「着流し」というのか、軽装に似た姿で、鶴丸は医者の家を出た。
本丸での鶴丸の衣装は、戦装束も内番着も、軽装さえ、白を基調としたものだ。色物などまとうのは初めてのことで、われながら新鮮な気分である。
医者の娘が着替えにと出してきたのは、亡くなった母親のものだという、藍色の紬だった。女物だけに、おはしょりがあるので、長身の男の身丈にも合う。
美緒は自分で着せ付けておいて一歩下がり、「ようお似合いです」と目を細めた。
兵児帯に、借りた刀を落とし差しにしてみると、この時代のさむらいに見えなくもない、と自分でも思う。
こうして歩けるようになってからは、鶴丸は、日に一度はあの戦場へ出かけていく。
鶴丸の本体を持ち去ったのは、わが本丸の者に違いない。太刀・鶴丸の様子を見れば、自分が生き延びていることはわかるはずだ。
だから、必ず迎えはくると信じていたが、難しい事態であろうことも理解できるから、焦りはしなかった。
その日も鶴丸は、収穫がないままに帰路につこうとして、美緒と行き会った。手ぶらなところをみると、所用ではなく、自分を案じて来たものと察せられた。
「お迎えとやらは、まだ見えませんの?」
「ああ。向こうも何かと多用なのだろう。…悪いな、長々と世話になってしまって」
そんな、となぜか嬉しげに、美緒は首を振る。その髪が昨日までと違っていることに、鶴丸は目を留めた。
鬢を少しふくらませて結っている。たしか以前は、自然に撫でつけていた。鬢を横に張るのは、この時代、流行り始めの風俗のはずだ。
「その髪、似合うぜ」
着物を似合うといわれたお返しとばかり、鶴丸は気安く声をかけた。
なのに美緒は、恨めしげに横目で睨んでくる。
「…うそばっかり」
鶴丸は、きょとんとしてしまった。
「なぜ俺が、嘘をつかなくてはならない?」
美緒はみるみる、真っ赤になった。
「存じません」
ぷいっとそっぽを向く。
「俺は、何か気に障ることを言ったか?」
「知りませんてば」
そのとき、ふいに美緒は、表情を固くした。
「鶴丸さま、急ぎましょう。なんだか、寒気がして」
彼女が言い終わらぬうちに、鶴丸もぞわっと総毛だつのを感じた。
(この気配は…!)
空間が歪む、ズオオオオ…という異音とともに、検非違使の大太刀が姿を現す。
(俺がまだ、この時域にいるのを察知してきたのか?)
「美緒さん、俺の後ろへ!」
言うなり抜刀して、刀を前に突き出し、反対の手を大きく広げる。
感心にも、美緒は泣きわめいたりしがみ付いたりしなかった。息を殺して、鶴丸の背にぴたりと身を隠している。武家の娘のような肝の据わり方だ。正直、助かる。
借りた刀は、出来は悪くないにせよ、検非違使と正面から立ち向かえる逸物でもない。
「鶴丸国永」なら一撃必殺を狙うところだが、ここは手数で対抗するしかない。軽傷でも何度もくらわせれば、戦意を喪失させられる。
だがまず、美緒の安全確保だ。
背後に娘を庇ったままじりじりと下がり、ぐいと肩を押しやって茂みに突っ込ませた。
「俺がいいというまで、出るんじゃないぜ!」
言い捨てて、検非違使に斬りかかっていく。一対一なら、互角の勝負だ。
小手に一撃くらわしておいて、すばやく飛び退る。追ってくるのを引き外して肩を切り裂き、すり抜けざまに、背後に回った。
「がら空きだぜ!」
高らかな快哉とともに、後ろ首に一太刀浴びせる。延髄などというものが検非違使にあるかは知らないが、人間なら急所だ。だが浅かった。この打刀は、「鶴丸国永」より、4寸ほども短いのだ。
届かないと思うから、いきおい、こちらの踏みこみが深くなる。
首を狙ってくるのを間一髪で避けたとき、キン!と鋭い金属音が響いた。相手の切っ先は、首飾りの下がりに当たっていた。これが無かったら、皮一枚、裂かれていたところだ。
「ははっ! やってくれるなあ!」
負け惜しみでなく、純粋に愉しくなっていた。縫われた傷が引き攣れるのも、もはや気にならない。鶴丸は、常より軽い刀を自由自在に振るった。
何合、打ち合ったことか。こちらは掠り傷さえ負わず、相手には軽傷と中傷が刻々と増えていく。
ついに検非違使は、自らを「戦線崩壊」と判断したようだ。黒い渦に吸い込まれるごとく、その異形は姿を消した。
茂みから美緒を引っ張り出してやると、今さら震えて、しがみついてくる。
「鶴丸さま! な、なんですの、あれは」
「刀の妖、というところかな」
ほかに言いようがない。検非違使の正体は、いまだはっきりしていないのだ。
「もしや、あれと戦って手傷を負われたのですか!?」
「そうだ。それこそが俺の役目だ。ただ、このことは」
「わたし、誰にも申しません。内密のお役目なのでしょう?」
聡い娘だ、と思った。危急のさいの身の処し方も、見上げたものだ。それに…。
「きみ、寒気がするとか、言ってなかったか?」
美緒は目を瞬き、不思議そうに小首をかしげた。
「あ、はい。今は…なんともありません」
どうも、引っかかる。人の子に、検非違使や遡行軍を感知するセンサーなど、備わっていないはずだが。
気になることは、もうひとつある。検非違使の「出現要件」だ。
歴史上の異物、すなわち男士や遡行軍が一度侵入したくらいでは、検非違使は発動しないはずだった。繰り返し同じ時域に出陣したり、あるいは、長期任務でひとつところにとどまり続けたりした場合、危険性が増すという話だ。
もうひとつ、歴史上すでに死んでいるはずの者が生き延びてしまった、というようなことも、検非違使を呼ぶとされている。
いずれも、この時域にはあてはまらないのだ。
髭切が直感で言い当てたことに、鶴丸は経験と推論で到達した。
(俺のほかに、歴史上の異物が? それも、長年にわたってこの地に?)
次の日は、あの場所に向かわず、民家の多いあたりへと足を伸ばした。
井戸端では近隣の女たちが、水を汲んだり洗いものをしたりしている。
鶴丸が通りかかると、声をひそめてささやきかわす。あいにく人間より耳はいいので、丸聞こえだ。
「ほらほら、、美緒ちゃんのところにいる…」
「いい男だねえ」
「女のように色白で、すらっと背が高くってさ」
「あれじゃ、与五さんが気が気じゃないよ」
目引き袖引き、くすくす笑い合っている。いつの時代でも、おしゃべりな女たちは、いい情報源になる。
足を止めて、「ちと、ものをたずねる」と声をかけると、女たちはわっとどよめいた。
「俺は、良斎どのの世話になっている者だが。あの御仁は、このあたりの生まれだろうか?」
もっとも年かさの女が、口火を切った。
「いんや。よそから来て、おみねさんと一緒になっただよ。10年くらい前かねえ?」
「15年か、もっとたつんでねえか」
「そうそう、大水が出て橋が流された年やったよ。あの折は、何人も命を助けていただいたもんだ」
良斎はよそ者だが、評判のいい医者であるらしい。腕もいいのだろう。
ただ、渋い顔で不平を鳴らす者もいた。
「助かったのだから文句は言えないが、生身の体を針で縫うなんて、とんでもねえこった」
「あー、あれはたまげたよねぇ…」
それを聞いて、鶴丸は、はっと胸を押さえた。
現世の医療を受けたのは初めてだから、かえって違和を感じなかったのだが。
この時代の洋学は、せいぜいが暦学や算学だ。南蛮医術は、まだ日本に入ってきてはいない。傷を縫合するなど、技術のあるなし以前に、思いつきもしないはずなのだ。
あの男・良斎とは、いったい何者だ…?