である『雪山山荘殺人事件』の犯人。
冥土帰しが大山教授から論文を取り返してくれたことで、中原は大山を殺す事は無くなった。
その後、彼女は東都大医学部を出て冥土帰しのいる米花私立病院へと自分を売り込む決意をする。


・大山将

冥土帰しによって論文を盗んだことが暴かれ、周囲から白い目を向けられながら日々を細々と暮らしている。


・その後のコナン一行。

原作のスキー場で小五郎がコナンと蘭に転ばされ、鍵を無くす所までは一緒だが、先の一件で大山教授たちが山荘に来ることが無くなったため、別の山荘で電話を借り、管理人と連絡を取っている。

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