SIDE:三人称視点。(黒の組織)
それは、カエル顔の医者がピスコこと枡山を運ぶ救急車を見送った、そのすぐ後の事であった。
暗い、雪の降る夜の町中を枡山の乗る救急車が米花私立病院へとひた走り、そのすぐ後ろを一台のパトカーが護送する形で追随している。
そして、その更に百メートル後方。救急車とパトカーを追いかける形でもう一台、別の車が走っていた。
黒のポルシェ356A――ジンの車だ。
ポルシェを運転するジンは、煙草を吹かしながら前方を走る救急車とパトカーを睨みつけながら、後部座席に座るベルモットへと声をかけていた。
「――で?
「ええ。細工自体は
「フン……まさかピスコ一人のために、ここまで骨を折る事になるとはな」
ベルモットの返答に、ジンはそう悪態をつく。
するとそのタイミングで助手席に座っていたウォッカが目の前のダッシュボードを開けると、そこから一台の
「
その無線機はジンたちが複数の同じ組織の人間と連携を取って任務にあたる際によく連絡に使っている代物であった。
ウォッカのその言葉にフッと小さく笑いながらベルモットはその無線機を受け取る。
「当然よ。……さて、始めるわよ」
そうしてベルモットは受け取ったばかりのその無線機の電源を入れると、
《……こちら、米花私立病院。救急、××××(ピスコの乗る救急車の車台番号)。応答願います》
先程とは一変してベルモットの口から
すると、無線機の向こうで
『こちら救急、××××。どうかしましたか?』
《つい先程、こちらに別の急患が複数運び込まれ、そちらの患者を収容する余裕がなくなってしまった。申し訳ないがそこから最寄りの病院――『杯戸中央病院』へと向かってほしい。
『了解。これよりそちらへと目的地を変更します』
救急隊員との通信を終えたベルモットは無線機の電源を切る。
その直後、前方を走る救急車の向かう方向がガラリと変わり、米花私立病院から杯戸中央病院のある方向へと向かい出した。後方を走るパトカーもその後を追う。
それを見届けたジン、ウォッカ、ベルモットの三人はニヤリとほくそ笑んだ。
「作戦成功。とっととここを離れるわよ」
無線機を片手でぶらぶらと揺らしながらベルモットが元の声色に戻ってそう言い、ジンもそれに頷いて見せる。
「ああ。後は組織の息のかかった奴にピスコを
そう答えたジンは、すぐさま車の方向を変えると杯戸中央病院へと向かう救急車とパトカーから急激に離れ、去って行った――。
――ベルモットが行った事は至極単純であった。
杯戸シティホテルの駐車場にやって来た救急車から救急隊員が全員降りたのを確認したベルモットは、周囲に気づかれずに救急車の車内に忍び込み――。
――そこに備え付けられていた救急車の無線と自分たちの持つ無線機が繋がる様に細工をしただけであった。
救急車に乗る隊員は通常、『隊長』『隊員』そして救急車を運転する『機関員』の三名で構成されているため、それ以上かそれ以下の人数しか乗っていないという事はまずあり得ない。
それ故、救急車から三人の隊員が出て来た時点で、車内にはもう誰もいない事がベルモットには容易に分かった。
また、駐車場は設置されている外灯が少なく夜は光が届かず薄暗くなっている所が多い。
ピスコの治療をしているカエル先生はもちろんの事、そこに来た警察も野次馬の対応に追われ、(コナンも含む)誰一人としてベルモットが救急車に入り込んだ事など、全く気づく事は無かったのである。
誰にも見られる事無く意気揚々と救急車に忍び込んで通信機に細工をしたベルモットは、救急車を出るとジンたちと合流すると『先の作戦』を実行し、見事救急車の行先を米花私立病院から杯戸中央病院へと変更させる事に成功したのであった――。
SIDE:三人称視点。
先のジンたちの暗躍――。
もちろん、そんな事が行われていた事などつゆほども知るわけがない杯戸中央病院の医師や看護婦たちにとって、突如何の知らせも無く救急車で
そしてそれは、連絡を受けて急きょ杯戸中央病院へとピスコを運んで来た救急隊員たちも一緒で、互いの情報がかみ合っていない事に驚きを隠せずにいた。
杯戸中央病院と救急隊員たち両者は埒が明かないと踏んで、隊員に連絡を寄こしてきたという米花私立病院の男性スタッフらしきその人物にも話を聞こうと連絡するものの、当然米花私立病院でもそんな連絡をした覚えがあるはずもなく、更に混乱するだけに終わってしまった。
――また後の調査で、救急車の無線に細工がされていた事が明るみになるも、誰が何の目的でそれを行ったのか皆目見当もつかず、ついには全容が分からぬままこちらも終わる事となった。
しかし、何の連絡も無かったとは言え杯戸中央病院側はやって来た急患を拒絶するわけにもいかず、突然ではあったものの結果的に杯戸中央病院は何とか手続きを済ませて改めてピスコを患者として収容した。
警察も突如彼の入院した病院が変わったことに驚きはしたものの、職務を優先し彼が退院して事情聴取が出来るまでその身辺警護をする事となった。
そして、急患として収容された肝心の
事件から一夜明けて日が登った後も、未だに目が覚める様子が無かった。
SIDE:三人称視点。(黒の組織)
杯戸シティホテルの殺人事件から丸一日たった夜の首都高――。
杯戸町に伸びるその高速道路の上をジンのポルシェが走っていた。
ウォッカが運転し、助手席にジン。そして後部座席にはベルモットが陣取っている。
「……そろそろ、あの病院に組織の手の者が送り込まれる時刻だ。ようやく
「随分と時間がかかったけど、ようやくね……」
腕時計で時間を確認してニヤリと笑いそう呟くジンに、ため息交じりにベルモットがそう答える。
ピスコが杯戸中央病院に収容され、『組織』の『
そのため、ピスコの抹殺は次の夜に行う事が決まり、『組織』は病院を監視する中、その準備に取り掛かっていた。
ピスコに手を下すのはまだ『組織』内では
だが、ただの構成員という訳ではなく、それなりの潜入工作や暗殺に長けた人物であった。
米花私立病院のような場所ならいざ知らず、ごく普通の市民病院の潜入などその者にとっては朝飯前もいいとこであり、例え警察が張り込んでいたとしても攻略できる自信がその構成員にはあったのである。
ましてや
まな板の上のコイ。暗殺対象の息の根を止めること自体は赤子の手をひねるよりも簡単な事であった。
そういった理由から、ジンたちはその構成員が上手く任務を遂行してくれると信じて疑わなかったのである。
そうして、ジンたちの話題はピスコから
「ピスコの件もそうですが、アニキ……。本当にいいんですかい?この町で
「ああ……、無駄な事はしねぇ性分なんだ。今頃はもう助けに来た男と逃げ出した後だろうよ」
ウォッカの問いかけに、ジンは煙草を吹かしながらそう答え、続けて口を開いた。
「……俺たちに顔を見られた町に、呑気に留まるような馬鹿な女じゃねぇからな」
「あら?随分入れ込んでるのね、その小娘に」
ジンのその言葉を聞きながら、ベルモットがバックからコンパクトを取り出しながらそう呟く。
それを聞いたジンは鼻を鳴らす。
「フン。……悪かったな、ベルモット。
「ホント、せっかく事情聴取を受ける前にハンカチを渡してあげたのにね」
心底落胆したと言わんばかりに肩をすくめたベルモットは、そう言いながらコンパクトミラーに映った自分の唇に口紅を差していく。
「……それより、気にならない?小娘とつるんでいるその男」
「ああ。あの女に抱き込まれた男……見てみたいもんだ、その
ベルモットの言葉にジンがニヤリと笑いながらそう答える。
それを聞いたベルモットも小さく笑うと、パタンとコンパクトを閉じて煙草を口に咥えながら呟く。
「ええ……恐怖に歪んだ、死に顔をね……」
そうしてベルモットが煙草に火をつけると、今度はウォッカが彼女に問いかけて来る。
「また
「いや……
煙草の煙をフゥッと吐きながら、ベルモットは車のドアにもたれかかり、窓の向こうを流れる景色をぼんやりと眺める。
ふと、外の道路に設置されている外灯の一つが
――あの《偲ぶ会》の会場で見かけた
――その時、ふいにジンの懐から携帯電話の着信音が鳴り出す。
「?……俺だ、どうした?」
電話に出たジンは、相手の声に耳を傾ける。すると次の瞬間――。
「何……ッ!?」
ジンの双眸がカッと見開かれ、驚愕に声を荒げていた――。
時間は、ほんの少し前にさかのぼる――。
深夜の杯戸中央病院。そこの薄暗い廊下を一人の男が歩いていた。
警察官の制服に身を包んだその男は、その姿の通り警察官……
懐に大きめのナイフを忍ばせ、警官に変装した『組織』の構成員であるその男は、自身が警官で無い事を周囲に覚られぬよう、毅然とした足取りで目的の場所までやって来る。
そこはとある病棟の二階にある病室だった。病室の扉の前には警官が一人立って見張っており、周囲に異常がないか警戒をしている。
――そこは『組織』の一員……いや、元一員であるピスコこと枡山憲三が入院している部屋だった。
警官に
「……どうも、ご苦労様です。あなたと交代するように言われてやって来ました」
「……?えらく早くないか?」
やって来た構成員の存在に気づいたその警官は、少し訝しく思いながらそう尋ねる。
警官の言う通り、交代の時刻にはまだ早すぎていたからだ。
訝しむ警官に警官に扮した構成員は、淡々とした口調でそれに答えた。
「部長があなたに何か用があるらしいですよ?……それで早めに交代するよう、私が仰せつかった次第でして……」
「部長が?うーん、何だろう?……分かった。じゃあ後は頼む」
「ハッ、了解しました」
少しおかしく思いながらも警官は最後に構成員の言葉を鵜吞みにし、その場を彼に任せてしまう。
そしてお互いに敬礼を交わした後、病室の見張りをしていた警官は夜の廊下の向こうへと去って行った。
それを見届けた構成員は、警官の帽子を目深に被り直すと、その下で不気味に口元を吊り上げ――。
「……ごゆっくり」
そう、静かに呟いていた。
警官が去ったのを確認した構成員は、やがてピスコのいる病室の扉に手をかける。
音を立てず、ゆっくりと扉を開いた構成員は病室の中へと侵入する。
殺人容疑のかかっている
そのベットの布団が、大人一人分の大きさに盛り上がっていた。
それを確認した構成員は足音を忍ばせながらそのベットに近づく。
そしてゆっくりと懐からナイフを取り出すとベットのそばに立ち、ナイフをその盛り上がりに向けて大きく振りかぶり――。
「――!?」
――振り下ろそうとしたその動きを直ぐに止めた。
おかしい。何かがおかしい。
ベットに横たわる人物を睨みつけながら、構成員の脳裏にそんな言葉が飛来する。
この人物に対する大きな違和感。
「まさか……!!」
そう叫んだ構成員は慌てて布団を引っぺがす。
そこにいたのは『人』では無かった。
布団の上から『人』の形に見えるように、枕や病室の備品などがベットに並べられているだけであった。
「いない……!クソッ、あのジジイ何処に……!?」
ターゲットがここにいない事を知った構成員は慌た調子で周囲を見回し始める。
すると、視界の隅に何かが動くのをとらえた。
「!?」
反射的に構成員の視線はそちらを向く。
そこには病室の窓があり、そこにかけられていたカーテンが
「チィッ!!」
構成員は舌打ちをすると直ぐに窓際へと駆け寄る。
そして大きく窓を開け放つと頭を外に出し、下を見下ろす。
病院の外は夜の帳がおり、静寂に包まれていた。
窓のそばには雨水を通すための
SIDE:枡山憲三(ピスコ)
「ハア……ハア……ハア……!」
荒くなった呼吸を必死に整えながら、私は東京郊外にあるとある別荘の中に転がり込んでいた。
この別荘は『組織』や『あの方』にすら教えていない私の
奴らがここを嗅ぎつけて来るのにはまだ時間がかかるだろう。
今日の昼前に意識を取り戻した私はそのまま狸寝入りを続け、病室に来る医師や廊下から聞こえてくる警察の会話などから、この病院が杯戸中央病院であることや杯戸シティホテルの事件からまだ半日も経っていない事を知った。
そして、私の身柄は今、警察の監視下に置かれている事も。
私が意識を失った直後から一体何が起こってこんな現状になっているのかまるで分からなかったが、未だに命を繋ぎ留められていた事だけは大いにホッとした。
しかし、それでもまだ油断は許されない状況に私はいた。
『組織』だって馬鹿じゃない。私が生きている事を知っているはずだ。奴らの事だから早々に私の息の根を止めに今夜にでも仕掛けて来るだろう。
日が落ち、夜になった病室で私は未だに狸寝入りを続けていた。
そしてそのまま、病室の外――廊下にいるであろう警官の気配や音に耳をそばだてる。
やがて、深夜の時刻になる少し前に廊下で警官が交代になったのを見計らって私は行動を開始した。
起きてベッドの中に枕や病室の中にある備品を使って人が寝ている様に細工をすると、静かに窓を開けて雨樋を伝って下へと降り、病院を後にした。
患者衣姿と裸足で出てきたため、その服装のままでは周囲に怪しまれて危険であったが、その問題もすぐに解決した。
運が良い事に、病院から少し離れた所の道端で酔っぱらって寝こけている中年男性を見つけたのだ。
私はその男の纏っていた外套と靴、そして財布を奪い、身に着けることで患者衣を隠す事が出来た。
そうしてその後すぐ、タクシーを拾ってここまでやって来たのがつい今し方という訳であった。
掃除のされていない埃まみれのソファにドカリと座った私は、一息つく。
大きく息を吐き、天井を仰ぎ見る。
一分もしくは五分以上か、私はしばらくその姿勢のまま体を休めていた。
しかしおもむろに上半身を背もたれから起こすと、外套と患者衣を脱ぎ、上半身を露にする。
そこには真っ白い包帯が私の胴体の大半にしっかりときつく巻かれていた。
その包帯を見つめながら、私は思考にふける。
(……私が意識を失う直前に聞こえた声。あれは間違いなくジンだ。……という事は私はあの時、ジンに背後から撃たれて意識を失ったのだろう。……その後何が起こったのかは分からないが、私のこの状態から見てもジンに受けた傷は深刻だったはずだ。……だというのに――)
私の体に巻かれた包帯をそっと指先で撫でる。
真っ白のその包帯には血が一滴たりともにじんでいない。
(――重傷と言ってもおかしくない傷だったはずなのに、たった数時間で私の意識が回復したことに加え、この別荘に来るまでに結構体を動かしたのにもかかわらず、撃たれたと思しき部位からは傷口が開く様子どころか痛みが走る様子も無い)
私の知る限り、あのホテルにいた人物でこんな芸当が出来るのはただ一人だけだ。
(なるほど……流石は『あの方』が喉から手が出るほどに欲しがる逸材だ)
フゥと息を吐き、再び背もたれに体を預ける。
そして今度は、これからどうするべきなのかを考え始めた。
『組織』はもうすぐ……いや、既に私が病院から抜け出した事に気づいているかもしれない。
そうなれば間違いなく『組織』は血眼になって私を探し出し、始末しようとするだろう。
……今の
(私も彼女たちと同じ立場に回ってしまったという訳か……)
全くもって笑えて来る。ある意味、ミイラとりがミイラになってしまったのだ。
顔を片手で覆いながらクックと皮肉気に笑ってみる。
そんな事をしたところで現状が変化するわけでもあるまいに。
(……これからどうする?既に自宅や会社には『組織』の手が回っているだろう。いっそ私も宮野姉妹同様、あの医師に匿ってもらうか?……いや、『組織』の事だ。それを察知して、既に
もはや、万事休すか。そう思った時、ふいにあの酒蔵で私と対峙した
――『俺は警官だ!!市民を守り、治安を守るのが俺の仕事だ!!お前らがどんなにデカい【組織】だろうが関係ねぇ!!この二人が元は【組織】の人間だろうが知った事か!!今は守るべき一般市民に違いはねぇ!!その上で俺は自分の家族も仲間も、全部守ってやる!!俺の大事なモノを奪う奴らなんざ、何処の誰だろうが絶対に許さねぇ!!!!』――。
覚悟の決まった力強い双眸。幹部クラスである私を前に、堂々とそう言ってのけたその姿勢。
私よりも半分も生きていないはずの若造のその言葉が、あの時私を圧倒させたのを今もはっきりと覚えている。
――そうだ。あの若造は『組織』の強大さを知ってもなお、それに立ち向かう姿勢を見せた。
『組織』に対し、命を賭けて周囲にいる者たちを守って見せると言ってのけた。
それなのに私は何だ?若造の刑事がそうやって『組織』と戦う覚悟を決めているというのに、私は情けなくそれに屈するのか?
――それは。
――そんなものは。
「……何とも、酷く無様な最期なことか」
どうせ『組織』に殺されるのであれば、大人しくこの首を差し出すよりも、『組織』に反発し、みっともなく足搔くに足搔き続け、『組織』を引っ掻き回した果てに死んでやろう。
そう覚悟を決めた瞬間、私の中の大きかった『組織』に対する脅威や恐怖がまるで大したことではないモノのように小さくなっていくのを感じた。
私の顔に狂気と余裕を持った笑みが浮かび上がる。もはや私に迷いなど無かった。
(……ならば善は急げだ。『
そのために必要なのはまず資金だが、幸いな事にこの別荘には私の隠し財産の一部が保管されている。
かなりの額だからそれを使わない手はないだろう。
『組織』の任務で海外に渡る時に使う偽造パスポートもいくつかここにある。
(あとは……私の手足として働いてくれる信頼のおける優秀な人材だが……)
それについてはいくつか心当たりがあった私は、早速別荘に設置されている固定電話で
「……ああ、
SIDE:三人称視点。
――数時間後。とある空港内で、顔を隠した老人を先頭に数人の男たちが飛行機で日本から飛び立って行った。
警察の捜査網や『組織』の魔の手からも逃げ延びた彼らには、一体どういった行く末が待ち受けるのか……。
それは彼ら自身にも、他の誰にも分からない。
最新話投稿です。
次回はこの話のエピローグになります。
長らくお待たせしてしまって申し訳ありません。
この時期は仕事が忙しく気力的にも体力的にも疲れる事が多く、なかなか筆が進みませんでしたので……。
いや、ホントに申し訳ありませんでしたorz