あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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残酷

 

人生には空模様がある。

移ろって動いていき、ずっと晴れることはなく、ずっと雪が降り続けることもない。

そして幸せが壊れる時にはいつも血の匂いがする。

 

「不死川さん、ここは私が引き受けます。ですのでどうか、里をお願いします」

猗窩座を前に、無惨は拳を握りしめて不死川に懇願した。

里から流れる風に乗り、不穏な匂いが無惨の鼻と心臓を刺し貫いていた。

「死ぬなよ」

不死川は日輪刀を手に無惨の横を走り抜けていった。

その光景を、猗窩座は意にも介さずに素通りを許した。

「は・・・猗窩座さん、貴方のお相手は私が努めさせていただきます」

「今さら鬼狩りの柱が一匹向かったところで何も変わらん。俺にとってはむしろ好都合だ」

不敵に笑う猗窩座に、無惨は静かに拳を構えた。

「!? お前・・・性懲りもなく猿真似とは。いちいち癪に障る」

その型はまるで猗窩座の構え方を写し取ったようであった。無惨が鬼舞辻無惨の姿形を真似るだけでなく、自身の研鑽の積をも愚弄していると考えた猗窩座は怒りに顔を歪ませた。

だが無惨は決して伊達や酔狂でこのような行為に出ているわけではない。

「来なさい」

無惨の手招きに呼応するように、猗窩座の拳が閃光となった。

破壊殺と呼ばれるそれは数えきれないほどの人の、隊士の、柱の命を奪ってきた奥義。

衝撃波を伴い、周囲を巻き込みながら全てを抉り、削り、破壊する嵐。

「!? ほぉ」

猗窩座は感動を覚えた。成程、猿真似と罵った自分を恥じるべきだと感じた。

破壊殺を真正面から受けながら、無惨は無傷であった。

瞬時に回復したわけではない。猗窩座の拳を全て捌いたのだ。

闘気こそ微塵も感じられないが、無惨の技は卓越したものだと猗窩座は感じたのだ。

これは楽しませてくれそうだ。猗窩座は期待と敬意を覚えはじめていた。

 

だがそれも長くは保たなかった。

徐々に猗窩座の拳を無惨が捌ききれなくなっていったからだ。

「なんだこの弱さは。それでも鬼か? 人間である鬼狩りの柱の方がまだ粘る」

猗窩座は落胆した。

無惨の体の回復が遅いわけでもない。最初に見せた技のキレが失われている。精神面の脆さに起因していることは明らか。

現に無惨の表情には覇気が失われ、その口から泣きそうな悲鳴が漏れていた。

「・・・やはり狛・・・いえ、まさか恋雪さんまで!?」

「? 何を言っている?」

無惨の悲鳴を猗窩座は全く理解できなかった。何か攪乱を狙っているにしては言葉が意味を成していない。目的も不明。

「何故、この私が気付けなかったのでしょう。こんなに面影もあるのに・・・」

その悲憤の理由を猗窩座が知る由もない。

交えた拳に宿る素流特有の型から、無惨はようやく確信していた。猗窩座こそが、無惨が最も長く共に時を過ごした鬼の変わり果てた姿であることを。

猗窩座の傍らに“居るべき人”の気配も感じられない。

信じたくなかった。

信じられなかった。

打ち込まれる拳よりも、捌こうとする自分の拳が痛い。

何よりも胸が苦しい。

生涯感じたどの苦しみよりも耐え難い。

 

 

 

 

猗窩座よ、それでいい

 

 

一瞬、無惨の眼光に宿った“何か”に、猗窩座は戦慄を覚えた。

空気が鈍く重い。鉛のような霞が周囲に漂っている感覚に猗窩座は拳を止めていた。

 

 

 

何をしている? 手を止めるな

「何を言っているのです!」

 

その時、無惨は顔をバッと上げた。

月明かりの下、その瞳に映し出された邪悪な色は、次の瞬間には透き通ったものに戻っていた。

「はぁっはぁっ、今ようやく分かりましたよ。“アナタ”のことが・・・ですが、今私がやるべきことは!」

息を切らせながら何かをつぶやく無惨。

その動向を警戒する猗窩座の方へ、無惨はおもむろに歩み始めた。

その背に漂っているのは先程までの邪気ではない。ましてや闘気など一切宿していない。

その瞳に燃えているものは、断固たる決意。

猗窩座には無惨が何を覚悟しているのか理解できなかった。

だが分からずとも、敵の接近をむざむざと許すことはない。最大級の威力をもって迎え撃つ。それだけを考え、猗窩座は実行に移した。

破壊殺は一撃一撃が必殺の拳。上弦の鬼の体すら骨ごと削り取る凶器の嵐。

無惨の体もまた、その嵐を前に凄惨な肉片を撒き散らした。

だがそれでも無惨の前進は止まらなかった。削られていったからこそ、突き飛ばされることなく“止まらなかった”。

「こ、この」

「狛治さん!」

猗窩座の懐にまで入り込んだ無惨。幾度となく体を崩されれば鬼であろうと怒りの1つでも込み上げてくるものだが、その瞳に未だに闘気はなく。

猗窩座は恐怖すら覚えていた。だがそれは先ほど異変を起こした無惨が見せた威圧感とは全く別物の“ソレ”を何故自分が恐れているのか。理解できなかったことに猗窩座は戦慄した。

得体の知れない未知の存在を体が拒絶するのは人だけでなく鬼も同じ。

猗窩座の拳はその本能のままに突き動かされ、無惨の胸を突いた。

「ぐっ!」

何の仕掛けもない無惨の無防備な体は、猗窩座の拳に撃ち貫かれた。

拍子抜けするほどに抵抗なく通った一撃に、猗窩座は唖然としたほどであった。

「懐かしい・・・ですね。あの日も・・・。ですが、これで・・・捕まえました」

無惨は吐血しながら、感慨深さと罪悪感を宿した笑みを浮かべた。

次の瞬間、猗窩座に貫かれた胸に巨大な牙が出現した。

異形の怪物を彷彿とさせるソレは、無惨の想像しうる最も醜悪な姿。そしてこの状況に最も望ましい手段。

猗窩座の腕に牙を突き立て、自らの血を流し込むために。

 

「あ・・ああああああああ!」

 

東に遠い薄明かりがたちこめ始めた空の下、猗窩座の悲鳴が響き渡った。

その脳裏にかつての記憶が。人間であった頃の忌まわしき記憶が、鬼として生きた記憶の全てと入り混じって、猗窩座の心に流れ込んだ。

「あっ、ああ・・・・・お前・・・・いや、あなたは何故・・・恋雪のことを?」

100年以上の分の痛ましい記憶に心をかき乱され、正気の判断に至ることができたのは猗窩座の心の強さ故。

そして猗窩座は全てを思い出しながら、目の前の無惨に問いかけた。

愛する者を失った日に現れた鬼の始祖。その姿を持つ目の前の者が、この交差する時間の中で発した“その名前”。

「無惨様・・・ではないのか、あなたは」

「・・・私は、狛治さんと恋雪さんを・・・愛する者です」

その言葉を聞いた猗窩座は、丁重に拳を無惨から引き抜いた。

無惨はその場で膝から崩れ落ちた。鬼の体とはいえ痛みを忘れることのできない無惨にとって精神的に消耗しきっていた。

「俺は・・・今まで・・・なんてことを・・・」

血にまみれた両手に目を落とし嘆く猗窩座。その表情には深い後悔と罪悪感、そして取り戻した愛と無惨への無意識の敬意が渦巻いていた。

 

その時、背後にヒョヒョッと不気味な声と共に1つ壺が転がりこんだ。

「猗窩座様、これはこれは。随分と時間がかかりましたが、件の鬼を仕留められたようですね。おっと失礼、随分と長く苦しめて差し上げたようですね」

その不気味な壺は猗窩座の足元へと転がり、その中から異形の怪物が姿を現した。

「・・・玉壺」

猗窩座は嫌悪感と共に玉壺を見下ろした。そんな嫌気に玉壺は一切気付くことはなかった。

「そろそろ朝日が昇る頃合いでしょう。さて手筈通りにその不埒な鬼を縛りあg・・・」

その瞬間、猗窩座は玉壺の首と壺を掴みあげ、渾身の力を込めて拘束した。

「なっ!? 猗窩座様、何を!?」

困惑する玉壺に構うことなく、猗窩座は最後に無惨に向けて微笑みかけた。

 

「償いきれぬ罪に、俺はもう耐えることもできそうにない。ならばせめて」

 

そう言うと猗窩座は両足を曲げ、空を見上げた。

「まさか、やめてください狛治さん!」

「その名を呼んでくれたことを、俺は地獄で感謝します」

猗窩座はそう言い残し、天高く跳躍した。破壊殺の衝撃波で大気を蹴り昇り。

玉壺を逃すまいと壺も本体も抱えたまま。遥か天高くを目指していった。

「狛治さん!」

「おやめください! このままでは太陽が! ギャアアアアアア」

地上よりも数分早く浴びる陽光に焼かれ、猗窩座は玉壺と共に焼失した。

その光景を無惨は無力にも見上げることしかできなかった。

「そ・・そんな・・・狛治さん・・・」

失意に顔を落とす無惨。

だが、耳にかすかに届くうめき声が、彼に悲嘆の時間を許さなかった。

無惨は鬼の里へと走った。力の限り、大地を蹴り飛ばしながら。閃光の如く。

 

「こ・・・こんなことが・・・許されていいわけがありません!」

無惨の怒りが山にこだました。

藤襲山に広がっていたのは凄惨を極めた地獄絵図であった。

一言で例えるならば“モズのはやにえ”。

里の鬼たちは肉から臓腑から骨から、全てを絡ませながら、木々の先端に串刺しにされていたのだ。

だが不死の鬼である以上、それだけで死ぬことは無い。死なないからこそ地獄の苦しみである。

「あ・・・ぅ・・・」「無惨・・・様・・・・」「助け・・・ぃたぃ・・・・」

そこら中から聞こえる灯の消えかかった声に、無惨は胸が裂けて千切れそうな苦しさを覚えた。

一瞬でも早く鬼たちを苦しみから解放しなければならない。

だが時間が無い。朝日はすぐそこまで迫っている。憎々しくも、犠牲者たちは朝日に炙られるように木々の先端に吊るされている。

猶予は数分とないだろう。

この“悪意”が一体どこまで広がっているのではないかと思うと・・・

焦りだけでなく、無惨に“選択”までもが襲い掛かることになる。

 

その瞬間、無惨は迷いなく人型を完全に捨てた。

人は自分の手の届く範囲でしか他人を救えない。物理的にも精神的にも。

だからこそ、無惨は強引にその範囲を超えることを望んだ。

両腕、背中から無数の触手が禍々しく伸び、木々を根こそぎ分断していった。

脚は猛獣のように曲がり、野山を荒々しく駆け回った。

鬼たちを1体ずつ串刺し状態から今すぐ救う時間はない。ならば今は日光から遠ざけるだけ遠ざけ、放置するしかない。

木々が切り倒され、地面へと叩き落とされた鬼たちが悲鳴を上げていった。

それでも無惨は触手と脚を止めるわけにはいかなかった。

 

空の明るさが迫り、このままでは無惨自身が日陰に隠れる時間も危うい。

それでも無惨は1体でも多くの鬼を救おうと必死に駆け回った。

残された時間が数秒となったその時。

無惨の目の前に、最悪の地獄絵図が現れた。

「・・ぉ兄・・・ちゃ・・」「ぉぅ・・・無惨様が・・・ご無事だ・・・」

手を伸ばし合う兄妹の鬼。その体は千切り裂かれ、どちらの肉がどこにあるのかすらも判別できないほどに縛られていた。

「ぁ・・・・そんな・・・」

堕姫と妓夫太郎。その肉塊の周囲の木々は全て取り除かれていた。

救うことはできない。いや、可能性に賭けて、何か希望を求めることはできるかもしれない。

無惨に迷いはなかった。堕姫と妓夫太郎の元へ走らんと、体勢を一瞬で切りかえた。

 

だが、無惨の方を向いた妓夫太郎と堕姫は、彼に向けて指をさした。

否、無惨の方ではない。無惨が見逃していた、視界の外にあった子供の鬼の方を指さしていた。

子鬼もまた、無惨が手を差し伸べなければ木上で日光の贄を待つ身。

このまま無謀にも飛び出せば誰も救えない。

無惨は迷った。だが、堕姫と妓夫太郎の手を見て覚悟を決めた。

助けを求め伸ばしている手ではない。

助けを与えようと差し伸ばした指であると。

 

 

救える命を

 

 

言葉を交わすことはなかった。

心を心で理解した。

いや、理解したなどと軽々しく言う事はできない。

伝えたい意図は別にあるのかもしれない。

だがそれでも無惨は・・・そう思わずにはいられなかった。

そう思わなければ・・・

 

 

愛する家族の死の瞬間に背を向けた自分を、殺したいほどに呪うことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

   あと一押しか

 

 

 




【平安コソコソ噂話】
猗窩座が玉壺を道連れにしたのは、玉壺の残虐性と能力の厄介さを恐れたからだ。
壺から壺へ移動する空間転移能力を封じるため、天高く蹴り飛ばすのではなく、本体を拘束しながら日に当てる必要があると考えたんだ。

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