あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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鬼の血

無惨には嫌いなものが少ない。

そのことを彼は、縁壱の言葉を借りて「この世はあらゆるものが美しい、この世界に生れ落ちることができただけで幸福だ」と語っている。

 

とはいえ苦手なものは多い。

鬼から人に戻る薬を見つけるため、毒を飲む日々は苦痛の連続だ。

 

だがそれも、最近はそうも苦ではなくなっていた。

単純に耐性が付き始めていたからだ。

未だにどうしても駄目なのは、藤の花で作った毒くらいなもので。

 

藤の花なら、臭いを嗅いだだけですぐにわかる。

だが・・・他の毒ではそうはいかない。

 

 

 

この時も、無惨は水を飲んだ気でいた。

多少、舌がピリリと痺れたり、若干の胸やけのような違和感を覚えたくらいで。

 

「!!?? かっ、かはっ!」

 

最初にそれに気付いたのは、隣に座る珠世が急に苦しみだした時だ。

「珠世さん! どうされたのですか!?」

駆け寄った無惨は、珠世の瞳孔がわずかに開いているのに気付いた。

 

『まさか・・・毒!?』

覗き込めば珠世の口から血が流れているのが見える。

だが彼女は苦悶の表情のまま、無惨に向けて必死に何かを伝えようと口を開いた。

「・・きぶ・・・むざ・・・何を馬鹿な・・・心配すべきは・・私じゃ・・・ない」

珠世は震える手を“2人”を指さした。

 

何と間抜けな話であろうか、と無惨は自身の危機感の無さを恨んだ。

珠世の指さした先には、無惨たちと同じように水を飲んでいた恋雪と慶蔵が、口から血を吐き倒れている姿があった。

 

「あぁああああああ」

無惨は取り乱しながら、不老不死の鬼である珠世を泣く泣く放置し、人間である2人に駆け寄った。

 

「無惨・・・殿・・・」

慶蔵は辛うじて話ができる程度。だが、恋雪は虫の息であった。

 

毒は人間の粘膜や内臓を溶かす、非常に強く無慈悲な物であった。

喉が裂かれ、食道と胃は焼かれ、大量の血が気道をも塞いでいる。

一秒を争う危機的状況が、病弱な恋雪を襲っている。慶蔵ですら命が数刻ももたないほどだ。

 

『嗚呼・・・駄目です。こんなところでこの御二人が死ぬなんて・・・まだ、これから幸せになるところでしょう! 狛治さんとの明日の結納を、とても楽しみに待ち侘びていらしたのに・・・それなのに・・・』

無惨の心臓は押し潰されそうなほどに締め付けられた。

今までに飲んだどんな毒よりも苦しい締め付けが、彼を襲った。

 

決断が迫られていた。

2人を救いたい

そのためには、かつて珠世に施したように

鬼の血を分け与える他に道はない。

 

 

だが、かつての過ちを繰り返してはならない。

鬼となった直後に隣で苦しむ家族を喰らってしまっては、より悲惨な結果しか残らない。

 

『1人に血を与えたら素早く拘束するしかない。その後でもう1人に血を。まったく皮肉なものです。平安の時代に殺戮をくり返し、あれだけ忌み嫌った鬼の怪力が、今ここで重要な役割を持つなんて』

無惨は即決していた。

まず先に血を与えようと近寄ったのは慶蔵であった。

 

選択としては間違っていた。

順序を考えれば、より弱い者。瀕死の者を鬼から守るほうが難しくなる。

であるならば、先に鬼にするべきは拘束も容易い恋雪であるべき。

とはいえ、縁壱との鍛錬を経た無惨の力であれば、その逆であっても微々たる差でしかない。

 

 

無惨は迷うことなく手首の動脈を切り裂き、慶蔵の口に血を垂らして飲ませた。

その時に異変は起きた。

「がっぁががっ!」

無惨の血を飲んだ慶蔵の体は痙攣し、苦悶の表情をさらに歪めて身をのたうち回らせはじめたのだ。

 

それはかつて、珠世や山賊が鬼と化した瞬間に見た光景とは明らかに違う異常反応。

「慶蔵さん! しっかりしてください!」

無惨の声が届くより早く、慶蔵の体の動きは止まり、息も止まっていた。

「そ・・・そんな・・・鬼にならずに、死なせてしまった!?」

 

特定の薬や物質に対してアレルギーや拒絶反応を示す人がいるように、鬼の血に適応できない人間も存在する。量の問題もあるが、生まれつきに受け付けない体質の者もいるのだ。

 

 

無惨は酷く狼狽しながらも、必死に頭を巡らせた。

『考えろ鬼舞辻無惨! 慶蔵を殺してしまったのはたしかに私だ。何かが間違っていた。だが、そのことで心が折れている暇はない。責任は負うべき時に負え。今、死の淵にいる恋雪さんを救えるのは私だけ。珠世さんや山賊の時と、今で何が違う? それだけを考えろ!』

その時。無惨は自身の腕の斬り傷を見てハッとなった。

『そうだあの時、私は体を裂かれていた。腹にも矢を喰らい、額も割られて・・・弱っていた。私が傷つき弱っていれば・・・』

 

決断と覚悟は一瞬。

 

無惨は自身の腹に指を突き刺し、はらわたが飛び散るほどの勢いで掻っ捌いた。

 

「がはっ!」

 

 

首を斬り落とされた時にも味わったことのない、かつてない激痛が無惨を襲った。

腰にも足にも力が入らない。

脳が重く感じられるほど、体が床に叩きつけられるような重さに縛られた。

 

無惨は根気だけで意識を繋いでいた。

「こ・・・ゆき・・・さん・・・これで・・・生き・・かえって」

無惨は必至に手を伸ばし、恋雪の口に向けて指先から血を垂らした。

 

瞬間、恋雪の胸がドクンと突きあがる。

 

『成功か?』

恋雪の息は静かな寝息に変わっていた。

穏やかな顔で目を閉じ、口から溢れていた血も止まっている。

見てわかる変化は少なかったが、その指の爪が鋭く尖っているのが確認できた。

 

『よかった・・・ですがまだ・・恋雪さんを捉まえておかないと・・・狛治さんが・・帰ってきた時に・・・おそ・・・われて・・しま・・・・ぅ』

 

無惨の意識はそこで途絶え、闇の中に移っていた。

 

 

 

 

 

 

『無惨様。起きてください。頑張って・・・今起きないと、取り返しのつかないことに』

 

 

誰か、無惨に呼びかけている声が聞こえてきた。

懐かしいその声に、無惨の目は静かに開いていた。

 

「縁壱・・・さん?」

 

 

 

そうつぶやきながら意識を取り戻した無惨。

彼自身の体は恋雪を庇うように、覆いかぶさって倒れていた。

周囲に血溜まりが広がり、依然として内臓の飛び出たままの腹から激痛が走る。

全ては気を失った昼過ぎの状態のまま・・・ではなかった。

 

戸から長い影が入ってきていた。夕暮れ時であろう。

 

その影が無惨の顔に差し掛かった。

痙攣気味の荒い呼吸が聞こえてきた。

夕陽の影にありながらも、その顔は見てわかるほどに蒼白となっていた。

 

「は・・・くじ・・・さん・・・」

無惨は肺から声を出す力が残っていなかった。

 

 

狛治の目には、惨状が映っていた。

口から血を吐き苦悶の表情で絶命した師範。

同じように口から血を流している愛する妻。

その骸を守るように倒れる恩人は、腹を裂かれ顔面蒼白の相。

 

守りたいもの、守るべきものを失ったと、絶望した時

狛治の怒りは爆発し、その矛先は最も怪しい者たちへと向かい、その体を突き動かしていた。

 

 

「狛治さん・・・待って」

狛治の怒りは火を見るより明らか。

おそらくは矛先は、話に聞いていた険悪な隣の道場。

今止めなければ、彼が何をしでかすかわからない。

 

無惨は必死に体を起こそうとした。

だが、割いた腹の治りが間に合っていない。

回復には時間がかかる。

いつものように寝て待っていては間に合わない。

食べ物でも回復は十分に遅い。

 

遅すぎる。

 

もっと栄養素の高いものを喰らわねば・・・

 

 

 

 

人・・・・もしくは、鬼を

 

 

 

 

 




【平安コソコソ噂話】

慶蔵が鬼にならずに死んでしまったのは、ただ鬼の血に適応できなかっただけ。
無惨の負傷度合いは全く関係ないぞ。

しかし、恋雪を救いたい気持ちが無惨自身の体質を変えたおかげで、
恋雪は人を襲う本能が非常に薄れた無害な鬼になっている。
だから目を覚ましても狛治を襲う心配はゼロ。
無惨の心配はどちらのケースでも徒労だ!
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