奏がフィーネの屋敷に来てから早半年過ぎ、ある日の朝。
奏の個室にやって来たフィーネは、その手に湯気を立たせるコーヒーカップを持って『少し話をしよう』と言った。半ば物置と化していたラウンドテーブルをベッドの側に置き、ベッドをイス代わりにして会話の準備を整えた。
まずは一口、互いにコーヒーで口の中を潤し、フィーネが早速本題に切り込んでいく。差し出されたのは一枚の書類だ。写っているのは、赤い髪飾りを着けた顔立ち幼い少女。奏が訝しげに目をフィーネに向ければ、柔らかい笑みを返されていた。
「貴様には、融合症例第一号を捕獲してもらう」
「捕獲? 保護じゃなくて?」
「ああ、捕獲だ。この娘の体には、かつての事故でガングニールの破片が心臓に埋め込まれている。シンフォギアの説明は改めて必要か?」
「いらないよ。アタシも持っていることと、そいつがあれば変な姿をしたノイズってのを倒せるんだろ?」
既に、シンフォギアについての説明を奏は受けていた。
正式名称『FG式回天特機装束』、通称シンフォギア。特異災害ノイズを効果的に消滅させることが出来る人類の数少ない装備である。
そして、ソレを身にまとうことが可能な『適合者』だということも聞かされていた。
奏が取り出したハーフパンツのパケットから取り出したペンダント。先には赤色の宝石が取り付けられていて、これがシンフォギアというものらしい。
「ソレを必ず身にまとうこと。そして、確実に現れる風鳴翼と顔を合わせろ」
「あーもう、さっきから初めて聞く名前をバンバン出さないでくれよ。アタシの頭がパンクしそうだっての。詰め込んで覚えるのは苦手なんだ」
「……まぁ良い。青い髪のシンフォギア装者だ。すぐに分かる。遭遇時の台本も用意した。覚え、装者に語りかけろ」
フィーネは呆れたように声を出していた。
差し出された一枚の紙に、カッコ書きでセリフがびっしりと書かれている。
一言一句、話し方や言葉の抑揚までしっかり指定されていて、ここまで来ると皮被って誰かになっているみたいだ。
役者のように何者かを演じるんじゃなく、その個人に成り代わる、まるで影武者のように。記憶を無くした
こうやってイスに座りながら考えるだけで、もう違和感が付きまとっている。意識すればするほど、自意識がゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうだ。
「天羽奏」
「……ん? 何?」
「私の話を聞いていたか?」
「ごめん。完全にすっぽ抜けてた。もう一回良い?」
「はぁ……まぁいい。ともかく、青い髪の装者にそのセリフをかけてやればいい。それで事は上手く進む。規則正しく動く歯車のようにな」
得意気に笑うフィーネを尻目に、奏は自己への疑念と頭痛で苛まれていく。
「それと、これを渡しておこう」
手渡されたのは、緑の液体が詰まったカプセル付きの拳銃型の注射器だった。数は二本。
「貴様がシンフォギアをまとう際、必要となるLiNKERだ。首筋に打ち込め。使用時は苦痛を伴うが、何とかなるだろう」
「痛いのかぁ……まぁ、だいたい分かった。んで、いつアタシは動くんだ?」
「今夜だ。既にクリスは移動を完了している。現地で合流後、クリスが戦闘を開始し少し後に加勢。風鳴翼と顔を合わせる。それな目的だ」
「分かったよ。……それに風鳴翼かぁ」
「なにか引っ掛かるのか?」
ポロっと言葉をフィーネに反応され思わず向き直るも、すぐに視線を紙に移しうわ言のように小さく呟き、繰り返す。
やけに言い慣れた名前だ。もっと言えば、『風鳴翼』とまどろっこしい言い方ではなく、『翼』と呼び捨てにした方が呼びやすい。
「……いや、何でもない。じゃあ、アタシも移動しようかな。クリス一人ぼっちじゃあ、寂しくて泣いてるかもな」
「ふっ、無いとも言いきれん」
すっかりと温くなっていたコーヒーを一気に飲み干し、テーブルにカップを置いてその足で目的地へと向かった。
それが今朝までの出来事。
現在は、と言えば。
「へぇ、てことはあんた、こいつの出所知ってんだ?」
聖遺物『ネフシュタンの鎧』をまとったクリスが、目的の『風鳴翼』に口論を持ち込んだところだ。
青い髪、凛々しい顔付きでしなやかな体をした、およそ未成年とは思えない十八歳の少女。怒っているのか切れ目の目尻が釣り上がり、その手に握る刀の切っ先をクリスを向け、キッと睨んでいた。
あんな子と交友関係を持っていた過去の自分に心の奥で突っ込みをいれながら、茂みの裏に身を隠して出ていく算段をたてていく。
「忘れるものか……ッ!! 私の不手際で無くしたものを……ッ、私の不手際で失われた命をッ!!」
「ま、待ってください翼さん! 相手も私たちと同じ人間です! 話し合えば、戦わずに」
それで、翼の隣に居る少女は何とお気楽な子だろうか。
融合症例第一号『立花響』。性格は温厚であり、平和主義なようで争いは好まない。情報通りだ。
「「戦場で何を馬鹿なことをッ!!」」
見事にハモった突っ込みである。
……それにしても、本当に十八歳なのだろうか。
言葉に込められた力強さ、意思の強さといい、少し堅すぎて面倒くさい大人に見えてしまう。
(あれ、大丈夫か……?)
内心、奏は翼に対して暴れ出さないか心配し、そしてそれは的中することになる。
きれいな構えのフォームから繰り出される素人のような乱雑な一撃は、クリスのムチによって容易くいなされていく。最早、振り回していると言っても過言ではない。がむしゃらに、雄叫びを上げながら斬りかかる翼の姿は、奏にとって酷く小さいものに見えている。
「うぁぁぁぁぁッ!!」
「振り回すだけしか脳がないのかよッ!」
「がぁッ……!」
翼が刀を振り上げたと同時に、クリスががら空きになった腹部めがけて蹴りをくらわせる。
「そらッ、もう一丁ぅッ!」
「かはッ……」
衝撃でくの字に折れ曲がり顎を突き出すようね体勢になった翼へ、渾身のアッパーカットを命中させた。
力が入れにくい前屈みの体勢でクリスの一撃を耐えられるわけもなく、まるで木の葉が舞うかのごとく翼の体が宙を舞った。五メートルほど飛び、どさりと頭部から地面に落ちる。
「ガッ……ぐ、うぅぅ……ッ!!」
「翼さんッ!?」
「何だ、こんなに弱いならアイツの出番もねぇじゃねえか。ほら、そこの融合症例。こっちはお前を捕まえれば終わりなんだよ。抵抗すんじゃねえぞ」
地面に倒れ伏す翼を尻目に、不適な笑みを浮かべながらクリスは響の元へと歩き出す。響も格闘時の構えを取るものの、腰が引けていて弱々しい。
……このままじゃ、本当に出番もなく終わりそうだ。
「待て……ッ!」
「あん?」
これ以上、どう相手取ろうと言うのかは知らないが、既に勝敗が決したも同じ。仮に今立てたとして、ネフシュタンの鎧を身にまとうクリスには勝てないのは誰の目にも明らかだ。
だが、翼の目は闘志とやる気に満ちていた。刀の切っ先を再びクリスへと向けて、相対している。
「そんな姿でどうするって言うんだ、歌姫さんよ」
「二年前、数多の命を散らせながらも私はのうのうと生き残ってしまった。私は強くない。なればッ、この命を持って貴様と、過去の汚点に決着をつけるッ!」
「弱い奴が粋がるんじゃ……なッ!?」
その手に握るムチを振るおうとした時、クリスは自身の体が動かないことに気がついた。手、足、どちらも脳から送られる電気信号に従うこと無く、体が空間に縫い付けられたように。
地面に伸びるクリスの影には、一本のナイフが刺さっていた。
「クソッ!!」
「聞くがいいッ! 防人の歌をッ!!」
翼が何を歌うのか、影から見ていた奏は不思議と理解していた。注射器に入っていたLiNKERを首筋に打ち込む。どくどくと流し込まれていくLiNKERは、血管を通して全身に回ると同時に奏の体に燃えるような熱と激痛を走らせる。
「う、ぐぅ……ッ!」
(あれだけは歌わせちゃダメだ! アタシの体が、頭がそう言ってくる……! 絶対にろくなものじゃねぇ……ッ!!)
一本全てを打ち込むのに数秒。
こみ上げる吐き気と目眩に打ち勝ちながら、首から下げたギアペンダントを握り締め茂みから飛び出した。
(ぶっつけ本番……ッ、やってやるッ!)
──Croitzal ronzell gungnir zizzl──
「その歌を唱わせるわけにはいかないねッ!」
脚力を活かし高く跳び上がると、両手を合わせて腕部ユニットを一まとめにし槍の形へと変化させた。そして、全力で投てきする。
「ッ!?」
翼の足元へ一直線に飛んでいった槍は地面に着弾すると、土煙を立ち昇らせ視界を奪う。その中へ突撃した奏は槍を地面から引き抜き、クリスの影に刺さっていたナイフを蹴り飛ばした。
「動けるか?」
「あ、あぁ……。おい前ッ!!」
「逃がすかぁッ!!」
「お、っと……ッ!!」
土煙を突っ切って、翼が出てくる。
その声は殺意と怒りに満ちていたものの、目の前の人間が誰かを理解したとき、その目が大きく見開かれる。
「ぁ、ぅぇ……? ぁ、ぁぁ……? か、なで……?」
「翼、二年ぶりだな」
──ここに、双翼が揃った。敵同士として。