あの日の約束を果たすために   作:ララパルーザ

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 燦々と照り付ける太陽の下、二人の少年が向かい合う。

 片や、五歳前後。片や、十代後半。

 幼児から少年へと変わりつつある少年が吠える。

 

「いつか!僕はあなたにしょうぶしにいくよ!」

「…………」

「ぜったい、ぜったいにいくから!だから、あなたもまけないで!」

「…………ふっ、楽しみにしているよ、坊や」

 

 青年へと変わりつつある彼はそう言って笑うと、両手を上げてパタパタと暴れる少年の頭を撫でた。

 

 遠い、遠い二人の約束。果たされるのは、まだまだ先の話である。

 

 

 

 

 

 

 新人王トーナメント。それは、新人ボクサーの登竜門的存在であると同時に、ボクシング界隈における一種の目安ともなるトーナメント。

 出場資格はプロのライセンス取得後、一勝しており尚且つ四回戦以下の選手。アマチュア上がりならば四十勝未満であるボクサーが対象となる。

 かなり短いスパンで行われる過酷なトーナメントであるのだが、仮に勝ち上がり東西統一戦でも勝利し新人王へと至れば、賞金とランキング十位の席を自動的に得ることが出来るのだ。

 

 ここで脚光を浴びる選手といえば、例えばプロテスト前から注目を集めていたような者やアマチュアである程度の実績を既に有している者が大半だ。

 事実、例年このトーナメントを勝ち上がるのは注目を集めている選手が多い。

 ただし、何事にも例外と言うのは付き物。特にボクシングと言う競技ほど“確実”や“絶対”などという言葉が似合わないスポーツも無いだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今年は豊作と言われる新人王トーナメントフェザー級の部。

 カウンターパンチャーの宮田一郎。インターハイ三連覇の速水龍一。フリッカージャブの間柴了。

 その他にも粒揃いなのだが、優勝争いはこの三人であると考えられていた

 そう、()()()()()()()のだ。即ち過去形である。

 

 ソレが起きたのは、新人王トーナメントにおいてフェザー級屈指のハードパンチャーである幕ノ内一歩と、クリンチを活用した小橋健太の試合の後の事。

 優勝候補筆頭である速水龍一の試合に際して起きたことだった。

 

「けっ、相変わらずいけ好かないヤローだぜ!」

 

 吐き捨てるようにそう言い切るのは、鴨川ジム所属の木村だ。

 彼が見るのは、今まさにガウンを羽織り会場の黄色い声援を一身に受けるイケメン、速水。

 これから試合をする二人のうち、勝った方がその前の試合で勝利した後輩である幕ノ内の対戦相手となる為、その偵察とそれからこの後に予定されている身内の青木の試合を観戦しに来た次第。

 エンターテイナーのような面が目立つ速水は、その甘いマスクのお陰で女性受けはいい。だが、その一方でいまいち男性受けが悪いそんなボクサーだった。因みに、鴨川ジムの面々には受けが悪い。

 そうこうしているうちに、反対の入場口より速水の対戦相手が現れる。

 その姿を確認した瞬間、鷹村は感嘆の声を思わず漏らしていた。

 

「ほぉ……こいつは、分かんねぇかもしんねぇな」

「え?ど、どうしたんですか、鷹村さん」

「速水の対戦相手、見てみろよ」

 

 自身の尊敬するボクサーである鷹村に促され、幕之内は速水とは反対のコーナーへと目を向ける。

 そのボクサーは、パッと見では覇気に欠けると言う外ない。それもこれも、伸ばし放題の黒髪のせいかもしれないが。

 だが、その体つきとは雰囲気とは真逆。遠目からでも分かるほどに鍛え上げられた物だった。

 彼の名は、服部。服部十三(はっとりじゅうぞう)。この試合の前に、安川というボクサーを下して勝ち上がってきた。

 

「恐らく、この試合見てる大半の人間は気づいちゃいねぇ。ボクシング関係者、それも速水が勝つと最初から思い込んでない奴限定だな」

「ッ、鷹村さんはどっちが勝つと思いますか?」

「さてな、こればっかりは試合を見なけりゃ分からん。実績だけで見れば、間違いなく速水だ。インターハイ三連覇は伊達じゃねぇ。生半可なボクサーが勝ち残れるほど、甘くないからな。だが、体つきは服部だな。身長は、一歩。お前とそう変わらねぇだろ」

「そう、ですね。遠目ですからハッキリとは分かりませんけど…………」

 

 プロボクサーになって一年も経っていない幕之内には、未だ見ただけで相手の実力を察することが出来るような経験値は無い。

 それでも、真っ直ぐに見続ける。

 事件が起きるのは、この直ぐ後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景をいったい誰が予想しただろうか。

 

「はぁ……!はぁ……!」

「…………」

 

 息を荒く左右のコンビネーションラッシュを繰り出し続ける速水と、その拳をリングの中央からほとんど動くことなく躱し続ける服部の図。

 試合開始して、そろそろ二分。最初は余裕を見せていた速水の表情は厳しいと言う外ない程に苦々しい。

 そしてそれは、観客も同じ事。

 速水のハンドスピードは恐らく国内でも屈指の物。特に両腕のラッシュはショットガンとも呼ばれて数々の選手をマットに沈めてきた。

 その攻撃が一切通用しない。パーリングなどで逸らしているのではなく、純粋に見切られて躱されているという事実が、速水の精神を追い詰めるのには十分すぎた。

 そうして、時計は残り三十秒。

 

「三十秒ッ!」

 

 服部側のセコンドから秒数宣言。瞬間、試合が動いた。

 

(馬鹿が…………!)

 

 ショットガンを躱すばかりであった服部が深く突っ込んできたのだ。その姿を確認して、速水は内心で嘲笑う。

 上に攻撃を集めていやがった相手が、深く頭を下げて突っ込んでくるところで左のショートアッパーを合わせて顎をカチ上げ、ショットガンで仕留める。速水の常套手段である。

 

(ここだ!)

 

 狙い通り、その顎を―――――

 

(……………………え?)

 

 気付けば、照明を見上げていた。周囲の歓声は遠く、ガンガンと耳鳴りが響く。同時に、現状を認識しようとすると顔面に鈍い痛みが走った。

 耳がどうにか回復してくると、最初の聞こえてきたのは審判のカウント。現在4。

 ボクサーと言うのは、誰しも勝ちたいからリングに上がる。だからこそ、状況判断とかそれよりも先にカウントが聞こえれば立ち上がる。

 案の定、カウント7の所で速水は震える足のまま立ち上がることが出来た。

 何が起きたのか、理解できずに。把握できたのはセコンドや、観客など外から見ていたもの。そして、この状況を創り出した服部位か。

 

「…………マジかよ」

 

 その一人、木村は呆然とその言葉を呟くしかなかった。

 彼の隣では同じく幕之内が唖然としており、更に隣では鷹村が眉を顰めてその光景を見ている所。

 

「狙ってやがったな」

「狙って…………あ、あの左のショートアッパーをですか?」

「見たとおりだ。服部の野郎、潜り込めば速水がショートアッパーを出すことを知ってやがったんだ。そこにオーバーハンドの被せるような右をカウンターで合わせやがったんだ」

 

 あり得ない事が、起きた。

 ショットガンを掻い潜った服部は、そのまま速水のショートアッパーを首を逸らすだけで躱し空ぶった彼の顔面へと弧を描くような右を叩きこんだのだ。

 一発ダウン。何とか立ち上がった速水だったが、その膝は震えており状況把握も出来ていない。ただ、レフェリーの問いかけには答えた、答えてしまった事から試合は再開され、

 

「―――――終わったな」

 

 鷹村が呟いたと同時に、速水の顔面へと拳が突き刺さりその体はリングの外へと叩き出されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(これほどのボクサーが紛れ込んでおったとは…………)

 

 内心で呟きながら、鴨川ジム会長鴨川源二は常に険しい眉間に更に皴を寄せていた。

 彼が見るのは、懇意にしているボクシング雑誌の記者から貸し出された速水VS服部の試合テープだった。

 既に三度目。三分、一ラウンドにも満たない記録なのだが、その中身は濃密だ。

 明らかに初手から全てを見切っている事は、鴨川の目から見ても分かる事。それだけ目が良く、尚且つ研究を重ねてきたのだろうと思わせる。

 だがそれ以上に鴨川が気になったのが、服部の冷静さだった。

 

(速水のショットガンは、威力以上に相手の精神を揺さぶるパンチじゃ。あやつの過去の試合もみたが、それは明白。焦った相手の急所を的確につくボクシングじゃった。じゃが、この男は違う。どれだけ攻撃されようともその精神が崩れん。セコンドの指示か、それとも己のプランか。どちらにせよ、このトーナメントでは頭一つは愚か、体一つ、いやそれ以上に抜きんでておるわ)

 

 ボクサーとて人間だ。一方的に攻められ続ければどれだけ待てと言われていても、思わずやけっぱちに突っ込んでしまう事がある。それも試合経験の少ない新人ならば猶の事。

 でありながら、服部はラウンド終盤まで見に徹し続けていた。そしてそれが、自信家の速水の精神を揺さぶった。

 ボクサーにとって己のボクシングと言うのは、精神的な支柱であると同時に努力を重ねてきたというバックボーンでもある。これが無い選手は大事な場面で実に脆い。

 その点で言えば、服部の肉体は新人離れした鍛えっぷりだろう。それはイコールとして、それだけの鍛錬を積み重ねてきたという事。

 気になるとすれば、何故これほどの選手が今の今まで欠片も騒がれなかったのかという点。

 素行不良などで、ジム側がホープを表に出さない事は確かにある。だが彼は勝った後に観客へと礼を返し、倒した相手を煽る事も無く素直に控室へと戻っていった。

 ここまで見れば、特別素行に問題があるようには見えない。

 そこまで考えて、鴨川は首を振った。今は、必要のない考察まで行うところであったからだ。

 

(いかんな。今は、如何に小僧を勝たせる考えねば)

 

 そう、何を隠そう新人王トーナメントにおける幕之内の次の相手は、この服部なのだから。

 正直な所、勝ちの目は見えない。速水が相手でもギリギリであったというのに、その速水をわずか二発でKOしてしまう様な相手。勝ちの目を探せというのが、そもそも土台無理な話。

 それでも、セコンドとして会長として指導者として最初から勝負を投げるわけにはいかない。

 時間も情報も少ないが、それでも最善を尽くす。それが鴨川のスタンスなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 努力する天才。これ程までに厄介な存在はいない。

 ()()()天才ではない、()()()()天才である。

 既に持ち合わせてポテンシャルのみで一流へと至れるところを、努力と言う研磨を経て超一流、或いは更に先へと到達しうる可能性のある存在。

 それが、()()()()天才である。

 さて、そんな手の付けられない怪物は今、一心不乱にサンドバッグへと向かっていた。

 鉄骨に吊るされたソレは、くの字に折れ曲がっては腹の底まで響くような衝撃音を鳴らしており、吊るす鉄骨も軋みを上げている。

 

「服部ー!お前にお客さんだぞー!」

 

 そんな怪物、服部十三の拳を止めるのは、横合いからの声。

 最後の一発と、一際強く打ち込まれた右ストレートによってサンドバックがくの字にへし折れ吹っ飛び、鎖によって元の位置に揺れて戻ったことを確認し、彼は振り返った。

 

「やあ、服部十三君、だね。オレは、月間ボクシングファンの記者をしてる、藤井ていうんだ。少し、時間良いかな?」

「…………会長」

「ん?まあ、お前次第だ。話しても良いというなら、俺は止めんさ」

「……分かりました」

 

 コクリ、と頷き服部は徐につけっぱなしにしていた()()()()()()()を外した。

 ここで改めて、藤井は目の前の服部という選手を見た。

 身長は百七十前後。フェザー級の選手にしては比較的高い方だろう。だが、その体つきは類を見ない程に引き締まっており、パンチの破壊力も頷けるというもの。

 

「……柔軟をしながらでも良いですか?」

「あ、ああ、構わないよ。こっちも、急に押しかけているようなものだからね。この所、キミの所には記者が良く来るんじゃないか?」

「……そう、ですね。ええ、まあ」

 

 物静かな少年だ、と藤井はそんな感想を抱く。

 静かさなら、宮田や間柴も該当するのだが、彼ら以上に静か。それこそ、覇気の無さとでも言うべきか、そんな雰囲気。

 しかし、とそこまで考えて藤井が思い出すのは先程まで服部が付けていた二重の濡れマスクだ。

 マスクトレーニングというのは昔から存在する。心肺機能を鍛えるために、空気の量を制限するというものだ。

 単体の濡れマスクですらも相当に息苦しい。それが二重ともなれば、最早溺れているのでは錯覚するほどなのだが、彼は平気な顔をしてサンドバッグを相当な力で殴り続けていた。それも一発一発が杭でも打ち付けるような破壊力を有した上で、だ。

 

(尋常じゃない程、クレバーだ)

 

 藤井は戦慄が隠せない。

 明らかに目の前の選手には才能がある。あるのだが、そこに胡坐をかくことなく努力など生温いといわんばかりのトレーニングを積んでいると感じ取ったから。

 

「キミは一体、どこを見据えているんだ?」

 

 思わず、と言った様子で藤井の口からはそんな質問が零れる。

 柔軟をしていた服部は、確りと筋肉の筋を伸ばすとゆっくり顔を上げ、その無精ひげのある顔を見上げた。

 

「…………約束が、あるんです。それを果たすまで、自分は止まりません」

「ッ!」

 

 伸びた前髪の隙間から覗いたその目。その目を見た瞬間、藤井は息を呑んだ。

 静かな、それこそ凪の湖面の様な静けさしかなかった少年の内側に燻る途轍もない熱を、見た。そんな気がしたから。

 同時に、やっと腑に落ちる。目の前の少年の、奥を知った気がしたからだ。

 

「…………ふっ、そんな目も出来るんだな君は」

「…………」

「それじゃあ、ここからは対戦相手についてだ。次の君の相手、幕之内はフェザー級でも屈指のハードパンチャーだ。何か、攻略法でもあるのかな?」

「……そう、ですね…………まあ、どれだけ強くとも当たらなければ意味がありませんから」

「つまり、幕之内のパンチは当たらない、と?」

「……少なくとも、今のままなら」

 

 傲慢ともいえる物言いだが、それも、速水のラッシュをよけ続けた技量を見れば納得もいくというもの。

 

「なら、宮田、それから間柴はどうだい?彼らは、幕之内よりも技巧派でカウンターパンチャーとフリッカージャブの使い手だが?」

「…………そうですね……まあ、二人共打たれ弱そうだとは思いました」

「打たれ弱い?」

「……迎え撃つボクサーは、インファイター程タフじゃないので」

 

 実際の所、宮田、間柴揃って特別打たれ強いボクサーと言う訳では無い。どちらも言っては何だがシャープで、筋肉が付きにくい印象を覚えるだろう。

 対して、インファイターはアウトボクサーほどの器用さが無くとも、その分打たれ強かったりパンチが重かったりする。

 それから二三質疑応答をした藤井は、ジムを後にする。

 道を行きながら思い返すのは、ついさっき顔合わせを果たしたばかりのボクサーについて。

 正直な所、藤井はジム贔屓な部分がある。今は鴨川ジムを基本的に贔屓しており、幕之内に関する記事を書こうとしていた程だ。

 だが、そんな贔屓の気持ちをもってしても今回のトーナメント優勝は彼になるだろうと思わせるそんな男だった。

 一応、今回のインタビューというか取材は他に流しても良いと許可を得ている為、先方への手土産にしてもいいのだが、仮に伝えて勝率が上がるかと問われれば首を傾げざるを得ない。

 

「……はぁ……難儀なことだよ、全く」

 

 禁煙パイポを咥え、藤井はため息を吐き自分のデスクへの帰路へとつくのだった。

 


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