「それでは行ってまいります。留守の間、よろしくお願いしますね」
冬の夕暮れ、道場の前には無惨と狛治、カナヲの旅立ちの姿があった。
門下生の少年と元・忍、そしてその女房3人が彼らを見送りに立つ。
「なぁに俺様の目の黒いうちは火事だろうが強盗だろうが恐れることはねぇ。鬼の皆様は派手に楽しんできてくれるといい」
「そもそも留守番くらい俺一人で十分だ。忍びなんて、師範たちが不在の間にこの道場を乗っとるつもりに違いない。俺は信用しない信用しない」
少し険悪なムードではあったが、無惨の「喧嘩はいけませんよ」の一言に5人はビシッと姿勢を正した。
この日、無惨たちが向かうのは珠世の家。道場からは鬼の足なら一晩。人の足なら5日ほどかかる場所だ。
恋雪と妓夫太郎、梅は一足先に出発し、無惨たちは道中の旅をカナヲに楽しませながら遅れて向かうことになっていた。
これは恋雪の提案であった。
カナヲに色々な場所を見せてやって欲しいというのは口実で、その実は無惨に内緒で祝いの席を設ける策であったのだ。
その名も鬼舞辻無惨生誕千年祭。勿論1000年も数えていたわけではないため、勝手に制定したものである。
だが、いつ死を迎えても満足できるようにと、やりたいことはできるうちに。それが今の彼ら鬼の一家のモットーでもある。
そのためこの告知なしの大祭は鬼たちの間で秘密裏に進められ、その準備過程をも彼らはめいっぱいに楽しんでいた。
「それでは無惨様、師範、カナヲお嬢。いってらっしゃいませ」
5人に見送られ、無惨たちは道場を後にした。
「よ~し、そんじゃ俺らは道場の掃除でもすっか。無惨様や師範が戻ってきたら度肝抜いて感激するくらい完璧に派手に掃除し尽くしてやろうぜ」
忍弟子が提案すると、彼の女房たちも「それはいいですね!」と手を合わせて賛同した。
「度肝抜くも何も、普段から掃除は無惨様が徹底されていらっしゃる。もう手を出せる場所なんぞ厠くらいしかないがな。2週間ずっと掃除してくれるなら俺もありがたい。感謝くらいしてやろう」
ネチッとした言い方で少年が指摘すると、忍たちはウゲェと顔を歪めた。
「っつうかお前、せっかくだから実家に帰れよ。ここは俺らに任せて」
「俺はもうあんな家には戻らん。今はここが俺の実家だ」
フンと鼻を鳴らす居候の少年は、忍弟子を無視しながら慣れたように玄関の戸を静かに開けて入っていった。
「一番弟子の俺が継いだらその居場所がなくなるぜ? あっ、そうか。そういやお前にゃ狙ってる家があるな。婿養子狙いだろうが」
忍弟子がからかうと、少年はギロリと睨みながら草履を投げて攻撃した。
当然、元・忍者に乱定剣の奇襲が通用するわけもなく、ヘラヘラ笑われながら捕まった草履をポイと投げ捨てられ、喧嘩勃発へと至った。
そんな日常茶飯事の光景を流し見ながら、嫁3人組は「婿養子? あぁ、例の婚活の子」「桜餅の?」「力持ちの?」と口を揃え、同時に「お似合いで可愛いじゃない!」と下世話な話に盛り上がった。
そんな騒ぎに目を覚ましたのは少年のペットの蛇。彼の襟巻(例の娘から贈られた)から這い出てきて眠たそうにシャーと舌を出すと、嫁のうちの1人が「ギャー」と騒ぎ、その隣の嫁が「うるさい!」と怒鳴り手を上げ、「ぶったぁ!」とその手が当たってしまった1人が泣き叫ぶ連鎖地獄が発生する始末。
『こいつら、本当に忍者だったのか? これっぽっちも忍ぶ気無いじゃないか』
そんな光景を見ながら妙に冷静さを取り戻した少年は冷ややかな視線を3くノ一に送るのだった。
一方、無惨たちは夜明け前に一軒の家に立ち寄っていた。
行く先々で困窮者や病身者を助けて回ることの多い無惨たちに、助けてもらった恩を持つ家が多く点在している。
この家もその1つで、珠世家と道場を行き来する際に昼を明かすために、いつでも寄ってくださいと鬼を歓迎してくれていた。
「ようこそ無惨様。お久しぶりでございます」
「しばらくぶりですね師匠。年に数度も顔を出せず申し訳ありません。お体も良さそうで何よりです」
「フフ。その呼び方も懐かしく、身に余るお言葉です」
家の主人は幼い頃から体が弱く、歩くのさえ苦しい体をしていた。
だが今では家族を多く抱え、家族を愛する立派な青年となっていた。
「なるほどカナヲお嬢さんは、たしかに覚えが良いですね」
主人はあやとりが得意であった。
幼い頃に無惨にも教えていたが、あまり手先が器用ではない無惨は彼を師匠と呼び結局リタイアしていた。
この日も昼の空いた時間に、カナヲがあやとりを習った。
無惨ほど下手ではないが、拙い指先で必死に形を作り、箒が完成した時には無惨が「おぉ!」と歓声をあげた。
だがこの時、主人は違和感を覚えていた。
カナヲの呑み込みの早さは教えていてすぐに感じ取ることができた。
だがそれにしては上達が遅い。わざと下手なフリをしているようだと。
「お嬢さん。次はこれを作ってみませんか?」
無惨が席を外している間に、主人はカナヲに新しい編み方を教えた。
箒よりも数段難しい編み方であったが、指導されるがままに編んでいくカナヲはもたつきながらもミスなく完成させた。
「やはりそうですか・・・貴女は嘴平さんという方と同じですね」
そう言うと主人はカナヲの手を優しく取って語りかけた。
「カナヲさんは御存じなのですね。無惨様や鬼の方々が黄泉へと旅立とうとされていることを。貴女の幸せを見届けてから」
主人の優しい瞳に、カナヲは目を逸らしながら静かに頷いた。
「だからこそ貴女はいつまでも手のかかる子であろうとされている。何をしても上達しないフリを。本当はもっと出来る子なのに」
カナヲの額から汗が流れた。本心を言い当てられた驚きもあったが、それ以上に事実を無惨に告げられてしまうことが恐ろしかった。
自立できる目途が立てば、無惨たち鬼の黄泉路を自分のせいで早めてしまうと。
その心を察した主人は、カナヲの手をギュッと握って微笑みかけた。
「人にはそれぞれ自分の役割があると私は思っています。自分と他人の幸せを実現させるために、その役割を理解する必要があると。カナヲさん、貴女の役割は無惨様たちが安心して旅立てるように、貴女自身が幸せになることです」
「幸せに・・・どうやって・・・」
この家に入って初めてカナヲは言葉を発した。
困惑の表情を見せる彼女に、主人はう~むと口をすぼませてから、優しく口を開いた。
「私が思うに、貴女は何をするにも人の顔色を伺っていますね。何かお辛いことがあったのでしょう。ですが恐れることはありません。無惨様と共にお過ごしになった貴女は、何処に出しても誇れる立派な女性に育っているはずですよ」
主人はそう言うと、あやとりをギュルギュルと編み込んでいき、踊る蝶の形を作ってみせた。
「もしも自分の選択に迷った時には、心の中の無惨様にお尋ねすればいいでしょう。無惨様ならどうされるか、どうお考えになるか。それに従ってはいかがでしょう」
「・・・心の中の」
そうつぶやいたカナヲは自分の胸に両手を抱えた。
「ええ。できるようになりますよ」
この言葉が救いになったのか、今の彼女にも理解できなかった。
だがそのうち。きっと・・・できるだろう。
「ちなみにこの“おどるチョウ”。適当に編みすぎて、もう二度とできないです」
できないことも、世の中にはある。それは仕方ない。
その頃。珠世の家では鬼たちと継国一家が宴の準備に精を出していた。
「ハイ旦那さん、鶴は綺麗に丁寧に折ってください。ハイ梅さん、紅白のお飾りは欄間にお願いします。ハイそこのお兄さん、大根は薄く細く繊細に切ってください。ハイそこの鬼いさん、つまみ食いしない!」
無惨のために準備に準備を重ねていく鬼と人。
中でも一番に張り切っていたのは恋雪であった。
やるなら全力で。尽きることのない欲の赴くまま。歓迎欲の赴くままに、恋雪は鬼と人を酷使していった。
特に酷かったのが、折り鶴を無惨の歳の数だけ作ろうという案を押し通した時だ。
「あ゛? そりゃふざけすぎだr」という妓夫太郎の口を塞いだ狛治のせいで、誰もこの案に反対できなかった。
そんな熱烈歓迎が待っているとは知らない無惨の足は、呑気に寄り道へと向かっていた。
山へと向かうほどに目に広がる雪景色。
道場のある町では目にできない光景に、カナヲが目を輝かせたのがキッカケであった。
「無惨様。あれは?」
裾をグイと引っ張ってカナヲが指さした先にあったのは小さな“かまくら”であった。
この辺りの積雪量で作れるのは犬小屋程度の大きさしかなかったが、製作者の一生懸命さが伝わってくる作りであった。
無惨は喜んだ。カナヲから話しかけてくることは珍しく、しかも自分の意思を示してきたのが初めてだったのだ。
「あれは雪のお家ですよ。大きく作れば中で大人が過ごせるくらいになります。そうだ、よかったら一緒に作りましょうか」
無惨の提案にカナヲは目を輝かせた。
だがそこに狛治が申し訳なさそうに割って入る。
「ですが無惨様。珠世様の村の雪もそこまで多くはありませんよ」
「そ、そうでしたね・・・ん? そうだ“あそこ”なら」
無惨が案内したのは400年前、彼と同居した“うた”の生家の付近であった。
「やっぱり、この辺りは雪が深い。大きなものを作れますよ」
腕まくりしてはしゃぐ無惨を、狛治は止められなかった。止めるべきでないと思った。
見よう見まねでカナヲも腕まくりし、一緒になって雪の山を作った。
かき集めた雪は小低い丘のようになり、その中を狛治が素手で掘り抜いていく。
あれよあれよと言う間に、立派なかまくらが出来上がった。上手く使えばクマが冬を明かせるのではないか?と思えるほどの洞窟かまくらだ。
「さぁ、できましたよカナヲ・・・カナヲ?」
かまくら作りに夢中になっていた鬼たちは失念していた。
カナヲは鬼ではない。寒風吹きすさぶ雪山は人の体に障る環境。
特にカナヲは自分のことを話すのが苦手なのだ。自身の体の不調を訴えることなどもっとだろう。
顔を真っ赤にしたカナヲがフラフラと倒れる寸前で支えることはできたが、とてもではないがこのままにしておけない。
「無惨様! 早く珠世様の許へ運びましょう!」
「いえ。あまり揺らしてやるのも体に障ります。それにすぐにでも温めてやらねば」
カナヲを着物の中に入れてやりながら無惨はそう言い、周囲の空を見回した。
そして少し離れた森の中から夜空へ上る一筋の煙を見つけた。
無惨と狛治は大急ぎで森の雪をかき分け進んだ。
すると目の前に篝火と鈴のついた縄が張り巡らされているのを見つけた。
夜闇の中、どこまでも縄は続いており途切れている場所を見つけることはできない。
「無惨様。これは?」
「分かりません。ですがこの先に人のいる証拠でしょう」
狛治はカナヲごと無惨を背負い、縄の結界を一気に飛び越えた。
すると縄の先の開けた地に、一軒の古家を発見した。
窓からは温かな灯の光が漏れ、竈から煙が立ち上っている。
「無惨様、人がお住まいのようです!」
「暖を頂けるといいのですが」
古家の戸を叩き、無惨は必死に呼びかけた。
「もし。もし。夜分に申し訳ありません。娘が熱を出してしまいました。どうか火に当たらせてください!」
こんな山奥で夜中に突然の訪問者は不審以外の何者でもない。
望みは薄いが、今も懐で震えるカナヲを一秒でも早く温かい場所へ届ける最短の方法に賭けないわけにはいかない。
「どうか、お願いします・・・お願い・・・します」
無惨の切実な声が向けられた戸が
その時、ガラガラと静かに開いた。
「どちら様だい? こんな夜更けに」
開いた戸から覗く少年の痣持ちの顔に、無惨は心から感動で震えた。
ありがとう。鬼の顔に現れたその想いをくみ取った少年は、無惨たちを家の中に招き入れた。
【平安コソコソ噂話】
今回の旅で休憩ポイントとして立ち寄った家は地元でも有名な仲良し大家族。
子供たちのほとんどが家を出てしまって、今は5人家族だ。
ちなみにカナヲと無惨、狛治を招き入れてくれた雪山の家は8人家族だぞ!