あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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日と月

それは無惨と黒死牟の戦いの最中の出来事であった。

 

黒死牟の姿は森の中の民家の庭にあった。木漏れ日の温かな庭先に立つ彼は、それが自身の無意識化の心象風景であることを即座に察した。

だが目の前の景色に覚えはない。他の何者かの記憶が干渉しているのだと理解した。

そしてその民家の縁側には1人の男が座っていた。

「厳勝さん、でしたね。どうぞこちらへ」

無惨の誘いに体が拒否できないまま、黒死牟は差し出された座布団の上に腰かけた。

「お前が無惨様の中に巣食う鬼か」

「そうですね。鬼舞辻無惨は心の底で人との和やかな日々を望んでいるようですよ」

ニコリと笑いかけた無惨であったが、黒死牟は「さすがにそれは無い」と口を真一文字に閉じて白けた視線を向けた。

「そ、それはともかく厳勝さん。一緒に鬼舞辻無惨を倒しませんか?」

「倒さない」

きっぱりと断った黒死牟に、無惨は笑顔を凍らせたまま数秒沈黙した。

そして急に硬直が解けたかと思うと、額に指を当てて何かを思案し、再び口を開いた。

「素晴らしい提案があります。厳勝さん、私と一緒に鬼舞辻無惨を倒しませんか?」

言っていることは何も違わない。言い直したところで余計にいかがわしくなった。黒死牟はますます白けた視線を無惨に送った。

「あの、厳勝さんも鬼殺隊にいらしたのでは? 鬼を倒すために」

「私は至高を求め鬼になった身だ」

恐る恐る尋ねる無惨に黒死牟は白けた目のまま答えた。

「ですが縁壱さんの意志を継ぐ意味でも」

「そもそも私は縁壱のことが嫌いだ」

黒死牟は『まさかこれで説得しきるつもりだったのか?』と疑ったが、無惨はぐうの音も出なかった。これで説得するつもりだったのだ。

「そもそも私が寝返ったところで、無惨様を倒すことなどできるわけがなかろう。どうやって倒すつもりだったのだ?」

「それは・・・頑張って倒します」

敵の奥の手を探るために尋ねた黒死牟であったが、グッと手を握りしめて力説した無惨に「鬼狩りも千年頑張っているのだが?」と思わず指摘した。

「無惨様を追い詰めた縁壱の日の呼吸ですら、その首には届かなかったのだぞ。お前たちに勝ち目などあるはずがない」

黒死牟の断言にうなだれる無惨。

「やはり縁壱さんは・・・鬼舞辻無惨の手に・・・」

「縁壱は寿命だ。私に勝ち逃げして逝きおった」

虚空を眺めながらつぶやいた黒死牟。

その言葉を聞き無惨は驚きと安堵を見せ、何かを思い立ったように静かに庭に歩み出た。

「鬼舞辻無惨は縁壱さんから逃げたということですか?」

無惨の推理は合っていた。黒死牟はそれを教えてやるものかと思ったが、沈黙が答えになってしまっていた。

「追い詰めたのは日の呼吸。そうおっしゃいましたね?」

「日の呼吸の使い手は私が全てその芽を摘んできた。継承されてもおらんだろう」

そう吐き捨てた黒死牟であったが、無惨は庭に落ちていた木の棒を拾い上げると剣舞を始めた。

「なっ、お前が何故!?」

黒死牟は目を疑った。技こそ稚拙ではあるが、紛れもなく日の呼吸の型であったからだ。

「初めは火の呼吸にしようか悩みましたが、鬼である私を倒せるようにと珠世さんが。奇妙な縁ですが」

無惨の独り言を理解できない黒死牟は首を傾げた。

「厳勝さん、気付いたことがあります。失礼を承知でお聞きしますが、厳勝さんにとっての至高とは何ですか? どうして鬼になろうと思いましたか?」

突然の無惨からの質問に、黒死牟は答えに迷った。

内容はあくまで黒死牟自身の問題。本心を答えたところで鬼舞辻無惨の不利益になるとは思えない。

「縁壱を超えるため、といったところか」

無惨は「やはり」と、質問する前から気付いていた様子だ。

「では何を以って縁壱さんを超えるおつもりですか?」

黒死牟は答えに詰まった。

縁壱への嫉妬心と嫌悪感から鬼の道を選んだ自分。だがその目標地点を決めたことはなかった。何がどうなれば縁壱を超えたと感じることができるのか。

縁壱との決着をつけることも叶わない今、一体どう証明し自分を納得させることができるのだろう。

「その方法をお教えします。縁壱さんが成しえなかったことを成すのです」

「縁壱が成しえなかったこと?」

黒死牟の問いに無惨はニヤリと笑った。

 

「鬼舞辻無惨に一泡吹かせて、その上で倒します」

 

黒死牟は唖然とした。無惨の言っている意味が分からないわけではないが、非現実的な話だと思ったからだ。

「私が今せめぎ合っている体を、鬼舞辻無惨の心に不意に明け渡します。厳勝さんにはその意表の隙に鬼舞辻無惨を日の呼吸で刈っていただきます」

騙し打ちに不意打ち。たしかに縁壱ですら鬼舞辻無惨に食らわせることができなかったものだ。成功すれば鬼舞辻無惨の失意は計り知れない。

だが大前提の矛盾が存在している。

「お前の言い方では、私に日の呼吸を使わせると言っていなかったか? 私はその習得が叶わず鬼殺隊を離れたのだぞ?」

「私が合わせます。今しているように私の意識の一部を厳勝さんの意識に移して、厳勝さんの剣技に私の日の呼吸を合わせます」

意識の共有などできるはずがない。黒死牟は一瞬そう思った。

だがすぐにそれが可能だと思い出した。

「・・・なるほど、それは妓夫太郎が得意としていた戦い方だな」

黒死牟のつぶやきに無惨は「ええ」と肯定した。

「あとは厳勝さん、貴方の御返事だけです。千載一遇の機を逃せば、もう縁壱さんを超えることはできないかもしれませんよ。それでもいいですか?」

黒死牟は不思議な感覚を覚えた。

それはかつて鬼舞辻無惨に誘われた時の甘言のように、心揺らぐ自分を包み込んでいた。

あの時のような暗く強い不安感ではなく、明るく穏やかな心地よさで。

無惨の鬼舞辻無惨たる力がそれを強いているのか、あるいは仕えるべき本当の何かに出会えた喜びを魂が感じているのか。

それは黒死牟にも分からなかった。

 

 

だがそれでも黒死牟は自らの意志で、無惨の誘いに結果をもって答えた。

 

 

 

「答えろ黒死牟! お前は何をした!」

首だけとなり怒りと焦りを滲ませる無惨に、黒死牟は静かにほくそ笑んだ。

「日の呼吸と呼ぶにはあまりにも小さいものだったが、よくぞ我が月の呼吸に馴染ませた」

「な、何を言っている!?」

無惨は怒り狂った。黒死牟が使えるはずのない日の呼吸。刻まれた体がそれを真実だと語っていた。

「いや違うな。小さき日が月に寄りそう。つきあかりの呼吸と呼ぶべきか」

黒死牟の明確な裏切り。その事実に無惨の怒りは頂点に達した。

「黒死牟ぉ!」

無惨の叫びが地を震わせると同時に、黒死牟の体は全身から血を噴き出した。

それは鬼の体に宿った無惨の細胞の崩壊現象であった。

鬼にとって死よりも恐ろしい呪い。だが黒死牟はそれすらも嘲笑して、無惨に指を向けた。

「耄碌したか鬼舞辻無惨。最後のあがきを日の呼吸に侵された死に体の私に向けるとは」

無惨に向けた腕は既に朽ちていた。黒死牟の刀は日輪刀ではなく己の肉体から作り出した物。無惨と共に放った日の呼吸により、内部から焼かれていたのだ。

「お、おのれぇ! 累! 鬼狩りを殺せ! 死体を今すぐ私の元へ持ってくるのだ!」

消滅が口元まで近づきつつあった無惨の命令が夜の闇を震わせた。

だが累は一切動じることなく、冷淡な視線を無惨に向け続けた。

「無駄な足掻きだ、鬼舞辻無惨」

黒死牟は無惨に向けた手を、何かを掴む形で力を込めた。

「今代の鬼殺隊よ、聞け! 全ての元凶たる鬼の始祖を討伐したのはこの継国厳勝と、鬼舞辻無惨に宿る清き魂だ! 到底罪を償うことはできないが、鬼舞辻無惨の魂は私が今確かに“捕まえた”。安心せよ、我々が必ずやこの悪鬼を地獄へ道連れにする!」

黒死牟の叫びに、その場に居合わせた産屋敷たちは目を見張った。

「縁壱を超えただけでは満足せんぞ。私は矜持をもって、この千年にわたる戦いに終止符を叩き打つ!」

「黒死牟ぉおおおおおおおおお!!!」

黒死牟の勝ち誇った声と無惨の絶叫が闇の中に轟き、両者の体は数秒のうちに塵と化していき・・・

 

夜風の中に消えていった。

 

「こ・・・これで全て終わったのであろうか?」

「・・・・むーさん」

鬼舞辻無惨の消滅と共にすべてに決着がついた。

だが、残された鬼殺隊の隊士たちに勝利の歓喜はなかった。

実感がないわけではない。

唐突に訪れた平和。

その傍らにいて欲しいものが失われた、その心の穴が痛んだ。

「無惨様・・・・」

膝から崩れ落ちた累と子供の鬼。その肩に優しく手を置く煉獄親子。

悲鳴嶼は静かに手を合わせ、不死川はトボトボと無惨たちの死跡へと歩きだした。

「鬼舞辻無惨・・・いや、清き無惨様。俺は・・・・」

無惨の首があった場所に跪いた不死川が、その瞳から涙をこぼした。

その時

 

 

「不死川さん、泣いていらっしゃるのですか?」

 

無惨の頭部が無から生えるように出現した。

「!!??」

「き・・・鬼舞辻無惨!?」

「いえ、この話し方は・・・むーさん!?」

腰を抜かすほどに驚いた不死川たちを目の前に、無惨の頭部は微笑みを見せた。

「ど、どうなってやがんだ!?」

唖然とする不死川の言葉に、無惨は得意気な顔を見せた。

「たしかにこの体には回復する体力が残っていませんでした。なので私は体力の代わりに鬼の力を消費して、強引に回復してみました。一気に弱くなってしまうので、あの悪鬼もこの奥の手を知らなかったようですが。前にこの手を使った時には、町の子供らにも腕相撲で負けるくらいに弱りましたよ」

平然と笑う無惨の毒気の無い様子に、力の抜けた不死川たちは釣られて笑うしかなかった。

「むーさん。悪鬼は?」

「もう感じません。厳勝さんが連れて行ってくれたようです」

「ったく非常識にもほどがあるな、アンタの体は」

鬼に常識が通じるはずもない。誰もがそう思いながら不死川を笑った。

無惨も温かな笑みを不死川に向けていた。

 

それは消えそうな笑みであった。

 

 

 

 

「皆さんと笑いながら過ごしたかった。最期に無理をした甲斐がありました」

そう言って微笑む無惨の首端は、再び塵と化し始めていた。

 




【平安コソコソ噂話】
鬼の力を消費した回復は、前の世界での狛治の事件の時の方法だぞ!
無惨はもし黒死牟の協力が得られなかったら、この回復方法を連発して鬼舞辻無惨を蟲と同じレベルまで弱体化させてから体を明け渡すつもりだったぞ!

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