あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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拒絶

「では、いざ参らん吉原遊郭へ」

なんと言葉選びに配慮のない鬼だと睨む宇髄。そんな視線を気にしない無惨の様子に呆れを覚える愼寿郎。

柱2人と鬼が1体。奇妙な3つの影は夜の東京にあった。

「江戸に来たのは、実は初めてじゃないんですよ」

そう言って胸を張る無惨を、宇髄は「派手に面倒くせぇな」と隠すことも無く鬱陶しそうに睨んだ。

「いつまで平安生まれ設定を引きずってやがる? そもそも俺はテメェみたいな地味鬼なんざ信用してねぇ」

宇髄からの強めの悪言にいちいち胸を痛めていては身がもたないと無惨は理解していた。それでもその一言一言に眩暈を覚えた。

「鬼舞辻無惨、音柱。無駄口を叩くな。そろそろ耳に届くやもしれん。十二鬼月の縄張りに入る」

 

吉原に近づくにつれ、町の雰囲気が変わりつつあった。

男と女の見栄と欲、愛憎渦巻く夜の町。

豪華絢爛な遊郭に続く道には独特の興奮を宿らせた男たちが行き来している。

そんな男たちに紛れ、無惨たちは潜入することにしていた。

「確認しておく。この町に潜伏している鬼は上弦の鬼である可能性が高い。堕姫と妓夫太郎。“だっき”といえば妲己という古代中国の妖怪、女狐の妖怪がいる。妓夫太郎はよほど男の名前だろう。つまり男女の鬼が潜伏していると考えていいだろう」

「でもって吉原で女っつうと遊女以外には考えらんねぇ。花魁か遣手か花車か。いずれにせよいつもの鬼探しみたく日に当たろうとしない不審人物を探せばいい」

「私、“ぎゅうたろう”というのが気になっているんです。私の家族にも妓夫太郎さんという鬼がいました。よもやその方が・・・とは思いますが、累さんの件もあるので・・・」

無惨の深刻そうな顔に、宇髄は呆れたように「ド派手に阿保な悩みじゃねぇか」と指摘した。

「妓夫太郎な。それ、地味すぎるくらいに普通に遊郭の役職の名前だ」

宇髄の指摘に無惨は「はい?」と目を丸くした。

「妓夫。または妓夫太郎。もしくは若い者。遊女のお守りやら用心棒やら見世番やら、吉原の男衆の何でも屋だ」

そんなの常識だろ、と言わんばかりの顔の宇髄。愼寿郎は自分にとって初耳な常識であったがそれを表には出さずに、静かに無惨の肩に手を置いた。

「心配せずとも、お主の家族が何度も十二鬼月であるはずがなかろう。鬼であるとも限らんが、お主であればいつかは再会できると俺は思うぞ」

愼寿郎の言葉に深く頷く無惨。

「いざ参ろうか。鬼の潜む遊郭へ」

 

吉原に足を踏み入れた無惨たちは三手に分かれた。

十二鬼月が2体。確実に仕留めるために柱もしくは無惨を含めた2人組で1体の鬼を倒す。残る1名は残る片方の鬼の足止め役となる作戦だ。

鬼との遭遇時には鎹鴉を飛ばし連絡を取り合う。鎹鴉を持たない無惨には伝令役として、宇髄からムキムキねずみが貸し出されていた。

 

「ここに来るのは久しぶりですが・・・それにしても噎せ返りますね」

配属された北の領域を回る無惨は、遊郭独特の色の匂いに滅入っていた。

明るい表通りは人も多くその手の匂いも強いため、風の通り抜ける裏通りの比較的静かな闇の中を歩いた。

初めから無惨に諜報は期待されていない。その姿を餌に鬼を釣ることができればよし、という程度だ。

 

そしてその役はすぐに実った。

 

「無惨様!」

黄色い声が空の闇から聞こえてきた。その声に無惨はハッと顔を上げた。

「ま・・・まさか!」

無惨の瞳に期待の色が濃くなった。

心細く過ごしたこの十数日。いや、最後に会ったのは数十日前であるが、その声を何度聞きたいと願ったであろうか。

「梅さん!」

無惨の声に呼応するように、その女性は闇の中から姿を現し無惨の前にヒラリと舞い降り、頭を垂れて跪いた。

「無惨様、このような場所でお会いできるなんて思いもしませんでした」

恭しく無惨に拝礼する女性。だが無惨はその女性の姿に驚いた。

「そんなあられもない恰好。気を付けてください! 乳房が零れ出そうです!」

その身を隠す布の面積のあまりの少なさに、焦った無惨は自らの背広を脱ぎ女性に与えた。

女性は「無惨様から御召し物を頂くなんて」と感激しながら、素直に袖を通した。

そして前を留めると無惨の膝元へとすり寄り、恋する乙女のように無惨を上目づかいで見上げた。

「!?」

女性の瞳。そこに刻まれた上弦と陸の文字が無惨の目に入る。

「ま・・・まさか、堕姫というのは・・・」

「?? はい無惨様、何か私に?」

梅が堕姫であり、上弦の鬼である。この事実に無惨は心臓を荒縄で締め付けられたように心を痛めた。

累との再会とは違う。十二鬼月の悪行を知った上での再会。堕姫もまた例に漏れないのは間違いない。

だがそれ以上に、二度と会えないと覚悟していた鬼の家族との再会を喜んでいる自分に、無惨は罪悪感と歓喜の混沌を覚えていた。

「無惨様?」

黙ったまま虚ろの色を見せる無惨に堕姫は首を傾げた。

「いえ、気にしないでください。私も貴女に会えてとても嬉しく思います」

両肩に手を置いて話しかける無惨に、堕姫はその一言一言に陶酔した。

 

無惨は覚悟を決めて尋ねることにした。

「梅さん、貴女お一人ですか? 妓夫太郎さんはどちらに?」

堕姫が上弦の鬼である以上、その兄である妓夫太郎もまた当人である可能性が高い。

だが鬼でなければ当に寿命が尽きている妓夫太郎と、再会できることを望む心が無惨の中にはわずかにあった。

人を喰らう鬼。それであっても、もし会うことができれば・・・

「えっ? お兄ちゃんですか? すぐにお呼びいたします!」

堕姫は一瞬、梅と呼ばれたことに首を傾げながらも、二つ返事で気を集中させ始めた。

すると途端、その背からズズと1人の男が“這い出る”ように姿を現した。

鬼から鬼が分離するこの妖奇な光景、鬼殺隊の隊士であろうが鬼であろうが、間違いなくその目を疑う奇妙なもの。

だが無惨は真っ直ぐに、希望と覚悟の瞳で堕姫を見つめていた。

「妓夫太郎さん」

無惨は男の名を迷いなく呼んでいた。

「あ? あぁ、無惨様でしたか。これはとんだ御無礼を」

寝惚けた様子で気怠い声を上げた鬼、その瞳に上弦と陸を刻んだ妓夫太郎は、無惨の姿を確認するや姿勢を正した。

堕姫と妓夫太郎。二対の兄妹鬼。共に上弦の陸を瞳に刻む。吉原遊郭に潜む人喰い鬼。

だがそんな事実よりも何よりも、無惨はその衝動を抑えきれなかった。

 

「梅さん・・・妓夫太郎さん・・・」

無惨は言葉よりも早く、2体の鬼に飛びつくように抱擁していた。

「!?」「む、無惨様!?」

堕姫と妓夫太郎は驚愕していた。今まで鬼舞辻無惨がこのような行動に出た事など一度もない。威厳ある立ち振る舞い以外を想像すらできなかった。

だがそれでも堕姫と妓夫太郎は居心地の悪さを一切感じなかった。むしろ胸に溢れる温かみに自然と身をゆだねていた。

特に妓夫太郎は自身の醜悪な見た目を、こうも温かく抱きしめてくれる存在を信じられなかった。否、心の奥底で欲していた。そう思わずにはいられなかった。

「無惨様」

堕姫は自分の頬に伝う涙に気付いた。だがそれは自分自身のものではない。無惨の目から流れ出たものだ。彼女はその恐れ多い光景から思わず目を逸らした。だが同時に得も言われぬ尊さを感じていた。

 

「すみませんでした梅さん、妓夫太郎さん。見苦しい姿を見せてしまい」

落ち着きを取り戻した無惨が離れると、妓夫太郎と堕姫は姿勢を正したまま無惨と向き合った。

「そんなことはありません無惨様」

「それよりこんな下賤な場所に無惨様を、俺らが足止めしてしまい申し訳なく思います」

深く頭を下げる2鬼。だが両者ともに温かな気持ちと同時に大きな違和感を覚えていた。

「ところで差し出がましい事をお聞きしますが、先ほどから無惨様がおっしゃっている“梅”とは?」

梅と自身が呼ばれていることを不審がっていた堕姫の問いに、無惨は「貴女の本当の名前ですよ。人であった頃の」と即答した。

困惑は一瞬であった。

鬼としての名は鬼舞辻無惨から与えられた誇りある名前。それを否定されるのは不本意。

だがそんな問答をすること自体が失礼だと、一瞬のうちに考えを切り替えた堕姫は「梅です!」と元気よく返事した。

「それはそうと梅さん、妓夫太郎さん。お二人にお願いがあります。どうか何も言わず、私の血を飲んでください」

「え?」

困惑する堕姫と妓夫太郎。普段であれば考えられない話、鬼が無惨に血を分けてもらおうと懇願することはあれど、その逆は明らかな異常。

だが2鬼にとっては自身の違和感は全て小事。無惨の言う事を肯定することが全て。

「有難く」「頂戴します」

そう言って堕姫と妓夫太郎は、無惨が小刀で切った指から流れた血を両手で受け、すぐさま口に運んだ。

 

「あ、ああああああ!」

最初の異変は堕姫から始まった。それは無惨の血を大量に注がれた鬼が、血に適合する過程で味わう苦痛とは明らかに違う悲鳴。悲痛な叫びが堕姫から飛び出していた。

「梅!」「梅さん!」

妓夫太郎は無惨と共に叫んでいた。妓夫太郎もまた自身の異変に半ば気付きながら、堕姫を心配して叫んでいた。

「火ぃ! 火が、体に、ああああああ!」

「梅さん、まさか貴女まで!?」

堕姫の脳裏には生前の記憶、鬼に変貌する直前、生きながらにして焼かれた悪夢が蘇っていた。

無惨もまた堕姫の悪夢を容易に想像していた。そして悔やんでいた。夢の中とはいえ、彼女に地獄を味合わせてしまっていたことだけでも悲しいものが、それを現実の彼女もまた同じ悪夢を経験していたことが悲しくてたまらなかった。

「梅さん、大丈夫。私が付いています。あの悪いお侍ももういません」

無惨の胸に抱かれ、堕姫は体の震えをどうにかして抑えた。

「そうだろうが梅。無惨様がこんなにも庇護してくださる俺たちは果報者・・・」

その時、妓夫太郎は何かを察知し、何処からともなく鎌を取り出した。

 

「なんだなんだ。派手に2匹も釣れてるじゃねぇか」

闇の中から現れたのは宇髄であった。無惨が上弦の鬼と遭遇したことを、ムキムキねずみが報告に走っていたのだ。

「鬼狩りの、柱ってところか? クソの分際で頭が高けぇよなぁおい」

「不細工な鬼が何言ってやがるか知らねぇが、よくやった鬼舞辻無惨。人気のない場所におびき寄せたのはド派手に正解だ」

宇髄を睨んでいた妓夫太郎。だが宇髄の言葉に驚愕し目を白くさせた。

よくやった、とは? まるで内通していた者にかける言葉ではないか、と。

申し訳なさそうな顔をする無惨に、妓夫太郎は恐る恐る尋ねた。

「無惨・・・様・・・鬼狩りの戯言・・・ですよね?」

妓夫太郎の問いに堕姫もまた困惑しながら、自身を抱きしめる無惨を見上げた。

「申し訳ありません妓夫太郎さん、梅さん。本当の事を言わねばなりません。私は・・・貴方たちの知る鬼舞辻無惨ではありません」

ガランと鎌が落ちる音が闇の中に響いた。

「え? 無惨様は無惨様でしょ?」

「おいおいおい。俺らを騙して何をしようってんだ!?」

困惑する堕姫と妓夫太郎に、無惨は必死に訴えた。

「私がお二人を大事に思う気持ちは本当です。私は、お二人にこれ以上、人を喰うような真似をして欲しくない。お二人には人喰い鬼として生きるのではなく、私と一緒に人と共に暮らして欲しいのです!」

この物言いはあまりにも真っ直ぐであり、愚策であった。だが無惨は本心をぶつける他に道を知らなかった。

だが当然。それは土台無茶な話。

人の頃の記憶を取り戻したとて、堕姫と妓夫太郎は人であった頃の何倍もの時間を鬼舞辻無惨の配下であり、人を喰らう鬼として過ごしていたのだから。

 

 

「無惨様・・・え、でも、え?」

「堕姫、騙されんな。こいつは無惨様なんかじゃねぇ。いや、たとえ無惨様だとしても到底認められねぇなぁ。鬼をやめて人間と生きるだぁ? 奪われるだけの人生に戻れっつぅのか、あぁ!?」

 




【平安コソコソ噂話】
吉原遊郭への潜入に、当初は累も参加を希望していたぞ。
鬼の身体変化能力を活かして、大人の姿に変身すれば無惨と一緒に参加できるからだ。
だけど那田蜘蛛山での迎撃作戦から離れるわけにいかないから却下された。
それと、累自身も大人の体になるのが上手じゃなく、長い時間体を維持できなかったんだ。
そしてその大人化の困難さを、母蜘蛛に押し付けていたことにもショックを受けてしばらく立ち直れなかったらしいぞ!

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