ロスト―時の漂流者    作:sakuyan

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この章は、審神者以外の女性の視点で書かれています。
苦手な方は回避してください。



第3話

町外れの枯野に、そろそろ日暮れが近づいていた。美緒は、父・良斎と二人、野道を急いだ。

良斎は総髪をひとつに括り、桧皮色の上っ張りにたっつけ袴。美緒は、地味な縞の袷にたすき掛けという姿である。

辻までくると、美緒はあたりを見回し、途方にくれて父をかえり見た。

「お父さま、誰もおりません。けが人も…死人も」

斃れた遡行軍は、雲散霧消してむくろを残さない。検非違使も、それは同じ。そして氏姫の一行は、男士たちのおかげで、無傷のまま逃れていったのだ。

ただ、あたりには、激しく争った形跡があった。草は踏みにじられ、土が血を吸ってどす黒く変じている。

良斎は、あごを撫でつつ、ぼやいた。

「つい先ほどまで、剣戟の音や叫喚の声が聞こえておったのだがなあ。…あてが外れた、と言っては悪いが」

美緒は、くすっと笑って突っ込んだ、

「医術の腕を振るうことができなくて、無念じゃ。そういうことにしておきましょうか」  

「うむ。助けられる者は助けるとも。仁術だからな。だが、すでに亡くなっている者から、金品をいただくくらいは、のう」

父娘がしていることは、「落武者狩り」などという非道なものではなく、人助けついでの食い扶持稼ぎといってよかった。戦国の世は、庶民もしたたかにならねば生きていけない。

「どこかに小柄でも落ちていないか。武具は、ものによっては良い値で売れるからな」

そう言いながら、父は藪をかきわけていく。 

美緒は伸び上がって、かなたを見やった。もう少し、捜索範囲を広げてみようと思ったのだ。

一里塚の松の根方に、白い残雪のようなものが見える。

(初雪もまだなのに?)

不思議に思って近づいていくと、雪の塊と見えたのは人であるとわかった。美緒は思わず駆け寄った。

白い衣の人はうつぶせに倒れ、顔を松の木の方に向けて横たわっている。

回り込んでその顔を見た美緒は、息をのんだ。

髪は白銀、細い眉も長い睫毛も白く煙っている。よほどの高齢かと思えば、頬にも額にも皺ひとつなく、あどけないほど若々しい。

そして、なんとも美しい顔立ちをしていた。閉じた瞼の丸み、高すぎず低すぎず、すっきりと整った鼻梁。微笑みを浮かべているかのように、品よく弧を描く唇。

これほど綺麗な男を、美緒は初めて見た。

年のころは、はたちを過ぎたくらいか。次の正月で18になる自分より、いくらか年かさに見える。

装束は、泥と血にまみれてはいるが、上等の綾絹らしかった。

ものいわぬ骸となってなお優美な姿に、血なまぐさい戦場は似つかわしくない。

「きっと、巻き込まれなすったのね…お気の毒に」

だがふと見やると、地面に力なく伸びた腕の少し先に、装束と同じように白い鞘と、反りの大きな刀とが転がっている。

では、この優しげなお人も、刀をとって勇敢に戦ったのだ。

胸を衝かれる思いがして、美緒はしゃがんだ姿勢のまま、そっと手を合わせた。

武具はいただくにしても、できれば埋葬してあげたい。このままにしておくのはしのびない。

美緒の呼び声に応じて駆けつけた父も、驚きの声を上げた。

「ううむ。この身なり、雑兵とは思えぬな」

かたわらに転がっていた鞘を取り上げて、 

「拵えは、白銀に黄金の象嵌、か。相当な身分の方ではないか。この刀にしても」

そう言いつつ、刀に手をかけた父は、「うあっ」と叫んで太刀を投げ出した。

気味悪そうに手をさすり、

「なんだ、この刀は。毒でも塗ってあるのか。触っただけで痺れたぞ」

「まさか、そのような」

美緒は、振りむきもせずに上の空で返す。彼女の関心は、ひたすら若者に注がれていたのだ。

せめて、白い頬に飛んだ血しぶきをふき取ってあげよう。懐から手ぬぐいを出して、竹筒の水で湿し、死人の顔を拭う。

濡れた布が唇に触れたとき、それはもぞりと動いた。

「う、ぅ…」

「ひっ」

美緒はあえぎ、のけぞった。

「お、お父さま、この方、息があります!」

「何だと!?」

良斎は膝をつき、若者を抱え起こした。「これは」と眉をひそめる。

白い着物の胸前が、真っ赤に染まっている。袈裟懸けに斬られたようだった。

「かなりの深手だ。助かるかどうか」

難しい顔をしつつも、良斎は若者を背にかついだ。

娘には、鞘を持ってくるよう言って歩き出す。美緒は、前になり後ろになり、父の歩みに従った。

 

 

 

「湯を沸かせ。針を煮るのだ。洗濯済みの布はあるか」

矢継ぎ早の指示に、美緒はきびきびと立ち働いた。

良斎は背負ってきた若者を土間のむしろに寝かせ、「あんがい大きな男だな」と呟いた。

なるほど、ほっそりしているので小柄に見えたが、かなり上背がある。畳一枚ぶんのむしろから、足先がはみ出していた。

父がけが人の羽織を脱がせ、着物や襦袢を鋏で切り開くのを、美緒は治療の支度をしつつ、横目で見ていた。

女子と見まがうほどたおやかなのに、腹の筋も腕の筋も、剛の者のように張りつめている。

良斎も目の付け所は同じとみえて、

「なかなかしっかりした体だ。ひごろよく鍛錬しておるな。これは、持ちこたえるぞ」

父の診立ては外れたことがない。美緒はいそいそと、煮沸した針を懐紙に載せて差し出した。

「美緒、肩を押さえよ」

そう命じて、良斎は、若者の腰のあたりにまたがった。

父が傷を縫うのを見るのは、初めてではない。だが、先の曲がった針が、すきとおるように白い肌に突き刺さるさまは、あまりに痛々しくて目をそむけたくなる。

「ぐ、う!」

反射的に跳ね起きようとする体を、美緒は必死に覆いかぶさって押さえ込んだ。

若者の顔に目を落として、あっと声をあげそうになった。琥珀のような蜂蜜のような、金褐色の瞳が見返してきたのだ。

(この方は、貴種どころか、もしや人の子ではないのでは。妖かも…)

金色の目は、とまどったように瞬いた。

「…あるじ?」

「え」

訊き返す間もなく、相手は起き上がろうともがく。

「だめ、動いては!」

その声に打たれでもしたように、若者は動きを止めた。太い息を吐き、奥歯をぐっと食いしばっている。

良斎が傷を縫い合わせる間、若者は声をたてず、身じろぎもしなかった。両の手はむしろの端をぎりっとつかみ、ときおり、細かい震えが肌を走る。

小半時ほどもかかっただろうか。父はようやく、額の汗をぬぐった。

「よう堪えたものだ。見かけによらず豪胆な」

若者は、また意識を失ったようだった。

家には、泊まり療治をする患者のために、よぶんの夜具が用意してある。また、三間のうちのひとつは、その用途のために空けてあった。

美緒は病間に急ぎ、床をのべた。そして、父を手伝って、若者を寝床に運んだ。

後始末のために、土間に降りる。

切り裂かれた小袖と襦袢は、もう使いものにならないが、羽織と袴は洗えばなんとかなるだろう。

若者の衣を桶に入れて、裏の瀬戸に出ようとすると、父に呼び止められた。

「美緒、それは後でいい」

首をかしげる娘にむかって、良斎はこう命じた。

「着物を脱いで、この男を温めてやれ」

美緒はすぐ、理解した。

一度に多くの血を失えば、人の体は冷える。そんなとき、いくら布子や衾を重ねても、効果は薄い。人肌のぬくもりに勝るものはないのだ。

美緒は、父が背を向けるのを待って、腰巻ひとつになり、若者の褥に滑り込んだ。案じたとおり、その肌は氷のように冷たかった。

布を巻いた傷に触れぬよう、横から抱きつく。 

血の気のうせた白いからだは蝋細工のようだし、整った顔をしているから、なおさら作り物めいている。大きな人形を抱いているような心地だった。 

だが、時とともに、冷え切った体はぬくもってくる。すると、血の匂いに混じって、なにやら馥郁とした香りが漂った。

昔物語では、平家の公達は、いくさに出るとき香をたきしめたという。こんな無残な傷を負うような、殺伐とした戦場に、このゆかしさ…。

この方は、やはり妖などではない。立派なもののふではないか。

そんな殿方と、裸同然でひとつ床にいることが、急に恥ずかしくなった。

もう、若者の顔が見られない。美緒はぎゅっと目を閉じて、無心になろうと努めた。

どのくらい、そうしていただろうか。

眠り込んでいるとでも思ったのか、父が肩をゆする。

「美緒、これを」

良斎は、木の椀を差し出してきた。匂いで、甘酒を湯で薄めたものだとわかった。

「鯉の生き血でもあればいいのだが。とにかく滋養をつけて、血を増やさねばな」

美緒は起き上がり、肌襦袢を身にまとった。

父が大きな手で若者の首の後ろを支え、目で促す。若者の唇に、美緒は口移しで甘酒を含ませた。細い首に似合わぬ大きな喉仏がごくりと動くのを見ると、なにやら胸がざわめいた。

 

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