あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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おでこ

悲願の鬼舞辻無惨討伐の余韻も束の間。

響き渡った無惨の小さな一言は、その場にいた者たちに静寂と動揺を波及させた。

「む、むーさん?」

「な、何言ってんだ・・・アンタ、冗談が下手って俺言っただろ?」

引きつった笑顔のまま現実を受け止めきれないカナエと不死川の肩に、状況を察した産屋敷が優しく手を置いた。

「無惨殿。何か所望されるものは?」

「そんな縁起でもないことを言うな!」

産屋敷に食って掛かる累であったが、その手を悲鳴嶼が優しく捕らえると弱々しく項垂れた。

そんな隊士たちの様子を見つめながら、無惨は静かに微笑んだ。

「今さら言わずとも、私の望みは分かっていただけると思っています」

「そうだね。残された者たちのことは全て任せてくれていいよ。それと・・・」

産屋敷はなるべく短く無惨と最終意思を確認し合い、周りを見回して愼寿郎、カナエ、不死川、累を呼び寄せて無惨の元へ向かわせた。

その場で彼らは理解した。最後の時を親しき者たちと過ごす。それが無惨の望みであり、それを自分たちは笑顔で見送るべきだと。

「愼寿郎さん。戦いの世でなくとも、煉獄家は弱き者を守る素晴らしき一族だと私は知っています。これからも金剛の剣となって皆を守ってください」

「しかと!」

両手をパシッと合わせた愼寿郎。その瞳の炎には一切の揺らぎも無かった。

大切な者との死別を無惨がいたからこそ乗り越えた彼には、その覚悟が既にできていた。

煉獄家はもう大丈夫。無惨の心を安堵が包んだ。

「カナエさん。貴女が最初に私たちを受け入れてくれたおかげで、全ての鬼の門戸が開かれました。本当にありがとうございました。貴女の幸せを願っています。それとカナヲをよろしくお願いしますね」

「・・・はい。皆の幸せのために尽くします」

カナエの震える声には惜念が残っていた。

それでも彼女は必死に胸を張り、無惨に安心して彼岸へと渡ってもらおうと願った。

涙を見せまいと上を向くカナエの顔を、無惨もまた涙を堪えきれずに見上げた。

この時、産屋敷は自らを恥じた。

狡猾な鬼舞辻無惨を警戒するあまり、消えゆく無惨の姿にごくわずかでも疑念を抱いていたことを。

だが今、その瞳から流れている涙に悪鬼の気配は微塵も存在しない。その涙を見るまで確信しきれなかった自分を、産屋敷は心の中で恥じた。

「不死川さん。貴方には一番ご迷惑をかけてしまいました。ですが楽しい日々でしたよ。傷だらけでいつも心配していましたが、これからはご自愛ください」

「ああ・・・本当に。いや、やめてくれ。クソッ」

不死川は頭を時折振りながら、衣の裾を力強く握りしめた。

受け止めたくない現実。それでも受け止めなければならない。

その決意を固めるには不死川はまだ若すぎた。

この瞬間が彼の成長の糧になるとはいえ、それまでの時の流れが全て不死川の心を刺し続けるだろう。

「累さん。これからは貴方が鬼の皆さんを背負って立ってください。大丈夫、貴方には貴方を助けてくれる家族が、これからもたくさんついていてくれます」

「無惨様・・・は、はい・・・」

累は胸を押さえながら、必死に無惨に笑顔を向けた。

唇を噛みしめ、瞳を潤ませ。心に迫る巨大な不安と悲しみの波を受け止めながら。

本当であれば叫び出したかった。今の自分では胸を張って家族を迎えることはできない。無惨にもっと長く、一緒に隣に立っていてほしい。

でもそんな無惨が最期の最期に自分のことを気にかけてくれた。その事実を累は受け止め、その胸に使命感が燃え始めていた。

 

おだやかな光が無惨の瞳には宿り続けていた。

日の呼吸に焼かれながら、鬼の力を削り続けて耐えてきた傷の痛みよりも、心の温もりが無惨には愛おしく感じられた。

死など怖くない。今までもいつかの旅立ちを待ち侘び続けてきたくらいだ。

だがそれ以上に皆との別れが辛い。できればもっと生きていたかった。1秒でも長く。

そしてそれ以上に、重い睡魔が無惨に襲い掛かっていた。

薄れゆく意識の中、最後まで皆の顔を見ていたかった。

夜の闇と意識の闇が入り混じる中、無惨の視界に最後に入ってきたのは禰豆子の姿であった。

『そうだ・・・禰豆子さん。貴女を人に戻すお約束を・・・守ることが・・・できず・・・申し訳ありません・・・でしt

 

 

 

 

 

 

 

 

闇とまどろみの中に無惨の意識は溶けていった。

 

痛みもない。

匂いもない。

光もない。

色もない。

例えるなら泥の中に全身が浸かったような感覚。

ひんやりとして、肌に触る感覚がどこか心地よい。

口の中にネットリと鉄の味が広がる。

体が拒絶するほどではないが、どことなく嫌な感覚。だが決して悪くもない。

全てが混沌とした、そんな不思議な感覚が無惨を包んだかと思うと・・・

 

 

無惨の意識は急に引っ張られていき

 

薄明りの中で目を覚ました。

 

 

 

懐かしい匂いがした。少しかび臭い木の匂いと、ほんのりと炭の匂い。

「ここは?」

呟きと共に重い瞼を開いた無惨。

「鬼の彼岸? それとも人の?」

うつろな意識の中、体にかかる布団とその上に乗る2つの手に気付いた。

それは2人の少女の手。一人は禰豆子。もう一人はカナヲであった。

瞳を開けた無惨を目にした彼女たちは、驚きと感激の表情を浮かべていた。

「よ・・・よかった目を覚ました!」

目に涙を浮かべながら無惨に抱き着いた禰豆子。その熱烈な抱擁に無惨は戸惑った。

カナヲは困惑のあまり目を大きく見開いたまま、口をパクパクさせていた。

『これは・・・まさか? いえ、そんなはずは』

無惨は徐々に鮮明になる意識の中で記憶を整理しようとした。

何を以って判断すべきか迷ったが、ひとまず元号を知ればいいのではないかと思い始めていた。

「あっ、こうしちゃいられない。お兄ちゃん、皆。早く来て!」

飛び上った禰豆子の行き先を目で追ってようやく、無惨は自分のいる場所がどこかの部屋であることに気付いた。

窓も無く、板張りの小屋のような部屋。見覚えがあるようでないような、どこにでもありそうな殺風景な空間であった。

『いえ、さすがに違いますか。ここは私の家でも竈門家の家でもありませんね』

無惨が記憶と向き合う中、ドタドタと激しい足音が近づいてきた。

 

「無惨殿が目を覚ましたって、本当か!」「むーさん!」「無惨様!」

部屋に飛び込んできたのは炭治郎だけでなく、カナエやしのぶ、愼寿郎に累、里でなじみのあった隠や隊士たち・・・その他もろもろの怒涛の波。

当然、悲鳴が上がった。

「馬鹿! 入りすぎだ! 小屋が壊れるぞ! 日光! 余計な奴は出てけ!」

誰が誰に対して無礼な口を叩いているのか気にする者はいなかった。怒りはごもっとも。結局、後から来た者から順次退室を命じられた。

「えっと・・・これは一体?」

訳も分からず呆然とする無惨は頭に手を置いて自分の置かれている状況を理解しようとした。

そして最悪の事態を想像してしまった。

「まさか・・・そんな、皆さん何てことを・・・私の後を追うなんて・・・」

青ざめる無惨に愼寿郎は「何を勘違いしておるか想像に易いな」と、無惨が想像していそうな後追い集団自殺説を一蹴した。

 

「心配せずとも、ここは黄泉の国ではない。藤襲山の鬼の里の小屋だ」

「え? ですが私の体はたしかに滅していたはず・・・はて?」

そう言いながら無惨は自分の体の異変に気付いた。正確には“異変が無い”ことに気付いた。

黒死牟に斬られてバラバラになったはずの胴や手足が元の正常な体に戻っている。腕や体全体が鉛のように重く感じられること以外、至って健康体だ。

「無惨様が不思議がられるのも分かります。そのカギを握っている男が今から来ますよ」

どこか誇らしげな累の言葉に招かれるように、部屋の扉がガラリと開いた。

「や、やめてくれ悲鳴嶼さん! これは流石に恥ずかしすぎるッ!」

現れたのは悲鳴嶼にお姫様のように抱きかかえられた不死川であった。その光景に無惨は驚いたが、累やカナエ、しのぶは笑いを堪えるのに必死だった。

そんな晒し者の不死川は悲鳴嶼から降ろされると、その場でよろけて倒れそうになった。

「大丈夫ですか不死川さん!」

心配した無惨に、不死川は赤面しながら「ただの貧血だ」と首を横に振った。

だがそんな不死川の体の大きな異変に無惨はすぐに気付いた。

「不死川さん! どうされたのですか、左腕が!」

無惨の視線の先、不死川の体にあるはずの左腕が肩の根本から全て失われていたのだ。

「気にすんな。こんなものは・・」

「勲章ですよ。無惨様を救った」

照れながら顔を背けた不死川の代わりに、累がニヤリと笑って答えた。

そのやり取りの意味を理解できるわけがなく唖然とする無惨に、カナエが代表して説明を始めた。

 

「あの時、悪鬼が累くんに命令しましたよね? 『鬼狩りを殺して持ってこい』と。それってつまり人間を喰らえばあの状況から回復できる算段があったってことです」

「無惨様が気を失われた直後だったと思います。コイツが自分の左腕を斬り落としたのは。なので僕がソレを細かく切り刻んで・・・」

累とカナエの説明の中、理解が追い付かない無惨は「ちょっと待ってください」と手を振った。

「それってまさか・・・」

「ああ。前に言っただろ? 俺みたいな稀血は鬼にとっちゃ何百人分の栄養。一気に食わせる分、足りなかったらもう一本いくつもりだったが」

強がって笑う不死川であったが、貧血のせいで笑うたびにクラクラしていた。

「足りなかったかどうかはわかりませんが、足してくれた子がここにいます」

そう言ってカナエが背中を押したのは、禰豆子の横で無惨を見つめる母鬼であった。

「あっ、はい。無惨様の御身体が散らばっていたので・・・私、まさかこんなところで活かせられるなんて思わなかったです」

不死川の血肉を無惨の口へ運ぶ間に、母鬼が無惨のバラバラになった体を縫合していたのだ。

累によって裁断された不死川の血肉と、母鬼の縫合。そして何よりも重要だったのが、生きたいと願う無惨の心。

その紡がれた意思により、無惨の体は日の呼吸による消滅から脱していたのだ。

「そうでしたか。では私が最後に見た禰豆子さんは本物だったんですね・・・あれ? ですがお二人はどうしてあの場に?」

「無惨様のお里が襲われたって鴉さんが教えてくれて居ても立ってもいられなくて」

「朝方に出発しました。日の当たってるうちは俺が2人を籠に乗せて運んで」

ブンブンと腕を振る禰豆子と、大きな背負い籠を見せながら説明する炭治郎。この愛らしい兄妹の姿を見ることができ、無惨はたまらず微笑んだ。

「そうでしたか。皆さんのおかげで私は生きながらえたのですね。私だけ生きて、共に戦って散っていった巌勝さんには悪い気もしますが」

「上弦の壱のことか? 無惨殿の生還に貢献したと思えば、彼の死後の罪状も少しは減る事でしょう。今頃、閻魔様の前で感謝しているはずです」

「そもそも歴代の隊士を多く殺してきているような輩。無惨様と共に冥途に向かおうなど、ムシが良すぎる!」

悲鳴嶼と愼寿郎がそれぞれに無惨を励ます中、無惨はふと1つのことを思い出した。

「そうだ、不死川さん。ちょっとお顔をいいですか?」

「ん? なんだ?」

キョトンとした顔を無惨に近づけた不死川。その額に無惨はピンとデコピンをかました。

突然の無惨の奇行に困惑する不死川。

だが無惨はフフと鼻を鳴らして言った。

「言いましたよね? 次に私に血を飲ませたら、おでこをピンってするって」

無惨の笑顔につられ誰もが笑い、全ての決着が幸せと共に訪れた奇跡を喜んだ。

 

 

ちなみに無惨の指の骨はデコピンで折れた。すぐに治った。

 

 

 

 

そして数日後―――

「見送りはいいっつったろ?」

養生を終えて藤襲山を出発する不死川の見送りに、無惨が立ち会っていた。

復活の際に力を多く失っていた無惨は杖を突きながら歩くので精一杯。整備されていない山の中を移動するのには、いつも隊士や隠、鬼の誰かが付き添った。

「じゃあな。里の復興やら忙しいだろうが」

「そうですね。それに鬼を人に戻す方法を探さなくてはなりません。やることは山積みです」

「そうか。道のりは険しいが、アンタならやれる気がするけどな」

「不死川さんにそう言っていただけると自信が湧きます! そういえば眠っている間に不思議な夢を見た気がします。全てが万事解決するような夢で。青い何か、獣? 少年? それと珠のように綺麗な女性が出てきたような」

「なんだそれは? だが、アンタの血鬼術は夢が本当になるようなもんだからな。案外そのうちなんとかなるかもな」

そう言って拳を突き出した不死川に、無惨も拳を合わせた。付き添いの隠は「また骨折しますよ」と焦りながら叫んでいた。

「次来るときは・・・弟を連れてくる。まだどこにいるか見つけれてねぇが・・・必ず連れてきて、俺の恩人はこんなすげぇ人だぞって自慢してぇんだ」

「ええ。是非お会いしたいです」

そう言い残し、不死川は拳を高くつき上げながら山を降りていった。

その背に無惨は手を振り続けた。

 

そんな時、里の奥から無惨を呼ぶ大声が聞こえてきた。

「無惨様! 大変です!」

急報ではあるが警報ではない。大変ではあるが、危機が迫っている感じはない。

困りごとか厄介ごとか。何とも言えない叫び声に、無惨は「どうされましたか?」と穏やかに尋ねた。

 

 

 

 

 

「や、山から・・・変なイノシシが!」

 

 

 




【平安コソコソ噂話】
炭治郎が禰豆子と母鬼を籠で運べたのは、日頃から竈門家が家族みんなでお花見に行ったりして、こういう事態を経験済みだったからだぞ!
日光対策や丈夫さ、背負いやすさがバッチリだ。背中にフィットして背筋も自然にピーンとなるんだ。
花子は「天使の羽」と命名していたぞ! 

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