「むーさんどうしたのかしら? 親しい方の訃報でもあったのかしら?」
蝶屋敷に招かれた鬼の禰豆子と無惨。その無惨が新聞を読んでからどうも様子がおかしい。
カナエは新聞を眺めてみたが特に気になるような記事は見当たらなかった。
理由を無惨に聞いても「お気になさらないでください」と答えるだけ。
「そうですか? ではまず禰豆子ちゃんにお部屋をご用意しますね」
屋敷の中で一番“日当たりの悪い”部屋が禰豆子にあてがわれた。
カーテンを閉じてしまうと真っ暗になってしまうが、田舎の家とか比べ物にならない立派な部屋であった。
「いいんですか? こんなに広いお部屋をいただいて」
「ええ。その代わり禰豆子ちゃんには屋敷のお手伝いをお願いしたいんだけどいいかしら? もちろんお日様に当たらない練習も兼ねてね」
カナエの頼みに禰豆子は「はい!」と元気よく返事をした。
一方で無惨は一人、顎に手を当て思慮にふけっていた。
『どういうことでしょうか? 私が日付を失念していた? いえ、明治天皇崩御の報せはよく覚えていますから、越した正月の数から考えても流石に呆けが過ぎます。なのにまるですべてが夢幻のように消えるなんて』
自身の認識との3年のずれ込み。その事実が揺るがないことを考えると、自分の認識が間違っていることは決定的。
『3年前といえば・・・私が人に戻った頃。竈門家の皆さんと出会った頃・・・まさか!?』
ハッとなった無惨は禰豆子の方を見た。
その容姿が3年前の、自身の知る竈門家と出会った頃の禰豆子の年頃と似ていることに気付いた時、無惨の中で何か点と点が結びつきはじめそうな感覚が走った。
「禰豆子さん。竈門禰豆子さん! 貴女の御住所をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「え? 住所? 町みたいに番地はないですけど」
勢いのままに尋ねた無惨に、禰豆子は若干驚きながらも竈門家の所在地を答えた。
そしてそれは無惨が知る竈門家の、そして無惨自身の住所と合致していた。
『まさか・・・そんな・・・』
無惨の中で1つの確信が得られた。
全ては夢幻。
人に戻ってから過ごした3年は、全て夢であったのだと。
『まさか・・・正夢を見ていたとでも?』
そう考えれば全てに納得がいく。
一昨日の竈門一家との出会いは無惨にとっては夢の中で出会ったものであるが、一家にとっては初対面。だからこその反応。
自身の体が人から鬼に戻ってしまったのではなく、最初から人に戻ってすらいなかった。
寝ぼけたどころの騒ぎではない。夢の中にどっぷりと浸かってしまい、本当のことだと壮大な勘違いをしていたのだ。
『それでも理解できないのがカナヲの反応。それにカナヲを保護したのがカナエさんとしのぶさんというのも・・・まさか』
無惨の顔は青ざめていった。
夢に浸っていたのは3年どころの話ではない。カナヲとの出会いすらも夢の話であり、無惨は3年前よりも前から長い間、夢見の中で呆けて過ごしていたことになる。
『ですが竈門家の方々と違って、私がカナヲに出会えたのは今日。正夢というわけではないのでしょうか? いや、出会うはずなのに出会えなかった?』
無惨の心は締めつけられた。
あくまで感覚でしかないが、無惨の記憶にある3年前のカナヲと比べて今日であったカナヲには活気が薄く見えた。
出会えなかったことで長い期間、カナヲは人売りから過酷な仕打ちを受けていたのではないか? あの日、救ってあげられていればカナヲはもっと幸せになっていたのではないか。
「失礼します」
その時、禰豆子の部屋の扉が開き、アオイとカナヲが大荷物を持って現れた。
「禰豆子さんにお布団と着替えを。むーさんには風柱様がお迎えに来られていました」
「これはこれは、ありがとうございます」
2人への応対のため、無惨の推考は中断された。
無惨が視線を向けると、カナヲは困惑の色が少し薄くなっていたものの、アオイの背に隠れるように身を引いた。
寂しさに似たものか、心臓の奥にチクりと痛みを覚える無惨。
だが思えば、出会った頃のカナヲはもっと感情の薄い子であった。その頃と比べれば今のカナヲは着実に感情豊かになってきている気がした。
この蝶屋敷での生活は無惨たちとの生活のように、愛情に包まれたものであることがわかる。
『それなら、これでいいのでしょう』
無惨は安堵を覚えていた。
カナヲはここで幸せに過ごしているのだ。無惨たちと出会わなかったとしても、彼女は幸せな未来に突き進みつつあるのが一番。
それだけで無惨は満足であった。
(勿論、自分の手でカナヲを幸せにしてあげたいという欲求もある。その寂しさが片隅にチラリと顔を出さないわけではない)
『ならば今、私に出来ることは』
答えは簡単だ。自分にできることをするだけ。
人の幸せを見ていたい。その欲求に素直になるだけ。
今までだってそうしてきた。これからもだ。
人を喰らう悪鬼の存在。今まで自分がのうのうと生きてきた横で起きていたという不幸の連鎖と向き合うこと。
それが延いてはカナヲの幸せにつながるかもしれない。
禰豆子を人間に戻すことも忘れてはならない。
自分が人に戻っていなかった。全てが夢であったとしても、竈門家やカナヲと出会えたのだから正夢であるかもしれない。人に戻ることも夢で終わるのではなく現実にできるかもしれない。
薄い希望を胸に、無惨は出発を決めた。
「・・・ところで、風柱様とはどなたですか?」
アオイとカナヲの案内で無惨は玄関で不死川と合流した。
「お館様からの指令だ。俺とアンタで鬼潜伏の可能性がある場所を回ることになった」
どこか覚悟を決めたような鋭い目つきの不死川に、無惨はそんな様子に気付きもせず「冨岡さんは?」と尋ねた。
「十二鬼月の情報があるわけでもねぇ場所に、わざわざ柱を2人もやる必要はねぇ。そもそも俺はアイツが嫌いだ」
「あらら、そうなんですね」
苦笑いする無惨に不死川は『そんなことより』と注意するように咳払いした。
「それよりアンタも気を引き締めてくれ。そりゃアンタに鬼を引き合わせるのが目的だが、鬼を討伐してこその鬼殺隊だ。優先順位は鬼に襲われている人の命。もしアンタが同族だとか騒ごうが、俺は迷わず鬼を斬る」
不死川の言葉に無惨は息を飲んで「分かりました」と腹を決めた。
その後、無惨の出発にはカナエやしのぶ、屋敷の少女たち、そして禰豆子が一堂に見送りに揃ってくれていた。
「むーさん、道中お日様には気を付けてくださいね」
鬼よりも太陽の方を心配するカナエに、無惨は「伊達に千も年を重ねていませんよ。心配ご無用です」と胸を叩いた。
「あ、あの鬼舞・・むーさん。どうかお気をつけて」
事情を伝えていない蝶屋敷の少女たちの前で下手に『鬼舞辻』の名を出さないほうが良いと念を押されていた禰豆子。言いなれない呼称にたどたどしさはあったが、その言葉には無惨を心から心配する気持ちが十分にこもっていた。
「お約束します。禰豆子さんのことは私が必ず人に戻してみせます。ですのでその日まで私が死ぬことはありませんよ」
後ろ髪引かれる思いを胸に分かれる無惨と禰豆子。
禰豆子の見送りは玄関先までであったが、傘をさして「いざ出発」と意気込んだ無惨の目の前に車が現れた。
「まさか鬼の居場所まで送っていただけるのですか? そんな丁重な扱いをしていただかなくても」
「別に手厚い送迎ってワケじゃねぇ。アンタの信頼はまだ確実じゃねぇからな。蝶屋敷の場所を把握されるわけにはいかねぇから、人里まで送るようにってお達しだ」
もっともな話であるが、信頼をされていないとこうも面と向かって言われると、無惨の心は地味に傷ついた。
「ところで我々はどのような鬼の所に向かっているのですか?」
真っ暗な車内に揺られながら尋ねた無惨に、不死川は顔に手を当てながら断言しにくそうに答えた。
「いや、鬼が“いるかもしれねぇ”っつう地域だ。鬼殺隊もいつも確実な情報で動けているわけじゃない。失踪や神隠し、妙な事件の情報を頼りにざっくりな。俺らが今向かっているのも、本来ならもっと下の隊士に行かせて様子見する予定だった森や山だ」
不死川の説明に納得しつつ、無惨は「森や山ですか?」と尋ねた。
無惨の想像では、人食い鬼というからには人のいる町や村にいるものだと思っていたからだ。(だが直後に『でもそうですね。討伐を恐れて山賊みたいに山に隠れている方が多いかもしれないですね』と無惨は自分自身で納得していた)
「ああ。例えば遭難しそうにもねぇ軽い山の割に、行ったっきり戻ってこねぇ旅人がちらほらいるっつう山をいくつか回る。今のとこは那田蜘蛛山、来葉峠、不動山の順に回る予定だ」
【平安コソコソ噂話】
正夢と予知夢は似ているけれど、正夢は夢で見たことがそのまま起きて、予知夢は未来を暗示するメッセージだけという違いがあるぞ!
どちらも人に話すと現実にならなくなってしまうらしいよ!