疲弊極まる。無惨と炭治郎は精神的な疲れから足取り重いまま、他の隊士たちと共に屋敷を出ていた。
「な、何が何だか」
「と、とりあえず仕事に向かえと言われましたが・・・何を?」
心ボロボロの無惨と炭治郎を心配して伊之助が「大丈夫?」と2人の肩に手を置いた。
「そういえば無惨さんはどうして鬼殺隊に?」「どうして、ですか?」
首を傾げる伊之助に、無惨も首を傾げた。
「だって今日は鬼殺隊の全員集会ですよ。神父様が参列していて珍しいなぁって皆も見ていて不思議がっていましたから」
神父? 無惨と炭治郎はその言葉の対象に指さしながら目を丸くした。
「馬鹿だなぁ伊之助は。無惨さんは警邏の依頼に来たんだろ? まぁそういう馬鹿っぽいところが可愛いんだけどな」
そう言って伊之助の肩に肘を置き、頬をツンと突いた善逸。
状況を飲み込めない無惨は「まぁ、まあ」と答えながら『なるほど夢の中で自分の役割はそうなっているのか』と納得した。
「俺も(修道院にいる男の子たちに会いに)行って差し上げたい・・・」
「アンタの狙いは分かってるからね」
善逸の脇腹を刀の柄で小突くカナヲ。善逸は「のはやまやまだが」と続けながら悶絶した。
「お・・・おま・・・馬鹿女・・・俺は他の任務があるってのに・・・」
うずくまる善逸にカナヲは「知ってる」と吐き捨てた。
「まぁ私も炭治郎と一緒に行きたいんだけど、今日は姉さんと当番の日だから。ごめんね炭治郎」
そう言って炭治郎の手を握るカナヲ。炭治郎は「当番?」と首をかしげた。
「今日炭治郎と当番なのは・・・アイツか」
そう言ってあからさまに嫌な顔をしたカナヲ。その視線の先で“彼”は大きく手を振っていた。
「たんじ~! む~さん! 行っこうぜい!」
とにかく明るい玄弥。無惨と炭治郎はその明るさにちょっと安寧を覚えた。
玄弥は聞いてなくても色々を説明してくれた。
ここの鬼殺隊の仕事は早い話が警邏隊。犯罪の抑止や検挙、対処するために地域を巡回するのが仕事だ。二人一組で行動し、担当地域の住民に寄り添う立派な仕事。
そして無惨は修道院の神父だ。孤児院とブドウ園を併設していて、収穫祭になると地域にワインを配ったりする有名な修道院だ。
という一連の説明を玄弥は長々と説明した。説明に無駄が多すぎた。話が脱線しまくった。道すがらすれ違った隊士が玄弥の演説を聞いている無惨と炭治郎に『ご愁傷様』といった顔を向けてきた。
だが無惨も炭治郎もそれがありがたかった。他の知り合いと違って玄弥には落差を感じないからだ。
「さてさてさ~て、到着したぜよ。無惨さんの修道院!」
無惨と炭治郎は思わず「おぉ」とため息を漏らした。
まわりの大正時代な雰囲気と打って変わって、ここだけハイカラで荘厳な造りが独特な存在感を放っている。
入り口の周りで子供たちが仲良く遊んでいるのが見えた。
「あっ、無惨様だぁ」
子供の一人が気付いて声をかけて来た。それを合図に他の子供たちも無惨の元へ走って寄ってきた。
「みなさん、急に走ると危ないですよ」
この状況に身に覚えのないはずの無惨であったが、子供たちの集合に笑顔で応じていた。
炭治郎もヒソヒソと「鬼舞辻さん、知ってる子たちですか?」と尋ねたが、無惨は笑顔で「いいえ」と即答していた。
「無惨様ぁ、手ぇ握って」「蹴鞠しよぉ」「あやとりぃ」
「ダッコしてー」「あそこまで登ってー」「高い高いしてー」
無惨の手だけでは足りないくらいの要求の数々に、炭治郎は「俺が相手するよ」と自主的に手伝いに入った。玄弥もだ。
「それにしても、この子たちどこかで見たことがあるような」
そう思いながら炭治郎が子供たちの世話を続けていると、修道院の中から見覚えのある女性が現れた。
「「た・・・珠世さん!?」」
無惨と炭治郎は同時に驚きの声を上げた。
特に炭治郎は訝しんだ。鬼舞辻無惨を憎む女性、珠世。決して相容れぬ彼女が夢の中とはいえ無惨の居場所にいる現実(夢である。現実ではない)。
今までの経験から炭治郎の知る彼女とは大きく異なった言動を見せる可能性が高いが・・・この無惨と邂逅した時に一体何が起こるのだろうか。
「おかえりなさいませ無惨様。嗚呼、今日の無惨様はとても凛々しくいらっしゃいますね。明日の無惨様もきっと凛々しくあられるでしょう」
これを真顔で言っているのだからタチが悪い。恍惚とした表情で言ってくれたほうがまだ小気味よいだろう。
つまり炭治郎は開いた口が塞がらなかった。
だが少なくとも、こんなことを言われた当人は嫌な気はしないはず。特にこの人当たりの良い無惨であれば・・・。そう思い炭治郎は無惨の顔を覗き込んだ。
「た・・・珠世さんが・・不気味だ」
不気味なの? 炭治郎は思わず声に出しそうになった。
だが無惨の声はいたって真面目であった。
「いつもの珠世さんじゃない。珠世さんはもっとこう・・・私を罵るのに!」
クッと嘆く無惨に、炭治郎は『そのいつもの珠世さんもどうかしてると思う』と思った。
「無惨様、喉は乾いておりませんか? すぐにお水を持ってこさせます。誰か」
そう言って珠世が手をパンと叩くと、修道院の中から3人の人影が現れた。
その姿に炭治郎と無惨は目をカッと見開いた。
「あ゛? 無惨様帰ってるじゃあねぇかよぉ」
「お兄ちゃん、だから言ったでしょ! ほらワン太郎、お水だって」
「狛犬ですらなくなったな。それと、無惨様がお前に命令じたか? おしとやかにしろ」
騒々しく言い争いながら現れた男女3人。
腰が曲がって不気味に痩せた男。その隣を仲睦まじく歩く美しい少女。そして濃いまつ毛で筋肉質な男。
見覚えがあるどころではない。炭治郎と激しい死闘を繰り広げた因縁の相手。その面影を濃く残す男女。
上弦の鬼・妓夫太郎、堕姫、猗窩座。おそらくはその人間であった頃の姿がそこにはあった。
「・・・・妓夫太郎さん。梅さん。それに・・・狛治さん」
炭治郎は耳に自信があるわけではない。声から人の心を読み解く善逸のような術を持ち合わせているわけではない。
だがそれでも感じ取ることができた。
無惨の声には哀愁と歓喜、そして渇望が混ざりながら、あまりにも美しく合わさっていた。
そんな無惨が我を忘れて3人の元に走り出し、飛び込むように3人を抱きしめた瞬間、炭治郎は思わずその目から涙を流していた。
「む、無惨様!?」「キャッ無惨様、みんな見てるよ」「どうかされましたか?」
困惑する3人を腕に抱きながら、無惨の感涙は止まらなかった。
「妓夫太郎さん、梅さん、狛治さん。もうどこにも行かないで・・・生きていてください」
炭治郎は無惨の背を知っていた。自分もそうだった。
炭治郎の場合は下弦の壱の血気術の攻撃による夢であったが、それでもあの瞬間、死んだはずの家族と再会した喜びは本物であった。
因果は分からない。炭治郎の知る無惨でも無ければ上弦の鬼たちでもない。彼らの事情を知ることはできないし、知ったとしても理解はできない。
だがそれでも、この無惨には愛がある。もしかしたら炭治郎が今まで生きてきて、出会ってきた全ての愛よりも深いかもしれない愛が。
たしかにそこにはあった。
「鬼舞辻さん・・・俺、警邏に行ってきますね」
邪魔をしてはいけない。無惨のために身を引くべき。そう炭治郎は悟り、静かに退席しようとした。
「あ゛? てめぇ炭治郎よぉ、なぁに黙って帰ろうとしてやがるんだぁ?」
去ろうとする炭治郎を、妓夫太郎は鬼の頃のようなねちっこい声で呼び止めた。
「え? 邪魔したら悪いかなって思って」
「何言ってんの? ほんとアンタってお兄ちゃん失格よね。少しはアタシのお兄ちゃんを見習いなさいよ!」
そう言って炭治郎を責める梅。この言い方も鬼の頃のような棘のある言い方だった。
だが責められる心当たりのない炭治郎は首を傾げた。
「竈門炭治郎。こいつらはお前が“妹にも会わずに”行こうとしていることを怒っているんだぞ」
狛治に言われて炭治郎はハッとなった。
思えばこの修道院にいる人たちは皆、炭治郎出会ってきた鬼たちばかりだ。
そこに来て妹となれば・・・当然。
「ひょっとして、禰豆子さんもこちらに?」
同じように気付いた無惨がつぶやくと
ズズーン
地響きか? 炭治郎と無惨は一瞬そう思った。
“それ”は修道院の裏から現れた。ヌッと現れた。
何から説明したらいいか。
巨躯? 桃色の麻の葉模様?
それともアゴ? むりんっ? 鼻息?
「 お 兄 ち ゃ ん は 私 が 守 る ! 」
「禰豆子さん!」
無惨は布団から飛び起きた。
目の前に広がるのは彼の自室。
悪鬼・鬼舞辻無惨との戦いを乗り越え、仲間達と共に作り上げた平和な鬼の里。その無惨の寝室であった。
「鬼舞辻さん、どうしたの?」
部屋の隅で無惨の世話をしていた禰豆子が首を傾げた。
その顔はいつもの禰豆子であった。
アゴがお尻みたいにはなっていなかった。体が大人の男性の3~4倍だったりしなかった。
「よかった。かわいい」
あまりにも怖い夢を見ていた無惨は、その勢いのまま目をギンギンにしながら禰豆子を撫でて安心を取り戻した。
そんな無惨の様子を見て、同じ部屋で存在感無く仕事をしていた村田は『どんだけ可愛くない夢だったんですか』と思うのだった。
― 完 ―
ここで最後の平安コソコソ噂話
キリスト教においてワインはキリストの血。
つまり夢の中でも無惨の仕事は、みんなに血を分けてあげることだぞ!