あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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妓夫太郎の弱点

「妓夫太郎さん! 天元さん! やめてください! どうして御二人が刃を交えなければならないのですか!」

無惨の悲鳴を掻き消すように、妓夫太郎の鎌と宇髄の双刀が火花を散らす。

「邪魔すんな。テメェの指図なんざ受けねぇ」

「黙ってろ。俺は無惨様の命令にしか従わねぇ」

口を揃え戦う妓夫太郎と宇髄。その目に互いへの殺意が宿っていた。

「お兄ちゃん、無惨様の御命令なんだよ!」

「だから、そいつは違ぇんだろ!」

「でも無惨様は無惨様でしょ!」

堕姫の悲痛な叫びにも妓夫太郎は戦いを止めることはなかった。

それどころか妓夫太郎の動きは徐々に宇髄を圧倒し始めていた。

『これは・・・毒!?』

宇髄がかすり傷を負った途端、形勢が傾き始めたことから推理した無惨。

さらに妓夫太郎の鎌からは血液のような鎌の分身が飛び出し、宇髄を執拗に追いかけ始めたことで、無惨はますます絶望した。

『このままでは天元さんが・・・いや、それだけではない』

騒ぎが大きくなれば人が集まり、巻き込まれる可能性が高くなる。

妓夫太郎を止めなければならない。だが聞く耳を持たない妓夫太郎を止める術はない。

 

 

 

   殺せ

 

 

『まただ』

無惨の脳裏にその声は響いた。自分自身の心の声。甘く囁く不快な声が。

 

 

   殺せばいい。その者はお前の知る妓夫太郎ではないのだろう? 何を躊躇う必要がある。

 

 

心の声が無惨を誘う。事実ではあるが、耳を塞ぎたくなるほどに不快な正論。

胸を締め付ける思いに堕姫を抱く無惨の手に力が入る。

 

 

   お前の手で殺してやれば供養にもなる。放置すればお前の大事な大事な人間が死ぬぞ。

 

 

聞き入れたくもない。聞き入れるべきではない言葉。その全てが自分の本心であるかと思うとそれだけで吐き気がする。

無惨は拳を握りしめ、ワナワナと震わせ始めた。

 

 

   急げ。妓夫太郎の血鬼術は猛ど

  「はいちょっと静かにしてください!」

 

その時、無惨の顔が爆ぜた。

無惨が自らの拳で自らの顔面を殴りつけ、頭の声を強制的に黙らせたのだ。

その凄まじい衝撃に無惨の頭部は盛大に吹き飛び、堕姫は声にならない悲鳴を上げた。

「s・・みません梅さん。ですが頭がスッキリしました」

瞬く間に再生した無惨の頭部が堕姫に謝罪した。

そして無惨の目つきは見るからに変わっていた。心の声が止んだのだ。

決意を固めた瞳が、妓夫太郎を捉えていた。

 

その時、堕姫の横に1つの影が舞い降りた。

「待たせたな鬼舞辻無・・・っとぁ?」

駆けつけた愼寿郎。だがその瞬間には既に無惨は飛び出していた。

「妓夫太郎さん!」

妓夫太郎と宇髄の刃が交差する。その間隙に無惨は割って入った。

「なっ!?」

「むざ!?」

妓夫太郎を抱きしめる無惨。宇髄に向かっていた猛毒の刃が無惨に突き刺さる。

そして宇髄の刀が勢いそのままに、無惨と妓夫太郎の首を捉え、斬ッと刎ね飛ばした。

 

「なっ! テメェ馬鹿野郎が!」

妓夫太郎の体を無惨の体が抱き抱え、両者の頭部が並んで転がり落ちた。

「無惨様!」

堕姫の悲鳴が轟く。その彼女を一瞬、巻き込まれた遊女だと勘違いした愼寿郎は制止しようとしたが、その正体に気付くとすぐさま刀を振り下ろそうとした。

「愼寿郎さん! 待ってください!」

無惨の生首の叫びに手を止めた愼寿郎。

「みなさん待ってください。それに聞いてください!」

無惨の叫びに愼寿郎も宇髄も。そして妓夫太郎と堕姫も驚いた。

「テメェ、日輪刀で首を刎ねても死なねぇのか!?」

「慣れました。断首されたまま数百年は過ごしたので。それよりも妓夫太郎さんが! こんなことになるなんて!」

慣れとかそういう問題ではない。そう宇髄は心の中で思いながら、同様に体が消滅する気配のない妓夫太郎の異様さにも警戒した。

その妓夫太郎は平然とした様子で無惨に視線を向けずに冷汗を流していた。

「俺の身の心配よか、状況は最悪だ」

妓夫太郎の言う通り。その体は無惨に拘束され、首は宇髄の間合いの中。そして堕姫は愼寿郎に押さえられ、そもそもが無惨の命令により停止を選んでいた。

「アンタが俺の体を離してくれねぇから、梅が今から殺される」

「私がそんなことはさせません! 愼寿郎さん、そんなことをしてはいけませんよ!」

無惨の懇願に宇髄は呆れてため息をついた。

「上弦の鬼の討伐。千載一遇の機会をド派手に無駄にするとでも思ったのか?」

「・・・いや。お主がその鬼の体を取り押さえ続け、この娘鬼が大人しくしているのであれば、話だけでも聞いてやれんことはない」

愼寿郎の譲歩に宇髄は「正気か?」と苛立ちを露わにした。

「して鬼舞辻無惨よ。この2体の鬼が十二鬼月の堕姫と妓夫太郎であり、件の梅と妓夫太郎なのだろう? それをどうしろと?」

ギロリと油断なく威圧的な目で無惨の生首を睨む愼寿郎。

その気迫に圧され、脱出の隙を探ろうとしていた堕姫はそれを断念した。そして静かに無惨の動向を見守ることにした。

 

「私は梅さんと妓夫太郎さんと一緒に暮らしたい。2人を許してもらいたい」

「ド派手に阿保だな。この鬼どもがいったい何人の人間を食ってきたと思う? 死んで償わせる他にどうもこうもねぇんだよ」

宇髄の言い分に愼寿郎も頷く。それはあまりにも正論であった。

だが無惨はその目を真っ直ぐ見返した。

「人を喰った罪は確かに重いものです。ですが生き物は全て、人間ですら他の生き物の命を食って生きています。死して償えというならば、人だけでなく生き物は全て今すぐにでも首を吊らねばなりません」

「論点をド派手に飛躍させてんじゃねぇ。喰われた奴らが納得するとでも言うのか?」

「仇を殺せば溜飲が下がるのは生者の勝手な言い分です。それは亡くなった方々の代弁ではない。亡くなった方が怨みを抱いたまま死んでいったと決めつけているのと同義。死者の顔に泥を塗る行為です!」

息を荒げる無惨に、宇髄は気圧されていた。

「テメェ・・・仏門に入ったようなこと言いやがって」

「だが無惨よ。鬼の罪を今すぐ裁かぬ理屈は通ったとしよう。だが、当のこやつらが大人しくお主に下ってくれるわけではなかろう?」

愼寿郎の言う通り。堕姫はともかく妓夫太郎は未だに無惨への敵意を剥き出しにしていた。

その鋭い視線に刺される中、無惨は静かに妓夫太郎と梅の方を向いた。

「妓夫太郎さん、梅さん。どうか私と一緒に暮らしてください」

無惨の懇願に戸惑いを見せる堕姫。だが妓夫太郎は「何ふざけたことぬかしてやがる」とピシャリと拒絶した。

そこに譲歩の余地が無い事は人間である愼寿郎と宇髄の目から見ても明らか。

だが無惨の瞳には諦めの色が一切無かった。

「嫌です。来てください!」

語気を荒げる無惨に、妓夫太郎は「馬鹿なのかテメェは?」と呆れた声を吐いた。堕姫が「お兄ちゃん!」と眉を吊り上げるが、それでも妓夫太郎は曲がらなかった。

「テメェは鬼狩りの連中を知らねぇのか? 鬼が人を喰うからそいつらは俺らを殺そうっつう妄言を吐き続けてやがるんだ」

「妓夫太郎さんも梅さんも、もう人を喰わずとも済む体になっています。私の血を飲んだ鬼は人の食べ物を受け付ける体になりますから」

無惨の言葉に妓夫太郎は自身の具合の変化に気付いた。言われてみれば人の血肉を欲する気分にならないのだ。

「これは私の血鬼術です」

「あぁ? 厄介な能力喰らわせやがるなぁ。で、それが何だっつうんだ? テメェは無惨様じゃねぇ! テメェに俺らの何が分かる!」

「分かります!」

妓夫太郎の気迫に圧されるどころか、無惨は真っ向から食いつくように叫んだ。

「私は御二人のことは何でもわかります! 妓夫太郎さん、貴方は生まれてからずっと周りの人たちから蔑まれて、酷い扱いを受けてきた。この世の全ての罵詈雑言を浴びせられて。奪われる前に奪え、とお考えに至ったのも何ら歪んだ流れではないと誰もが思うほどに、苦しい生活をされていました」

己の過去を無惨に言い当てられ、妓夫太郎はたじろいだ。しかしその言葉に蔑責の念は無い。むしろ温かい同情の念が溢れていた。

「そんな中で貴方は梅さんを美しく育てました。御二人がいれば最強、私もそう思います。御二人だからこそ、環境に屈することなく胸を張って生きてこられた。私はその心の強さをいつだって尊敬していました」

無惨の言葉が妓夫太郎の胸に徐々に浸みていく。誰かに認められるために生きてきたことはない。妹と共に生きていければそれで十分。だが十分以上に何かが満たされていく感覚に、妓夫太郎はむず痒さにも似た熱さを感じていた。

「て・・・テメェがそれを何処で知ったのか知らねぇが・・・結局、梅は侍に焼かれた。俺たちは誰からも与えられなかった。与えられてもないのに奪われるのはもう二度と許せねぇ」

「私が与えます! お二人を二度と、悲しませない!」

「人間なんざに味方するテメェが、俺たちに何を与えるってんだ!?」

「それでも与えます! 私の全てを捧げます!」

無惨の力強い言葉に、妓夫太郎も堕姫も思わず息を飲んだ。

「私は自分の正体すらも分からない。何も分からない。それが何よりも不安で不安で仕方がない! ですがそんな私が、私自身よりも確信していることがあるんです! それが妓夫太郎さんと梅さんのこと! お二人が人と共に生きていける確信が、今の私には何よりも絶対なんです! 今の私には、それしかないんです!」

無惨は気付いていなかった。この頃には妓夫太郎の体から抵抗する力が抜けていたことに。

「妓夫太郎さん! 梅さん! 私と一緒にきてください! 私には、お二人が必要なんです! 貴方たちがいないと駄目なんです!」

妓夫太郎は誰かに必要とされたことはなかった。堕姫に、お前には俺が必要だとは何度も言った。だが本心から誰かに必要とされる実感から得られる心の温かみを、妓夫太郎は今初めて知った。

「無惨様・・・」

「なんで・・・テメェはそこまで俺らを・・・」

2鬼の目からは無意識のうちに涙が零れていた。温かな、血の通った涙だ。

「それは私の血鬼術のおかげです。愼寿郎さん、私の血鬼術の正体が今分かりました。夢を介して、これから出会う人の本質を知る能力です。夢の中と現実とで、煉獄家や竈門家、カナヲとの触れ合いに懐かしさを覚えた。それは夢の血鬼術によって相手の本当の姿を知っていたからです」

「相手の本質を知る血鬼術か・・・」

愼寿郎は薄らと納得を覚えながら、静かに息を吐いた。

「妓夫太郎さん、梅さん。私は貴方たちの良い所も悪い所も全部知っています。梅さんは器量がよく、人への気遣いができる方。たまに癇癪を起してしまいますが、悪い事をしたと気づけばすぐに謝ることができる腰の低さで、誰からも愛される心の持ち主です」

自らの質を褒められ、堕姫は少女が初めて恋に落ちた時のように頬を赤らめた。

「妓夫太郎さんは面倒見が良く、根気のある方。口が悪くて嫉妬しがちなところもありますが、それはそのまま相手の良い所を見抜く力。そして貴方は“家族”にゴネられると根負けしてしまう。今だって」

無惨に微笑みかけられた妓夫太郎からはすっかり毒気が抜かれていた。

その瞳からは大粒の涙が零れていた。鬼の涙ではない。誰が見ても人間の温かさを取り戻し、他人への尊敬を覚えた者の涙であった。

全てを語り終えた無惨に、堕姫もまた心からの敬愛を覚えていた。

宇髄は警戒こそ完全に解いていなかったが、鬼の心の陥落という信じられない光景に目を奪われていた。

 

だがこの光景を、愼寿郎だけは迷いのこもった厳しい目で睨んでいた。

「鬼舞辻無惨よ。お主はその者たちと歩むつもりか。だがそれは鬼の犠牲になった者とは相容れぬ道。分かっているのか? 鬼殺隊と袂を分かつ道になるやもしれんのだぞ」

 




【平安コソコソ噂話】

無惨は夢の血鬼術が本性を見抜く能力だという説明を、もしも愼寿郎や宇髄に真っ向から否定されたら、2人の恥ずかしい秘密の本性を暴露するつもりだったぞ!
だけどもちろん、無惨にそんな血鬼術は無いぞ!

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