とある探偵世界の冥土帰し   作:綾辻真

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毎回の誤字報告、および感想ありがとうございます。

またもやお久しぶりです。
今回は冥土帰しの裏面の部分について少し触れて行きます。


カルテ23:吉野綾花

――私こと吉野綾花(よしのあやか)は両親と兄一人のどこにでもいるごく普通の一般家庭で育った。

 

特別裕福という訳でもなく平凡を絵にかいたような家庭であったが、私たちは幸せな日々を送っていた。

しかし私が中学1年の頃、父が借金の連帯保証人になっていた知人が突如蒸発し、そのために父は多額の借金を代わり背負う事となったのだ。

安易な気持ちで連帯保証人を請け負ってしまった後悔と、私たち家族を巻き込んでしまった負い目もあって、父は私たちに借金取りからの火の粉が飛ばないように母と離婚をし、自身は借金を返済すべく住み慣れた静岡を出て一人東京へと出稼ぎに行くことに決める。

しかし、家事などの身の回りの世話に無頓着だった父が東京で一人暮らしをするのに心配を覚えた私は、父と一緒に東京へ行くことを決心する。

始めこそ父や母に止められたが、父の事も家族として大好きだった事や、病弱だった母の負担を少しでも軽くしたかった私の決意は曲がることなく、結局半ば強引に父に同行する形で一緒に東京で生活する事となった。

父が働いている間、まだ中学生であった私は学業に勤しむ傍ら、自由な時間を全て家事に費やし、高校に入学してからはアルバイトにも専念して父の負担を少しでも軽くしようと頑張っていた。

辛くない。と言えば嘘になる生活だったが、それでも時折、静岡に残してきた母と兄に連絡を取る事でそれを心の支えにしてきた。

 

兄は病弱の母の面倒を見ながら必死になって働いているため、兄たちの方も決して裕福とは縁遠い日々だったようである。

 

それでも私たちはお互いを励まし合いながら、いつかまた一緒に暮らせる日を夢見て毎日を生きてきた。

 

 

……そうして、何年もの歳月を経てようやく父の借金返済の目処が立った頃――事件が起きた。

 

 

 

 

 

 

――トンネル工事の作業員をしていた兄が、突如落盤事故にあってこの世を去ったのだ。

 

 

 

 

 

その一報を聞いた私と父はすぐさま静岡へと向かった。

母の旧姓である『高畑(たかはた)』と書かれた表札を掲げた家に駆けつけた私たちの目の前には、見るも無残な姿になって棺桶の中で眠る兄と、その周りで葬式の準備に取り掛かっている母方の親戚たちの姿があった。

変わり果てた兄の姿に私と父は呆然と立ち尽くすも、直ぐにこの場に母の姿が無い事に気づき、葬式の準備をする親戚の一人を捕まえて母がどこにいるのかを聞き出した。

すると何と、母は兄が亡くなったと知った直後に倒れ、今は病院で入院していると言う。

 

私たちは急ぎ、母の入院しているという病院の場所を教えてもらいそこへと急行した。

 

病院のベッドに横たわった久しぶりに見る母は、年齢よりもかなり老け込んで見えた。

兄のみならず変わり果てた母の姿に私と父はショックを隠し切れないながらも、何とか母に何があったのかと問いただす。

すると母は弱々しい声で語り始めた。

何でも、兄を雇っていたのは『堂本観光(どうもとかんこう)』という名の会社らしく、ロープウェイを通すため天部山という山のトンネル工事を行っていたのだが、そのトンネル工事には開通を優先するあまり無謀なスケジュールが組まれていたらしく、結果その無茶がたたって事故が起きたようなモノだったらしい。

それだけでも相当ショックな事だと言うのに、その堂本観光の社長だという堂本栄造(どうもとえいぞう)は、あろうことか兄が亡くなったばかりの母に無理矢理口止め料の大金を押し付けて事を公にしないと契約させたのだと言う。

長年、堂本家に何かしらの義理があったらしい母は、その要求を受け入れる事しか出来なかったらしい。

だがその要求を飲んでしまった事と、兄の死去のショックが重なってしまった事で、結果、もともと病弱だった母の体調が入院するほどにまで瞬く間に悪化してしまったのだ。

兄の死からまだ間もないと言うのに、自身も今にも死にそうなほどに弱々しくなってしまった母。

何とか母を助けたかった私は、母の担当医にそう懇願するも、返ってきた答えは難色を示すものであった。

このままでは母が助からないと悟った私は、絶望から膝を崩しそうになる――。

 

――しかし、そこで()()()()()の顔が浮かび、崩れそうになった膝に力が入った。

 

それは何年か前の出来事。

東都で必死になって働いていた父が、一度だけ無理な働き過ぎがたたって心筋梗塞を起こした事があった。

帰宅途中、何の前触れも無く路上に倒れた父は一時危うい状況に陥っていたのだが、対応したその医師の治療で一命を取り留めただけでなく、一週間もしないうちに父を退院させて仕事に復帰できるほどに回復させて見せたのだ。

本来なら、何かしらの後遺症が残っていてもおかしくは無いほど重体だったらしいのだが、退院してからもその兆候は全く無く、むしろ倒れる前よりも元気に毎日仕事に出かけて行く父に一時、目を丸くしていたのを今でも覚えている。

 

そんな父を救ってくれた米花私立病院の()()()()()()()()()()()()なら、母の事も何とかしてくれるかもしれない。

 

そう思った私は、急ぎ静岡に来てくれるように頼むため、その先生に連絡を取る。

連絡を貰ったカエル先生は、私の依頼に二つ返事で了承し、直ぐに母の入院する静岡の病院へと来てくれた。

 

――そうして、母の担当医がカエル顔の先生に代わった途端……母の容体が瞬く間に快方に向かっていくのが見て取れるようになった。

 

病院に入院した当初の母は、いつ死んでもおかしくないほどに弱り切り、自分で食事をとる事もベッドから起き上がることも出来ず、(元担当の)医師からも遠回しに匙を投げられていた。

――というのに、いざカエル顔の先生に代わると数日もしない内に母の顔の血色がよくなり、ベッドから起き上がる事も、食事をとる事も一人でできるほどに回復していったのだ。

 

たった数日で劇的な変化を見せた母に、私や父はおろか、元担当医だった医師も開いた口が塞がらない。

だがそんな事は、食事をとりながら弱々しくも自然と私たちに笑顔を向けて来るようになった母を見たら、些末な事のように感じた。

 

――これならもう、母は大丈夫だろう。私たちはそう思い、心から安堵した。

 

 

 

 

 

 

 

――だが、それは大きな間違いであった。

 

 

 

 

 

 

カエル顔の先生に呼ばれ、母のいる病室から診察室に通された私たちは、そこで母の現状を知る事となる。

 

「……残念だけど、このままではお母さんを完治させることは到底不可能だね」

「――ッ!?ど、どうしてですか?あんなに元気になって来ているのに……!!」

 

突然、カエル顔の先生から突き付けられたその言葉に、私は驚き先生に詰め寄った。

そんな私をなだめながら先生は淡々と説明し始める。

 

「今、キミのお母さんの体を支配しているのは身体的な病気なんかじゃなく、精神の病気……言わば『心の病』なんだよ。それがお母さんの身体の健康に悪影響を及ぼし、彼女を弱らせているんだ。……今は快方に向かっているように見えるかもしれないが、このままでは退院しても直ぐにまた身を持ち崩し、再入院する可能性が高い。……だから、お母さんを治すには精神を蝕むその病原菌(根源)を取り除く必要があるんだ」

「そんな……」

 

それはつまり、母が入院する原因となった兄の事故死とそれを隠蔽した堂本観光の因縁を解決しなければならないという事。

呆然と佇む私と父に、カエル顔の先生は静かに(たず)ねて来る。

 

「……聞けばキミのお兄さんがトンネル工事の事故死とやらが原因でお母さんが倒れたらしいけど……キミたち二人の様子を見るに原因はそれだけって訳じゃなさそうだね?」

 

その言葉に私と父は一瞬口ごもるも、その後すぐ父が「ここだけの話にしてほしい」と先生に念を押してからおずおずと事情を話し始めた。

兄が死んだトンネル工事の事故は、無謀なスケジュールと強行によって引き起こされたもの。そして、母はその真相を知るも、堂本栄造に多額の口止め料を無理矢理握らされ黙らされた事を父は言葉を絞り出しながら先生に伝えた。

話を静かに聞き入っていたカエル顔の先生は、父の話が終わると同時に目を伏せて口を開いた。

 

「それはまた、随分と無念だったろうね……。奥さんも、そしてキミたちも」

 

先生のその言葉に父も俯きがちに小さく頷く。その両の手は拳を作り、堂本観光への怒りからかワナワナと震えていた。

そんな父を見据えながら、カエル顔の先生は座っていた椅子からゆっくりと立ち上がり、私たちに向けて問いかけてきた。

 

「……それで?キミたちはこれからどうするつもりなんだい?このままその堂本観光とやらの言いなりのままに黙って終わりにするつもりなのかい?」

「それは……そんなのは、嫌に決まってます!」

 

先生のその問いかけに私は反射的にそう叫んでいた。

それでは今も苦しんでいる母どころか死んだ兄も浮かばれない。

このまま泣き寝入りなど、許せるわけがない。

私だけでなく、隣に立つ父も断固として戦う覚悟を決めたらしく強く頷いていた。

そんな私たちを見たカエル先生も真剣な顔で「うむ」と小さく呟くと、私たちが驚くような提案を口にしてきた。

 

「なら、僕も全面的にキミたちに協力させてもらおうかね?幸い僕の知り合いには優秀な弁護士も警察関係者もいるから、彼らの力を借りれば何とかなるかもしれない」

 

渡りに船とばかりにそう言って来た先生に私と父はそろって目をぱちくりとさせる。

そんな私たちの心境などお構いなしと言わんばかりに今後の事を一人思案していく先生に、私はおずおずと声をかけた。

 

「……あ、あの、本当に協力してくれるのですか?」

「うん、そう言ってるんだけど。……駄目なのかい?」

「い、いえ、とてもありがたい事ですけど……でも、どうして先生は私たちにそこまでしてくださるのですか……?」

 

私のその質問に、先生はふいにフッと小さく笑うとそれに答えて見せた。

 

「いやなに、このままじゃあ僕の医者としての矜持(きょうじ)が許せなかったってだけの話さ」

「矜持?」

「そう。……僕はね、目の前で苦しむ者がいれば、例え重病重傷だろうと必ず治療し、その人が善人だろうと悪人だろうと迷わず手を差し伸べる。そして、その人が治って退院するまで最善を尽くし続けるんだ。だから、キミのお母さんがこのまま退院できずにいる今の現状を快く思ってはいない。……そんなのは僕の医者としてのプライドが許せない。……だからこそ、僕は手段を選ばず、徹底的に打てる手を全て打っていくのさ。例えそれが違法行為だろうと、他の誰かを傷つける行為であろうとも――」

 

 

 

 

 

 

「――自身の患者を治す。ただそれだけのために、ね……」

 

 

 

 

 

真剣な目で静かにそう口にした先生を前に、私と父はゴクリと無意識につばを飲み込んでいた。

自身の患者を治す為なら、他がどうなっても構わない。

そう言ってのけた先生に畏怖を感じると共に、その眼光の強さと言葉の重みから医者としての覚悟と信念を垣間見たような気がした。

目の前に立つ良くも悪くも医者の鑑と言ってもいい、このカエル顔の先生の医師としての大きさに私と父はただただ圧倒され続けた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――その後の展開は予想以上に早く進んだ。

 

カエル顔の先生の呼びかけに応え、警視庁を経由して静岡県警がこの一件の捜査に乗り出した。

また、同じくカエル顔の先生の紹介で東京から敏腕弁護士の妃英理先生が私たちの弁護に入ってくれる事となった。

そして更に、どこから聞きつけたのかこの一件の捜査に妃弁護士と警察が動いているのを知って東海日報(とうかいにっぽう)の新聞社まで協力にやって来たのだ。

どうやら、あのロープウェイ建設に反対していた尼僧の神山静(かみやましずか)さんに影響されて動いていたようであったが、その途中で私たちが堂本観光に探りを入れているのに気づき連携を求めて来たらしい。

私たちは東海日報の力を借りて、当時兄と一緒にトンネル工事の作業を行っていた作業員たちと秘密裏に接触する事に成功し、その人たちから事故当時の出来事を事細かく聞き出す事に成功した。

その上、作業員たちから堂本観光の社員たちの中にも、社長の堂本栄造やその幹部たちに強い不満を持っている人たちも多くいると聞き、作業員たち経由でその社員たちを説得しその人たちにも堂本栄造の悪行を証言、証拠の収集をしてもらうという約束を取り付ける事ができた。

 

そうして行動に移してからほんの数ヶ月と言う間に、驚くほどの証拠や証言が私たちの元に集まって来た。

予想以上の収穫に、堂本栄造がどれほど人望の薄い人物なのかを間接的に知る事が出来、呆れを通り越してむしろ清々しい気持ちでいっぱいになった。

 

そして十分な証拠がそろった所で堂本栄造宛てに裁判出頭要請の書類を提出。それとほぼ同時に静岡県警が堂本観光の本社に踏み込んでそこに眠る()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()も一斉に押収していった――。

 

――結果、電光石火の勢いで堂本栄造は逮捕された。

 

裁判に呼ばれた最初こそ、口止め料を渡したというのにそれに抗って裁判を起こした私たちに顔を真っ赤にして激怒していた堂本栄造だったが、その後、他の作業員や社員たちの多くが叛逆する勢いで一様に証言や証拠を提出しだした事を知ると、裁判で判決が出る頃には全身を真っ白に染めて老け込み、椅子に座り込む姿だけが残されていた――。

 

 

 

 

 

 

 

それからすぐ、堂本栄造は失脚し、堂本観光はあっという間に倒産の憂き目にあった。

社員や作業員たちも次々と辞めて行き、もはや堂本観光が復興する事は不可能に近いだろう。

堂本栄造の悪行に関わっていなかった者もそれなりにいたらしく、彼らを巻き込んでしまった事には申し訳なく思ってしまったが、例え私たちが動かなかったとしても、先に言ったように堂本観光には堂本栄造のやり方に不満を持っていた者が少なからずいたので、その者たちから訴えられる可能性もあった。

それ故、遅かれ早かれこのような事態にはなっていただろう。

無関係だった社員たちに対して、私が出来るせめてもの事と言えば、彼らの再就職先が早くに決まるのを切に願うばかりだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――それから一年近くして、私は今、東都の米花町にある米花私立病院の医院長室にいる。

 

「今日から医院長先生の()()()()()働かせていただく事となりました、吉野綾花です。よろしくお願いします!」

 

そう言って大きくお辞儀をして見せた私に対し、一年前と変わらないカエルのような顔で笑顔を浮かべる()()の姿がそこにあった。

 

「いらっしゃい。今日からよろしく頼むね?……その後、お母さんの容体はどうかね?」

「はい!もうすっかり元気になって、今は父と再婚して静岡でのんびりと余生を過ごしていますよ」

 

カエル顔の先生の問いかけに私はそう答えて見せる。

堂本栄造が逮捕されたのを機に、母の容体はすぐに退院できるまでに回復し元気になった。

それからすぐ、借金を返済し終えた父と一緒に静岡で再び暮らし始め、慎ましくも不自由のない暮らしを送っている。

 

そして、私はと言うとこの一件を機にカエル顔の先生の下で働きたいと考えるようになった。

 

最初こそ看護師資格を取って米花私立病院で看護師として雇ってもらおうかとも考えたが、先生に周囲の仕事管理などを任せる『補佐的な職員』がいない事を知り、ならばと大学時代に取った秘書検定資格を持つ私を秘書にしてみてはどうかとダメもとで持ち掛けて見た。

すると、意外なほどあっさりとその提案が採用される。

 

「いやぁ、助かったよ。何せ僕もいい歳だからね。多忙な事もあってついつい疎かにしてしまう事とかもあるんだよ。自身の細かいスケジュール管理とか食事とか書類整理とか……」

 

遠い目をしながらそう呟く先生に私は思わず苦笑を浮かべてしまう。

 

だが、これから色々と大変そうだ。と思う反面、やりがいのありそうな仕事に就職できたと、これからの生活に期待感を膨らませる私がそこにいた――。




軽いキャラ説明。


・吉野綾花

1時間スペシャルのアニメオリジナル回、『迷宮への入り口 巨大神像の怒り』に登場した犯人。
堂本観光が起こしたトンネルの落盤事故で実兄が死亡。その後、堂本観光から口止め料の大金を無理矢理押し付けられて真実を知りながら口外出来ない事に苦しみ死んだ母親の事もあって社長の堂本栄造に復讐する事を決意し決行する。
しかし本作では、冥土帰しによって母親の命は救われたと同時に彼の協力のおかげで堂本栄造を失脚させることに成功する。
その後、冥土帰しにダメもとで秘書として働かせてもらえないかと願い出て、見事彼の下で働く事となった。


・堂本栄造

原作ではとある策謀を巡らせている最中に吉野の手によって殺される被害者。
しかし本作では冥土帰しの呼びかけに応じて動いた妃弁護士と警察、そして後からやって来た東海日報の連携によって今までの悪事が全て明るみとなった為、裁判後に逮捕された。






・補足説明

原作では両親の離婚理由や父親の現状などは触れられていなかったため、本作でのその部分のエピソードは完全に創作である。

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