それは鬼の里が開村してから幾月経ったある夜のことであった。
「幾十年ぶりか。よもや因縁深いこの地に足を踏み入れるとはな」
季節外れの藤の花が咲き乱れる山へと続く道に、その男は立っていた。
その者は訳あってこの藤襲山に“呼びつけられた”身であった。
白髪の老人であることは誰にでも一目で理解できる。曲がっていない背筋から、一般年齢不相応の健康さが見て取れる。背格好こそ並みであるが、その佇まいには隙が無い。
だがそれ以上に目を引くのは、その男の顔にかけられた天狗面であろう。
街中であれば、ある意味で鬼よりも異様な存在。
「変なおじいちゃんが来た」
鬼たちのざわめきが森に伝播していく中、その者は周囲を見回しながら困惑していた。
「これが鬼の里か」
夜の森に似つかわしくない喧騒がそこにはあった。
つい最近まで荒廃した山であったはずが、舗装され石畳が敷かれた道が続いている。
その上を鬼たちが和気藹々と行きかっていた。
開けた場所に出ると、そこはもう森の中ではなく町であった。
片田舎の繁華街といった雰囲気が似つかわしいだろう。全ての建物が北向きに入り口を構え、建物同士が影を作るように隙間なく密集している。店ではなく人家・・・いや、鬼家ではあるが。
「後藤さん。こんばんは」
「あっ、どうもです」
天狗面の老人を案内する隠に親し気に挨拶を交わす鬼も、老人の姿にギョッとしながらもしっかりとお辞儀する礼節をわきまえていた。
「あの、そちらの方は?」
「こちらは元・水柱の鱗滝左近次様です。今は育手をされていて、現・水柱、冨岡義勇様を育てられた方です」
隠に紹介された鱗滝は会釈し、「こちらは?」と問い返した。
「申し遅れました。私は鬼舞辻無惨と申します」
腰を抜かした鱗滝は無惨の手を借りてようやく立ち上がったが、それでもしばらくはお面越しに分かるほど困惑を隠せていなかった。
「冨岡さんの御師匠様でしたか。道理で佇まいが整ってらっしゃるわけですね」
無惨の手放しの賞賛に、鱗滝は首を重く横に振った。
「ワシなんぞ大した育手ではない。育てた子供らを多く殺してきた。そう、この山でな」
そう言って木々の闇を眺める鱗滝に、想いを汲み取った無惨は沈黙を添えた。
「して・・・鬼舞辻殿。あれは?」
鱗滝の指さした先、そこには周りの建物と比べても特に整った石塔が立っていた。
周りには花や供え物が並べられ、町の方ではなく山の外に向いて建てられている。
「あれは慰霊碑です。皆で一緒に建てました」
ここにいる鬼のほとんどは無惨の血を搭載した新・日輪刀によって無害化し、隊士たちに紹介されて里に集まっていた。(一部、隊士たちの現場判断でやむを得ず処された鬼もいたが)
その鬼たちは里で生活する中で、皆が自然と口にしていた。自分が殺してしまった家族や人々を追悼したい、と。
その願いに添うため、藤襲山には四方八方に向けた慰霊碑がいくつも建てられていた。どの方向でも死者たちに想いを届けられるように。
説明を聞いた鱗滝は静かに「そうか」と呟いた。
「ところで鱗滝さんは何か御用があって参られたのですか?」
「呼びつけられたのだ。この山にいる妓夫太郎という鬼にな」
鱗滝の答えに、無惨の脳裏に『喧嘩。昔の因縁。果たし状』などの不吉な文字が浮かび、無惨は先手を取らんと素早く頭を下げた。
「さ、最初に言っておきます! 妓夫太郎さんは意地悪な鬼ではありません! 心の中ではきっと、鱗滝さんと友達になりたいと思っています!」
無惨の必死の弁明が空振りしていることに苦笑いする鱗滝。
「無惨様、俺の心を妄想しないでください」
そこに現れた妓夫太郎。その眼前に無惨は即座に回り込んで両手を広げた。
だが・・・というよりも当然、妓夫太郎に鱗滝への敵対心は無い。それどころか彼の背には小さな子供の鬼が立っていた。
「その爺さんに用があるのはコイツのほうですぜ」
その子供の鬼は最近、妓夫太郎に懐いている姿を無惨はよく見ていた。手を繋ぎ、時折「兄ちゃん」と間違えて呼ばれ、それを十二鬼月・妓夫太郎は嫌がらないという奇妙な光景。
今も子供の鬼は緊張した表情で鱗滝の方を見ながら、妓夫太郎の背に隠れたままであった。
「大丈夫だ。俺が付いててやるっつっただろうが?」
そう言って妓夫太郎は子供の鬼の背を押して鱗滝の前にやった。
「あ・・・あの・・・」
声を震わせる子供の鬼に、鱗滝は静かに膝をついて優しく視線の高さを合わせた。
「う・・鱗滝さ゛ん・・・ごめんなさ゛い!」
震える声が涙と鼻水で乱れていた。心を振り絞った謝罪は精一杯と限界を知らせていた。
「大丈夫だ。ゆっくりと話しなさい」
涙の理由を無惨は知らなかった。だが、同じく事情を知るはずのない鱗滝は何かを察しているようであった。
「成程・・・そうであったか」
外では落ち着いて話ができないだろうと、無惨が部屋に鱗滝たちを招いていた。
子供の鬼がようやく落ち着きを取り戻し全てを語った後、鱗滝は静かに息を吐いた。
曰く子供の鬼は江戸時代、鱗滝の手によって捕らえられ、以来この藤襲山の選別で生き残り続けてきた。
そして捕らえられた恨みから、鱗滝が育ててきた隊士候補ばかりを狙い、その命を奪ってきたのだ。
全てを思い出し、自身の犯してきた悪行に心が潰されていた。
鬼として生きてきた年月は数十年であるが、その心は鬼へと変わる前の子供のまま。
正面から向き合って鱗滝に謝罪する勇気が出ずに悩み続けていた。
そこで仲良くなる中で事情を知った妓夫太郎がいざという時の盾となる約束をして、この対面へと至ったのだ。
「よく勇気を振り絞ってくれた。お陰でワシも長年の霧が晴れた。ありがとう」
鱗滝は一切の怨みも怒りも見せることなく、子供の鬼に頭を下げて感謝した。そこでようやく子供の鬼に初めて、屈託のない人の子のような笑顔が戻った。
「まぁ元はと言やぁ、テメェら鬼狩りが全部悪いんだろ? ガキどもをこんな山に閉じ込めてよぉ」
相手の落ち度にすかさず入り込み胸ぐらを掴むような妓夫太郎の態度に、無惨は「これ」と小さく苦言を呈した。だが鱗滝もまた「お主の言う通りやもしれん」と賛同を見せた。
「この山を選別の場所として運用するにあたり、鬼殺隊が管理を怠ってきたツケだ。本来であれば人を2~3人しか喰っておらん鬼だけを試練として想定しておったが、この子のような存在は規格外。遭遇してしまえば候補生に生き残る道は消えてしまう。当初の選別の目的に則しておらん状況が放置されていたのだ」
そう言って鱗滝は悲しそうに背を丸めて茶を啜った。
「しかし、厄除の面がむしろ厄を呼び寄せておったとは。鍛え送り出してきた子供たちの力が及ばないのかと嘆いていたワシも、何故そのことに気付かなかった。マヌケな話よ」
頭を抱える鱗滝に、子供の鬼は「ごめんなさい」と声と体を小さくした。
「謝るべきはワシのほうだ。いや、そう考えることになるとは思ってもみなんだが」
そう言って鱗滝は無惨の方に目を向け、黙ったまま頭を下げた。
「無惨様、そろそろ夜が明けます」
静かな贖罪の時間ながらも、居心地の悪くない時が流れれば時間の経つのは忘れるもの。それは人も鬼も同じ。
「そうでしたか。教えていただきありがとうございます。ではそろそろ」
そう言って手を合わせた無惨。それに合わせるように昇陽を告げに来た鬼はいそいそと荷を開け始めた。
「鱗滝さん、是非とも朝ごはんを召し上がっていってください」
てっきり鬼の弱点である朝日への対応に走るものだと思っていた鱗滝は、予想外の朝食の提案に目を丸くした。
「では、言葉に甘えるとしよう」
鬼が用意する食事。毒が盛られている可能性は、この甘ったるい空気の中ではありえない。
鱗滝にとってはむしろ興味がそそられた。鬼が普段、どんなものを食べているのか。
「では、いただきましょう」
湯が沸いた頃、目の前に並べられた箱が一斉に開けられた。
そこに広がる光景に、鱗滝は愕然とした。
『・・・土塊か?』
そこにあったのは形容しがたい粉の塊。否、色鮮やかな粉の塊であった。
土というよりも砂。そんな質感である。
なんと貧相なものか。せめてもの救いは香しく旨そうな臭いがすることだけ。
「む? 納豆もあるのか?」
箱の端のほうに原型をしっかりととどめた納豆があることに、鱗滝は匂いでようやく気付いた。
巷ではよく食べられている納豆が、鼻が利く鱗滝はあまり得意ではなかったが、この納豆は特有の匂いがキツくなかった。これならば自分を含め、苦手な人でも食べられそうだと思った。
実際、真っ先に手を伸ばし、口にしてみると味は濃厚でありながら臭わない。上品な料理の一員と言える代物であった。
「これは美味いな。ここで作ったのか?」
「血鬼術で作った納豆だ」
妓夫太郎の薄ら笑みの答えに、鱗滝は思わず箸を止めた。
「・・・鬼ならばよいのかもしれんが・・・人間の体に害はないのか?」
「ケケケ。触れたものを腐らせる血気術を使える奴がいるんだよなぁ。そのまま喰えば体ん中から腐るな」
してやったりの笑みを浮かべる妓夫太郎に、無惨は「意地悪はいけません」と口を尖らせた。
「もちろん害はありませんよ。この納豆は豆を程よく術にかけて、それから日光に当てて血鬼術を浄化させたものになります。おかげで味は抜群、なのに臭わない。試行錯誤の末に出来上がった、鬼の里の名物なんです!」
笑顔で話す無惨の言葉に嘘は感じられない。
たしかに血鬼術の効能は鬼の体と同様に日光の下では消滅するもの。道理は理解できる。
だが、鱗滝もまた料理を得意としているが・・・汁気を飛ばすという言葉のような感覚で血鬼術を飛ばすという表現が存在するとは思ってもみなかった。
「まさかこの土塊も、何かしてあるのか?」
そう言って鱗滝が指さした塊に、無惨は笑顔で湯を注ぎ始めた。
するとたちまち、その塊は水気を取り戻したことで元の姿へと。味噌汁や炊き立ての飯、おかずの数々へと変化していった。
「水を出す血鬼術を使える方がいるんです。その水で調理をして、出来上がったものを同じように日の光に当てると、血鬼術で出した水なので消えてしまいます。一見すると水気が無くなって砂のようになりますが、そこに湯をかけると元に戻るんですよ。しかも味が濃くなって美味しくなるんです」
そう言って無惨が渡した味噌汁に口を付ける鱗滝。たしかに今まで食べてきたどの味噌汁よりも味わいが濃く、美味い。
「お湯をかけるだけで、いつでもどこでも出来立てのおいしさ。しかも水気が無い分、重さが軽くなるので持ち運びにも便利。まだ試しているところですが、長持ちもするかもしれません」
笑顔で語る無惨に、子供の鬼も「鬼の里の資金源!」と笑顔で付け加えた。
鱗滝は目を丸くしながらも安心を覚えた。
千年にもわたり、鬼殺隊や人々を苦しめ、その命を奪ってきた血鬼術。憎むべき術によもやこのような使い方が存在するとは。
「他にも皆さんが術や得意を活かしているので、里がどんどん栄えています。最近ですと鬼殺隊の方々からではなく、噂を聞いて自分からここに来たという鬼の方もいたくらいです」
里の長のこの笑顔に、鱗滝は胸をなでおろした。
人を喰った罪深い鬼たち。その鬼が浄化され、反省を目指す。
最初に聞いた時には絶対に不可能だと思った。そんな途方もない話に寄りそう者が存在するはずがない。
だが、目の前の鬼舞辻無惨はそれを真剣に目指している。
自立した鬼の里を作り。その支えとなっている。
この里さえ安泰を保つことができれば、亡くなっていった人々への追悼もきっと届くであろう、と。
だがこの時、誰も気づいていなかった。
鬼狩りに襲われることもなく、平穏に暮らしていける鬼の里。
出回り始めたその噂が、“望ましい者”の耳にだけ入るわけではないことを。
【平安コソコソ噂話】
血気術式の水分飛ばし調理法は、現代で言うところのフリーズドライ製法に近いよ。
温度変化がないことで味や形態、風味が変化しにくく、水を与えるだけで高い復元性を持つため、災害時の保存食として用いられているんだ。
ただし、湿気を吸収しやすいので密閉していないと長持ちしにくいぞ!