カナヲを迎え、鬼の一家の新たな生活が始まろうとしていた。
「実家に帰らせていただきます」
カナヲの名前が決まって早々に、珠世の口から語られた言葉は、鬼たちの目を点にさせた。
「人に戻る毒を諦めましたので。その呪縛から解放された今、人に戻れたら何をしたいかを考えていました。ならば継国家の方々と共に私は家に戻ろうかと」
言い方のインパクトが強すぎて動悸が治まらない無惨であったが、珠世の選択を心から同意した。
「そこでカナヲさん。もしよろしければ私と一緒に行きませんか? ここよりも田舎ですが、静かで良い村ですよ。多分」
珠世の誘いにカナヲは困惑した顔を見せた。こうも分かりやすく感情を露わにしたのは初めてであった。
「珠世さん・・・」
「冗談ですよ鬼舞辻無惨。この子を困らせる話なのは分かっています。この家に導いてくれた妓夫太郎や、名付け親のアナタと離れ離れにするのは惨い話です。それに人に囲まれて静かに暮らすほうが、きっとカナヲさんの心にも良い影響を与えてくれる話だと思います」
ニコッと笑って答えた珠世。
「いえ、そうではなく。梅さんが」
そう言って無惨が指さした先にあったのは、珠世の帰省宣言に「急なお別れなんてヤダァ!」とギャン泣きする梅の姿であった。
「それでは皆さん、また。いつでも遊びにいらしてくださいね」
継国家と共に、長年過ごしてきた家を去り、珠世は自分の家へと帰っていった。
恋雪と熱い抱擁を交わし、最後まで泣いていた梅の泣きじゃくる顔を拭いてやり、妓夫太郎と狛治に「後は任せましたよ」と伝え。
「鬼舞辻無惨。数百年の間、アナタには迷惑をかけられっぱなしでした。でも、楽しかったですよ」
「やめてください珠世さん。今生の別れではないのですよ。ですが私も苦しくも楽しい毎日でした」
数百年、採血やらの無機質な接触しかなかった2鬼は。
この日初めて、互いの手を握り合った。
珠世たちの帰宅を、鬼たちと煉獄一家はいつまでも手を振って見送った。
カナヲはこの涙の別れの場で自分だけが涙を流せないことに、焦りに似た無力感を覚えていたが、その心を察した無惨が優しく手を握りしめると少し心のザワつきが治まった。
珠世のいなくなった道場は、いつもよりも少し静かに感じられた。
「では、我々も自分たちが人に戻った時にやりたかったことをやりましょうか」
空いた心の穴を埋めるように、無惨たちは新生活を張り切るように舵を切った。
狛治と恋雪は素流道場を開くことにした。
「今度こそ門下生を上手に誘い、教え育もうと思います」
「父と狛治さんの素流を、後世に繋いでいけたら素敵ですから」
狛治の宣言通り、大勢の腕に覚えのある者たちが次々と門下生として集まった。
というのも実は、募集をしたのだ。
素流の最も優秀な後継者として選ばれれば、道場の権利ごと譲渡するという破格の条件を付けて。
これより訳ありの境遇の者も殺到した。とはいえ鬼である狛治の強さを前に心折られる者も少なくなく。
下心から志願した者はことごとく去っていき、純粋に強さを求める者や根性で喰らいつく者が十数名だけ残り、道場としては運用しやすい人数で固まりつつあった。
一方、妓夫太郎といえば相変わらず子供たちのお守りに勤しんでいた。
人に戻れたところで夢があるわけでもなく。今の生活に満足している彼は、最後の日まで人から褒められ続ける日々を過ごしたいと思っていた。
「で。どうしたんだ、その顔の腫れは?」
「よぉ、妓夫の旦那。実はな、カナヲのお嬢がミジンコほど喋らねぇから『何か言えっての。地味な奴だな!』つったら師範に殴られた」
妓夫太郎はたまに、稽古の休み時間に愚痴を言いに来る素流門下生の相手をしていた。
「そりゃお前が悪い。頭と体が離れなかっただけありがたく思え。にしても酷ぇな。せっかくのいい男が台無しじゃねぇかよぉ」
「そりゃ俺は派手で華やかな色男だからな。女房も3人いる」
「聞いてねぇよ・・・って、はぁ!? 羨ましいなぁおい」
「そういやぁ旦那。コッチの弟子の例の家出少年が最近、ソッチの弟子の例の婚活嬢と一緒に飯食ってるらしいぜ」
「お前は自分の話にしか興味ねぇな・・って、あの両目の色が違う奥手そうな奴がか? そいつぁ面白ぇなちょっと聞かせろ」
男の井戸端会議は、齢100を超える妓夫太郎にとって、まるで年の近い友人との会話のようで楽しみな日課となっていた。
また、梅は書き溜めていた小説に着手していた。
「時代が私に追いついた!」
西洋諸国に推理小説ブームが到来していたのだ。
この国においても一部の通の間でも徐々に人気が出始め、大日本帝國にも推理小説が生まれてくれないものかと期待が高まりつつあった。
そこに来て梅の『名探偵ムザン』は、そこそこの人気作として世に広まっていた。
というのも、“人間にはとてもじゃないが真似できない”トリックが奇想天外だと好評だったのだ。
「ねぇ狛治。私の犯行の仕掛けってそんなに難しいかな?」
主に鬼の身体能力をベースに考え出されたトリック。元ネタは大概が狛治に実際にやらせて成功したものを作品に落とし込んでいた。
「厠に入ったら指に巻いていた包帯を解いて、標的の首を絞めて気絶させて、包丁の付け根に包帯を巻きつけて、包丁で心臓を一突きにして殺害して、鞄を漁って中身をばらまいて、財布から現金を抜き取って、厠の戸の上の隙間から死体を通して投げ入れて、包帯を引っ張って包丁を引き抜いて、包丁から包帯を解いて、自分の指に再び巻きつける。ってのを、厠を使うくらいの時間(40秒ほど)で全部やるの」
「楽勝だろ?」
「だよね。なのに担当の人が『真似できない犯行だからイイ』って変な形で褒めてくるの」
流石にあの頃は、無知故の純粋なる暴挙。
どのくらいが人の身体能力の限界か存じ上げない、フィジカル頼みがエグいトリックを素直に褒めてもらえないことが不満ではあったが、梅は待望の作家生活を満喫していた。
そして無惨は、カナヲの教育にいそしんでいた。
熱心な指導ではなく、ずっと傍に置いてやること成すことを学ばせる方法をとっていた。
「上手ですよ。カナヲの字は綺麗ですね」
教養は永遠の友。寺子屋にこそ通わせてやれないが、そこで学ぶ教本を手に入れては一緒に読んで書いて学ぶ毎日。
もちろん遊びも最高の教科書。楽しむときは楽しみ、学ぶ時は学び、休むときは休む。
上手く自分の気持ちを声に出したり表情に出したりができないカナヲであったが、1000年を生きてきた無惨は根気だけなら誰にも負けない鬼であった。
が、そんな無惨も幼児退行する場面もあった。
「蜜璃殿! 今日もお三時には“黄色い其方”を忘れないでたも」
最近、無惨はプリンにハマっていた。ドハマりしていた。煉獄家の剣術道場に婚活のために入門した生徒が作ってくれるプリンだ。
あまりにも好きすぎて、プリンの話をするときには言葉遣いが平安時代に退行してしまっているくらいだ。
「おぉ、やんごとなき甘さ。食している時はまるで、麿との秘密の会話のようじゃ」
横で一緒に食べるカナヲもキョトンとしながらも、それすら眼中にないほど無惨はプリンに酔いしれていた。
『あぁ、プリンに夢中の無惨様。可愛い』
こうして無惨たちは『今日が鬼としての最後の一日』という想いを胸に、一日一日を満喫し一生懸命に生きていった。
そして時は流れ
明治天皇が崩御し
時代は
大正へと移った。
【平安コソコソ噂話】
梅の『名探偵ムザン』の常人では再現不可能トリック。今回紹介したのは「珈琲喫茶殺人事件」に登場させたトリックだ。
他にも『名探偵ムザン』には、作中の時間経過ではとてもじゃないが実行不可能なくらい「やることが多い」って事件が多く掲載されているぞ!