あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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夜の涙

悲しんでいる暇などない。大切なもの、守りたいものは誰にでもある。至極当然。

侵したのは奴だ。

排除しろ。奴も首を差し出すと言っていたではないか。

湧いた蟲を潰すようなもの。

“私”の力なら容易い。

 

 

無惨の心に何かが囁いていた。聞き間違うことのない自分の声であった。

怒りではない。遠い昔に置いてきた黒く暗い感情が誘っている。

語り口こそ共感を示しているが、その実は己の都合が優先されている。

それが無惨にとって何よりも辛かった。

琴葉と伊之助が殺された悲しみよりも遥かに明瞭に聞こえてきた声。

いつも耳を傾けているはずの自分の心の声が、今に限ってどんな感情よりも大きく膨れ上がっている現状。

悲しくて仕方がなかった。心の中が悲しみと声で隙間なく埋まり、余裕が無かった。

今すぐに倒れて、悲しみの床でのたうち回りたかった。

だがそんな暇は無い。

童磨の凶手が今、カナエとしのぶに迫っている。

 

「可愛い子だったらいいなぁって思ってたけど、嬉しいねぇ。でも悲しいなぁ。全力を尽くせずに死んじゃうのって可哀想だけど、時間が無いからゆっくりしてられないんだよ」

扇を手に迫る童磨。

無惨の血を飲み、無害な鬼となったはずの彼であるが、その言動には薄いながらも底の知れない殺気を溢れさせている。

とてもではないが更生を期待できない。人の敵である十二鬼月として戦う他に選択肢は無い。

カナエとしのぶは日輪刀を手に迎え撃とうとしていたが、その直前に異変を感じていた。

『寒い?』『体が重い』

冬夜の町に吹く風が一瞬のうちに底冷えしたと2人は感じた。

刀を握る指に、操る手に、振るう腕に鈍さを覚える。

得体のしれない何かが押し寄せ、身が芯から震える。

上弦の鬼と対峙している恐怖からか・・・童磨自身の鬼血術のせいか・・・

『来る!』

一瞬の出来事であった。全ての事象が刹那にでも前後していたら別の結果が生まれていたであろう。

迫る童磨の表情に一瞬の困惑が見られた。その背に無惨が手をかけていたからだ。

『むーさんに気を取られている!? 今!』

童磨の髪の毛ほどのわずかな油断が、カナエの日輪刀を先に童磨の首に到達させた。

「花の呼吸 陸ノ型 渦桃」「蟲の呼吸 蜻蛉ノ舞 複眼六角」

カナエの渾身の薙ぎと、直後にしのぶの突きが童磨の首と体を捉えた。

捉えた瞬間、2人の視界に何かの影が割って入った。そう2人は知覚した。

禍々しい触腕が1本、童磨から無惨へと・・・否、無惨から童磨へと延びているようであった。

「えっ? 無惨・・・様・・・」

童磨の言葉の意味をカナエとしのぶは理解できなかった。

だが事実は1つ。

童磨の首が斬ッと、その胴と分かれたことだ。

自身に起きた状況を信じられないまま宙を舞う童磨の首。同時にその体は塵となって崩れ落ちた。

 

数秒の静寂が訪れた。

冬風が“童磨だった塵”を吹き攫っていき、その場に残されたのはうずくまる無惨だけ。

カナエは目の前の光景を信じられなかった。

「わ・・・私たち、本当にやったの? 上弦の鬼を・・・弐を・・・!?」

上弦の鬼の討伐。それは鬼殺隊にとって100年ぶりの快挙である。

だがカナエには実感がなかった。

童磨の首を刈った一撃の感触に違和感が残ったからだ。

鬼の硬い体であることは間違いなかったが、とても上弦の鬼とは思えないほど軽い一薙ぎのうちに舞った首。カナエ一人の力で首狩りを成したとは考えられなかった。

考えられるとすれば、無惨との挟撃。

闇夜の暗さの中であったことと、カナエ自身の攻撃に集中していたため視認はしていなかったが、無惨が童磨の首を刈っていたのであれば説明がつく。

だが本当に無惨が? 刀も持たない彼が?

「むーさん? 大丈夫ですか?」

カナエの問いに無惨はうつむいたまま答えなかった。

不気味な雰囲気こそ感じなかったが、どうも様子がおかしい。

 

「う・・うぅ・・・」

苦しそうな唸り声が無惨の口から溢れていた。

カナエは咄嗟にしのぶを庇うように手を横に伸ばした。

「琴葉さん・・・伊之助・・・」

嗚咽と共に膝から崩れるように座り込む無惨。

「むーさん・・・その二人は御知り合いの・・・」

「ええ。家族です・・・もう一度会いたかった。2人の幸せな顔が見たかった。なのに・・・ぁああああああ」

無惨の悲痛な叫びにカナエは一瞬でも怪しんだ自分を悔やんだ。

温かくも悲しい涙であった。

無惨の瞳から零れるソレは、大切な家族を失った時の人間のもの。カナエとしのぶもかつて流した涙と同じもの。

カナエは優しく無惨の肩に手を置いた。

大きくも小さな背中。今すぐに消えてしまいそうな背中。

まもなく夜が明け始める。鬼である無惨を日から隠さなければならない。

だが今一瞬だけでも、この鬼の悲哀に浸る時間を邪魔してやりたくはない。

カナエは自らの蝶模様の外套を脱いで無惨に着せた。少しでも日から彼を守るために。

「むーさん・・・・今は・・・いえ・・・」

カナエは自分に言い聞かせた。

討伐の違和感には何か他の理由があっただけ。無惨に気を取られた童磨が偶然急所を曝け出していただけ。奇跡と呼べる角度で会心の一撃が入っただけ。そう考えるべきだと。

 

 

 

 

その後、十二鬼月・上弦の弐・童磨討伐の一報は鎹鴉によって本部へと報告された。

「カー! 胡蝶カナエ、胡蝶シノブ、ムーサンガ。上弦ノ弐ヲ討伐!」

もうすぐ朝日が昇るものの、誰もが闇夜と睡魔に抗うことも難しい刻。

そのけたたましい一報に産屋敷は飛び起きて歓喜した。

「よくやったカナエ! しのぶ! 百年もの間、覆すことができなかった戦況が覆った! 上弦の鬼はまだ5体いるとはいえ、その首1つは大きい!」

産屋敷は自身の心臓の高鳴りがこれほどに大きいものだと感じたことはなかった。

握る手に込もる力が満ち溢れる。高揚がそのまま活力に成る。爽快なほどに産屋敷は歓喜していた。

「上弦の弐が消えたとなれば、さすがに悪鬼・鬼舞辻も警戒を強めるだろう。下弦の累の音信が途絶えたことにかまってはくれまい。迎撃策は難しくなった。だがそもそもそれは眉唾な話。今は確実な成果を喜ばねば」

冷静な戦況分析を進めようにも、今の産屋敷は眠気すら興奮が打ち消すほどに落ち着いてはいられなかった。

これは“兆し”である。鬼殺隊の運命が大きく動く兆し。

そう心で豪語した産屋敷であったが、1つだけ気になることがあった。

 

 

「ところで、“ムーサン”とは何者だろうね?」

 




【平安コソコソ噂話】

むーさんという非公式呼称は発起人であるカナエ以外では鬼の家族と蝶屋敷の三姉妹と一部の隠が陰で呼んでいるくらいだ。
不死川やしのぶは断固として呼んでくれていない。
それ以外は良い無惨の存在を知っていても、その呼び名を聞いたこともないから意味を理解できるわけもなく。

結果、鬼殺隊での現在の「むーさん」呼称は浸透率1%だぞ!

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