あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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生き埋め

「よくぞ戻られた。一族の汚点、人食い鬼を見事退治したのだな」

夜も明けぬうちに貴族屋敷に舞い戻った討伐武士たちを、貴族屋敷の当主は大いに称賛した。

鬼舞辻無惨の首は木台に乗せられ、風呂敷の包みがハサリと開かれる。

 

「おぉ見事、鬼舞辻無惨の首を・・・・なっ!?」

当主は自らの目を疑った。頭部だけとなった無惨の目がゆっくりと開いたからだ。

 

目が合った無惨は酷く悲しげな表情で、薄らと涙を浮かべていた。

 

「貴様、鬼舞辻無惨。首だけとなって生きているのか」

当主の言葉に武士たちは『まさか』と耳を疑ったが、無惨の顔を覗き込むや素早く刀に手を伸ばした。

「ど、どういうことだ。たしかに包んだ時には目を閉じていたはず」

「よもや首を斬り落とされても死なぬとは。妖の化身、人食い鬼めが」

ギリギリと歯を噛みしめ当主は無惨を睨みつけるが、その死体の表情はやけに神妙に落ち着き払っていた。

 

「私はおそらく太陽光でしか死ぬことのできない体なのです」

「なっ!」

死体の口から言葉が発せられる。

世の摂理を完全に無視した現象に誰もが驚愕し慌てふためく。

 

「当主様。私は数多の命を殺め、消すことのできない汚れを一族の名に残してしまいました。その罪は闇夜の暗がりより深く、大海の水よりも掬い取れぬほど重いもの。死を以て償う他、私が捧げられるものは無いと思っております」

無惨の声は不思議な安らぎと昂揚感を宿していた。

 

自ら死を願うその声には、心からの罪の反省が宿っている。

誰もがそう錯覚するほど、透き通った、胸の奥に届く声音であった。

 

「何をほざくか鬼畜生めが。貴様は八つ裂きにしても足りぬほどの罪を抱えておるのだ! 言われずとも殺してやろう」

武士たちが思わず聞き惚れる中、当主は唇を噛み吐き捨てた。

 

仏教が重んじられる平安の世、生き物の肉を喰らうことすら邪悪な行為と禁じられている時代、まして人を喰う者を一族から出したことは末代までの大罪。

どう苦しめて殺してやろうか。

溶岩の如く溢れるほどの怒りが残された一族を支配していた。

 

「望み通り朝日にて炙り殺してや・・・いや、待て」

当主の心にふと邪な考えが浮かび上がった。一思いに殺してやるには足りぬ怒りを清算するのを、その元凶の言いなりのまま終わらせてやるわけにはいかないと思ったのだ。

 

「日の光が貴様を永遠の眠りにつかすのならば、儂はそれを断じて許すわけにはいかない」

そう言うと当主は家来たちに命じ、手々に鍬やつるはしを持たせ庭に立たせた。

家来は屋敷の庭の土を掘り、それはそれは深い穴を作り出した。

 

 

月夜の薄明りの射す庭に、底の闇が人の息さえ深く飲み込む穴。その前に突き出される無惨の首。

 

「見えるか鬼舞辻無惨」

穴の底が見えないながらも、無惨は覚悟を決めた静かな声で「ええ」と答えた。

 

「何か言い残すことはあるか?」

「一族の皆様。犠牲者遺族の方々。どうかお体をご自愛ください」

「・・・くたばれ」

 

無惨の言葉に無関心な反応を見せる当主は、家来に命じて首の置かれた台ごと無惨を穴の中へと突き落とした。

手も足も無い無惨はゴロリゴロリと転がり落ち、抵抗もできないまま真正面から地面へと突っ伏して倒れた。

 

「首だけとなった貴様は永劫、この穴の中で蚯蚓と共に過ごすのだ」

当主が家来たちに合図を送ると、彼らは鍬を手に次々と穴の中に土を放り投げていった。

 

それは、まさしく生き埋めの刑であった。

 

動くことも叶わぬまま不死の体を土深くに埋める刑罰。光も届かぬ、音も届かぬ生き地獄。

ザッザッと、穴の中に土が投げ込まれていった。

土の匂いと土の味が、無惨の顔を埋め尽くす。

 

 

 

 

そこからは無と闇の世界であった。

自分が発した声なのか幻聴なのかも判別できない無音の中、無惨はただひたすらに懺悔を繰り替えしていた。

『多くの人を死に至らしめた罪を償わねばならない。祈ろう。彼らの魂が冥福されることを』

 

無惨の祈りは1秒たりとも止むことはなかった。

気の遠くなるほどの長い時間。祈る以外に過ごすことのできない体。

 

ただ、そんな祈りの時間に、無惨の体に飢餓が襲った。

それは鬼の体になって数日。人の血肉を欲するようになった時に味わったあの感覚。

栄養を摂取せねば、気が狂いそうになるほどの飢餓が無惨を支配しようとしていた。

『嗚呼、これが飢え・・・生きている証であろう。私が奪った命たちもまた生きている間に感じていた苦しみであり、死して感じることができなくなった苦しみ』

 

 

正気を失ってもおかしくないほどの飢餓の苦しみと向き合う無惨。

苦しんでは祈り、祈っては苦しみ。

 

何日も、何か月も、何年も。

 

 

やがて、彼は気付かぬうちに深い眠りについていた。

 

 

 

 

それから数年、数十年、幾百年も流れたであろうか・・

 

 

 

ある夜、無惨の腕が土を突き破り、地表へと姿を現していた。

 

 

「・・・・これはどういうことだ?」

 

体を起こした無惨は、自身に起きた異変に驚いていた。

刎ねられたはずの首から下が再生していたのだ。

鬼であった頃に存在した身体再生能力。だがそれは自らの意志で抑え込んでいた力。

無惨にわずかにでも残されていた生への渇望が、無意識のうちに働いたのだろう。

 

「我が身が嘆かわしい。私に殺された者たちを差し置いて、私一人のうのうと生きながらえようとしているとは・・・」

 

無惨の視界にふと周囲の光景が映る。

そこは、かつて彼が埋められた貴族屋敷ではなかった。

荒廃した雑木林に石碑の跡が点々と残るのみ。

諸行無常。栄華を極めた貴族屋敷も、長い年月の中で衰退したのであろう。

無惨が奪った命、自ら捧げた時、満足させた当主の復讐心。

それらも永時の前には砂利のように小さな存在であったのだ。

 

「虚しいものだ」

 

無惨は歩き出していた。

行く当てもなく。草木の匂いに身を任せ。夜風に乗る空気をかき分け。

 

雑木林を抜けると、人の通る道に出た。

辺りに民家は見当たらない。こんな時間に通る人などいるはずもない。

そう思われた。

 

 

「うわぁあああ」

 

その時、遠くに男の叫び声が聞こえた。

 

 

それは、野盗に襲われている商人であった。

刀を手に迫る野盗。夜の闇に光る獣のような瞳がギラリと商人の背の荷物を見つめている。

 

「荷が欲しいのでしたら差し上げます。どうか命だけはお助けください」

「身ぐるみ頂くのは当たり前だ。だがお前の整った顔を見ると、どうも刻んでやりたくなるなぁ。俺たちのようなあぶれ者のように、醜い傷を残してやりたくなる」

 

野盗の刀先が商人の顔にピタリと付いた。いたぶるように肌を舐め、ツツツと額から顎にかけて撫でていく。

商人は膝を震わせ、逃げることができなかった。

 

「私には家で待つ妻と子がおります。どうか、どうか・・・」

「ほぉ、傷の代わりに案内してくれるというのか。それはありがたい」

ニヤリと笑う野盗の脅迫に商人の顔は青ざめた。

 

 

「おやめなさい」

 

 

2人の間に割って入る無惨の声。

 

「誰だ!」

野盗は闇の中に浮かぶ顔に刀を向けた。

 

「なんだお前は? お前も身ぐるみを・・・・」

ザッザッという足音と共に無惨の姿は闇の中から徐々に鮮明に現れ始めた。

 

首を斬られ、首から下の体を再生した無惨。

体は再生できても、身につける布までは再生できない無惨の、生まれたままの姿がそこにはあった。

 

「・・・もう身ぐるみはがされ尽くしとるやないかい」

野盗は呆れるあまり目を丸くさせた。

盗むも何も、盗めるものを何も持っていない男が、やけに凛々しく啖呵を切って現れたものだと、逆に感心するほどであった。

 

「力で脅し、人から奪っていい物など何もありません。死して黒縄地獄へと堕ちることとなりますよ。さぁ。刀を収め、その人を解放しなさい」

穏やかな声で迫る無惨に、野盗も商人も一瞬聞き惚れたが、冷静になれば変質者の戯言の垂れ流し。

 

「野郎、ふざげやがって!」

野盗は刀を振りあげて無惨に襲い掛かった。

 

そこは平安の武士を数多返り討ちにした無惨。軽々と足払いをかけ野盗をゴロリと転がせてみせた。

が、

『腹が減って力が出ない』

飢餓から力の抜けた無惨もまた膝から崩れ、野盗に覆いかぶさるように倒れてしまった。

ここしばらくは水浴びすらしていないであろう野盗の服や体は、蚤やらが湧き、男の脂の臭いでムッとくる蒸れを醸していた。その臭いの塊が無惨の顔を包む。

 

ジュル

 

「うげっ」

無惨の口から滴る涎が野盗の顔に垂れた。

「これは失礼しました。うっかり食べようとしてしまうところでしたよ」

「なっ!?」

 

裸の男に押し倒され、『食べる』と聞けば・・・男色家の語る言葉にしか聞こえなかった。

野盗は己が身の貞操の危機を感じ、一気に青ざめた。

「どっ退け!」

野盗は必死に力を振り絞り無惨を突き飛ばすと、起き上がるやすぐに走り出し、一目散に森の中へと逃げていった。

 

「はて、どうしたのでしょうか?」

首を傾げる無惨。そこに商人が荷物から大きな布を取り出し無惨に歩み寄った。

「貴方様のおかげで助かりました。なんとお礼をすれば・・・ですがまずは、どうかこちらをお召しください」

「これは失敬」

ブランと下がる自らの裸体に気付いた無惨は、顔を赤らめながら、渡された着物をそそくさと身に纏った。

 

「失礼ながら、貴方様は一体どこのどなた様で? このあたり、夜更けに用のある者など、私のように家路の者でなければ」

「あぁ、私は・・・」

 

ぐぎゅるぎゅる

 

その時、無惨の腹の虫が盛大に嘶き、無惨は膝から崩れ地面に跪いてしまった。

「お恥ずかしいところを」

「これは私も気づかず申し訳ない。ここから少し歩きますが、私の家にどうかお越しください。恩人の貴方様に是非とも馳走させてください」

商人はそう言うと無惨の肩に手を回して助け、彼の家へと案内した。

 

 

藁葺屋根の家から明かりが射す。

「おかえりなさいお父さん」

「おかえりなさい。帰りが遅く心配しましたよ。あら、そちらは?」

商人が戸を開け中に入ると、奥から小さな子供と美しい女性が姿を現した。

2人ともが商人の帰りを待ち侘びた様子で、彼の無事な姿に胸をなでおろしていた。

商人は2人の心配を察し、笑顔を見せながら無惨を紹介した。

 

「野盗に襲われていた。だが、この恩人様に助けていただいてね。夕飯をお出ししたい。急ぎ用意してくれないかい? 珠世」

 




【平安コソコソ噂話】

きれいな無惨は心だけでなく体もきれいだ。
だから人の血肉を欲する本能は残っているけれど、普通の食事でも栄養を補給できる体になっているぞ。

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