梅が加わった生活は前途多難であった。
基本、無惨たち鬼の生活は日光を避けた夜型。
当然そこには月明かり以外、火の明かりが頼りとなる。
しかし、生きたまま焼かれた恐怖が思い起こされるため、梅は火をめっぽう怖がった。
火を目にするたびに彼女は泣きわめいてしまい、無惨と妓夫太郎がなだめてもなかなか止まらなかった。
「私も井戸の水が飲めないから、その気持ちが分かります」
苦手意識を超えた恐怖心から脱することのできない心境に恋雪は重く共感した。
恋雪の場合は川の水を代用することで問題は無くなるが、梅は生活が暗い部屋の中だけに制約されてしまっており、彼女はそれを哀れに思った。
「決めました。道場の塀の内壁を白く塗ってしまいましょう」
白い壁は光を反射し、昼間であれば家の奥まで明るく照らしてくれる。
直射日光の下に出られない鬼であっても、明るい部屋で過ごすことができれば気分が良くなるはずだ。と、恋雪は提案した。
父・慶蔵から継いだ家を、梅のためだけに改修することになるが、恋雪に迷いは一切無かった。
それからというもの、梅は恋雪にとてもよく懐いた。
無惨が一位、妓夫太郎が二位、恋雪が三位といったところか。
ちなみに狛治は「裸見たくせに」と、からかうことが多く、遊び相手として認識している様子。
そして珠世に対しては……
「ねぇねぇ珠世はどうして無惨様に厳しく当たるの?」
梅は、思ったことを口に出すタイプであった。
それは歴代の継国一族・煉獄一族、狛治や恋雪ですら聞けなかった、かなり突っ込んだ質問。
女だけで食事の準備中という気楽な場でのトンデモ直球に、恋雪の包丁がピタリと止まった。
「どうしてそのようなことを聞くのですか?」
恋雪は珠世の顔が見られなかった。
「だって珠世は無惨様のことが嫌いだって言ってるでしょ? だけど前に、無惨様が私とお兄ちゃんを助けた理由、すぐに珠世が代わりに分かりやすく教えてくれたでしょ。なんで嫌いな人の考えてることが分かるのかな?って」
梅の無邪気な質問に、聞き耳を立てていた恋雪もふと疑問に思った。
「実は嫌いじゃないとか?」
「夫と子の仇のようなものですから、もちろん嫌いですよ」
指をピンと立てて推理した梅の口を、珠世は素早く指で押さえて否定した。
「夫よりも長い時間、一緒にいますから。鬼舞辻無惨がどういう者なのかわかります」
「じゃあどういう人なの?」
梅の含みの無い質問に、珠世は息を静かに吐いてから口を開いた。
「あれは甘い。みなさんは無惨の心が優しいと言いますが、私から言わせれば、償いの心が一辺倒で心に余裕が無いだけ。余裕の無さから、他人に嫌われたくない。だから他人に無償で尽くすのが自分の為すべきことだと、自分自身に言い聞かせているのです」
珠世の声には、普段のような無惨への苦言にはない、優しさと哀れみがこもっていた。
それを聞き、彼女なりに考えがあるのだと察した恋雪だが、それでも納得がいかないことがあった。
「ですが珠世様。人に尽くす事は人として優しい事ではありませんか?」
「そうですよ。ですが本当ならそれは、自分にも優しくするべきこと。自分を許すという前提があの者には足りません。そして、もし自分が許されたと心から感じてしまえば、あの者は前に進む意欲を挫かれてしまうでしょう」
珠世の言葉の意味を、梅も恋雪も半分ほど理解できなかった。
数百年を贖罪のためだけに生きてきた鬼だからこその価値観というものが、そこにはあるのだろうと漠然とした残り香を感じることで精一杯であった。
「私が鬼舞辻無惨に辛く当たるのも、あの者が“まだ許されてはいけない”と思っているからこそです。ちゃんと認めているのですよ。内緒ですけど」
自分の口に指を当て、女同士の秘密だと念押しする珠世。
その姿に恋雪はにっこりと笑みを浮かべ頷いた。
「まぁ、憂さ晴らしの心が無いと言えば嘘になりますけどね」
オホホとわざとらしく笑う珠世に、釣られた梅もアハハと笑う。
梅は、思ったことを口に出すタイプであった。
ある日、無惨の姿は煉獄家の剣術道場にあった。
「すみません柑寿郎さん、みなさんもお忙しいところにお邪魔して」
道場の門下生の男たちが正座して待つところに、腰を低くして入る無惨。
「そんなことはありません無惨様。俺たちはまったく気にしておりません!」
師範が姿勢を正してハキハキと答える雰囲気に、門下生たちも思わず背を正した。
「して、無惨様。我々に聞きたいこととは?」
「実は、お恥ずかしい話ですが私は幼い頃から病弱で、あまり父と親子の仲を過ごしてきてはいませんでした。なので父親像というものを知らないのです。私の周りの方は皆さん、私を父のように思っていると言ってくださるのですが、それに応えられていない気がして」
申し訳なさそうに語る無惨に、門下生たちも半ば納得したようにウ~ムと腕を組んだ。
「成程。ここに居る者たちは皆、父上がご存命の者ばかり。彼らから何か助言をさしあげることができれば幸いでしょう!」
煉獄一族の全員を見てきた無惨は、その誰もが面倒見の良い性質の血族だと知っていた。
継国一族も同様。良い子ばかりを見てきた無惨は、他の家の親子事情を知りたがっていたのだ。
こうして始まった父親像の討論会であったが……
「俺の親父は『せっかく道場に行ってんのに、何でそんなに弱い』つって問答無用で殴ってきますから、あまり参考にならないですよ。ったく、そんなこと俺に言われても、って思いますよね」
おでこの広い門下生が愚痴るように答えると、隣の門下生が「それは、お前が稽古頑張ればいい話だろ」とツッコミを入れた。
その後も……
「ウチの父も理不尽ですよ。『口答えすんな。俺の言うことを否定するな』って頭ごなしで」
「それウチもだ。『俺に指図するな』ってよ」
どの家も亭主関白な父親情報であり、全員が語り終わった後で「無惨様は絶対に、こういう父親にはならないでくださいね」と口を揃えたこともあり、ほとんど参考にはならなかった。
そんな無惨の意識改革であったが、梅のためには特に功を奏することはなかった。
変わったのは梅のほうであった。
白壁の恩恵により昼にも活動するようになったことで、梅は剣術道場のほうで過ごすことも多くなっていた。
元来、染まりやすい素直な性格の彼女は、煉獄一家と過ごすことで他人を想う性格に育ち始めたのだ。
(ちなみにではあるが、梅は元から大人をたじろがせる美貌の持ち主であったこともあり、道場への入門希望が多く押し寄せたという)
「無惨様、梅と縁を切れねぇもんかねぇ」
ある日、妓夫太郎が姿を現した時に密かに無惨に相談を持ち掛けた。
梅の性格が明るくなり泣くことが少なくなったため、妓夫太郎が姿を現す間隔は開き始めていた。
目を覚ますたびに梅が元気になっていく。
妓夫太郎にとってそれは喜ばしくもあり、羨ましくもあった。
それは以前から思っていたことでもあった。
『奪われる前に奪え、取り立てろ』
幼くして2人きりで生きてきた妓夫太郎は、梅をそう言って育ててきた。
だが別の道を歩んでいれば、梅はもっと幸せになっていたはずだという想いもあった。
それが今まさに現実に。
もう梅には自分が必要ない。
存在しても邪魔になるだけ、と。
「それは違うと思いますよ」
無惨の即答に、妓夫太郎は一瞬「いい加減なことを言ってるなぁこの方は」と小さな苛立ちを覚えた。
「『もう妹とは思わない』。それを梅さんに言ったらどうなると思いますか? 妓夫太郎さんに抱き着いて泣き喚いて、絶対に離れないって言い張りますよ。引き剥がすのが大変になりそうです」
フフッと笑う無惨。妓夫太郎もその場面を想像して苦笑いした。
「あなた達の兄妹の絆を私は尊敬していますし、誇りに想っているのです。それを否定されたら……私が困ってしまいますよ」
無惨を困らせることを嫌う妓夫太郎は「それは……俺も困る」とたじろいだ。
自らの立場を人質にして諭すような言い方を、無惨はするようになっていた。
「それに思うのですが、人にされて嫌だったこと、苦しかったことを人にやって返して取り立てる。その考え方を妓夫太郎さんはしてきたのですよね?」
「……ああ」
無惨に面と向かって問われ、妓夫太郎は目線を逸らした。
少なくとも無惨とは相容れない価値観であることは薄々分かっていたが、否定されてしまうことへの恐怖が妓夫太郎にあった。
だが……
「妓夫太郎さんはそのままでいいと思いますよ」
「はぃ?」
無惨の提案は意外であった。
この信条は、妓夫太郎にとって否定されたくないものであったが、自分でも否定するべきかを悩んでいた悪習。それを是とされるとは、彼自身思っていなかった。
「でもアンタ……無惨様は前に言ってたじゃねぇか……ってましたよね? 人が苦しんでるのを見るのが辛い性格だって。んなもんますます、俺がここに居たら梅だけじゃなく、無惨様にも迷惑になる理由じゃねぇか!」
混乱する妓夫太郎は顔を掻きむしった。
その様子に無惨は優しい顔を見せながら、自分の胸に手を当てた。
「嫌なことをされて取り立てたくなったら、取り立て先を私にしてください」
「!? そ、そういうことかよ」
鬱憤晴らしをするなら無惨を相手にせよ。それが嫌なら我慢をしろ。そう妓夫太郎は解釈した。
我慢というなら話は早い。無惨や他の鬼が普段から我慢を強いられた生活をしていることを、妓夫太郎は知っていた。それと同じだと思えばできなくもない話だ。
「それともう1つ。取り立てる発想で言うなら、嬉しい事も取り立てましょう。人にされて嬉しかったことがあったら、他の人にもやって返して取り立ててください」
妓夫太郎はニヤリと笑った。その発想は今まで生きてきて思い浮かばなかったが、先の約束と比べれば楽であることは確かだ。
「なら、そいつもなるべく無惨様から取り立ててやりますよ」
「ええ、大歓迎です」
こうして梅と妓夫太郎は無惨たちの家に馴染むことができた。
平和な時はしばらく流れ……ある日、大きな転機が訪れた。
その始まりを告げたのは1つの装置。
顕微鏡である。
【平安コソコソ噂話】
珠世・恋雪・梅は、近所でも『美人三姉妹』と評判だ。
それを聞いた妓夫太郎が「姉妹?」と鼻で笑ったら、珠世の手刀が脳天に炸裂したぞ!