あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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〈僕の名前は鬼山鬼次郎。ある日突然、人間だった頃の記憶が戻ったよ。だけど鬼だった頃に色んな悪い事をしたから罪悪感で胸が一杯なんだ。

そんな僕に朗報だよ。僕と同じように人の心を取り戻した鬼がたくさん集まっている『鬼の里』っていうところがあるんだ。

ここには平和がちゃんとあるんだ。みんなで助け合って暮らして、みんなで助け合って鬼だった頃と向き合っているよ。

『僕はみんなより酷いことをしてきたから、誰も分かってくれないよ』って悩んでいる鬼も安心してね。十二鬼月だった鬼も頑張って反省しているんだ。

鬼の里には、鬼殺隊のやさしいお兄さんとお姉さんが案内してくれるよ。

さぁみんなで新しい鬼の生活をはじめよう!〉

 

という宣伝文句を、藤襲山の鬼たちを介抱している間に考えていた無惨。

その披露にしのぶとカナエは渋い顔をした。

「いかがわしい宗教の勧誘みたい」

「それよりもむーさん、先にやるべきことが山積みですよ」

カナエの悲鳴にも似た警告に、妓夫太郎は身をのり出して喰ってかかった。

「あ? 無惨様に問題なんかねぇよ。どこに問題があるか言ってみろよ」

「衣食住を含めて全てですよ」

そう言い返したカナエの真剣な目に、妓夫太郎は反論できずにたじろいだ。

「鬼の里には私も賛成ですが、鬼の皆さんを受け入れる準備がこの山にはありません。闇雲に勧誘をしても、養う当てがなければ共倒れですよ」

人の心を取り戻した鬼、すなわち生きていく手段が人と同じになったということ。

この木と土ばかりの霧襲山に呼び寄せ、不自由すぎる生活を強いるのはあまりにも人の道理から外れた話であり、どの口が反省を促しているのかと笑い種である。

「カナエさんのおっしゃる通りです」

「私なら無惨様とご一緒ならたとえ土の上でも、座敷の上よりも居心地良く過ごせます!」

シュンと身を縮こませた無惨の背に抱き着く堕姫。だが即座に「あっ、でも無惨様を土の上なんかに・・・そんなの嫌!」と頭を抱えた。

「そうですね梅さん。まずは皆さんの居住の場を用意せねば」

そう言いながら周囲の平たい土地を見ながら、手で家の形を作り想像を膨らましていく無惨。

その姿をジトーっとした目でしのぶは見つめていた。

「気のせいでしょうか? 何か立派な家屋を想像しています? 建材を手に入れる前から?」

そうボヤくしのぶであったが、無惨は「よし」と呟くや否や近くの木に手をかけた。

「よっと」と軽い掛け声と共に持ち上げられた木。まるで雑草でも抜くように、無惨は木を引っこ抜いた。

カナエとしのぶは自分の目を疑った。人を遥かに勝る腕力を持つ鬼を今まで何度も目にしてきた彼女であったが・・・これは度が過ぎるのではないかと口をパクパクさせた。

「それと」と無惨は軽く呟いた。そして掴んだ木を裂いた。メリメリと音は鳴ったが、まるで羊羹でも切るような軽やかさで瞬く間に木材が出来上がっていく。

さらに無惨の両手が不気味な触手に変化したかと思うと、その木材を締め付け始め、まるで粘土細工のように木材は(強引に)引き延ばされていった。

木材に残ったわずかな歪みは触手についた鋭利な爪が鉋がけのように削っていき、瞬く間に板材へと変貌していった。

その間、わずか10秒。

「さすが無惨様」「そうか、こうやりゃあいいのか」

感心と尊敬を示す堕姫と妓夫太郎、以外は総じてポカンとこの光景を眺めるしかなかった。

カナエとしのぶに大工仕事の知識は無い。だが・・・建築資材がこのように出来上がるわけがないことは分かる。この山の木々は真っ直ぐに育っていないため建材に不向きなはずだということを、2人は無惨の前に角材の山が出来上がってから気付いた。

「では建てていきましょうか」

「合点承知」と袖をまくる上弦の陸。辛うじて下位の鬼たちもそれに続こうとしたが、妓夫太郎に「雑魚どもは邪魔なだけだ、あっち行ってろ」と邪険にされ、無惨からは「みなさん、今はお疲れでしょうから見学していてください。またそのうち皆さんのお力をお借りしたいと思います」と頼りを求められ、それに素直に応じた。

そんな中、意識が外に行ってしまったカナエは思い出していた。在りし日に母に見守られながら、木の枝を組み上げて遊んだ光景を。

まさにその時の光景なのだ。角材が小枝のように軽々と、ヒョイと持ち上げられていく様は。

『そういえば釘はどうしているのかしら?』

そんなことを疑問に思った頃には、既に立派な小屋が出来上がっていた。頑丈な造りで。

 

「住はこの調子で良さそうですね。あとは」

無惨の言っていることは正しい。ただカナエたちが想定していた問題解決速度ではない。

「衣と食ですね。これに関してはどうしても山では賄えないのでお金の話になってきます」

そう言うとカナエは苦い顔を見せながら地面に数字を羅列していった。

「むーさんの、乙のお給料ですと今いる鬼の方々だけを養ったとしても、どうにか切り詰めなければ赤字になってしまうんです」

数字とにらめっこするカナエに、鬼の中からは「きのと?」と首を傾げる声があがった。

「鬼殺隊の階級よ。乙は上から2番目、柱の階級である甲の1つ下。異例の処遇ね」

しのぶの説明に鬼たちは「そうなんだぁ。無惨様も鬼狩りからお給料を頂いているんだぁ」と関心を示した。

「あ゛? 上から2番目で、この程度の人数も養えねぇチンケな給料しか出ねぇのか? ケチくせぇな」

「そうよそうよ! それに無惨様がアンタらより下ってのも納得いかないわ! アンタらが柱なら無惨様は塔よ、塔!」

喰ってかかる妓夫太郎と堕姫。それを止める無惨。最初の頃は怯えていた鬼たちも、この恒例に慣れてきていた。

「いずれにせよ我々は自分たちの手で稼がなければ。いつまでも鬼殺隊のお世話になっていては自立できません」

「そうですね。それにいざという時に困ってしまいます」

無惨に応じたカナエの言葉に一瞬、不穏が漂った。いざという時・・・それが鬼たちの居場所が再び失われることなのではないかと、誰もが不安を覚えたからだ。

「い・・・今はそれよりも、どうやって生計を立てていこうかを考えましょう。ねぇ? 誰かいい案はありませんか?」

気を遣った無惨が話題を振る。が、その場にいた鬼たちは皆が元は子供であったり、生産業に従事したことのない者ばかり。

ますます沈黙が漂ってしまった。

「ま、まぁしばらくは私も支援させていただきます。だって頂いたむーさんの血のお礼の分もありますから」

「そ、そうよ。無惨様の血なんだから高いわよ!」

「はい。その辺りは勉強させていただきます」

カナエと堕姫の努力が感じられる風が、どうにか空気を押し流した。

 

元より先の見えない暗黒の道。

そこにわずかにでも光を刺さんとするのが無惨の道。

無惨たちの道は始まったばかり。

だが前途はそう暗くはなかった。

 

鬼の里にとって、やはり無惨の存在は大きいものであった。

柔らかな物腰と温和な性格で、どの鬼も人間であった頃に覚えた母の心地よさを思い出していた。

さらに精神的支柱だけはなく、生活基盤開拓の要でもあった。

「これでも棟梁と呼ばれていた頃があったんですよ」

とにかく家を建てるのが早くて上手い。鬼であるが故に必要な遮光も完璧に、隙間なく壁を作り上げていく。しかも1軒あたり数刻で。

 

「これでも板前と呼ばれていた頃があったんですよ」

さすがに食材は山では調達できないため隠に買ってきてもらっていたが、目利きのできる者は少ない。それでも無惨は全て美味しく料理した。特に煮物が上手であった。

「無惨様は男前です」

これは堕姫の言葉だ。ひねりがない。

 

「これでも千両百姓と呼ばれていた頃があったんですよ」

開墾が早いは想像に易い。無論、畑仕事は夜の間にしかできないが。

それよりも誰もが驚いたのは、無惨が喜んで土や泥にまみれていったことだ。

最初は「そんなのコイツらにやらせればいいじゃない」と言っていた堕姫が、「着物が汚れてしまったら、洗ってあげますね」の一言で篭絡し、今では自由自在に伸びて動く帯布を積極的に使って畑仕事をしている。

 

堕姫は染まりやすい性格であった。そのことは妓夫太郎が昔から考えていたことだ。

周りの環境さえ良ければ、気立ての良い上品な娘に育っていただろう、と。

その通り、無惨が鬼たちと接するのを間近で見てきたこともあり、堕姫が鬼たちと接する様式も無惨に影響されていった。無惨の色に染まっていった。

どうすると無惨が喜ぶか。が、どうすると鬼が喜ぶか。に、自然と身についていった。

 

 

「無惨様、少しよろしいでしょうか?」

ある朝、無惨の小屋に堕姫が姿を現した。この頃には1鬼に1軒の小屋が用意できていた。

「梅さん、どうされましたか?」

机に向かって書をしたためていた無惨は、そう言って静かに筆を置いて振り返った。

「無惨様・・・私、自分でも上手に言葉にできなくて・・・ご迷惑おかけしてしまいますが・・・」

口を濁し、言葉を選ぶのに苦戦している堕姫であったが、無惨はその迷いの時間に笑顔を絶やさず付き合った。

「私、最近変なんです。何と申し上げればいいか・・・こう胸の奥の辺りがストンと落ちていくような」

そう言って自分の心臓を抑える堕姫。無惨は真剣な笑みを向けたまま、その言葉に黙って耳を傾けた。

「みんながね、ご飯食べて喜んだり、仕事手伝わせたり・・・無惨様にも喜んでいただけるから私も嬉しいですけど・・・時々、フワッとするんです。日の光に近づいた時みたいに・・・ちょっと違うかもしれませんが」

自分の中の正体不明な症状に戸惑いを見せる堕姫。

無惨はその気持ちの正体を知っていた。

 

それは漠然とした不安。

初めて知った人間の幸せな生活。

妓夫太郎と共に生きてきた中で、実兄であるからこそ当たり前に抱いていた感情であるが、それを全くの他者と共有する気持ち良さ。

その当たり前を体験したからこそ、その大切さが徐々に分かってきた。

だからこそ余計に、今まで自分が鬼として命を奪ってきた人間たちにも、そのかけがえのない人生があったことを漠然と察し始めてきたのだ。

自分が何を奪ってきたのか、湧いてこなかった実感が徐々に。

しかし、それを認めてしまうことは恐怖であった。

今の堕姫の心では向き合いきれない感情であり、心が無意識のうちにその恐怖から目を逸らせていた。

 

それは無惨が彼女たちに望んでいた、反省という道であった。

だが道はまだ一歩目ほど。堕姫自身が自らの足で歩んでいかなければならない道。

だからこそ無惨は黙って堕姫の話を傾聴し続けた。

いつか彼女が自分の力で、そこに到達できると信じながら。

 

 

その一方で、それを表に出さない妓夫太郎もまた同じ道を歩み始めていたことを、無惨はまだ知らなかった。

 




【平安コソコソ噂話】

鬼の里には現時点で、無惨と妓夫太郎、堕姫の他に手鬼と3体の鬼がいるぞ。
あとは交代制で常駐している隊士が2名、隠が3名。
一応主な任務は鬼の監視ではあるけれど、それぞれ人里に行って物資を調達したり、近くの川から水を汲んだりと、鬼たちの生活の補助をしてくれているぞ。
もちろん本部には内緒という名の公認だ!

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