移ろって動いていき、ずっと晴れることはなく、ずっと雪が降り続けることもない。
そして幸せが壊れる時にはいつも血の匂いがする。
でもこの日はそんな日ではなかった。
竈門炭治郎は正月に妹や弟たちに腹いっぱい食べさせるため町で炭を売り、麓の家で一泊させてもらって今朝帰ってきたところだった。
「ただいま。遅くなってごめんよ。三郎爺さんの家に泊めてもらったんだ」
いつもの家。雪山の中にひっそりと建つ炭焼きの家。家族が皆起きている時間だから、家の中から賑やかな声が聞こえてきた。
炭治郎が戸をガラガラと開けると、いつもの家族の笑顔が「おかえり」と迎えてくれた。
「やぁ炭治郎。おかえり」
その見知らぬ男は家族の輪の中で姿勢正しく座っていた。
洒落た洋服を纏い。瞳は紅梅色。瞳孔が猫のように縦長。
少し変わった風貌ながらも、その男は家族の輪の中に溶け込んでいた。
そして、炭治郎にとって見知らぬ男であった。
「はぁ、はい・・・どちら様でしょうか?」
もしも竈門家に現れた無惨が無惨だったら
「ここは?」
その夜、鬼舞辻無惨は雪山の中で目を覚ました。
自身の置かれている状況に一瞬戸惑ったが、すぐに理解に至った。
「ここが人の彼岸。暗いですけど鬼の彼岸と違ってずいぶん雪が多い。寂しい景色ですが、我が家の周りみたいな場所ですね。そしてすごく寒い」
天の星の光に薄く照らされた木々に囲まれた雪山の中、無惨は心弾ませていた。
1000年前に人間から鬼へと変貌し、人の体に戻る方法を求め続け、人として死に至ることを楽しみに生きてきた男。
人としての生の最期は家族に囲まれた幸せな大往生であった。と彼は記憶している。
「うぅ、それにしてもこんな寒いところに縁壱さんもうたさんもいるのでしょうか?」
吹きすさぶ寒風に身を屈め、無惨は周りを見回した。
待ち詫びた死後の世界。想像していたのは自分を迎えに来てくれる家族の姿であったが、待てども誰かが近寄ってくれる気配は無い。
それどころか背後に建物の気配が感じられた。
「おや? ここはうたさんの家じゃないですか。なんだそういうことですか」
無惨は合点がいった。2人はこの生家にいるのだと。たしかに寒い中で待ってくれていては申し訳ない。流石は黄泉の国。気遣いができている、と。
「お邪魔します。縁壱さん、うたさん。私です。鬼舞辻無惨です。長い事お待たせしました」
戸を叩き中に呼びかける無惨。すると家の中から出迎えの声が聞こえてきた。
「はい、どちら様ですか?」
聞き覚えのある少女の声。だが彼の記憶にあるうたの声ではない。
『あれ? 私も歳ですかね』
無惨は違和感を覚えつつも勝手に納得して声の主が戸を開けてくれるのを笑顔で待った。
「おまたせしました。あら?」
「あら?」
少女と顔を合わせた無惨は呆気にとられた。
「禰豆子さん? あれ?」
そこにいたのはうたではなく、無惨の最期を看取ってくれた禰豆子であった。
てっきり自身が彼岸に旅立ったものだと思っていた無惨は、その勘違いに目を丸くした。
考えてみればうたの家は今の竈門一家の家と同じ。なるほど自分は寝ぼけて雪の夜に隣の家まで来てしまっていたのかと、無惨は頬を赤らめて納得した。
だがここで無惨は妙な事に気付いた。禰豆子が無惨の顔をまるで初対面の人でも相手してるかのような目で見ているからだ。
「はい?」
「あ、あの・・・禰豆子さん?」
「はい。えっとあのぉ、どこかでお会いしました?」
「え? 私ですよ。無惨、鬼舞辻無惨です」
「はい?」
禰豆子と会話が嚙み合わないことに無惨は首をかしげた。
同じように首をかしげる禰豆子は相変わらず『何処かであったことがあるような気もするけど、やっぱり記憶にない』といった表情だ。
そこでさらに無惨は少し違和感を覚えた。
禰豆子が少し幼く見えたからだ。普段から介護してくれている彼女と比べて、雰囲気も少し幼い感じもする。
「あ、あぁあぁ成程。申し訳ありません、知り合いとよく似ていましたのでつい」
無惨は合点がいった。この禰豆子は同姓同名の女の子なのだと。
地域性の問題で、禰豆子という名前はよくつけられているものだと納得した。
家の事も、似た家を自分の知る家だと勝手に勘違いしていたのだ、と。
夜中に寝ぼけて出歩いて、知らない家にたどり着いてしまった自身のボケっぷりに無惨はますます赤面した。
「申し訳ありません。つい迷って。夜分に申し訳ありません。すぐに出ます」
無惨は焦りながら外に飛び出した。瞬間、「寒ッ!」と寒風に身震いした。
「あのぉ、もしよければウチにどうぞ。外は寒いですから暖でもとっていってください」
同姓同名の見知らぬ禰豆子の優しい招き入れに、無惨は「ありがとうございます。本当に申し訳ありません」と平身低頭で家の中に入っていった。
「あら禰豆子。お客様?」
居間に入ると温かな囲炉裏を囲む6人家族が無惨を招き入れた。
見たことのある気がするけれども只そっくりなだけの顔並びに、無惨は心の中で苦笑いしながら「お邪魔します」と頭を下げた。
「姉ちゃん誰その人?」「こら茂。人を指さしちゃいけません」
窘められた下の子に無惨は「大丈夫ですよ」と笑顔を向けた。
「夜分遅くに失礼します。えっと、薬師をしております鬼舞辻無惨と申します」
無惨はその場で正座し、両手を床に揃えて頭を下げた。
「これは御丁寧に。竈門葵枝です。こちらは子供たちです」「竹雄です」「花子」「茂。こっちは六太」「私は禰豆子です。あとお兄ちゃんが今、外に出ていて」
母親をはじめ、兄弟たちと丁寧に挨拶を交わす無惨。
名前が全員一致しているが、やはり地域性なのだと無惨は解釈した。この並びで子供たちに名前を付ける風習があるのだろう、と。
それから竈門一家は無惨を丁重にもてなした。
「残り物で申し訳ありません。お口に合えばいいですが」
「いえいえ。それでは有難く頂戴させていただきます」
お腹の虫が鳴った無惨に、不在にしている長男の分の夕食が賄われた。美味しい芋煮がホッとする心地よさと共に無惨の胃に流れていく。
「何とお礼を申したら良いか。このご恩はいずれ必ず」
「そんなお構いなく。人が助け合うのは当たり前じゃないですか。でしたらもしいつか、鬼舞辻さんの前に困っている人が現れたら、今日の分はその人にお返しとして助けてあげてください」
助け合い。それは口にするだけなら簡単な話だ。
勿論、竈門家が無惨に手を差し伸べたのは『こんな冬の山に放り出すわけにはいかない』倫理的な理由もあるわけだが、それ以上にこの一家は人の幸せな笑顔が好きなのだ。
その温かい心が無惨に染みた。居心地がいい。いつまでもここにいたくなる、と。
「本当に何から何までありがとうございます」
夜には寝床を用意してもらえた。
最初無惨は断ったが、敷き終えた布団には家族が寄り添って入ってしまい、残された無惨が入らずに残す方が無作法という状況になってしまっていた。
「では、おやすみなさい」「おやすみなさい鬼舞辻さん」
こんな風に会ったばかりの人から施しを受けて、その家族と一緒に寝るのは何年振りだろうか。無惨は鼻孔をくすぐる懐かしさに布団の中で静かに微笑んでいた。
『そういえばあの時は、夜にクマが襲ってきましたね。あの頃は鬼の身体でしたから撃退できましたけど今は人の身。それに代償として足も不自由になってしまいました・・・あれ?』
無惨はこの時初めて自身の体の異変に気づいた。
鬼から人の体に戻った日に動かなくなった足で、さっきから自分は自由に歩いて座っているではないか。
『まさか・・・足が治ったのですか!? これはなんて素晴らしい。カナヲや狛治さんたちに見せたらどれだけ喜んでいただけるでしょう』
布団から飛び上がって喜びたい気持ちだった。だが大人げなく騒いで就寝中の恩人たちを起こすわけにいかない。無惨は静かに布団の中で、自分の脚を撫でて喜んだ。
『嗚呼、明日がこんなに楽しみになるなんて。なんて素敵な日でしょう。お腹が少し減りましたが、そんなのは気にならないですね』
この時、無惨は自身の腹の嘶きを覚えていた。それはかつて数百年生き埋めにされた日々の中で感じた飢餓感にも似た感覚であった。
我慢すればするほど苦痛になり、耐えれば耐えるほど眠れなくなる。
『やけに腹の虫がお元気ですね。こういう時は自己暗示が一番。私はお腹が減ってな~い減ってな~い減っていな~い』
無惨が自身の体に意識を向けると、その飢餓感は徐々に薄れていき満足して眠りにつくことができるようになった。
こうして夜は明けていき、朝が雪の薄曇りの中で顔を見せた。
家族そろって朝食を食べようということになり、彼を待つ間に無惨は囲炉裏の火おこしやらを手伝った。
「わぁ、鬼舞辻さん火起こすの上手」
「ふふっ。私の家のお隣さんも炭焼きのお家でして、そこの長男坊の直伝ですよ」
すっかり一家に馴染んだ無惨に竹雄や花子がくっついて離れなかった。
そんな中、家の玄関がガラガラと開く音が聞こえてきた。長男の帰宅である。
「おかえり」「おかえりお兄ちゃん」「やぁ炭治郎、おかえり」
帰宅した長男の顔を見るや、無惨の口は自然と慣れ親しんだ名前を呼んでいた。
直後に無惨はハッと気づいた。うっかりいつもの慣習に流されて、自分の娘婿の名前で呼んでしまっていたからだ。あまりにも雰囲気が似ていたせいで無意識のうちに口が開いてしまったのだ。
「はぁ、はい・・・どちら様でしょうか?」
当然の反応が返ってきた。
だが少し妙だったのが、一家が『あれ?』といった顔を見せたことだ。
「あっ、すみませんつい。私の知り合いと雰囲気がよく似ていましたので」
「その人もお兄ちゃんと同じ名前なの?」
無惨は目を丸くして「同じとおっしゃると?」とつぶやいた。
「うちのお兄ちゃん。竈門炭治郎」
「あらあら。それはそれは」
無惨は『なるほど』と心の中でうなずいた。自分の知る竈門一族はこの地域出身だったのかもしれない。『帰ったら聞いてみよう』と彼は考えた。
「禰豆子、こちらの方は?」
「自己紹介が遅れまして申し訳ありませんでした。私、薬師をしています、鬼舞辻無惨と申しま・・・」
その時、居間の戸がバンと勢いよく開けられた。
突然のことにその場にいた8人が驚き、音の方に顔を向けると、そこには見知らぬ男が立っていた。
風変わりな模様の羽織を身に纏い、その下に黒い制服を着こみ。
草履のまま家に押し入り、その手に刀を握り。
黒い髪と黒い瞳に怒りと驚愕、強い興奮と鋭い殺気を宿した男が、竈門一家と無惨の前に立った。
「聞こえたぞ。答えろ! 鬼舞辻無惨の名を何故口にしていた!」
【平安コソコソ噂話】
現象:きれいな無惨が原作第1話の無惨に憑依
能力:無惨(1)
中身:無惨(き)
内臓:人の血肉以外でも栄養補給可能な状態に無惨自身が無意識のうちに改造。今後も徐々に無意識改造