無惨は神妙にお縄についていた。
勿論、殺人事件の犯人として冤罪にかけられることに黙ってはいられない。
「ところで奴さんは何処の誰なんでぃ?」
御用聞きの親分が実況見分を始めている。
野次馬に声をかけ、遺体の顔利きをはじめていた。
「芦屋の旦那は目の見えぬ人たちに優しくしている、この辺りじゃ知らぬ者のいない、それはそれは素晴らしいお方です」
「そうか・・・そんなお方を殺すとは、不貞野郎だなテメェは」
吐き捨てるように叫んだ親分は、無惨の頬に十手を叩きつける。
バチィと鳴った乾いた音に、野次馬が思わず目を背けるが、無惨は顔色一つ変えずに遺体を観察し続けた。
「あの親分さん、よろしいでしょうか? 旦那さんのご遺体について気付いたことがあります」
「ぁあ、誰が喋っていいっつ・・・あ゛? 気付いたこと?」
無惨の言葉に眉をピクリと動かす親分。
「旦那さんの傷、おそらく斬られた時に大量の血が噴き出しているはずです。その証拠に地面には大量の血の跡がありますね」
道に残された血痕を見回し、親分は「そりゃそうだな。それがどうした?」とつぶやく。
「でしたら斬った者は返り血を浴びているはずでは?」
そう言われた親分はハッとなり、無惨の服を強引に掴んだ。
当然そこには一滴の血も付着していない。
「・・・つまりテメェは犯人じゃねぇってか? ハッ馬鹿が」
その時、親分は何かに気付き無惨を鼻で笑った。
「血が噴き出た跡があるってことは、斬った奴も血を浴びてねぇ証拠だ。つまり、犯人は奴さんを後ろから斬ったっつうことだよ」
そう言うと親分は部下の背後に回り、十手を凶器代わりにして部下の体を斜めに切る真似をした。
「つまりテメェはこうやって、後ろから奴さんを殺した。違うか?」
無惨の推理を上から潰し、親分はニヤリと笑った。
だが無惨はその不敵な笑みに、すぐさま反論の一手を下す。
「ですがその場合、私ではありえない状況が2つありますよ」
「あ?」
「第1に、その場合は傷口の向きから見て左利きの犯行になります。右胸から左首にかけてですからね」
無惨の指摘に、親分は自らの十手と左右の手を見比べた。
「な・・・なるほど」
「第2に斬り始めの位置の高さ。私と旦那さんの背丈は見たところ、私の方が高い。となれば、背後から手を回した時に腰の辺りからでも斬り始められます。そのほうが力も入るでしょうから。しかし、実際の斬り始めは胸の上あたり。おそらくは手が届かなかったのでしょう」
無惨の指摘に、親分は自分より背の高い野次馬に手を借り、身長差からの斬り方の違いを再現した。
「・・・なるほど。たしかにテメェの言う通り、奴さんより背が低く、左利きの奴が怪しいと。そうなるわな」
親分は十手を自身の顎に当てウームと唸った。
「これで分かっていただけましたか? 私が犯人ではないと」
無惨の推理に野次馬たちからも歓声が上がる。
だが、親分は腕を組んだまま無惨の釈放に応じなかった。
「いいや。今の話は“テメェが俺たちにそう思わせるため”の話っつうこともありえる。テメェが実は左利きで、わざと背をかがんで斬った。それだけの話だ」
この町の奉行所には悪習があった。
“犯人を捕まえる”のではなく、“犯人を用意する”ほうが優先される習慣だ。
治安の悪い地域だからこそ、人々を安心させることにこそ利があるというのだ。
「そ・・・そんな・・・」
絶望する無惨を、親分は縄を掴んで強引に立たせた。
「っつうわけだ。とっとと奉行所に来やがれ・・・」
「無惨様!」
その時、狛治の声が町に響いた。
「無惨様! こいつです。捕まえてきましたよ殺人犯を!」
狛治に首根っこを掴まれ連行されてきた老人の姿に、親分は声を荒げた。
「テメェは、盲目の按摩のふりをして盗みを繰り返す、白洲の常連犯じゃねぇか!」
犯人の老人は捕まっては盗みを繰り返す、地元では有名な窃盗犯であった。
耳の痛い狛治であったが、犯人を親分の前に突き出して無惨の返還を求めた。
「儂が悪いのではない。この手が勝手に」
この期に及んで身勝手な言い逃れをする犯人は、親分の部下によって連行されていった。
「哀れな男ですね」
「生まれ変わったら真っ当な生き方ができるよう、祈りましょう」
闇夜の中に消えていく犯人に手を合わせる無惨。
事件も解決し、野次馬が散り散りに家へと帰っていく中、親分も十手を肩に乗せ意気揚々と帰路に着こうとしていた。
「うむ。これにて一件落着」
「と、そうは問屋が卸さんぞ。親分さんよ」
シレッと帰ろうとする親分を引きとめる狛治。
「あらぬ罪で無惨様を逮捕しかけ、このまま曖昧に終わらせるつもりか?」
無惨が「私は気にしていませんよ」と言ってはいても、狛治の手に力が入らずにはいられない。
「た・・たしかに誤認逮捕をしそうになった。それは申し訳ない」
「詫びをしたいと言うなら、明日の夕暮れまで休める宿を紹介してもらおうか」
狛治の脅迫染みた物言いに無惨も「それ恐喝ですよ」と苦言を呈する。
「ですが無惨様。こんなことに時間を取られては、朝までに家には帰れません。それでは非常に拙いことになります」
狛治の言う通り、夜も既に寅の刻。
このまま屋根のある建物を探せないまま朝を迎えてしまうと、無惨は身動きが取れなくなってしまう。
「い、今から夕暮れまでか・・そんな宿は・・・・よし、俺に任せろ。“あそこ”なら今からでも強引に捻じ込めるはずだ」
快諾した親分は無惨と狛治を案内し、夜の町へと入っていった。
「・・・ここは」
案内されたのは、こと無惨や狛治とは無縁の町。
女遊びに花が咲く、江戸政府公認の売春宿地域。
遊郭であった。
「あの、小五郎親分さん・・・私はこういう場所はちょっと・・・狛治さんも妻がいる身ですので」
「そんなことを言われてもよぉ。こんな夜に開いてる宿で、夕方まで滞在させてくれる場所なんて、このあたりしかねぇぜ」
親分の言うことも一理あった。夜空が徐々に遠くから明るさを取り戻しつつある今、無惨には他に選択肢がない。
親分は顔の利く店として、遊郭としては最下層ながらもある程度綺麗な店を見繕って無惨たちを中に入れた。
寅の刻すぎに、遊女の接待ナシ、男2人で翌夕方まで。
遊女たちの『いったい、どんな性癖の男たちなんだ?』という好奇の目に晒されながらも、無惨と狛治はどうにか狭い1部屋と布団にありつくことができた。
「はぁ、さすがに疲れましたね」
「無惨様お疲れ様です」
軽く一言を交わした2人は、そのまま静かに目を閉じた。
基本、昼夜逆転の鬼と、それに合わせて生活する狛治にとって、そろそろ眠くなってくる時間なのだ。
そのまま夕方まで眠ってしまった。
途中、遊郭特有の騒がしさに眠りが浅くなることもあったが、精神的な疲れが体に安息を求めさせた。
「・・・?」
先に目を覚ましたのは無惨であった。
何か直感的に警鐘を鳴らすような何かが、彼の鼻孔を突いた。
「・・・狛治さん、いやな予感が」
狛治の肩を叩きながら、無惨は静かに襖を開けた。
外はすっかり日が落ち、鬼でも出歩ける程度の暗さである。
「無惨様、どうされましたか?」
「嫌な臭いが・・・」
「? 夕飯のイイ臭いならしますが」
夕風に乗って、周りの家々から釜戸の湯気が届いていた。
だが無惨はその中にわずかな予感を覚えていた。
肌を這いずる嫌悪感
命が壊れる臭い
本能を焦らせる煙たさ
「行きます」
そう呟いた時、無惨の体はすでに外に飛び出していた。
夜の遊郭の賑やかさに背を向けて無惨は走っていた。
その先は遊女たちの居住区。これからの時間、無人となる区画。
走れば走るほど家々は貧しく、みすぼらしくなっていく。
「・・・何かの焼けた臭い・・・草でも、炭でもない・・・」
徐々に狛治の鼻にも、その臭いが届き始める。
もっと奥に行くと雨風を凌ぐこともできないボロ屋が連なる裏通りに差し掛かる。
そんな道の端に大穴が掘られていた。
臭いはそこから漂っている。
嫌な臭いだ。全身を焦がすほどに血が熱くなる臭い。
「・・・・・・これは」
無惨の息は、その凄惨な光景によって荒げた。
身の丈は女子供か。
人型の何かが、黒焦げに焼かれていた。
後ろ手に縛られたまま硬直した体。
わずかに身動きがある。うめき声もする。
生きたまま
長い時間をかけ
こんなに近くに家々がある中、誰にも助けてもらえぬまま
焼かれた何かを目の前に
無惨は体中の血が沸騰するほどの怒りと、脳が凍り付くほどの悲しみを覚えた。
【平安コソコソ噂話】
鬼になっても無惨の呪いは無いから名前を呼んでも平気だ。
むしろ名前を呼んでもらえると喜ぶぞ!