「姉様、あの噂を聞きましたか?」
寮舎の一角で、重桜に所属する空母、加賀は、同じく重桜所属の空母、赤城にそう言う。
「あの噂、だけじゃ、どの噂なのかわからないわよ」
KAN-SENというものは、赤城や加賀のように、良くも悪くもクセが強い者が多い。噂として話題に上がるような振る舞いを行う者は多く、それ故に、あの噂と言われただけでは特定できない。
「指揮官が、隼鷹にあーんをしていたという噂です」
「ああ、それね……デマに決まっているでしょう」
一切の動揺を見せずに、偽りだと言う赤城のあっけらかんとした反応に、話題を振った側の加賀が驚いた。
「何故、偽りだと言いきれるのですか?」
「隼鷹が『オサナナジミ』設定を言い出した時、指揮官様はいつも困った表情をなさるのよ。隼鷹は、それに気がついていないけど、あれは好感度が下がっているわ」
姉様が暴走した時も指揮官は同じ表情をしているとは、流石の加賀でも言えなかった。
加賀自身が予想していたよりも、赤城は冷静なので、これなら何かしらの騒動には発展しないだろう、と加賀が思った時、扶桑と山城の姉妹とすれ違った。
「姉様、殿様が隼鷹さんに、あーんをしていました。山城、隼鷹さんが羨ましかったな」
「指揮官にお願いしたら、やってくれるかもしれないわね」
たまたま山城の言葉を聞いた赤城の顔から表情が消える。ついでに、目からハイライトも消えた。
それを見た加賀は、赤城を止めようとするが、加賀が動くよりも先に、赤城の方が動くのが早かった。
オーバーヒートで使い物にならなくなった隼鷹の代わりに、秘書艦を勤めるKAN-SENを探し求める指揮官は、とあるKAN-SENを探して寮舎に向かっていた。
その途中で、指揮官の探していたKAN-SENと出会った。否、出会ったというより、KAN-SENの方から指揮官に向かって来た。
「指揮官様?食堂で赤城以外の子に、あーんして食べさせてあげていたという話を聞きましたの。どうして?指揮官様には赤城がいるのに、どうして他の子にそんなことをしたの?」
重桜に所属する空母にして、大鳳や隼鷹の同類である赤城。彼女こそが指揮官が探していたKAN-SENである。
ハイライトの消えたどんよりと濁った目をしながら迫る赤城に対して、指揮官は赤城の手を取った。
「し、指揮官様!?」
予想していなかった反応に、赤城は動揺する。その隙を突いて、指揮官は一方的に自分の用件を捲し立てる。
「赤城、お前を探していたんだ。実は今日の秘書艦を勤める隼鷹がちょっとしたトラブルで秘書艦として動けなくなったんだ。その代役を頼みたくて赤城のことを探していたんだ。赤城、今日の午後の秘書艦としての業務、お願いできるかな?」
「え、あ、その、指揮官様……」
指揮官の言葉から、噂が本当のことであると知り、赤城は、隼鷹に嫉妬と羨望の感情を抱く。それと同時に、幸せのあまり、秘書艦としての業務が手につかなくなったことには呆れと同情の念を抱いた。
「指揮官様が、赤城を頼ってくれるなんて、赤城は嬉しいです。ご期待とご信任にお応えして、秘書艦の勤め、立派に果たしてみせますわ」
赤城を連れて、指揮官は執務室に戻った。午後からの業務、その内容は委託任務に出撃していた面々の帰還や成果の報告、陳列が切り替わった購買部の品物の確認、寮舎への食糧補給、オフニャの訓練完了報告など、午前のものと変化は少ない。
業務が一段落ついた頃、指揮官は休憩をとることを赤城に告げた。
「かしこまりました。では、休憩に入らせて頂きますね」
赤城はそう言うと、手元に残っていた書類を片付ける。
「真剣に勤務する赤城かわいいよ。見るだけで火傷しそうだ」
「あら、指揮官様、赤城を思ってくれて、嬉しいですわ」
ふと、赤城は悪戯を思いついた童女のような表情を浮かべた。
「そういえば、指揮官様。ユニオンのとある空母から聞いたのですけど、ユニオンには細長い棒状のお菓子を、二人が両端から同時に食べて、先にお菓子から口を離した方が負けという遊びがあるそうです」
「赤城、やってみよう」
指揮官が受けるとは思っていなかった赤城は、指揮官の言葉を聞いた瞬間、指揮官が何を言ったのか理解するために数分の時を必要とした。
その間に、指揮官は赤城の言った遊びの準備を済ませた。
赤城が正気に戻った頃には、指揮官は既にお菓子の端を口に咥えており、もう一方の端を赤城の口に向けていた。
事ここに至って、赤城は腹を括り、指揮官とは別の端を口に咥えた。
「し、指揮官様。い、行きますわよ」
ゆっくり、ゆっくりと、二人はお菓子を食べ進んでいく。
距離が縮まると、赤城の食べる速さが目に見せて遅くなった。一方、指揮官のペースは変わらず、ゆっくりと食べ進んでいく。
やがて、あと少しで赤城と指揮官の唇が触れあうところまでに進んだ時、赤城の方が先にお菓子から口を離した。
「あ、赤城の負けですわ。つ、次は負けませんわよ」
負け惜しみのようなことを言う赤城の胸は、赤城自身が指揮官に聞こえているのではないかと思うほどに、ドキドキと高鳴っていた。
「そうか。赤城がしたいのなら、皆の前でしてもいいぞ?」
「み、みんなの前で!?」
いつになく強気で迫ってくる指揮官に、赤城の端正な顔が赤く染まる。
「なぁ、赤城。お前には俺がいるだろう?俺だけを見てくれ」
指揮官は、赤城の手を取り、真剣な眼差しを彼女に向ける。
「あ、うぅ……こ、心の準備ができていませんわぁあああああ!」
顔を真っ赤にした赤城は、指揮官の手を振り払うと、絶叫を上げて執務室から飛び出していった。
それから、赤城、隼鷹、大鳳の三人は、指揮官を目にすると、顔を赤く染めて立ち去るようになっていた。
暫くの間は、過激な愛情表現は収まり、赤城たち三人が、また熱っぽい眼差しを指揮官に向けるようになるまで、指揮官の日常に平穏が戻った。