夜は薬・毒の材料になる植物を探しに外へ。
昼はひたすら服薬・服毒摂取の日々。
ドクササコ、トリカブト、テングタケ、水芭蕉
ムキタケ、たらの芽、せり、蝉
あれから何年、この生活を続けているか無惨にも珠世にも分からない。
だが、最近では無惨も見ただけでそれが有毒の植物なのか、食用として美味しく食べることのできるものなのか判別できるようになっていた。
「では、行ってまいります」
「そのまま逃げないでくださいね」
今宵も無惨は野山を駆け回った。
近くの山を散策しつくしたため、最近は山を4つ越えた先に出向くこともあった。
この日は無惨は初めて、山を5つ越えてみた。
集落からはしばらく走った山の中でふと気づくと、こぢんまりした田んぼと畑がある場所に出た。
「おや?」
田んぼの中で桶を持った少女が一人、佇んでいた。
傍らには花札の耳飾りをつけ、額に燃えるような痣のある少年がいる。
2人とも、歳の頃は八にも届いていないであろう。
「このような日暮れに子供だけでは危ないですよ」
無惨が話しかけるが、子供たちの反応は薄い。
少女は相変わらず田んぼに立ち尽くし、少年は無惨の方を振り返り静かに口を開いた。
曰く、少女は流行り病で家族を失い、一人きりが寂しいため田んぼのおたまじゃくしを拾っているらしい。
そして少年もまた、無惨と同じように彼女の存在に気付き立ち止まった者で、少女とは初対面だそうだ。
少年が話し終えると、少女はゆっくりと優しくおたまじゃくしを田んぼに帰し始めた。
「連れて帰らないのか?」と少年が問う。
「親兄弟と引き離されるこの子たちが可哀想じゃ」
悲しげで、吹けば吹き飛ぶような儚い声で少女は答えた。
無惨にとっては道すがらに出会ったばかりの子供ではあったが、その腹に抱えた喪失感は想うに絶えられないほどに感じられた。
家族を失う体験をした者にしかわからない、蟲すら憐れむ心持ち。
『珠世さんも、こんなに悲しい背をしていたのか・・それを私は察することもできなかった』
自身の無力さに無惨は言葉が出なかった。
沈黙を破ったのは少年の静かな一言であった。
「じゃあ俺が一緒に帰ろう」
「「えっ?」」
少女と無惨の声が重なった。
『な、なんと大胆な・・・この齢で・・・』
いきなり家族宣言。無論、そこまで深い考えを持っているようではない口ぶりではあったが、少年は少女を支えると約束した。
そして少女は驚きの顔に涙を浮かべ、笑みに変わった。
「で、ではとりあえず、私が家に送りましょう。夜道は野盗やらが出て危ないですよ」
落ち着きのある少年、静かに微笑む少女。そんな中で唯一の大人である無惨が情けなくもあたふたと手間取りながら2人の護衛を務めた。
少女の家は田畑の近くの林の中であった。
古く質素な家であったが、よく使われた囲炉裏や手入れされた箪笥が、この家でどんな家族がどう過ごしたかを知らせてくれた。
仲の良い家族が平和に暮らしていた“残り香”が漂っているが、残された子供1人で暮らすには寂しく酷な家である。
台所を見るとしばらく手がついていない様子であった。家族を亡くしてから食事が喉を通らないといったところであろう。
少女の名は“うた”と言った。
黒曜石のような澄んだ瞳を持ち、よく透る声色でしゃべる、笑顔の似合う女の子であった。
人間、笑顔が戻れば体の感覚も戻る。お腹が空いていることも思い出す。
グーと大きく鳴った音に顔を染めるうた。無惨は手をパンと叩いた。
「ではしばらくお待ちください。私が何か採ってきましょう」
無惨はすっかり日の暮れた闇夜の森に入っていった。
半刻もしないうちに戻った彼の籠には茸・山菜が山ほど積まれていた。
「御台所を借りますよ」
包丁を手に茸をトトンと切っていく無惨。
台所にあった味噌からは変なにおいも無く、井戸水も綺麗なものが汲めた。
ふと、台所に立つ無惨の背に少年が声をかけた。
「あの・・・貴方様は一体、どのような方なのですか?」
「どのような?」
少年の問いかけに質問に意図が掴めない無惨は聞き返す。
「心臓が七つ、脳が五つある人にお会いするのは初めてだったので」
少年の一言に、無惨の頭はハテナで埋め尽くされた。
以前、珠世から『朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の生き物は?』と言われ、『化け物でしょうか?』と答えたことのある無惨。
子供の言葉遊びに優しく付き合ってあげようと頭を捻るが、食材を斬り終えるまで考え続けても答えが出て来なかった。
「降参です。それはどのような生き物なのですか?」
無惨の返答に、少年はジッと彼の体を見つめ、喉と両腕、右胸と臍のあたりを指さした。
指されるがままに無惨は自身の体に手を置くと、そこから鼓動が感じられた。
自身の心臓が、あるべき場所以外に複数存在することに、無惨はこの時初めて気づいた。
「し・・しらなかった・・このわたしが鬼だから? どおりでみんなとちょっとちがうかなーって」
無惨の毒気の無い呆けた顔に、うたは思わず吹き出していた。
「ふふふ。面白い方ですね、えっとぉ」
「あぁ。無惨と申します。鬼舞辻無惨です」
「俺も名乗っていませんでしたね。継国縁壱といいます」
かしこまって挨拶する縁壱に、後れをとった無惨も土間で膝をついた。
それから3人は食卓を囲んだ。
縁壱は不思議な少年であった。
身なりは簡素ながら、着物の布は上質。箸使いや食事作法も上品で、育ちの良さが出ている。
うたが褒めると、縁壱は自身の生い立ちを語り始めた。
縁壱は武家の出身で、後継ぎの双子の弟として生まれた。
この時代、双子は跡目争いの火種となるため、忌み子として不遇な扱いを受けるもの。
十になれば寺に預けられ出家するように言われていたが、母の死を機に逃げてきてしまったらしい。
「そうでしたか・・・御苦労なされたのですね」
「武士様のお家は生き辛いものですね」
「苦しいとは思いませんでした。優しい母と兄上がおりましたので」
そう呟きながら懐にしまった竹笛を撫でる縁壱は、それまでほとんど変わらなかった顔色を少しだけほころばせた。
「無惨様は。鬼のお家はどのような所なのですか?」
うたが無邪気に笑いながら問いかけた。鬼というものを冗談だと思っているようだ。
「たしかに、若い二人に語らせておいて大人がだんまりとは失礼ですね。お話ししますが、気味の悪いものかもしれません」
そう言うと無惨は息を深く吸ってから口を開いた。
無惨は語った。残酷な描写はぼやかしつつ、彼自身のこれまでを。
自身が人食い鬼であること。
贖罪のために生き埋めの刑を甘んじて受けたこと。
再び地上に戻った今、自身の生きる意味を探していること。
引き起こしてしまった悲劇を償うため、野山を駆けながら薬を探し求めていることを。
一通り話し終えた無惨はハッとなった。
子供相手に物ノ怪が何を語っているのだ?と。
自らの境遇を黙って聞いてもらう心地よさに溺れ、気の向くままに語ってしまった愚行を恥じた。
だが、2人の子供は逃げ出すこともなく無惨の話を大人しく聞いていた。
齢十にも満たぬ子を、無惨は生まれてこのかた数えるほどしか会ってはいないが、下手な大人よりも傾聴の姿勢を示してくれた2人に、鬼は深く感謝した。
「・・・珠世様という方。もう無惨様をお許しになってもいいと思います!」
その時、うたが叫ぶように言い放った。
その落雷のような唐突の叫びにビクッとなる無惨。一方で縁壱は地蔵の精のように微動だにせず座っていた。
「死なぬとはいえ、毒を喰らって苦しい想いをされるのは可哀想じゃ。せめてもっと、こう、何か優しく・・・」
「うたさん、お気持ちはありがたいのですが。私は珠世さんが鬼のままでいることのほうが身を裂くほどに辛いのですよ」
そう無惨は目を閉じて言ったが、うたは納得いかない様子。
「じゃが・・・分かりました。無惨様が言わぬなら私が言います! 珠世様を叱ってさしあげます!」
腕まくりして意気込むうた。
争いを好まない性格の無惨と縁壱はその威勢にオロオロと慌てふためいた。
「喧嘩をしに行くわけじゃありませんから安心してください。父も言っておりました。思い立ったが吉日と。さぁ無惨様」
こうして強引に押し切られるように、無惨はうたと縁壱を背負い、夜の野道を駆けた。
「もう戻ってきたのですか?」
庭に無惨の気配を感じ、戸を開けた珠世は、彼の背に抱えられた2人の童を見て目を細めた。
彼女は思い出していた。
人であった頃。親思いの我が子が健在であった頃。近所の奥様方との他愛の無い世間話。
「この間、子供が猫を拾ってきたのよ。飼いたい飼いたいと押し切られてね。結局、ウチの子になっちゃってね」、と。
『まさかそんな悶着を、鬼になった今になって体験するとは。しかも憎き仇で』
【平安コソコソ噂話】
きれいな無惨が毒を摂取すると、分解より先に吸収のほうが働くから、普通の人より短い時間・軽症にはなるけれども、しっかりと苦しむぞ