こんのすけが短い脚を高速回転させ、広間に駆け込んできた。
「鶴丸国永が、回収されました!」
ざわっと空気が揺れる。
大倶利伽羅と、憔悴しきった光忠が、一番に駆け出した。何人かがそれに続く。
転移門の前では、堀川と鯰尾が肩を落としていた。続けて同じ時域に行くことの危険を考慮して、捜索には隠蔽力の高い二人だけで向かったのだ。
審神者は、二人に何か、ねぎらいの言葉をかけたようだ。こちらに向き直った彼女が捧げ持っていたのは、鞘も無い抜き身の太刀だった。刀身には、大きな傷が走っている。そしてその柄は、血でどす黒く染まっていた。
「つ、鶴さんは」
光忠は、息を切らせて問いかける。
「回収できたのは、本体のみです」
審神者は、沈んだ声でそう告げた。
大倶利伽羅は一歩近づき、太刀・鶴丸国永に目を凝らした。
「これが折れていないということは……あいつは、生きてる」
「ええ。だから僕らも捜そうと。でも、長くはいられなくて…」
そのとき、顔色をくすませた長谷部が、地面に膝をついた。
「すまん。俺が判断を誤った!」
「どういうこと?」
きっと振り向く光忠に向かって頭を垂れ、
「鶴丸は折れたものと思い込んで、撤退を急がせた。あいつを、1600年に置き去りにしてしまったんだ」
「長谷部!」
光忠は、長谷部の胸倉をつかんだ。
「よせ」
その腕を押さえたのは、大倶利伽羅だった。
「秋田と謙信が重傷を負ってた。長谷部だって重傷寄りの中傷、蜻蛉切も俺も、刀装がすべて破壊されていたんだ。…あの場合、しかたがなかった」
「しかたがないだって!? よくもそんな」
火を噴くような龍の目が、光忠を下から睨み上げた。
「俺が、平気だとでも思うのか…!」
ぎりっと歯噛みして、大倶利伽羅は言い募る。
「しんがりを務める技量が俺にあれば、あいつ一人に背負わせはしなかった。それどころか、意地をはって鶴丸の足を引っ張った、俺のせいだ」
「いいえ」
凛とした声でさえぎったのは、審神者だ。
「私の采配ミスです。油断していました。お守りを持たせるほどの敵がいるはずはない、と。そして、錬度の低い秋田や謙信を、遠足気分で送り出してしまいました」
「主、それは違う」
歌仙が穏やかにたしなめた。初期刀の彼は、まだ若い審神者の後見人をもって任じている。
「あの時域に検非違使が出るなど、誰にも予測できないことだった。きみのせいではない」
「そういや、そうだ。あのあたりには初出陣だし、遡行軍だって弱体だ。なのにどうして」
薬研がぶつぶつと呟くのへ、髭切がのんびりした口調で突っ込んだ。
「ほかにいたんじゃないの? 歴史上の異物ってヤツがさ」
この刀は妙に勘が働くところがあって、冗談がえてして現実になったりする。彼の一言で、ぎすぎすしていた空気が、前向きな切迫感に変わった。
「そんなところに鶴さんを置いておけない、早く連れ戻さないと」
光忠などは、今にも駆けだしそうな勢いだ。
審神者はあくまで、冷静だった。
「探すにしても、すぐには無理でしょう。あの時域は危険です」
ふうっと重いため息、不満そうな呟きが、そこかしこで聞こえた。
検非違使が出没するとわかっている時域への出陣には、慎重にならざるを得ない。それでも、みな、いてもたってもいられない思いなのだ。
鶴丸国永は、三日月宗近と並ぶ古参の平安刀である。伊達組以外にも、本丸内に親しくしていた刀は多い。
こんのすけが、タブレットから顔を上げた。
「政府のデータベースにアクセスしてみました。刀が出陣で折れるのは、ままあること。でも、生存刀をロストすることはめったに…。ましてや、本体と離れ離れにというのは、前例がありません」
すでに膝を払って立ち上がっていた長谷部は、眉を吊り上げた。
「本体とともにロストした例は、あるってことだな?」
光忠は、焦りもあらわに、こんのすけに詰め寄る。
「それで、その男士は、どうなったの?」
「本体が審神者のもとになければ、手入れができないのですから…」
こんのすけは、もごもごと言葉尻を濁す。
「本体と人身は表裏一体。刀が折れれば人の身は保たず、人の身がこと切れれば刀も崩壊します」
審神者の声は祝詞か何かのようで、感情が見えない。だが彼女は、折れかけの太刀をいつくしむように胸に抱いていた。
「本体だけでも戻ったのは、僥倖かもしれません。私が今できることは、この、刀の鶴丸を手入れして治すこと。そして、人の鶴丸を誰かが手当てしてくれていることを、祈るだけです」
空気を読まない村正が、思ったままを口に出した。
「それは、あの時代に、まともな医療があればの話デスネ?」
蜻蛉切が、その頭のてっぺんに手刀をくらわす。ごすっと鈍い音がして、村正は「ひどーい」と呻き、頭を抱えてうずくまった。
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審神者は手入れを終えて自室に戻り、鏡台の前で面布をはずした。
(そういえば、鶴丸には、この顔を見られているのだった…)
あのときは動転したが、鶴丸はそのことにいっさい触れず、態度も変えなかった。ほっとする一方で、妙なもの足りなさを覚えたものだ。
(がっかりさせたわね、きっと)
いま鏡に映っている若い女の顔は、ひどく消耗して、色艶もくすんでいる。あれだけの損傷を短時間で修復するには、体力と霊力のありったけを注ぐ必要があったのだ。
もともと、特に美しくはない、という自覚はあった。それこそ平安の世ならば、女は黒髪長く肌白ければ美人とされただろうけれど。
審神者は、そんな考えを抱いたことに、我ながら呆れてしまった。主の美醜など、付喪神たちは気にも留めないだろうに。
顔を見られてからというもの、自分の在り方についても、鶴丸についても、変に意識してしまう。
もっとも、鶴丸は以前から、特別な存在だった。
初期刀で、頻繁に近侍を務める歌仙は、有能で誠実な補佐役だ。だがいささか自負心が強すぎて、狭量なところがある。それが原因で、他の刀と摩擦を起こすこともあった。
それに対して鶴丸は、各地を渡り歩いてきたためか顔が広く、誰とでもすぐうちとける。冗談や悪戯で、場を和ませてくれることも多かった。鶴丸には、審神者も気持ちの上でずいぶん助けられてきたのだ。
飄飄としていて洒脱な彼のことを、「重みに欠ける」という人もいるけれど、軽々しい物腰の奥には、金剛石のような核があると感じていた。
鶴丸に惹かれていればこそ、そんなふうに感じるのかもしれない。どちらが先かなど、誰にもわかりはしない…。
審神者は、鏡の中の顔色の悪い娘に言い聞かせた。
「しっかりしなくては。わたしは、58振の男士のあるじなのだから」
キリストの説く神は、99匹の羊を放置してでも、たった1匹の迷える羊を捜しにいくという。
自分にはそれはできない、許されない。そんなことはわかっている。それでも…つらい。
審神者は立ち上がり、床の間の掛け軸をめくった。そこには、初期刀でさえ知らない隠し厨子がある。
ぱんと手を合わせ、封印を解く呪を唱えると、黒塗りの観音扉はひとりでに開いた。
審神者は中から、小さな細長い木箱を取り出した。塗りも象嵌もない、ひどく古びた代物だ。
手ずから糸を縒って作った組み紐で縛り、二重の封印としてある。
今こそ、この紐を解いてみてはどうだろう? 何か変化が起こっているかも。しかし、やはり決心がつかない。
鶴丸国永が本丸に顕現したとき、審神者はこの小箱を厳重に封印することにしたのだ。中に収められた品をどう考えてよいかわからず、かといって、本人にも他の刀たちにも、政府にさえ相談する勇気がもてなかった。
ひょっとしたら、たわいもないことなのかもしれない。だが、そうではないかもしれない。
だとしたら、自分の手で事態を動かしてはならないような…そう、それは「歴史を変える」に通じるような気がしたのだ。
これがここにあることは、鶴丸が戻る証なのか、それとも、戻らぬしるしなのか。
審神者は、箱を胸に押し当てて祈った。
(どうか…どうか無事に、戻ってきてくれますように)