ひと月あまり、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。
続きは考えていませんが、気が向いたら、この本丸の幸せな鶴さにが書いてみたいです。
転移門をくぐるなり、鶴丸は歌仙の出迎えを受けた。
「ここに装束一式がある。脇部屋ですぐ着替えを。長谷部とともに、大本丸に出向いてもらう」
歴史改変にかかわる政府の部署には、なにやら長ったらしい正式名称があるが、男士たちには「大本丸」と呼ばれていた。第二次世界大戦中の「大本営」をもじったものだという。
「主に挨拶が先では?」
「彼女には、大本丸から使いが来ている。君のことで、査問を受けているはずだ」
いっときであれ、付喪神をロストしたというのは、けっこう一大事らしかった。
鶴丸が戦装束をまとい、鞘に納めた太刀・鶴丸を提げて出てくると、長谷部も正装して転移門で待っていた。気まずそうに目を瞬き、頭を下げる。
「すまなかった。生死を確かめもせず、置き去りにして…」
「なあに。驚きの体験をさせてもらったよ」
そんな軽口では、長谷部の硬い表情はほぐれない。鶴丸は長谷部の肩に手を置き、真面目に説いた。
「折れたと君が思ったのも、あながち間違いではないさ。現世の人の助けがなかったら、俺はあのまま折れていたはずだからな」
良斎がいなければ、検非違使は来なかった。だが、良斎がいたから、自分は命をとりとめた。めぐり合わせとは、不思議なものだ。
口裏を合わせないようにというわけか、大本丸では、長谷部ともひきはなされた。
事情聴取、報告書作成、そして、厳重な身体検査も課せられた。
その中で、人の身の傷も修復された。大本丸に所属する審神者が、「手入れ」してくれたのだ。
現世の医療では、男士も人間と同じ程度にしか回復しない。せいぜい、いくらか速いくらいだ。審神者のわざをもってすれば、傷跡ひとつ残さず、もとの体に戻る。
おかげで、不恰好な縫い痕はきれいに消えたが、鶴丸は不満だった。
(どうせなら、わが主の手入れを受けたかったぜ…)
本丸帰参を許されたのは、まる二日たってからだった。
光忠と太鼓鐘が、真っ先に飛び出してきた。二人とも泣きそうな顔で鶴丸にとりすがり、引っ張ったり小突いたり、大騒ぎだった。
御物仲間の一期と平野も、心から、鶴丸の帰還を喜んでくれた。
三日月は、例の神かくし医者の自立支援からまだ帰還しておらず、髭切・膝丸は、ある意味、通常運転だった。
「ロストしたのが兄者でなくてよかった。兄者だったら、絶対、戻ってこれなかった」
あいかわらず、弟は兄しか見えていない。
「おまえ、僕をなんだと思ってるの」
「だって兄者は、記憶力も方向感覚も」
「失礼な。おまえの名前だってちゃんと…ええと、なに切、だっけ?」
「ひとつも合っておらんぞ」
兄弟漫才を笑い飛ばしたところで、大倶利伽羅が赤らんだ目でのっそり立っているのに気づいた。
「伽羅坊!」
頭を軽く叩こうと手を出すのを、うるさそうに避けられた。
「あんたがそうやって、いつまでも俺を…っ」
あっと思った。三日月に年下扱いされて、むかっ腹をたてた自分と同じだ。大倶利伽羅の「反抗期」は、どうやら自分にも責任があるらしい。
鶴丸は姿勢を改め、折り目正しく頭を下げた。
「すまなかった。心配かけたな…大倶利伽羅」
いきなりがしっと肩を掴まれ、息が詰まるほど強く抱きしめられた。その背中をぽんぽん叩いてやると、大倶利伽羅はいっそう強くしがみつき、低く嗚咽した。
いくつもの歓迎を乗り越えて、ようやく審神者の部屋にたどりついた。
季節がら、竜胆の咲き乱れる庭に面した座敷で、主は鶴丸を待っていた。
敷居ぎわで跪座の礼をとり、「ただいま、帰参しました」と言上する。「楽にせよ」と「近う寄れ」を同時に示す手振りに従い、奥へ進んだ。
審神者に相対してあぐらをかき、刀を前に置いて、くだけた物言いに切り替えた。
「やれやれ。やっと、きみのもとに還ってこれたよ」
審神者は黙って、こちらを観察している様子だ。喉元に視線を感じる。
「どうした。政府から、ひどくいじめられたのかい?」
それには答えず、審神者は、脇に置いてあった箱を手に取った。
「あなたに、見てもらいたいものがあるのです」
紐をほどいて、鶴丸の前に差し出した。ひどく古びた木箱だ。
けげんに思いつつ、蓋をとる。中には、金の首飾りが入っていた。
「こいつは驚いた。仕事が速いな。もうあつらえてくれたのか」
戦装束は政府から替えが支給されるが、耳飾りや首飾りといった装飾品は含まれない。紛失すれば、審神者があつらえるか、自分の小遣いで購うかと決まっている。
「よくごらんなさい」
審神者に促され、首飾りを手にとる。目を近づけてみて、はっと息をのんだ。
下がりの一つに、くっきりと刻まれた刀傷。二度目の検非違使との一騎打ちが、脳裏をよぎった。
「これは…これは、俺のだ。どうして、ここに」
こんなに驚いたのは、初めてだ。だが、さらなる驚きが、審神者によってもたらされた。
「それは、私の家に代々伝わるものです」
「は?…先祖代々?」
「ええ。何があろうと、決して手放してはならない、という家訓とともに」
ぽかんとしてしまった。まったく頭が回らない。いったい、何がどうなって…。
「あなたが顕現してから、ずっと不思議に思っていました。なぜ、あなたの首飾りと同じものが、我が家の家宝なのか。それが、いつから我が家にあったかもわからない。わからないまま、念のため封じておいたのです。…でも、今はわかります」
ひと呼吸おいて、
「あなたが、1600年の世で失ったものですね?」
自分がこの首飾りを手放したのは、わずか3日前のこと。だが同時に、数百年前から審神者の家にあったという。
これも、いわば「時の漂流物」なのかもしれない。
南の島の椰子の実が海流に乗り、何年もかかってこの島国の波打ち際に着くように、永い歳月を漂って、あるべき「今」にたどりついたのか。
(あの娘、売らなかったんだな)
売買されたものならば、傷のついた金製品など、鋳潰されて地金になっているはずだ。そのままの姿で受け継がれてきたのは、美緒の想いが、時を超えて届いた証だと思った。
うつむいて、首飾りを握りこんだ手を祈るように胸に当てた姿が目に浮かぶ。鶴丸には数日前の記憶だが、それは今では、600年の時の彼方なのだ。
じわりと目頭が熱くなった。
(みおつくし、か…)
一夜の仮寝ゆえの恋心を、こういう形で貫きとおした娘が、ただただ、いじらしい。
また、今になって思い当たることがあった。
美緒は顔かたちが似ているだけでなく、そのたたずまいも、どこか主を思わせた。
武家の娘のような気丈さも、勘働きの鋭さも、検非違使を察知した異能も、審神者につながる系譜のうえにあったのだ。
「その、首飾りの傷ですが」
審神者は、鶴丸の感慨には気づかぬふうで、話し続ける。
「あなたの身に何かあるということでは、と思いました。できればあなたを、ことの起こった時代に出陣させたくない。でも、いつどこでそれが起こるかわからない。だからといって、特定の男士をいっさい出陣させないとか、常にお守りを持たせるなどという特別扱いはできません。でも…私は、怖かった。いつかあなたを失うかもしれない。だから…」
言葉を詰まらせた審神者を、鶴丸は優しく促した。
「だから?」
「覚悟はしておかなければ、と。…あまり、あなたに心を寄せてはいけないと、己に言い聞かせてきました」
膝に置いた手は、関節が白くなるほど握り締められている。必死に言い聞かせねば、心は寄ってしまうというのか。
なるほど、主は確かに美緒の末裔だ、と信じられた。その心意気、まっすぐな想い、ひたむきな情熱…。
そのとき鶴丸は、水を浴びたようにぞっとした。
(俺は、もう少しで主を…!)
美緒を斬っていたら、その血脈につながる審神者は生まれていない。となれば、この本丸も、存在しなかった。
三日月が言っていた、「大切な役目」とはこれだったのか!
(まったく、あのじじいは)
やはり、かなわないな、と思う。どこをどう立ち回って、この流れを掴んだのやら。
ともあれ、ねじれた円環は、きちんと閉じたと思っていいのだろう。
「主、ことはすでに起こり、そして終わったわけだ。だからもう、俺を失うなんて心配はせずに…」
鶴丸は、ぷつりと言葉を切った。自分は今、何かヤバいことを言いかけたような気がする。審神者はといえば、布に覆われて表情は読めないが、髪から覗く耳が赤らんでいた。
動揺したまま、因縁の首飾りをつけようと、後ろ首に手を回した。もたつくうちに、ふと、空気が揺れた。審神者がすっと立ち上がり、鶴丸の背後にまわったのだ。
「あるじ…?」
長い襟足がそっとかき分けられ、自分の指から首飾りの留め具が抜き取られる。冷たい金属に対して、彼女の指は温かい。が、かすかに震えている。
自分の胸も、共鳴するように震えるのを感じた。いまだかつて経験したことがない、理解しがたい想いが溢れてくる。
ふと、主の名を聞きたいと思った。そしてすぐ、それはならない、と打ち消す。敵ではないものの、「神」の端くれである男士が審神者の顔と真名を知れば、主に対して影響力を持ってしまう。
それだけではなく。鶴丸の打たれた平安の世では、女の顔と名を知ることは、妻問いを意味するのだ。自分はすでに、主の顔を見ている…。
首の後ろで、首飾りの留め具がかちりと音をたてるのを、鶴丸は妙に息苦しいような思いで待っていた。