あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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何故

「カナエさん、不死川さん。大切なお話があります」

唐突に姿を現した無惨の真剣な表情に、不死川は痛みを堪えながら体を起こした。

「むーさん。私も同じことを考えていました」

無惨が言うまでもなく、深く息を吐いて覚悟を決めたカナエ。

「そうでしたか。それは話が早いですね。私は、上弦の鬼を迎え討とうと思っています」

「はい、仕方がありませんが・・・選別を・・・??? えっ?」

予想外の言葉に唖然とするカナエ。

「た・・・戦う!? むーさん!?」

「ククク。俺はてっきり逃げる相談だと思ってたが、面白れぇ」

無惨の提案に賛同し小さく笑う不死川。カナエは冗談じゃないと息を荒げた。

「冷酷を承知で言いますが、むーさんの存在はそれだけで鬼殺隊数百年分の功績と同じ価値があります。そんな貴方を失うわけにはいきません! 勝ち目のない戦いからは逃げなければ。鬼を許せないというのであれば、生きてさえいればその機会も出てきます」

「いいえ。奪われた怒りは戦う原動力になります。ですが見捨ててしまえば、そこには何も残りません。苦しんでいる家族を一人でも見捨てて逃げてしまえば、私はもう二度と立ち上がることができなくなるでしょう。それはもはや死と同じです」

真っ直ぐに見据える無惨の目に、カナエは反論の隙を見つけることができなかった。

そんな無惨の頑固な姿を知る不死川は笑い声をあげた。

「ますますアンタのことが気に入った。最後までやるっつうなら、俺も付き合うぜ」

そう言って日輪刀に手を伸ばす不死川。だがピキッと筋に電流が走るように痛み、思わず刀を落としてしまった。

「仕方・・・ありません。お二人だけに手柄をお渡しするわけにはいきませんね」

そう言って不死川に刀を返し、カナエ自身も日輪刀に手を置いた。

「しかし具体的にどうされるおつもりですか?」

 

無惨の“提案した策”は至極単純な物であった。

里の鬼を全員逃がすまで戦い、頃合いを見て逃げる。

山の近くの拓けた平地にかがり火を焚き、そこに上弦の鬼たちを呼び寄せる。元から上弦の鬼の要求は無惨の身であり、この誘いに乗ってくるはず。

無事におびき寄せることができれば、隠と隊士、動ける鬼で手分けして山の反対側から順次動けない鬼たちを運び出して逃げる。

「まぁ阿保ほど単純だな」

「我々にできることはこれだけしかありませんから」

日も落ち、いよいよ夜闇の世界。まもなく上弦の鬼たちが姿を現すだろう。

不死川とカナエと共にかがり火へ向かう無惨は、覚悟を決めたように静かに口を開いた。

「思えば私たちが出会ってから色々なことがありましたね」

足を止めた無惨に、不死川は「ん? どうした急に」と首を傾げた。

「実は私が竈門家の皆さんの前に現れた日というのが、私が自分の意識をしっかりと認識できるようになった日なんです。言ってしまえばその日を境に私が現れたと言っていいでしょう」

なんとも回りくどい言い方をする無惨に、カナエも首を傾げた。

「最近は特に鬼が出没しなくなりましたが、言い換えてみれば新しく鬼が生み出されなくなったということです。あと最近は、十二鬼月たちの情報の統制が取れていませんね。上弦の弐が亡くなったり、妓夫太郎さんや梅さん、累さんの寝返りも情報共有されていませんでした。まるで情報の中継を担う方が居なくなったみたいに」

淡々と語る無惨の現状把握に、不死川は「んなこと今は関係ねぇだろ」と呟いた。一方でカナエは「むーさん?」と不穏な表情を浮かべ始めた。

「私が現れた日を境に、それらが起き始めたと思いませんか? それに考えてみれば悪鬼・鬼舞辻無惨が自分と同じ顔で、鬼を浄化する血気術を使える鬼を放置すると思いますか? 放置しているのではなく、対処できなくなったと思いませんか? そう考えると全て辻褄が合うと思いませんか?」

無惨の言葉に不穏を覚え、足を止める不死川とカナエ。その2人の横を無惨は話しながら通り過ぎていった。

「最後に、お二人には話しておかなければと思っていました」

そう言って月夜を背に、無惨は静かに振り返った。

 

「私は鬼舞辻無惨の体に宿ったもう1つの人格。この体は全ての悲しみの元凶である鬼の始祖の体そのものです」

 

その静かで悲し気な声に、不死川もカナエも体が動かなかった。

自分たちの家族や仲間の仇である鬼舞辻無惨。その漠然としながらも絶望的事実に、思考が拒否を示した。

「は・・・ハハ、アンタは冗談の感性がズレてんだよ。何を言って・・・」

か細く笑う不死川であったが、直後に伸びた無惨の触手が彼らの足元を一直線に削った。

「ここでお別れです。これより後ろに上弦の鬼を絶対に通しません。明日の夜明けまで」

無惨が薙いだ地面に視線を落とすカナエ。彼女は未だに無惨の言う事が信じられずにいた。

現に今、この触手は無防備な彼女たちを捉えることもできたはず。それをしない以上、無惨に敵意は無いのは確実だ。

「むーさん・・・本当に貴方は鬼舞辻無惨なのですか?」

「はい。今も彼は私の心から這い出そうとしています」

「どうして今。こんな時に・・・」

恨みとも悲しみともつかない感情を抱いたままの別れを悔やむカナエ。そんな彼女に無惨は振り返って笑顔を見せた。

「里の皆さんを守り切ることができた暁には、私は鬼舞辻無惨を道連れに朝日を浴びて消滅するつもりです。お二人にはそれを見届けていただき、鬼舞辻無惨の脅威が無くなった証人になっていただきたい」

無惨の瞳には深い郷愁と優しさが灯っていた。不死川もカナエも、その瞳に何も反論できなかった。全ては事実であり、本物の覚悟が宿っているのだと信じるしかなかった。

 

その直後であった。闇の奥から2つの足音が聞こえてきた。

「おい・・・き・・・アンタ、本当にアイツらと戦うつもりなのか?」

「心配してくださるのですか? ありがとうございます不死川さん。ですが安心してください。私はこれでも鬼舞辻無惨と同じ力を持っていますから」

そう言って無惨は静かにかがり火の元へ歩みを進めていった。

闇火の中で見え隠れしていた互いの姿が徐々に鮮明に視認できるようになり、上弦の鬼が背の丸い老人と長髪の剣士であることが分かった時。

 

無惨は着物の胸元が破れるほどに胸を押さえて苦しみ始めた。

 

「!? そ・・・・そんな・・・・」

脳の奥から全ての血が凍り付く感覚が全身を駆け巡った。

焼けた火箸で心臓を抉られたような痛みが臓腑を蝕んだ。

「貴様が無惨様を名乗る鬼だな」

その継国縁壱と重なる姿と声は、無惨が胸の奥で閉じ込めるだけで限界だった最後の鎖の一本にひびを入れた。

 

「そんな・・・縁壱さん・・・ああああああああああああああああ!」

耐え難い苦痛が脳を削り、内に閉じ込めた邪悪が一気に解放された。

空気が鉛のように重くなった。

離れた場所で見守るカナエと不死川がそう感じるほどに、無惨を取り巻く空気がその一瞬で一変した。

「・・・むーさん?」「一体、何が起こって」

2人の呟きの直後、2体の鬼は無惨に向けて反射的に跪いた。

それは鬼たちですら無意識に起こした行動であり、当の2体も驚きを隠せないでいた。

「まさかとは思いましたが。無惨様でいらっしゃいましたか」

上弦の壱を瞳に刻んだ鬼、黒死牟の拝礼に無惨は静かに口を開いた。

「全くもって忌まわしいが、案外と呆気ないものだ」

その声はたしかに無惨のものであったが、確実に無惨のものではなかった。

悪寒なんて生易しいものではない。全身の肌を氷の釘で刺される感覚がカナエと不死川を襲った。

直感的にその絶望は知覚された。心の邪悪に必死に抗っていた無惨が今、討ち負けてしまったのだと。

「此度の鬼の粛清は全て我々の独断。無惨様の御戯れを遮り申し訳ありません」

「儂らはよもや無惨様の御庭を荒らそうなどとは」

「勘違いするな。あれは私の体に憑依した魑魅の戯業だ。捨て置け」

上弦の鬼である黒死牟と半天狗が敬いを見せる相手である無惨。その釈明に意にも介さない態度は、ますます元の姿を失っていた。否、元の姿に戻っていた。カナエと不死川はそう覚悟を決めるしかなかった。

「魑魅でごさいますか?」

「そんなことは知らん。が、黒死牟。どうもお前を“弟”と見間違えたのが最後の一押しになったようだ。褒めてつかわ・・・」

賞賛からは程遠い不遜な態度を見せた無惨であったが、その直後に無惨は自らの手で自分の首を絞め始めた。

そのあまりにも自然であり不意な行動に無惨本体だけでなく、黒死牟や半天狗、それを見ていたカナエや不死川も困惑した。

「無惨様!?」

「くっ、往生際が悪い。体の支配はまだ奴にあるというのか」

無惨は苦々しい表情を浮かべながらも、もう片方の腕で今度は黒死牟を掴んだ。

「まだ足りぬというなら簡単な話だ。半天狗、山に向かえ。鬼の首を刈って晒すのだ。黒死牟、この体を刻め。遠慮はするな」

「無惨様? ・・・御意に」

不可解な無惨の命令であったが、その狙いを誰もが直感した。

今、その心の中で抗っている何かに与える最後の一刺しで、無惨の全てが染まる。

「不死川さん!」「ったり前だ!」

里を背に陣取る不死川とカナエに、無惨の命を受けた半天狗が一直線に向かってきた。

信じられない現実の連続で、自分の決断が正しいかどうかも定かでない中、不死川とカナエは迷いなく日輪刀を構えた。

彼らが信じる無惨が今、自分の心と黒死牟を相手に必死に戦っているのだと。

応えるべきはその想い。そして半天狗を通してはならないと。命を賭して、この任を全うすべきだと。

 

不死川さん、カナエさん。どうか頼みます

「この期に及んで、儚いものだな」

黒死牟の斬撃が無惨の体を斬りつける中、突然無惨の口から飛び出した独り言。

それに困惑した黒死牟は攻撃の手を止めたが、無惨は「構うな」と一蹴した。

「柱とはいえ所詮は女と怪我人。上弦の鬼を止めることはできん。半天狗が鬼の首を獲るのが先か。黒死牟が貴様の体力を削りきるのが先か。私がお前の心を砕くのが先か」

鮮血を撒き散らしながら不敵な笑みを浮かべる無惨。

「もはやこれは余興だ。最後に笑うのは私だ」

いいえ、最後に勝つのは鬼殺隊です

「果たしてそうかな?」

そうですとも

 

心の中で対峙する2つの魂。だが現時点で、その天秤は大きく片側に傾いていた。

「誰かと思えば昨日の鬼狩りか。今度は二人がかりで儂を苛めようというのか、この卑怯者が!」

「どの口が!」

半天狗と交戦したカナエと不死川。

だが傷が治りきっていない不死川の幾分の不調は大きな戦力不足となり、実質はカナエだけの一騎討に近い状況。

そこに加え戦闘目的の違いも大きな差となった。奇襲を得意とする半天狗に対し、防衛戦を不得意とするカナエ。さらに半天狗は斬られれば斬られるほどに戦力数を増やす血鬼術を有する。

優劣は最初から見えていた。

「くっ、このままでは」

不死川も奮闘していたが、半天狗の半身が2体、3体と増えた時には抗う術を失った。

「抜けるぞ!」

絶望の翼音が1体の半天狗の突破を許した。

カナエもその背を追おうとするが、一瞬のスキを見せることすら許さない実力を持つ半天狗を前に叶わない。

「カカカッ。喜ばしいのぉ、亀を置き去りに狩りに行くのは」

軽い笑い声が夜の木々を抜けていく。

カナエの悲痛な叫びをその背に。

 

そして・・・その体に白い雨が降り注いだ。

「なっ!?」

白い雨。そう形容するには、その1本1本は太すぎた。

 

血鬼術 溶解の繭

 

それは一瞬の出来事であった。半天狗の体が白い繭に包まれたのだ。

「なっ!?」

その場にいた誰もが目を疑った。無論、半天狗の血気術ではない。

それは木々の間の宙を歩く、1人の白髪の少年のものであった。

「駄目じゃないか不死川。やっぱり口が悪いと腕も悪くなるんだね」

少年の不敵な笑みに、不死川はニヤリを睨み返した。

「てめぇの方が生意気な口じゃねぇか。累!」

それは元・下弦の伍、累であった。昨夜の藤襲山の襲撃を聞き、全速力で駆け付けていたのだ。

「下弦の伍!? 貴様、何をしておるのか分かっているのか!」

不死川と交戦する半天狗が怒りを露わにする。

「何って、そうだね。入れ替わりの血戦かな?」

「取り込み中だということが、分からんか!」

「カカカッ! その通り。馬鹿は状況も実力差も分からぬものだ!」

笑い声と共に繭を突き破って出て来た半天狗。その鉤爪が累に襲い掛かった。

だが累はその上弦の鬼の攻撃を腕力だけで喰い止めた。

「なっ! 本当にこれが下弦の力か!?」

「いいや。これは全部、父さんや姉さん、兄さんが僕に戻してくれた力だよ。痛かったはずなのに。無惨様を頼むって、僕に託してくれた力」

そう呟くと累は力づくで半天狗を地面に叩き落とした。そしてその時に半天狗の体中にかけておいた糸を引き、細切れにしてみせた。

「僕たち家族の絆より硬い糸を用意してあげたんだ。特別だよ」

「下弦ごときが!」

怒りを露わに新たに這い出てきた半天狗が手にした錫杖を振り上げた。

「来るッ!?」

身構えた不死川が雷撃を覚悟した瞬間、双炎がその雷鳴ごと杖を切り裂いた。

「なっ!?」

理解しがたい光景に驚き慌てる半天狗。

その剣先に昇る炎がそのままの勢いで半天狗を輪切りに切裂いた。

「よもやこの鬼も幸福だな!」

「そうだな。二振りの炎刀に刻まれるなど、鬼にとってはもはや誉れであろう」

炎の中に立つ2つの影に、カナエもまた笑みと涙を浮かべた。

「煉獄さん。ご子息まで」

煉獄愼寿郎、煉獄杏寿郎。近代でも珍しい二人の炎柱の揃い踏みに、残る半天狗は悲し気な表情を見せた。訂正、顔は最初から悲し気であった。

「皆、来てくれたんですね。でもどうして?」

「それはね」

応援は来ないものだと思っていたカナエの問いに答えたのは、森から出て来た1つの影であった。

その言葉には聞いた者に不思議な安らぎと少しの昂揚感を与えるものであった。

そんな声を持つ者は滅多に存在しない。そしてこの場の戦いを知り参上することができる者はおそらくたった1人。

「お館様!」「産屋敷だと!?」「あれが当代の」

産屋敷の出現に驚かなかった者はいない。それは遠くで交戦する無惨と黒死牟も思わず手を止めるほどであった。

「よく持ちこたえたね。カナエ、実弥」

「お館様、どうして。ここは危険ですのでお下がりください!」

半天狗と刀を交えながら問うカナエに、産屋敷は落ち着きを保ったまま静かに答えた。

「鬼殺隊の最高戦力で最後の上弦の鬼を命がけで倒すためだよ。私も命を賭けに来た」

これ以上ない鼓舞であった。心折れかけていたカナエの体に力が漲った。

何としても上弦の鬼を倒さねば。仲間のために。鬼殺隊のために。無惨のために。

 

「それで状況はどうなっているのかな?」

半天狗たちを全て蹴り飛ばし、味方陣営で体勢を整え始める中、産屋敷は戦況を把握するために問いかけた。

「コイツは里の鬼を狩ろうとしています。無惨の心を折るために。あそこの上弦の壱と交戦している無惨は本物の鬼舞辻無惨。俺たちが知っているもう1人の無惨が今、その心に抗いながら足止めを。このクソ分裂鬼をぶっ潰して、無惨に加勢するのが戦術目標です」

不死川の説明は正しい。カナエも納得した。だが即座に駄目な説明だと察した。

「きぶ・・・本物・・・え?」

言葉を失った産屋敷の様子に、不死川も「しまった」と頭を抱えた。

「・・・そうなってくると、ちょっと・・・事情が変わってくるね」

産屋敷の苦笑いを見たことのある隊士はいない。当の本人ですら初めての体験ではないかと思ったくらいだ。

だが産屋敷は思い出していた。

 

 

 

『そういえばこの無惨。こちらが信用して歩み寄ろうとすると、何故か正反対の情報で殴りかかってくるんだったね。もはや情報の暴力だね。本当に何でだろうね?』

 

 

 




【平安コソコソ噂話】
増援に来てくれた産屋敷たちは、昨夜の襲撃を聞いて迷わず駆け付けてくれていたぞ!
もちろん出ていた反対意見は、産屋敷が権威の暴力で上から叩き潰したぞ!
来ていない柱や隊士は、運悪く遠方の任務に出ていただけだ。

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