SIDE:大東幹彦
――思えば、五年前の『あの事件』が全ての始まりだった。
私こと、
大家とはいえ、そこの主とその家族はとても人柄の良い人たちだったため、私と嘉子は不自由も不満も何も無く平凡豊かに暮らすことが出来ていた。
だがそれも、五年前に起こったある事件から、金城家は波乱の幕を開ける事となった――。
最初は、主――
その頃はちょうど、都様の母上であり兵吾様の奥様がお亡くなりになった時期でもあったため、この一件は奥様が亡くなって沈んでいた金城家には大きな衝撃となった。
直ぐに私は旦那様に警察へ通報と恐らく身代金が目的だと思い、その準備をした方がよいとそう提案したのだが――旦那様から返ってきた答えに私は思わず耳を疑った。
――『警察も身代金も、必要ない。……あの子の事は、放っておいて構わない』
とても信じられないその返答に私のみならず、隣に立っていた嘉子も思わず呆然と立ちすくんでしまったのは言うまでもない。
それからも、私がその理由を何度も問い詰めても、旦那様は一向に口を開こうとはしなかった。
やがて旦那さまから直々に、この件は外に他言しない事と都様の事は口にする事も決してしない事を念を押されてしまい、私たちは納得できないまでもそれに従わざるを得なくなった。
――一体、旦那様は何を考えているのだろうか?都様の事が心配ではないのだろうか?
――たとえ……たとえ、
少なくとも……私にはそう見えていた。
旦那様が
私や嘉子を、『日本の城』に引っかけて『ちよにい』や『かあちゃん』と呼んでくれるほどに。
やがて時が経って美しく成長し、町の人たちからも評判も良く、どこに出しても恥ずかしくない気立ての良い女性へと育ってくれた。
そんな金城家自慢の一人娘である都お嬢様の安否を、少しも心配しておられない旦那様のその心情が私にはまるで分からず内心、苛立ちが募るばかりであった。そして……そんな旦那様の考えている事が長年仕えているにもかかわらず一切理解できない私自身にも。
だが、そんな心の葛藤に苛まれている私を嘉子はいつも気にかけてくれた。
私の気持ちを汲んで、旦那様に秘密で都様を一緒に探そうと言ってくれたり、都様にも祝ってほしいから見つかるまで式は延期しようとも言って、私に献身的に寄り添い続けてくれたのだ。
私はそんな彼女に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、最終的には彼女の意思を汲んで一緒に都様を探し始めた。
インターネットの掲示板にお嬢様の事を呼び掛けたり、探偵などを雇ったりしたが成果は一向に出なかった。
しかし、私たちは諦めなかった。全てはどんな形でもお嬢様に再び会いたい。その一心であったからだ。
そうして何も進展がないまま一年がたったある日。またしても金城家に不幸が襲い掛かった――。
――ある夜。金城家に複数の強盗が押し入り、家宝である
――嘉子が強盗の一人の手にかかり、
直ぐに病院に担ぎ込まれた嘉子は治療を受けるも、それでも危険な状態を抜け出す事は出来なかった。
このままでは明日まで持たないと医師に言われた私は顔から血の気が引き、一緒に来てくださった旦那様は顔を
絶望に落ちていく感覚を受けた私だったが、そこで救いの手が差し出された。
何でも担当医師の話によると、東都の米花町に世界的にも有名な医師がおり、今彼を呼んでもらっている最中なのだという。
それを聞いて一瞬希望が見えた私だったが、ここで問題がある事に気づく。
その医師がいるのは東都。そこからここ沖縄まで何百キロと離れている。
嘉子の命の火が消えるまでにここまで来れるのだろうか?
不安げに顔を曇らせる私に、それを察してくれたのか医師は私を安心させるように笑って『大丈夫です』と意味ありげに呟いていた――。
――そうして、2時間もしない内にその医師は病院へとやって来てくれた。それも全力で駆けつけて来たのが見て取れるほどに全身に滝のような汗を流しながら肩でハァハァと呼吸を整えて。
『……全く、ここの院長も随分と無茶ぶりをしてくれるよ。鈴木財閥所有の高速チャーター機を手配しなかったらどうなっていた事か……』
ブツブツと文句を呟くそのカエル顔の医師は、私たちとのあいさつもそこそこに嘉子のいる手術室へと入って行く。
私と旦那様はその背中を見つめながら、どうか嘉子が助かる事を切に祈った――。
そして一時間後――。
『――女性は無事峠を越えましたよ。危険な状態でしたが
手術室から出てきたカエル顔の医師に開口一番にニッコリ顔でそう言われた私と旦那様は……はっきり言ってどう反応すればよいのか言葉に詰まった。
助かったのは……素直に嬉しい、うん。だけどその後の一週間で退院……が、正直吞み込めない。
……え?いつ死んでもおかしくなかった傷なのに?一週間?退院?え???
私と旦那様が返答に迷ってポカンと立ち尽くしている間にカエル顔の医師は今後の事を一方的に伝え終えると『じゃあ僕は急きょの長旅で疲れたから仮眠室に行くね』と言い残してその場をさっさと離れて行った――。
――そうしてカエル顔の医師の言う通り、嘉子は手術後から見違えるほどに快方に向かって行った。
一度は死の淵をさ迷っていたのが嘘のように、最初は集中治療室、その次の日は大部屋。そしてまた次の日になると一人で立って歩けるようになり、更にその次の日にはもはや入院する前とほとんど変わらないくらいにまで回復したのである。
素人目の私からして見ても、もう何時でも退院できそうなほどだ。
あまりの回復速度に私や旦那様は毎回病室を訪れて嘉子の姿を見る度に口をポカンと開いて驚かされた。
だがその反面、日に日に元気になって出会う度に笑いかけて来てくれる嘉子を見て、私は心から嬉しく思えていたのもまた事実であった。
……しかし、それと同時に私には気がかりな事が出来ていた。
金城家に強盗が入った日から、旦那様の様子が明らかにおかしくなり始めたのだ。
一人部屋に籠って何かに悩んでいるような姿を何度も見かけるようになり、私に対しても何かを言いかけようとして直ぐに止め、「何でもない」と言い残して足早に去って行く事が多くなったのである。
最初はてっきりお嬢様の失踪、屏風の盗難。そして嘉子の入院と立て続けに不幸が重なったので情緒不安定にでもなっているのかとも思ったのだが……ある日の朝に旦那様を起こしに行った時、旦那様が何かにうなされながら口にした言葉に、私は疑問を浮かべる事となった。
『都……
都お嬢様に謝罪の
旦那様に対して疑惑が浮かんだ私は、その後すぐに旦那様を問い詰めていた。
最初こそ「知らない」と誤魔化していた旦那様だったが、直ぐに観念して私に頭を下げて「すまない」と謝りながらポツリポツリと自身の知っている事を打ち明け始め――。
――その全てを聞いた私はしばらく半ば放心状態となっていた。
――なんと一年前の誘拐事件。あれは都お嬢様が旦那様の愛情を試すために行った狂言誘拐だったのだ。
表面上は親子ではあるもの、都お嬢様は亡くなった奥様の連れ子。これまでは旦那様とお嬢様の間に奥様が立つことで親子として、家族としての関係を築き上げてきた。
しかし、その奥様がいなくなった事で二人の関係に溝が出来たのを感じ取ったお嬢様は、狂言誘拐を起こして旦那様が自分を本当の娘と思っているのかどうかを知ろうとしたのである。
『……しかし、あの子のその計画に薄々感づいていた私は……
頭を抱えて項垂れる旦那様に、私は黙って耳を傾け続ける。
『……だが、それがかえってあの子の反感を買う結果になってしまったようだ。怒ったあの子は私への復讐のために強盗達を使って家宝の屏風を盗み出させ……そのために、松本があんな事に……!』
その言葉に、私はハッとなり
強盗達に盗まれた屏風は、この屋敷の保管庫に厳重にしまわれていた物だ。
保管庫のドアには何重もの暗証番号のロックがかけられており、ちょっとやそっとじゃ開けられない仕組みになっていたのだ。
そして、その暗証番号を知っているのは旦那様と亡くなった奥様、そして……お嬢様だけだった。
おまけに、強盗達は前もって計画していたかのように保管庫から
あの中には家宝である屏風の他にも価値がある物が多く保管されていたのにもかかわらず、だ。
『私のせいだ……私がもっとちゃんとあの子と向き合っていれば……こんな事には……ッ!』
そう言ったのを最後に、旦那様は両手で顔を覆って「すまない……すまない……」と呟きながらすすり泣き始める。
そんな旦那様を前に、私は言葉が出なかった。
原因は確かに旦那様にもあったのかもしれない。そのせいで嘉子があんな事になったのには正直、怒りを覚える部分もあった。
しかし、それを悔いて私に向けて涙ながらに謝罪し続ける旦那様に、その怒りをぶつける事は私には到底できなかった。
そんな旦那様を前に、私はしばらくの間目を閉じて黙考すると、やがて旦那様に向けて静かに口を開いていた――。
『旦那様……今からでも遅くありません。
私からのその提案に、涙に濡れた旦那様の目が大きく見開かれる。
『お嬢様はきっとまだ待っておられるはずです。旦那様が探して助けに来てくれるのを……。お嬢様だけじゃない、嘉子もまたそれを望んでいます。まだ何も、取り返しのつかない事にはなっていないのですから……。今度こそ、一緒に迎えに行きましょう。私と旦那様と、嘉子の三人で……』
『ッ!……ああ。……ああ!』
旦那様の手を取って私がそう言うと、旦那様は滂沱の涙を流しながら首を強く振っていた――。
――それからすぐ、旦那様は持てる私財をつぎ込んでお嬢様の捜索に全力を注いでいった。
新聞や雑誌などの広告を使ってお嬢様の情報を集めたり、探偵などを多く雇って行方を追ったりなど、考えられる手段を全て使って。
しかし、捜索を始めて一週間もしない内に、事件は新展開を迎えた――。
それは嘉子が退院して数日としない頃、突然屋敷の玄関戸が激しく叩かれるのを耳にした私は、急ぎ玄関戸を開けると、そこには
短い茶髪に褐色肌のその女性は全身を生傷や土で汚しながらも涙目で私を見上げてくる。
私はそんな彼女に面食らいながらも、直ぐにハッとなって慌てて「どうしたのですか!?」と問いかけた。
そんな私にその女性は涙目のまま
――『……ごめんね。
言葉を失う私を前に、過去の面影がほとんどなくその容姿をガラリと変えた
――後から聞いた話だが、お嬢様はあの屏風盗難のおり、強盗グループの一人が嘉子を手にかけた事を知って、初めて自分が大変な事を仕出かしてしまったのだと気づいたらしい。
そうして、半ば放心状態のままの日々を送っていた時、偶然見た新聞の広告で旦那様が自身を探しているだけでなく、嘉子も一命を取り留めた事を知り、直ぐに家に向かおうとしたのだという。
しかし、それに気づいた強盗グループによって監禁され、口封じに殺されそうになったところを隙を突いてここまで逃げ延びて来たのだ。
――それからの展開は速かった。
お嬢様のその証言により、強盗グループは警察によって芋づる式に捕らえられ、盗まれた屏風も返って来たのである。
そうして全てが一件落着かと思われたが、お嬢様もその強盗グループに加担していた事には変わりなく、怪我を癒した後その身柄は警察へと引き渡される事となった。
別れ際にお嬢様は『私の事は、もう忘れてくれていいから』と、寂しげに笑いながらそう言うと、旦那様は『もう目を背けはしない。今度こそ必ず迎えに行くからな』と、力強くそう返す。
旦那様のその言葉に、お嬢様は一瞬驚いた顔を浮かべた後、静かにその目から涙を一つ零していた――。
――それから四年が経った現在。
私と嘉子は町にある小さな教会で結婚式を挙げていた。
互いにもう「おじさん、おばさん」と呼ばれても不思議ではない年齢での結婚だったが、私たちは幸せに包まれていた。
周囲には私たちの門出を祝福してくれる知人達であふれかえっている。
その中には嘉子を命の危機から救ってくださったカエル顔の医師と、そして――。
――笑顔で私たちを祝福してくれる
軽いキャラ説明(原作とは違う結末を辿った者たちのみを掲載)。
・大東幹彦
単行本第35巻と第36巻、及びテレビアニメでは第291話~第293話で放送されたエピソード『孤島の姫と龍宮城』にて登場した犯人。
四年前に金城家に押し入った強盗グループ(
そして四年後になって再び彼らと再会したのを機に凶行に走る事となった。
しかしこの作品では冥土帰しによって嘉子は助かっており、その後聞いた金城兵吾の後悔の想いを知り、彼と嘉子と共に再び都を探す決意をする。
そうして、紆余曲折の果てにようやく都との再会を果たし、その数年後に嘉子と式を挙げた。
もちろん犯人グループたちも死亡することなく、芋づる式に逮捕されており、原作の時間軸では既に亡くなっていた本名不明の男も捕まっている。
・金城都(平良伊江)
原作では強盗グループの一人にして大東に殺害された被害者。
義理の父、金城兵吾の愛情を確かめるべく狂言誘拐を起こすも、兵吾が何の行動も起こさなかった事で腹を立て、強盗グループに入って金城家家宝の屏風を盗み出すも、その時に下地が嘉子を殺害した事で後悔の念に苛まれる事となる。
しかし今作では新聞の広告で嘉子が一命を取り留めたことと、兵吾が一年越しに自分を探しているのを知り、彼らの元に帰る事を決意する。
強盗グループに監禁され殺されそうになるものの、何とか兵吾たちとの再会を果たすことが出来た。
その後警察に逮捕され模範囚として服役したのち、出所後に兵吾と共に大東と嘉子の結婚に笑顔で祝福を送った。
・松本嘉子
原作では下地に殺害されて既に故人であるが、今作では冥土帰しの手により救命され、無事大東と式を挙げる事が出来た。