あなたが落としたのはきれいな無惨ですか?   作:三柱 努

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決別

辛抱が足りない。

 

狛治は、まだこの時はそう思っていなかった。

思う余裕も無かった。

 

 

妻を、師範を、恩人を殺された。

嫌がらせをされていた頃に決着をつけておくべきだった。

 

 

道場に戻り、惨状を目撃した瞬間に目の前が真っ白になり。

後悔と憤怒、惨感が脳内を何度も巡り。

気が付いた時、狛治は隣の剣術道場に立っていた。

 

 

 

 

「て・・・てめぇは・・」

剣術道場の跡取り息子は、狛治を目にした瞬間に『しくじった』という顔をした。

「よ、よぉ狛治。何故か知らねぇが、トチ狂った顔してやがるなぁてめぇ。殺されそうで怖ぇからな・・・正当防衛だよな? 多対一だろうが」

 

この時、万が一に備え門下生67人が道場に控えていた。

恋雪だけが毒を飲み、毒を飲まなかった慶蔵と狛治が復讐に現れる可能性に備えていた。

 

だが、待てども隣の道場が騒がしくならないことや、日暮れになっても復讐に現れなかったことで、彼らは半ば安堵し、半ば退屈していた。

 

 

カチンと鯉口を切る音が鳴る。

これだけの人数を相手に、いつでもかかってこいと。134の嘲蔑の目が狛治に向けられた。

 

 

「フウ、フウッ、フウッ」

狛治の怒りと殺気に歪んだ形相は、猛獣を彷彿とさせる強い威圧感を放っていた。

跡取り息子はその顔を見るまで、自分が助かると思っていた。

 

 

その思いは一瞬で吹き飛んだ。

 

「ガァッ!」

 

雄叫びと同時に、狛治の踏み抜いた床板が木端となって舞い、その拳が突き抜いた血肉が跡取り息子の顔に散りかかるまでは。

 

 

 

腹を貫かれた者がいた。

それは剣術道場の門下生の誰のものでもなかった。

狛治の背後から現れ、彼の前に割って入った者がいた。

 

 

「間に合った・・・狛治さん、駄目ですよ」

 

狛治は目を疑った。

それは道場で恋雪を庇って倒れていた無惨その人。

その体が今、自分の目の前にいて、その体を自分の拳が貫いている現実。

 

腕を沿って温かい血が流れ、無惨の心臓の弱い鼓動が伝わってくる。

狛治が慌てて腕を引き抜くと、無惨は優しい笑顔のまま、狛治にもたれかかるように倒れ込んだ。

 

「無惨・・・様・・・あぁああああ! 俺は、俺はなんてことを!」

狛治は自暴自棄になった自分を呪った。

師範から習った守る拳で、取り返しのつかない暴走をしてしまった事実に絶望した。

 

「私なら・・大丈夫・・・心配しなくていい。それよりも・・・戻りましょう・・家に」

無惨の声は弱々しくも、狛治を想う強い心を宿していた。

「無惨様、もう喋らないでください・・・」

腹を貫かれた人間が、声を発するどころか息をするのも苦しいのは誰の目にも明らか。

狛治は無惨を想い懇願した。

「狛治さんが戻ってくれるなら・・・黙りますよ」

「わかりました・・・わかりましたから、もう・・・」

 

狛治の目からは涙が零れた。

つい数秒前までの憤怒は全て、無惨への謝意に代わっていた。

「すみませんが、運んでもらえますか? 今、動けそうにありませんので」

「! いっ、いけません眠っては! 珠世様や、桑寿郎様が・・・」

狛治は急いで無惨を背負った。

1秒たりとも無駄にできない。

 

せめて無惨の死に目に、彼の連れ人に合わせてあげたいと。

傍にいられなかった自分のような思いを、この人にはさせてたまるかと。

その想いのままに走り出そうとした狛治の前に・・・門下生が立ち塞がった。

 

 

彼らは狛治の一撃の凄まじさに怯んでいた。

だが、その強さも怪我人を背負ったままであれば無力。

用が済み、自分たちに向けられる前に狛治を殺さなければ。

全員が同じ考えに至り、示し合わせたように狛治を囲んでいた。

 

「そこを退け」

地を震わせるような狛治の声に、死への怯えを覚えた門下生たちは刀を抜いた。

 

狛治が一歩でも踏み出せば、一斉に斬りかかる気配が道場に漂った。

 

 

「なるほど如何。状況を理解したぞ」

その時、道場に場違いで快活な声が響いた。

その場にいた全員の目が向いた道場の入り口に立っていたのは、無惨の従者であった。

 

 

「よもやもよもや。恩家の窮地に呑気に薬を売っておったとは情けなし」

従者は叫ぶように言うと、木刀を取り出した。

そして瞬時にバチンと振り回し、間合いにいた門下生たちの刀を弾き落とした。

 

 

「狛治殿、この場は俺に任せて無惨様をお連れください」

「かたじけない」

包囲を抜けることができた狛治は入口へと急いだ。

去り際に「桑寿郎さん、ありがとうございます」と無惨が声をかける。

 

「なっ、何をしているんだ。追え!」

跡取り息子はハッとなり、呆けていた門下生たちを追手に差し向けようと声を上げた。

 

そこに、従者は木刀を一薙ぎして道を塞いだ。

その華麗ながらも豪快な所作に、門下生たちは一瞬、炎のような存在が横切った感覚に襲われる。

 

「火の呼吸伝承者5代目、煉獄桑寿郎。ここを通りたくば、我が炎刀術の塵となる覚悟を」

 

 

後に語られるよもやま話がある。

剣術者67振りの真剣が、たった1本の木刀によって全て叩き折られた話。

その切断面は、まるで灼熱の炎に焼き切られたようであったという荒唐無稽な話だ。

 

 

 

 

 

 

「無惨様・・・つきました」

日の落ちきった暗闇の中、狛治は家の戸を開けた。

背にした無惨の亡骸を何処に下ろそうか、それだけを考えていた彼は。

家の中から射す蝋燭の明かりに気付くのが遅れた。

 

「おかえりなさい、あなた・・・」

 

 

狛治は自分の目を疑った。

そこには、口から血を流して倒れていた、死んでいたはずの妻・恋雪の姿があったからだ。

 

「恋雪・・・どうして」

「詳しくは私から説明しましょう」

恋雪の背後から声がした。

それは狛治が帰宅時の惨劇の場で唯一存在を確認できなかった珠世であった。

 

彼女は慶蔵の傍らに座り、彼の装束を整えているところであった。

「師範・・・も、亡くなられたのですか」

狛治の言葉に珠世は静かに頷き、その後で「も?」と言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

 

「慶蔵さんを殺してしまったのは、私です」

狛治は自分の耳を疑った。

その声は彼の背から聞こえた。彼が自らの腕で腹部を貫いて殺してしまったはずの無惨の口から発せられたからだ。

 

「無惨様!? えっ・・・ど、どうして?」

「それも、私から説明しておきましょう」

珠世は『空気を読みなさい』と苛立ちの目を無惨に向けたまま語り始めた。

 

無惨と珠世の正体が鬼であること

毒を盛られた慶蔵と恋雪の命を繋ぐため、無惨が人を鬼に変える血を分け与えたこと

その血によって、おそらくは体が耐えられなかった慶蔵は死んでしまったこと

無惨が自らを弱体化させるために自傷し、恋雪をどうにか鬼に変えたこと

意識を取り戻した珠世が手当ての準備をしている間に、狛治が出ていってしまったこと

 

 

「そして、アナタ方が不在の間に恋雪さんは目を覚ましました。私と違って鬼の本能に支配されることはなく」

狛治は唖然としながらも恋雪の姿を確かめた。

たしかに言われれば、彼女の目や爪、口元から見える歯の形が変化している。

だが鬼と言われても、その立ち姿はいつもと変わらない彼女の優しさを放っていた。

 

 

「申し訳ありません狛治さん、恋雪さん。慶蔵さんにも断りも無く、御二方に血を飲ませて鬼に変えてしまったことを。全ての責任は私にあります」

狛治に下ろしてもらった無惨は、その場ですぐに平伏し、頭を垂れ蹲った。

 

「そ、そんな。頭を上げてください無惨様!」

「私は貴方様のおかげで命を取り留めました。父の事は残念でしたが、それでも貴方様の責任ではございません!」

狛治と恋雪は急いでしゃがみ込み、無惨の体を起こした。

 

「俺こそ怒りのあまり辛抱すらできず、無惨様を巻き沿いにして殺してしまい・・・あ、あの無惨様、お身体は?」

狛治はこの時点でようやく気が付いた。

 

腹を貫かれたはずの無惨が今、平然と座っていることを。

考えてみれば、腹を貫いた時から道場を出るまでの間に、徐々に饒舌になっていたことを。

そもそも倒れていた時も腹から内臓を撒き散らしていたはず。その状態で狛治に追いついて道場に現れた謎。

 

 

「そうですよ。私もそこが気になりました」

狛治の疑問に珠世が割って入った。

「鬼の体ですから死にはしません。傷はいずれ回復します。ですが鬼舞辻無惨、今までと比べてアナタの今回の回復速度は明らかに異常です。恋雪さんを鬼にしてから、狛治さんを追いかけるまでの超回復を、いったいどうやって?」

珠世の問いに無惨は静かに口を開いた。

 

「たしかにあの時、私の体は素早い回復のために大量の栄養を欲していました。かつての私であれば人や鬼を喰らって補給していたかもしれませんが、それでも足りないほどに酷く消耗をしていました」

「・・・あの場にいた鬼と人は、恋雪さんと私、慶蔵さんの遺体だけ。まさか他に人がいて、その方を?」

珠世の疑いの目に、無惨は大きく首を横に振った。

 

「あったじゃないですか。十分すぎるほどの栄養素を持つ鬼が」

そう言うと無惨は自身の胸に手を当てた。

 

 

「私が喰ったのは、私自身の鬼の力。鬼の根源になっている無駄な馬鹿力。それを引き換えに瞬間的な回復を得たのです」

 

自己消化。等価交換。そのどちらにも当てはまらない現象であるが。

無惨は鬼としての怪力を失う代わりに、内臓損傷すら一瞬で回復する力を得ていたのだ。

だがそれは一方通行の代償行為。

怪力との永遠の決別であった。

 

 

「そんな・・では、今の無惨様は・・・」

「薬箱すら満足に背負う自信のない貧弱鬼です。申し訳ありません珠世さん。これからの旅に支障をきたす体になってしまい」

「まったく、なんて勝手な鬼ですか」

吐き捨てるように言った珠世であったが、その目には本件で何の役にも立てなかった自分への憤りと無惨への哀れみが宿っていた。

 

無惨は再び珠世、狛治、恋雪に向かって1人1人に深々と頭を下げた。

「恋雪さん、狛治さん・・この・・程度のことで・・報いることが・・できたとは・・思いません・・これから・・・お詫びを・・・・ですが・・そろそろ・・・限・・界・・・」

声は徐々に小さくなっていき、無惨の目は静かに閉じバタンと倒れた。

「無惨様!?」

突然の昏倒に心配した狛治と恋雪が駆け寄ったが・・・

無惨の静かな寝息と安らかな寝顔を見てすぐに胸をなでおろすのだった。

 




【平安コソコソ噂話】

煉獄家に伝わる火の呼吸。
伝授した縁壱が「“火”より“炎”のほうがかっこいいのに」と勿体ない色を示したが、日の呼吸へのリスペクトを込めて“火”のままで今日に至るぞ!

「火の呼吸」を「炎の呼吸」と呼んではならない
わけではないが、なるべく火の呼吸と呼んでほしい。らしい

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