微妙に鶴さに要素あり。
恋愛色は薄く、アクションとストーリー性を重視しています。
「退却! 退却だぁ!!」
枯野に響く割れた声は、部隊長・長谷部の叫びだった。
戦闘力も統率力も十分なのに浮き足立ってしまうのは、刀だったとき負け戦の経験が乏しいからだろうか。
とはいえ、心に備えが無かったのは、長谷部だけではない。
第二部隊は、遡行軍をほぼ殲滅して気が緩んだところを、数体の検非違使に急襲されたのだ。
出陣先は1600年、紀州の吉野川河口にほど近い、宿場のはずれ。
徳川家康の養女・氏姫は、阿波の蜂須賀家に嫁ぐため、船をしたてて吉野川を下ってきた。この鄙びた宿場町には、風待ちのため数日逗留していたのである。
家康は、天下取りを完成すべく、こうした縁組をいくつも同時進行させていた。
遡行軍の襲撃は、その目論見を潰すためのものだったが、あわよくばという程度の歴史干渉である。そういう局面で、遡行軍も主力は出してこない。
だから、錬度の低い刀の演習代わりに、古株の長谷部と鶴丸が引率していく。そんな布陣だった。
だがすでに二振が重傷を負い、他の者たちも刀装を失い、あるいは傷ついている。味方の不利は覆うべくも無い。撤退を決めた長谷部の判断は、いたって正しい。
(惜しむらくは、もうちょい早く決断できてりゃな)
鶴丸は、腹の中で毒づいた。
へし切長谷部は、主命第一の生真面目な刀だ。しかし、こういうときは、その使命感がアダになる…。
跳びかかってきたクナイを、鶴丸はひらりとかわし、一刀のもとに粉砕した。
鳥の名を持つゆえか、太刀にしては身軽なほうだが、さすがに疲労が溜まってきた。
荒い息をついて、左右に目を配る。目の端に、倶利伽羅竜の彫り物と、赤い腰布がひらめいた。
検非違使の大太刀に立ち向かおうとしているのは、伊達の縁につながる大倶利伽羅だ。
「伽羅坊! 下がれっ」
とっさに前に出て、怒鳴りつける。
「もう刀装が無いだろうが! さっさと長谷部のところへ行け!」
自分には、まだ二つの刀装が残っている。頼りになるはずの大型刀種である蜻蛉切は顕現したばかり、ここは自分がしんがりを務めるしかない。
だが大倶利伽羅は、ぐいと顎を上げて踏みとどまろうとした。このところ、人間なら反抗期かと思うほど、意固地な面がみえる。何にこだわっているのやら。
「伽羅坊っ!!」
鶴丸の切迫した声に、ようやく大倶利伽羅は退却にかかる。
逃げるものを追う習性は、獣と同じだ。鶴丸は、仲間に追いすがろうとする大太刀の前に回りこみ、頭上から降ってきた刃を、細身の太刀で受け止めた。
かろうじて膂力で持ちこたえたものの、肩の骨がぎしぎしと鳴った。
ぎりっと奥歯を食いしばって、下から跳ね上げる。懐に飛び込んでひと太刀。手ごたえは充分、致命傷ではなくとも、足止めにはなるはず。
急ぎ、みなの後を追おうとしたとき、思わぬ伏兵が茂みから飛び出してきた。遡行軍の槍だ。まだ槍が残っていたことに、気づかなかったとは。
(不覚!)
鶴丸はかろうじて身を捻り、前身で受け止めた。刀装が残っていても、相手が槍では防御は不可能。
肩口から斜めに切り下げられた、だが浅い! まだいける。
奮い立ったところに、再び大太刀が迫る。
偶然だろうが、まるで遡行軍と検非違使が共同戦線を張ったかのような動きだった。
大太刀の刃は、まっすぐ鶴丸の首を狙って振り切られた。とっさに 鞘と太刀を十字にかまえる。
首を斬り飛ばされることだけは免れたものの、重い剣圧に、体ごと吹っ飛ばされた。
「か、はっ」
目の前に、ばっと赤い血煙が上がった。浅く見切った槍の一撃、それが大太刀に跳ね飛ばされたことで、ぎりぎりもちこたえていた胸膜が裂けたのだ。
血を撒き散らしながら半回転し、そのままどうっと地に伏せる。
不思議と痛みを感じない。近侍仕事のとき、書類の端で指先を切った方が痛かったくらいだ。
痛くは無い、だが体がいうことをきかない。
鶴丸は腹ばったまま、転がっている本体に向かって、懸命に手を伸ばした。
あと少し、あと少し…。だがその手は柄にも届かず、全身からすうっと力が抜けていく。
大倶利伽羅が何か叫んでいる。声が遠ざかっていくのは、長谷部がひきずって撤退しているのだろう。
それでいい。他の刀たちが逃げおおせてくれるなら。
やがて、仲間の声も、検非違使や遡行軍の雄たけびも聞こえなくなった。耳には、おのれの拍動だけがやけに大きく響いていた。
(ああ、折れるんだな…)
未練も恐れもない。刀の本分は尽くした。
そのとき、白布で顔を覆った黒髪の女の姿が、脳裏をよぎった。
一度だけ、その顔を見たことがある。突風で、押さえる間もなく覆いがめくれあがったあの日。源氏物語の「野分」のような話だ。
正直、意外だった。日ごろ、素っ気ないほど刀たちと距離をとり、冷徹に指示を出す審神者のことだ。もっと権高な美女かと思っていた。
なのに、思いがけず覗いた顔はどこか子供っぽく、可憐でさえあった。
愛らしい顔を布に隠し、自分を厳しく律して遡行軍との戦いに身を投じているのは、わずか20年そこそこしか生きていない人の子なのだ。
(ひとは愛しい。いいヤツも悪いヤツも、賢いヤツも愚かなヤツも。だが、いちばん愛しいのは…)
唇に微笑みを浮かべたまま、鶴丸の意識は闇に消えた。