あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

59 / 71
鬼舞辻無惨

藤襲山に鬼殺隊の救援が到着したのは、朝日が昇りきった頃であった。

「これは・・・」

歴戦の柱ですら息を飲む凄惨たる光景に誰もが足を止めた。

そんな彼らを突き動かしたのは、森の中でうごめく1つの影であった。

禍々しく痛々しい姿に変貌した無惨が、木々に串刺しになった鬼たちを救う姿。

そこに涙は無かった。奥から絞られた「大丈夫です。大丈夫ですよ」という優しい声が森の静寂の中で響いていた。

無惨は知っていた。“助ける者”が“助けを求めるような顔”をしていてはならない。

窮地にある鬼たちに今、必要なのは悲しく弱々しい救いの手ではない。いつもと変わらぬ優しい温かさである。

だが無惨には分からなかった。自分が今、どんな顔をしているのか。

「む・・・むーさん」

カナエは凍り付いた血が逆流して燃えるのを感じた。無惨の行動に溢れる計り知れないほどの覚悟と悲しみに。

その思いは駆け付けた隊士・隠たちも同時に廻った。示し合わせることもなく、全員が迷わず一斉に鬼たちの救護に入った。

 

「いらしたぞ! 不死川様だ!」

大地が抉られ、木々には雷にでも打たれたのか焼け焦げた跡すらある。

大部隊同士の戦争でもあったのかと思うような場所で、不死川は気を失っているところを発見された。

「不死川様が目を覚まされたぞ!」

「・・・っツ。状況は!?」

覚醒一番、不死川は全身の包帯に構うことなく周囲を見回し始めた。

手当てしていた隠たちは慄きながらも彼をどうにか落ち着かせ、状況を説明した。

 

里の被害は甚大であった。

常駐していた隊士に生存者は無し。散開した遺体と残された傷が、その凄まじい戦いを物語っていた。

200体の鬼の半数以上が跡形もなく命を落としていた。

否、84体もの鬼たちが“生存”していた。

無惨が救った鬼が29。運よく山の影にいた鬼が14。破壊を免れた鬼の家に搬送できた数であり数え損なってはいない。

藤の花に囲まれたこの山は里の鬼たちにとって逃げ場のない処刑場。それでも生き残った鬼たちは、驚くべきことに無傷であった。

「どういうことだ? 俺が戦った上弦の肆ですら化け物だったんだぞ。斬っても斬っても分身しやがって。まるで下弦の壱が何体もいやがるみてぇに」

下弦の鬼と上弦の鬼にこれほどの差があるのかと、感じた憤りを拳に乗せて地面にぶつける不死川。

「無事だった鬼を守ったのは、より年長者の鬼たちでした」

鬼は平気で嘘をつく。保身に走り、人の油断を狙う。鬼殺隊に身を置く者の誰もが、心の奥底では里の鬼たちの事ですらも信用はしていなかった。

だが惨劇の里に足を踏み入れて最初に目にした光景に、その疑念は吹き飛んでいた。

傷ついた慰霊碑と、その前に切り捨てられた多くの服。それは里の鬼たちが自分の命を捨ててまで、慰霊の想いを守ろうとした証拠。

「堕姫・・・いえ、梅さんが血鬼術の帯で20人も匿ってくれていたことで、上弦の壱の戦い方も判明しています」

「・・・そうか・・・デカい収穫だな」

なんて冷酷な柱だと、隠たちは一瞬思った。

不死川の言う通り。その姿すらも不明だった上弦の鬼の能力まで判明し、その数も残すところ2体。かつてないほどに戦況は好転している。

だがそれは今言うべきことなのか? と怒りを覚えた隠たち。

しかし、血を流しながら手を握り、折れた骨を軋ませながら言い放った不死川の目が、その真意を語っていた。

感傷に浸る時間は無い。今はその時間ではない。無惨ですら“今、戦っている”のだ。

 

 

鬼たちの治療は難航していた。

体に刺さった木片を抜き取り、各々の肉体を元の位置に戻すだけでも一苦労。

それ以上に厄介なのは、回復のために体力を消耗した分、治療に当たる隠たちの人肉を欲してしまうことであった。

それでも治療に専念することができたのは、無事だった鬼たちが代わりに身を差し出したため。肉を喰われながら仲間を押さえ込み、正気に戻った仲間と共に涙を流す。

阿鼻叫喚の地獄絵図。その傍らに、無惨は常に寄り添っていた。

「無惨・・・様も、少しは休んでください!」

隠たちの懇願にも頑として動かず、無惨は最後の鬼が安らかな笑顔を取り戻すまで付き添った。

現場がようやく安定に入ったのは、日が傾き始めた頃であった。

その頃には日の向きが変わり、鬼たちを外に搬出することができなくなっていた。

そんな時に、1人の傷だらけの隊士が里に足を踏み入れた。

 

それは襲撃で死亡したと思われていた里の駐在隊士だった。

「ぁ・・・ご報告が・・・」

朦朧とした意識で振り絞られた隊士の言葉に、里と鬼殺隊に戦慄が走った

それは彼を誘拐していった上弦の壱からの伝言。

 

今宵、再び鬼の隠れ里を荒らす

無惨様の名を汚す鬼を明け渡せ

 

 

「これは・・・なんてこと・・・」

上弦の鬼の再襲撃予告にカナエは酷く動揺した。

現時点で里にいる柱はカナエと不死川のみ。憔悴しきった無惨を戦わせるわけにはいかない。

他の柱たちの現在地は不明だが、本部付近で待機している可能性が高く、里への増援は期待できない。

まして敵は不死川が苦戦した上弦の肆だけでなく、最強の上弦の壱。迎撃は最も愚かな選択肢だ。

逃げの一手しか残されていないが、避難しようにも鬼たちを日光から守る準備がない。日除けの幕を設営し、憔悴しきった鬼たちを搬出させようにも人手も時間も足りない。

となれば残された道はただ1つ。救うべき鬼の選別。

たとえそれが無惨の意思に反しようとも、強硬しなければならない。

「・・・ごめんなさい、むーさん」

カナエがボソリと放った独り言。

それは隣の部屋の無惨の耳にも届いていた。

 

「カナエさん。産屋敷さんや貴女が何と言おうが、私はこの里に残りますよ」

無惨は心の中で独り言をつぶやいていた。

そしてその声に呼応するように、暗くどす黒い声が彼の耳に届いた。

お前は自分の置かれている状況を分かっていないようだな

その声に、無惨は静かに目を閉じた。心の中で描いた声の主の姿に対峙するように。

そしてその姿は、まさしく無惨自身と同じ姿。より禍々しい瞳を持った鬼の男。

「貴方は分かっているのですか? 私の・・・いえ、貴方の置かれた状況を」

ようやく気付いたか。お前の正体に

心の無惨は汚らわしいものを見るような目で無惨を睨んだ。

そうだ。お前は何処からか湧いて私の体を乗っ取った“何か”だ。鬼狩りどもに媚び入り、気味の悪い人間ごっこに興じる“何か”だ

「“何か”とは、随分とご自身の推理に自信がないようですね。単純なことですよ。私は鬼舞辻無惨の中に宿った“人の心”。貴方が無意識のうちに望んでいた“あるべき自分”。そして貴方は“存在するべきでない無惨”です」

消えるべきはお前だ。だがあえて聞こう。消えるべき存在と同じ体を持つ今、鬼狩りどもにお前自身を殺させるのか? 自分が全ての元凶だと語るか?

心の声に無惨は即答できなかった。

気付いているようだな。鬼狩りどもが何を考えているか。奴らはこの里を見捨てるつもりだ

心の声の冷たい言葉に、無惨は反論しなかった。

上弦の鬼が宣戦布告。当然、鬼狩りどもは罠を疑う。だが幸いにも襲われるのは人間ではなく鬼。守る価値も義理もない

「果たしてそうでしょうか?」

千年もの間、腹を探り合ってきた私には分かる。慎重な産屋敷が、貴重な柱を失う危険を冒すことはない。所詮、人間どもは危ない橋を渡らなくていい理由に飛びつくものだ

無惨もまた察していた。鬼舞辻無惨の年季が違う。心の声の語る言葉に理がある、と。

鬼狩りどもがお前を殺したとして、どのみちこの里は黒死牟と半天狗に滅ぼされる。だがお前は鬼たちを見捨てることができない。違うか?

心の声の勝ち誇った様子に歯を噛みしめる無惨。

だが1つだけ里を救う手段がある

「本当ですか!?」

心の声の意外な提案に顔を上げる無惨。

だが心の声はより浅く、より濁った声で言い放った。

 

お前が私に体を返すのだ。そうすればお前の守りたいものだけを私が代わりに守ってやろう

 

その言葉に無惨は何とも言えない拒否感を覚えた。

あくまで直感である。信じることを美徳と信じ生きてきた無惨自身、今まで他人の言う事を嘘だと確信したことはない。

よもや猗窩座や妓夫太郎のように説き伏せられると勘違いしていまい? 黒死牟は元々、鬼狩り。私が誘い鬼となった男だ。止める事ができるのは私しかいない

心の声が操る言葉に宿るわずかな変化に、無惨は確信を深めながらも絶望した。

無惨にとって不都合なことほど真実なのだと。

選ぶがいい。大切に思う者たちを道連れに死ぬか、それともその者たちを救うか

心の声の囁きに無惨は深く息を吐き、覚悟を決めて前を見据えた。

「私は・・・そのどちらも選びません。」

ほぉ、他に道があるとでも言うのか?

ほくそ笑む心の声に、無惨は真っ向から睨み返した。

 

 

「鬼舞辻無惨や上弦の鬼を放置すれば、たとえ里の皆や大切な人たちを守れたとしても、他の人々の悲しみの連鎖が続くでしょう。貴方たちを野放しにしません。私が、皆を守ります」

 

 

 

 

 

そうか。最も愚かな選択だな

 

 

 




【平安コソコソ噂話】

心の中の本物の無惨は、無惨の体が死ねば全ての鬼が滅ぶことを知っているけれど、それを無惨には隠しているぞ。

そして約束を守るつもりは毛頭ないぞ!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。