「それでは俺は一足先に。後で妓夫太郎を迎えに行かせます」
家庭内暴力から逃げていた女性を保護した珠世たち。
女性の顔の腫れを手当てするために、恋雪たちの待つ家に戻る事にした。
人の足では朝までに帰ることは難しいと、女性と赤子は狛治が背負って先に帰ることに。
無惨の足でも帰宅は難しいが、だからといって珠世が背負って帰るというわけにはいかない。
そのため帰りの足になる妓夫太郎が到着するまで、無惨と珠世は夜道を歩きながら待つこととなった。
2鬼きりになるのは、約100年ぶりのことである。
「珠世さん、お聞きしてもよろしいですか?」
暗い夜道の中、静寂に耐えきれない無惨が口を開いた。
「何ですか? 一撃でやられて草むらに突っ込んだ鬼舞辻無惨」
「そっ、それは言わないでくださいよ。あれは、殴られて返り血を浴びせてしまったら、あの男性を鬼に変えてしまうかもしれないと。拳が届く直前に、同じ速さで後ろに飛び退いたからですよ!」
無惨は自身の名誉のために必死で弁明した。
「ただ、勢いが付きすぎて枝が刺さって血が出てしまったので、出るに出られなくなってしまいましたが・・・」
ボソボソとした言い訳に、珠世はその無惨の無様な姿を鼻で笑った。
「それよりも珠世さん。真剣なお話です。貴女、命を断とうとされていたのですか?」
無惨が尋ねると、珠世は真剣な顔で空を見上げた。
夜空には満天の星が輝き、全ての隠し事を見通してしまう明るさが散りばめられていた。
「ええ。夫と子の墓の前で、最後に朝日を見ながら。そのつもりでした」
優しい声で語る珠世に、無惨は「今は違うのですか?」と尋ねた。
「鬼舞辻無惨。アナタは今まで色々な方を救ってきました。もちろん、なりゆきで救えただけという形もありましたが。ですが私はこの数百年、ずっと自分のためだけに生きていました。それが今更ですが悔しかったのです」
自虐的に語る珠世に、無惨は「そんなことはありませんよ」と手を広げた。
「珠世さんの作った薬に救われた人のほうが多いではありませんか。それが毒薬を探す過程で生まれたものだとしても、誰もが貴女に感謝していますよ」
「それはそれ。私としては人を救ったという実感を覚えていませんから」
無惨に褒められてもなぁ、という白い目を見せる珠世。
「ですが今夜。偶然とはいえ母子を救う手助けができました。無駄に長く生きてきた意味を実感できたのは嬉しい事でした。もう少し、長く生きてみようと思えました。せめて、あの母子が幸せになるまでは」
珠世は自らの手をさすりながら、幼くして亡くした我が子を重ねるように、赤子の姿を思い浮かべた。
「珠世さんなら、もっと多くの人が幸せになるのを見届けることができますよ」
「もう十分ですよ。もう……それよりも私が気になったのは、鬼舞辻無惨。どうやってあの場に駆け付けたのですか? 私の家に帰ったと推理しても、あの場所はいつもの道から外れた所でしたよ?」
珠世からの急な指摘に無惨は驚きながら、その理由を語る前に目を逸らした。
「じ……実は。どうやら私、鬼になった方の居場所がだいたい分かるみたいなんです。感覚的にですが」
「ということは。まさか私や恋雪さん、梅さんのことをいつも監視していたのですか? 不潔です!」
そう言ってそそくさと身を避ける珠世。
無惨が「ぇえ!? ち、違います! そんなことしていません!」と焦ると、珠世は「わかってますよ」と笑ってみせた。
普段の彼女の無惨蔑視の姿からは想像できない、自然な笑顔がそこにはあった。
その後、家に着いた無惨と珠世を出迎えたのは、泣きはらした恋雪と、絶賛ギャン泣き中の梅であった。
「うぁあああああああん。珠世が帰ってきてくれたぁ~!死んじゃってたらどうしようって心配していたんだから~!」
「心配かけてごめんなさい梅さん」
妓夫太郎を何回でも何十回でも呼び出せるほどの大泣きで、顔から出るものを全て出して抱き着く梅を、珠世は着物が汚れるのもお構いなしにしっかりと抱きしめた。
「ほぉ、こりゃ美人じゃねぇか」
数日後、顔の腫れが引いた女性の顔を見て、妓夫太郎が手放しで褒めた。
女性は嘴平琴葉といった。
毎日のように夫に殴られ、姑から虐められていた彼女は、息子の伊之助にまで手を上げられたことで家から逃げ出してきたという。
「ったく考えられねぇな! 頭が悪いから殴る? そいつの方が馬ぁ鹿だろ?」
「同感だ! 妻を殴るとは言語道断!」
珍しく意見の合った妓夫太郎と狛治が手を固く握り合うほど、鬼の一家は琴葉の味方一色に染まっていた。
琴葉は一緒にいて心地良い、心の綺麗な女性であった。
暴行の影響で片目の視力を失っていたが、奥まで透き通るような綺麗な目をしていた。
琴葉は世話になる礼にと、昼間の家事を手伝った。
だが、物覚えが悪かった。何度教えても覚えられなかった。
教えていて苛立ちこそ起きないが、やることなすこと手がかかる。
「珠世様、ごめんなさい」
「いいんですよ。私たち、根気だけは誰にも負けませんから。できるまでお付き合いしますよ」
そう言って優しく接する珠世に、琴葉は悲し気な顔を見せることが多かった。
だがその実、感覚の鋭い琴葉は、不老不死の鬼である珠世が死期を望み、琴葉と伊之助が幸せになったら命を断とうとしていることを感じ取っていた。
自分たちの幸せが恩人を死に向かわせるならば、いっそ不幸なほうがいい。
だからこそ琴葉はあえて仕事を覚えないようにしていた。いつまでも手のかかる、とうてい幸せになんかなれない不孝者になろう、と。
「なるほど、そういうことでしたか」
ある日、いつもと違いテキパキと洗濯物を畳んでいた琴葉を発見した珠世はその事情に気付いた。
「だって、あんまりじゃないですか。私たちのせいで珠世様が黄泉路に向かわれるなんて。だったらいっそ……」
琴葉は着物の袖を固く握りしめ、歯ぎしりさせて項垂れた。
すると珠世はその震える手にそっと自分の手を乗せた。
「申し訳なく思うのは私の方ですよ。天寿を全うできない鬼の身に、勝手に終着地を決めたのは私の都合です。琴葉さんに重荷を背負わせていたのでしたら、辞めることをお約束します」
そう断言した珠世の悲し気な表情に、琴葉は胸を痛めた。
この世に生を受けて数百年という鬼の持つ価値観を、その一割も生きてきていない自分が推し量れる話ではない。
満足した心のまま死にたいと思う珠世の気持ちを無下にすることのほうが失礼ではないか?
琴葉は悩んだ。
「どうしよっか伊之助……って、何やってるんだろうねお母さんは。私が決めないといけないのに」
母親似の綺麗な瞳の乳飲み子に問いかける琴葉。屈託のない笑顔に幸せを覚えつつも、その現実逃避に自己嫌悪を覚える。
「話は」「聞かせてもらいましたよ」
その時、琴葉の背後の襖が開き、煉獄家現当主の槇寿郎とその妻・瑠火が姿をババンと現した。
「よもや今代で立ち会うとは思わなんだ我ら煉獄家一族の命題。琴葉殿だけで悩まれてよい代物ではないぞ」
槇寿郎の言葉が難しすぎて理解できず、琴葉は「え? えっと……」と目を白黒させる。
「珠世様たちの御隠退は、歴代の継国家・煉獄家の当主様も覚悟されてきた、一代では抱えきれないくらいの大きな問題ですから、琴葉さんお一人で悩まないでください。ということですよ」
瑠火の優しい語り口に、琴葉は少し胸のつかえが降りたような気持ちを覚えた。
「では、私たちはどうすればいいのですか?」
琴葉の問いに、2人は静かに息を整えて口を揃えた。
「鬼の方々の想うがままに。我々は我々の生を全うすべし」
「琴葉さんは、琴葉さんと伊之助くんが幸せになれるように一生懸命生きてください。そうしないと、珠世様が安心してご家族の
2人の言葉に、琴葉は胸に抱いた伊之助の顔を覗き込んで微笑んだ。
「私、頑張ります。珠世様が、私のことが心配でできることなら旅立ちたくないとおっしゃらないためにも。伊之助を何があっても守れる母になります」
その日から琴葉はより一層、家の仕事を頑張るようになった。
珠世も、これで安心して旅立ちの心構えができると思った。
だが、琴葉は物覚えが悪かった。
地で物覚えが悪かった。
仕方がなかった。
その隣で、伊之助はすくすくと育っていった。
煉獄家長男・杏寿郎と本当の兄弟のように育ち、強さと優しさと逞しさを兼ね揃えた男児へと。
「ガハハハ! 俺が母ちゃんを守るぜ!」
口の汚さは妓夫太郎に似た。普段から子供たちをまとめて世話する妓夫太郎の影響をモロに受けた形だ。
人を傷つけることは言わなかったが、もう少しきれいな言葉を使えと狛治にセットで叱られることが多かった。
幸せな日々であった。
珠世は感謝していた。皆が自分のわがままのために尽くしてくれる日々に。
だからこそ自分だけ先抜けすることに罪悪感を覚え始めていた。
「私も付き合いますよ、珠世さん」
無惨の言葉に珠世は無言でうなずいた。
数百年の奮闘の中で、仇から頼れる仲間へと、家族へと成りつつあった2鬼の間に、余計な言葉は不要になっていた。
「縁壱さんとうたさんとの約束を破ることになるかもしれませんが。琴葉さんと伊之助の幸せを見届けた暁には……共に彼岸へと旅立ちましょう」
【平安コソコソ噂話】
「ゆびきりげんまん」の本当の意味を知っている妓夫太郎と梅は、琴葉が子守唄を歌うたびにギョッとしていたぞ!
だけど教えるとショックを受けちゃうから、説明はせずにソッと見守り続けたんだ。