あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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別れたくない

「無惨様ッ!」

カナヲの叫びが雪山にこだました。

今まで彼女が生きてきて、ここまで大きな声を出したことは、産声を上げた時以来であろう。

「カナヲ」

落下したままの姿勢で、雪の地面にうずめていた顔をゴロリと向け、無惨は静かに笑った。

負っていた傷は鬼の自然回復力で徐々に癒え、元の彼の優しい顔へと戻っていた。

そのことにカナヲは心から安堵した。

 

『そうだ、炭治郎は?』

カナヲは彼女を庇った少年の姿を探した。

「ここだよぉ」

彼もまた無事であった。雪山に埋もれてはいたが、大きく手を振っている。

踏み固められていない積もった雪がクッションになっていたおかげだが、同時にその柔らかさのせいで脱出するのは少し大変であろう。

ハハと明るく笑う彼の顔に、カナヲも思わず小さな笑みを見せた。

 

 

本当に良かった。誰も死ななくて。

 

 

だがその瞬間、カナヲはハッとなった。

それは東の夜空の薄明り。

あと1分もしないうちに、日が昇る。

 

空の色から日の出の時刻を秒単位で把握するのは、鬼と共に暮らす日々の中、カナヲをはじめ多くの同居人には必須のスキル。

彼女自身、慣れなかった頃に無惨の指先を少し炙ってしまったことがある。

その時は無惨の口からギャッと小さな悲鳴が上がった。

痛いのだろう。苦しいのだろう。

昼間の日陰、その端に近づこうとするだけで、鬼の誰もがまるで断崖絶壁に近寄るように、すくんだ足を震わせているのをよく目にしてきた。

 

 

カナヲはすぐに周りを見回した。

ここは不運にも遮蔽物の無い雪原。森の中に隠れなければ、無惨の命が無い。

「無惨様、日の出が!」

「・・・ええ」

無惨の返事は弱々しく、どこか諦めの色が見えていた。

 

 

無惨の足には立ち上がる力も残されていなかった。

この雪の中、這って移動するにも上手くいくはずがない。

「私が背負います!」

カナヲは必死に無惨の許へ走り、腕を引き上げて入り込もうとした。

だが所詮は年頃の女子の体。万全の状態であればまだしも、熱に苦しみ弱った体では大の大人の体を易々と持ち上げられるものでない。

 

 

「炭治郎、助けて!」

自らの非力に絶望したカナヲの叫びが轟く。

その悲鳴に炭治郎も事態の深刻さを理解した。

 

思えば周囲に血と肉の散る惨状の中、今の無惨には何の傷も見られない。

不死の鬼であるという冗談を信じる他に説明がつかない。

であるならば、『日の下で生きられない』という言葉も真実であろう。

カナヲの偽りのない必死な形相もそれを物語っている。

 

炭治郎は雪を出ようと必死にもがいた。だが思いに体が追い付かない。

つい1秒前まで、このザマをどう笑い話にして弟たちに聞かせてやろうかと思っていたものが、どうしてこうも滑稽で悔しくて無力なことになろうかと。

「うあぁああああ!!!」

自らの弱さを呪う炭治郎の叫びが響く。

 

 

「どうすれば・・・」

助けを望むことはできない。炭治郎を救いに行く時間も無い。

自分が非力であるばかりに。

狛治や珠世なら、妓夫太郎がいてくれれば、助けられるのに・・・

 

打つ手がない。

カナヲは唇を噛んだ。

血の味が口の中に広がる。

 

「!?」

 

その時、カナヲは記憶の奥底に一つの答えを引き出した。

苦痛を伴う、罪な方法ではあるが、これ以外に道は無い。

 

「無惨様・・・ごめんなさい」

心臓を絞るような謝罪を口にしたカナヲは、無惨の腕をとると、その柔らかな肌に噛みついた。

嫌な感触であった。歯が喰い込み、ブシュッと鮮血が口の中に飛び込む。

カナヲはその温かな鉄の味をジュルと吸い、罪の意識と共に一気に飲み込んだ。

 

「カナヲ・・・あなた」

「鬼にしか、無惨様を助けることができない」

カナヲは思い出していた。

かつて妓夫太郎が無惨に噛みつき血を吸い、強引に鬼になったという話を。

 

カナヲは目をカッと見開き、無惨の体を持ち上げようと体中の力を込めた。

が・・・・

「カナヲ、貴女は鬼にはなりません」

無惨はそう優しく呟き、カナヲの頭に手を置いた。

 

 

「どう・・して」

「私の鬼の血は、この1000年で薄くなりました。鬼を生み出すことができないほどに。そうでなければ、私を喰った熊も鬼になっていましたから、貴女も喰われていましたよ」

打つ手がないことは、もうとうに無惨は確信していた。

森の影に逃げ込むことも。熊の下に潜り込むことも。それを可能とする力が残っていないことも。

日光から身を隠す術が、もう無い事を。

 

 

「カナヲ、顔を見せておくれ」

無惨の言葉に、カナヲは思わず首を横に振った。

それはまるで『最期にカナヲの顔を見たい』と言っているようなものではないか、と。

だが、無惨の望みを無下にすることもまた罪深く。

ジレンマの中でカナヲは無残と向き合った。

 

目から涙がボロボロとこぼれていた。

カナヲはずっと泣くことができなかった。

生まれ育った家では泣くと親に蹴飛ばされ、踏まれ、引き摺り回され、水に浸けられた。

 

今、本当の親よりも愛を注いでくれた無惨の前で、彼女は涙で無惨の顔が見えないほどに泣いている。

「せっかくの美人が台無しですよ」

無惨は力弱く震える手を必死で伸ばし、優しくカナヲの涙をぬぐった。

 

 

「カナヲ・・・皆さんに謝っておいてください。黙って先に発つことを」

無惨の遺言に、カナヲはブンブンと首を縦に振った。

言わないで欲しい。でも、悔いのないように言ってほしい。

矛盾する想いのまま、カナヲは無残を見つめ続けた。

「カナヲ。あなたは必ず幸せになれますよ。そしてできたら、自分の心のままに生きてください」

カナヲは素早くうなずいた。だが、自分の心に嘘をついたと思い直し、再びゆっくりとうなずいた。

その様子に無惨は安心した。

 

 

 

無惨は心が震えていた。

死ぬのは怖くない。日の光への恐怖心も、別れの寂しさに比べれば。

 

 

 

 

ただ

 

別れたくない。

 

 

 

カナヲの幸せを見届けたい。

全ての人の幸せを、この目で見届けたかった。

 

だがそれはあまりにも欲張りな話。

1000年という長い生をもって、己の役割などとうに終わっていた鬼の身に。

 

大丈夫だ。

無惨はそう自分に言い聞かせた。

カナヲも、伊之助も、炭治郎も。

今まで交わってきた全ての人たちの未来は・・・安心していい。

 

 

 

最後にカナヲとは笑顔で別れたい。

 

無惨は、日の光が背を焼く中、小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カナヲ・・・私、楽しかっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【平安コソコソ噂話】

次回 最終話

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