「お館様、お急ぎください!」
カナエが先導し、山道を進む産屋敷。
つい数年前まで呪いに侵された体で満足に歩くこともできなかった彼が今、全速力で走って向かう先は無惨の部屋であった。
喉を走る痛みは生と健を実感できるものであったが、その胸に走る不穏な痛みは死との対峙を覚悟するものであった。
「失礼します」
カナエが戸を開けると、産屋敷の前にはかつて目にした光景が広がっていた。
「おはようございます産屋敷さん。伏したままで申し訳ありません」
質素な部屋に置かれた布団の上、しのぶとカナヲに看病されながら微笑む無惨の姿があった。
その顔は頭部から首元にかけて酷い傷に飲まれ、白濁した瞳には光が宿っていなかった。
「お館様。むーさんの体は」
「ああ、間違いないね。彼の体を蝕んでいるものは我が一族の呪いそのものだ。私の父と同じように。いや、あの時よりも進行が早すぎる」
産屋敷は歯噛みした。一族から鬼を出してしまったことで呪われた血筋。鬼舞辻無惨が滅んだことで解放されたはずの忌まわしき病が今、よりにもよって大恩人である無惨に降りかかってしまった現実。
「産屋敷さ・・「無惨殿、私が今から言う事をどうかお聞きください」
産屋敷は無惨の言葉を遮った。病に侵された体では声を出すだけでも苦痛になることを知っているからだ。
「カナエ、しのぶ、カナヲ。すぐに皆を集めておくれ」
「・・・御意に」
産屋敷の命令にカナエは一瞬の迷いを見せたが、すぐに2人を連れて部屋を出た。
残された無惨の元へ産屋敷は静かに歩み寄り、静かに座り込むと丁重に手を床に置いた。
「おそらく貴方の命は幾ばくも無い。鬼舞辻無惨の千年分の呪いが蝕んでいる。残された里の人々は私、産屋敷耀哉が責任をもって面倒をみます」
産屋敷は時間を惜しんだ。無惨の望みを早く叶えなければと心が急いた。
そんな産屋敷の方に無惨は顔を向け静かに微笑んだ。
苦痛の渦の中にいながらも笑みを絶やさない無惨に、産屋敷は『落ち着いてください』と語りかけられたことに気付いた。産屋敷は一度息を大きく吐き、再び口を開いた。
「鬼の終息を宣言します。鬼舞辻無惨の死と現状の鬼の報告の消滅、そして惜しくも貴方に全ての呪いが降りかかったことが裏付けです」
この世から鬼の脅威が去ったと産屋敷は確信していた。無惨にかかった呪いを代償に。千年分の呪いは、父やそのまた父たちの何十倍もの早さで無惨を侵しているのだと。
産屋敷は最後に息を大きく吸い無惨を見据え、しずかに頭を下げた。
「無惨殿。貴方の御尽力により私たちは悲願を達しました。貴方がいたからこそ・・・悪い鬼がいない世界になった。ありがとう」
産屋敷の心はまっすぐに無惨へ届いた。
無惨はぎこちなく身を起こし、静かに微笑んだ。
「私はただの刃。最後の一振りだっただけです」
祭の夜明けでありながら、鬼の里は混乱と悲哀に満ちた。
無惨急変の報せに叩き起こされた人々が我先に無惨の家に集まった。
「そんなっ。無惨様が」「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ」「何で、どうしてっ」
家の前、広場とは到底呼べない小さな庭に里の全員が集まった。所狭しと隙間なく並び、小さい者は大きな者の背を借り、一同が同じ方を向き。
庭を眺める縁側の障子が開いた。
そこにはしのぶとカナエに支えられた無惨の姿があった。
産屋敷と対話した時よりも呪いは進行し、既に傷のない場所は無かった。
その痛々しい姿に息を飲む者、嗚咽を漏らす者、唇を噛む者。
その誰もが無惨の姿を真っ直ぐに見た。
目を逸らすことを恥だと思った。
無惨が自分たちのために力を振り絞っているのだから。
「おはよう皆。集まってくれてありがとう」
無惨の言葉は力なく、弱く、それでいて心の芯に届く声であった。
心臓の鼓動すら聞こえてくるほどの静寂の中、集まった誰もが無惨の言葉を聞き逃すまいと身をのり出した。
「昨日は本当に楽しかった。まずはそれを言いたくて・・・」
「すまねぇ! 俺のせいだ!」
無惨の言葉を遮った不死川の叫びに、里の人々は驚きと苛立ちの視線を向けた。
「アンタのその傷、俺のせいだろ? 俺が無理に薬を打ってアンタを人に戻したから。そのせいで弱っちまったんだろ!?」
無惨の状態の悪化の原因と責任を誰もが同じように考えていた。不死川のことを心の中で責めている者も多かった。だがそれを今の無惨の前で口に出すべきではない。それにも関わらず叫んだ不死川を誰もがますます責めた。
だが無惨はその不死川に微笑みを向けた。
「不死川さんは勘違いをしていますよ。私はあの時に鬼の彼岸に行きたいと言いましたが、本当はここにいる誰よりも人に戻りたかったんです。不死川さんが薬を打ってくれなかったら、人に戻るきっかけをずっと失っていたことでしょう」
無惨の言葉に不死川は「だが」と項垂れた。
「その気持ちは誰にも負けません。だって千年も人に戻りたかったんですよ? 年季が違います」
そう言って胸に手を置いた無惨。その澄んだ言葉に嘘の気配は微塵も感じられなかった。
不死川を庇うための言葉ではない。無惨の本心だ。疑ってしまえば自分自身すらも信じられなくなると、誰もが心の底から飲み込んだ。
「不死川さんがいなければ。いえ、ここにいる皆がいたから。私は幸せになれました」
「そんな・・・無惨様が死んでしまったらもう僕らは・・・」
絞り出された累の言葉に誰もが同調した。
「無惨様、かけがえのない貴方様がいなくなってしまったら、私たちはもう」
「それは違いますよ」
母鬼の言葉に無惨は首を横に振った。
「最期に皆さんにお話しておきたかったことがあります。どうか聞いてください」
最期。その一言が里の人々の心を抉った。
だがこれは現実。
決めるべき覚悟を胸に宿らせなければ、かけがえのない時間を無駄にしてしまう。
誰もが口を閉じ、無惨の言葉に耳を傾けた。
「私は、かけがえのない者よりも、かけがえのある者になりたい。
欠けたとしても、代えのある者になりたい。
人は誰もが何か欠けています。
欠けたものを何かで代えなければなりません。
代えが必要だから、人は誰かに助けてもらわなければ生きていけません。
助けてもらって欠けを埋めて、誰かを助けて代わりになって。
助け合って初めて、欠けがなくなります。
鬼も同じです。お日様に弱いという致命的な欠けがありました。
なのに鬼舞辻無惨は鬼を助け合わなかった。
だから鬼殺隊に負けた。私たちに負けた。
皆さんが助けてくれたから、私たちは鬼舞辻無惨を倒すことができた。
本当に強い生き物は助け合います。
本当に強い人は、誰にでも助けを求める人です。
本当に強い人は、誰にでも助けを差し伸べる人です。
何かが欠けたら、誰かが代わりになってあげてください。
強くなってください。
皆さんが強くなってくだされば、私も安心して彼岸を渡ることができます。
実は私、冥途を楽しみにしています。
向こうで妓夫太郎さんや梅さんが待っていてくれています。
みなさんのお話をたくさんしていきます。
あっ、冥途の土産ですね。
皆さん
あまり早くこちらに来ないでくださいね
梅さんがきっと嫉妬してしまいます
妓夫太郎さんも、今まで誰にも甘えたことが無いでしょうから、皆さんにそんな姿を見せたくないと怒るでしょうね
狛治さんや、恋雪さんにも会えたらいいな。
琴葉さんにも
縁壱さんやうたさんも居るのかなぁ
あぁ
そろそろ
それでは
みなさん
私は一足先に欠けていきます
「いってらっしゃいませ」
不思議なことに、無惨の遺体はだいぶ前にこと切れていた。
一体いつ頃なのか。
もしかしたら最初から。
だがその場にいた誰もが同時に別れを告げていた。
もしかしたら自分たちが心の中で勝手に無惨の言葉を思い浮かべていたのかもしれない。
自分の中で勝手に語っていたのかもしれない。
「全く、不思議な人だったね」
「そうですね。全てがまるで嘘みたいです」
「最後まであの人らしいっつうか」
「ド派手に言葉を間違えてやがったな。“欠け”“代え”じゃねぇ。“掛け”“替え”だからな」
「・・・そうだったのか」
「だがあの御仁らしい最後であった」
鬼乃里。
世にも珍しい鬼を讃える村。
藤の花が咲き誇る一帯を抜け。
陽の光と木陰に囲まれ。
綺麗に拓かれたその村で。
今日も鬼の人が舞う。
【 完 】