天羽奏は、死んだはず……?   作:わらぶく

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翔ぶための翼は抜け落ちたまま 奏side

「あー……胸クソ悪いったらありゃしない……。アタシと風鳴翼はどういう関係だってんだ」

 

 フィーネの屋敷に設けられた自室のベッドで、胸中に渦巻くドロッとした感情を、腕で目を覆いながら奏は抑えつける。

 テーブルに用意されたスープは飲む気にもならず、数十分放置されてすっかり冷めてしまっている。

 

 ベッドに横たえた体のいかに重いことか。

 機敏に、そして柔軟に動くこの体が、今日ばかりは酷く重かった。まるで鉛でも括り付けられているようだ。

 

「おーい、入るぞ」

 

 ガチャリと、ドアの重苦しい音を立てて入ってきたのは、雪音クリスだ。どこか心配そうに眉をひそめながら、その口端をキュッと結んで難しい表情。その右手には色々と文字が書かれた紙束が握られている。

 奏がクリスに頼んでいたもので、クリスはテーブルに紙束を置くと冷めたスープに気が付いたようだ。

 

「あーあ、すっかり冷めてやがる。あんたが落ち込むのは勝手だけどよ、食べ物を粗末にするのは違うだろ」

 

「……そうだな」

 

「ったく、無理矢理にでも飲ませてやるから、さっさと体を起こしてシャキッとしろっての。あんたが辛気臭いと、こっちも辛気臭くなってくるんだよ

 ほら、起こしてやるから」

 

 クリスが奏の後ろに回ると肩に腕を回し、その体を引き起こした。

 

「ごめん、クリス」

 

「謝るくらいならさっさとスープ飲んで紙に目を通せって。あんたが頼んできたから、フィーネに作ってもらったんだぞ?」

 

 そう言いながら、クリスは右手に持つ紙束を左手で叩き音を鳴らす。

 

 それは奏がクリスを通してフィーネに頼んだ、これまでの風鳴翼の記録と、二年前以前の天羽奏の記録である。自身の記憶が欠落し、尚且つ敵方に自身の見知らぬ親友がいることへの対策。

 フィーネもこれを理解しているからこそ、今回の書類作りに手を貸したのである。

 

「そっか……あー確かに今のアタシは、昔のアタシとは全然違う気がしてきた。事故の前は何してたかちゃんと把握しとかないと、次に風鳴翼と会ったときに色々とボロが出そうだ」

 

 まずいのは、不意の遭遇時にボロが出て記憶喪失が発覚すること。

 現状、奏が翼をわずかに上回っているのが精神面でのマウントであり、これはフィーネがくれた情報によって成り立っている。もしこれが覆れば奏はもう戦力外となる。それだけは奏も、クリス的にも避けたいことであった。

 

 二年前、その更に過去の天羽奏をアタシがコピーすれば、何とか二課の装者とも対抗できる。その一心だった。

 

 思い詰め表情が険しくなる奏を心配してか、クリスが奏の側に座り肩に手を載せた。

 

「でも、二年前のあんたねぇ。ハッキリと言わせてはもらうが、あんたは絶対変わってない。気弱とか、おしとやかなあんたの姿なんて想像できねぇ」

 

「んなもん、見てみなきゃ分かんないだろ。もしかしたら、昔はおしとやかなご令嬢だったかもしれないしさ」

 

「……自分で言ってて、あり得ると思うか?」

 

「……ないな」

 

「だろ?」

 

 顔を見合わせて、二人はハハハと笑いあった。

 奏は冷めたスープをグビッと飲み干し、クリスが持ってきた紙をベッドの上に広げて目を通す。書かれていたのは自分が知らない『自身』の全てだった。

 

 それは最早、赤の他人と言っても差し支えない。

 知らないことがつらり、つらりと記されている。読む、頭の中で噛み砕き、飲み、理解し、真似る。一連のこの行為は、もう自身を知るそれでないことを、奏は理解する。

 だからこそ成り代わるのではなく、演じるのだと。皮を被り誰とも知らない"天羽奏(他人)"を、良く似たこの体で演じるのだと。

 

「おいあんた」

 

 クリスの感受性が高いのが災いしたのか。奏に立ち込める雰囲気が変わったことに、すぐさま気付く。だが当の本人はじぃっと食い入るようにして紙を眺め、さながら外界と隔絶された自意識の中に取り込まれてしまっているみたいに。

 

 口を小さく動かしながら、読み込んでいた。

 

「おいッ!」

 

 あまりに返事をしない奏に、クリスが肩を掴んで怒声をあげる。

 さすがに気が付いたようで、奏は何度も瞬きをしてキョトンとクリスを見ていた。

 

「……? どうしたんだ、クリス」

 

「どうしたって、酷い目をしてたぞ。グチャグチャで濁った、とにかく良く分からない目だ」

 

「こわっ」

 

「それはアタシの台詞だっての。あーもう、あんたと居ると調子狂うんだよなぁ」

 

 奏は首をかしげながらも、書面に再び目を向ける。

 すると、パサリと音を立てて紙束が動き始めた。さして力を込めていなかった奏の手のひらから易々と離れていく。

 

 思わず、「あっ」と声を出し追いかけた視線の先には、クリスが不服そうな顔で紙束をパサパサと動かしている。

 

「何だよクリス」

 

「やめやめ。文字とにらめっこすんのは終わりだ。フィーネが帰ってくるまで、屋敷の外周でも走るぞ」

 

「へぇ、引きこもりのクリスが自ら外に出ようとするのは珍しい」

 

「うるせー。あんたは外で体を動かしてた方が元気でるだろーが。わざわざこのあたし様が付き合ってやるってんだ。ほら、さっさと行くぞ」

 

「はいはい、今日もアタシがビシバシしごいて鍛えてやるか」

 

 紙束をベッドの上に放り投げたクリスと共に、奏は館の外周を走ることにした。




さて、そろそろ本筋に入っていきましょう。
奏のガングニールは、本筋にどう影響していくのか……。
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