あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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猫の目とは、物事がめまぐるしく変化することのたとえ

「答えろ! 鬼舞辻無惨について何を知っている!」

鬼の形相で迫る謎の男を目の前に呆気にとられるばかりの竈門一家と鬼舞辻無惨。

その呆然とした様子に男も違和感を覚え、少しの沈黙に至った。

どうも切迫感が伝わらない。男はまるで自分の言っていることが場違いのような雰囲気を感じていた。

 

「あの、草履を脱いでいただいてもいいですか?」

炭治郎の指摘に家族の視線が男の足元に向かった。

雪道を歩いてきたであろう男の草履は雪と泥に包まれ、畳を汚してしまっていた。

「・・・そいつが鬼だな」

男は一家を見回した後、その視線を無惨に向けてつぶやいた。

警戒と憎悪の気配を露わに、隙の無い目つきで無惨を睨む男。

「いえ、だから草履を脱いでください」

炭治郎は語気を強めた。草履を脱ぐという一般常識の指摘を男に無視され、すこしムッとしていた。

他の家族や無惨も同感のようで、一様にウンウンとうなずいている。

「鬼が「草履を脱いでください!」」

有無を言わさぬ勢いで炭治郎は詰め寄った。

 

男は戸惑った。

この家に入る直前、彼は中から子供の声と“人食い鬼”の気配を感じ取っていた。

子供を守りながら如何にして鬼を討ち取るべきか考えを巡らせているところに聞こえてきた“鬼舞辻無惨”の名。

厳しい戦いへの覚悟を胸に乗り込んだ。

つもりであった。

だが今どういう状況に追い込まれているのか、男は理解が追い付かなかった。

 

「草履、脱いだ方がいいと思いますよ」

鬼からも子供と同じことを言われている。討つべき相手と守るべき相手から。しかも内容だけは至極まっとうな忠告だ。

しかし応じるわけにはいかない。鬼を前に履物を脱ぐ間の隙を見せては命取りになるからだ。無論それは己だけではなく、救うべき命の危機。

「草履は脱ごう。だがその前に教えろ。お前は鬼舞辻無惨を知っているのか?」

「はい私が鬼舞辻無惨です。そんなことより早く脱がないと畳の汚れが落ちなくなってしまいます」

男は耳を疑った。

鬼が自分の事を鬼舞辻無惨と呼んでいる。

しかも“そんなことより”? 畳の心配どころではないこの状況で?

 

男は瞬時に理解した。この鬼は鬼舞辻無惨ではない。そもそも理解するまでもない。絶対に無い。ありえないと断言できる。

1000年も鬼殺隊から隠れ続けてきた慎重な鬼の始祖が、嵐でもあれば容易に吹き飛ぶようなこんな古民家に住み着いているわけがないからだ。

となればこの鬼は鬼舞辻無惨を名乗っているだけの鬼。独特の気配を持つ・・・というより、鬼であることすら辛うじて感じ取れるかどうかの、一家に馴染みすぎている鬼だ。

 

「・・・・分かった」

男は渋々、求めに応じることにした。

無惨を名乗る鬼が睨む前で(見届けているが正解)履物から足を外す。

そして男が脱いだ草履を手に持つと、無惨は満足した様子で微笑んだ。

「ちょっとそこを失礼します」

男が草履を脱いだことを確認すると、炭治郎はその隣を通り抜け雑巾を手に戻ってきた。そして畳の泥を拭き取ると何食わぬ顔で元の席に戻っていった。

その間、無惨はただ座っていた。むしろその表情は『自分も何か手伝いましょう』とでも言いたげな顔であった。

 

「ところであなたは誰ですか? 鬼舞辻さんのお知り合いですか?」

「えっ? 私てっきり竈門家のお客さんかと思っていました。そういえば私をご存じなんですか? お兄さんはどちら様ですか?」

炭治郎と無惨の問いに男は目を丸くした。

この服装を見て。帯刀した日輪刀を見て。まるで本心から何者か分からない様子で、それを仮にも無惨を名乗る鬼が言うか? と。

 

「鬼殺隊。水柱、冨岡義勇」

これは冨岡にとって賭けであった。

この返答に対する無惨の反応を探ろうとしていた。もし鬼の正体を隠して人に擬態しているつもりなのであれば、この言葉に逆上して本性を現すだろう、と。

「・・・はぁ」

無反応どころか『何を言っているんですか?』というポカンとした表情を見せる無惨。

冨岡は今まで鬼殺隊であることも、柱であることも、告げて鬼に呆然とされたことは一度もない。全くの未経験。未知すぎる体験である。

 

「ひょっとして三郎爺さんが言っていた鬼狩り様?」

むしろ炭治郎のほうが覚えある様子だ。そして冨岡は三郎爺さんのことを存じ上げない。

「鬼ってなぁに?」

茂の問いに無惨は口を開いた。

「鬼というのはですね。日の光に当たると死んでしまう人間のことですよ。あと、怪我の治りが早くて歳をとりません」

無惨の気楽な答えに冨岡は歯噛みした。嘘は言っていないが、真っ先に自身の最大の弱点を吐露する鬼が何処にいる!? ここにいる! と。

「鬼は恐ろしい術を使い、人を襲い、人を不幸にする異形の化け物だ」

冨岡は恨みと怒りを滲ませながら吐き捨てるように言い放った。

我慢ができなかった。甘く見られたものだという怒りもあるが、それ以上に愛する家族や友人の仇と同類の鬼がこうも易く語る口が憎たらしい。

だが、眉を吊り上げた冨岡と目が合った無惨は目を潤ませ「そんなの妖怪じゃないですか」と悲しんでいた。

その顔を目にしてしまい、拍子抜けした冨岡は思わず膝を折った。

 

「2人の言ってることが真逆だけど。それで鬼舞辻さんはその鬼ってヤツなの?」

いまいち状況のチグハグさを覚えた竹雄が話に割って入ると、無惨は首をブンブン横に振った。

「いいえ。昔は鬼でしたけど、もう人に戻りましたよ」

「人に戻った? 何を言っている?」

キョトンとした表情でありえないことを語る無惨に、冨岡は目をカッと見開いた。

「とぼけたことを言うな! その鬼特有の瞳、俺を謀ろうとした所で無駄だ!」

冨岡の怒号に無惨が一瞬ビクッとする中、禰豆子と花子が「瞳?」「目?」と無惨の両目を覗き込んだ。

「鬼舞辻さんの目。猫みたい」「だね」

2人の言葉を冗談だと感じた無惨は「またまたぁ」と笑ったが、禰豆子が隣の部屋から持ってきた手鏡を渡されると目を丸くした。

「おや?」「ねっ」

無惨はそれから数秒ほど固まり、不意に顔を上げて小さく声を引きつらせてつぶやいた。

 

 

「どうしましょう。私、鬼に戻ってしまいました」

 

 




【平安コソコソ噂話】

畳の汚れは乾拭きが基本だ。水拭きは厳禁。気を付けよう!
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