あの日の約束を果たすために   作:ララパルーザ

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 ボクシングにおいて重要なこと。

 弛まぬ鍛錬。純粋な才能。そして、数多くの経験。主にこの三つだろうか。無論、諦めない根性などの精神論なども存在するが、どれだけ心が強くとも体がついてこなければ意味がない。

 

「―――――シッ!」

 

 鋭く放たれる左ジャブ。1、2、3、と数が積み重なるがクリーンヒットはない。

 重量級の体格に見合った、いや世界でも屈指レベルのパンチ力に加えて、その大柄な体格をものともしない圧倒的なフットワーク。スパーリング相手としてこれ以上の怪物は、そうそう居ない。

 一方で、相手としてもこれだけの技巧派はそうそう居ないと言って良いだろう。

 左のパンチの種類だけでも目が回りそうなほど。回転も速く、ダブル、トリプルなどザラ。一瞬の油断で2、3発貰うことになっても不思議じゃない。

 幾つもの階級差のあるスパーリングは、そして多くの人々を魅了していた。

 

「やっぱり、凄い……!」

「だな。あの鷹村さんのラッシュを最小限以下のダメージで抑えてる」

「それだけじゃねぇよ。服部の左ジャブ。鷹村さんだからこそあそこまで躱せちゃいるが………俺らだったらボコボコにされてたかもしれねぇな」

 

 見るのも練習である、と幕之内、青木、木村の三人はリングの外から鷹村VS服部のスパーリングを観戦していた。

 同門であるからこそ、彼らは鷹村の強さをよく知っている。それこそ、国内では収まりきらないほどの大器を有していることも。

 一方で、服部に対する色眼鏡も彼らは掛けていない。何故なら、事実彼は強いから。

 鷹村の体重がヘビー級に対して、服部はフェザー級。体重差は三十キロを超えている。これに加えて、二人の身長差はそのままリーチの差にも繋がり、リーチ差はそのままパンチが届くか否かの差になる。

 小回りでは、服部。破壊力、リーチでは鷹村。スピードは服部に軍配が上がれども、鷹村の速度はヘビー級のソレではない。

 目まぐるしくポジションを変えながら拳が交差し合い、しかしどちらもクリーンヒットは譲らない。

 そして、ゴングが響く。

 

「いいパンチだったぜ」

「……ありがとうございます」

「だがな、服部。お前は、左の飛燕に頼りすぎてる」

「………」

「キレも威力もある。だがな、お前の器用さが活かしきれてねぇ。その辺、もう少し煮詰めとけ」

「はい」

 

 リングの中央でグローブを外しながらの反省会。凡そ四ラウンドを戦い抜いたというのに、この二人の体力は底無しなのではなかろうか。

 一応、疲労が無いわけではない。服部も鷹村も、着ていたシャツの色が変わる程度には汗を掻いているし、息も若干荒れてはいた。

 だが、それだけ。疲労困憊で一歩も動けない、なんていう状況はまだまだ遠い。

 

「………鷹村さんは、ガードを下げた方が動きが良いですよね」

「まあ、喧嘩なれってやつだ」

「なら、拳を置く場所を少し変えてみては?こう、出しやすい場所に拳を置くんです」

「拳の位置か」

「はい」

 

 二人だけの反省会。服部が鷹村からグローブを預かれば、キレのあるシャドーが数発刻まれる。

 何かを掴んだのか、鷹村は頷き、次は服部の番。こちらもシャドーを少し振るって拳を何度か、握って開く。

 そして、二人は何もそれ以上言葉を交わさずに再びグローブを着け直していくではないか。

 

「一歩ォッ!ゴング鳴らせぇ!」

「ま、またスパーリングですか!?」

「つべこべ言わずに鳴らしやがれ!」

 

 鬼の形相でリングの上から見てくる鷹村に、半ば舎弟のような幕之内も逆らえない。

 だが、ゴングが鳴る直前その腕は止められた。

 

「そこまでじゃ、馬鹿者。オーバーワークになっちまうわ」

「ジジイ!止めんじゃねぇよ!」

「止めるに決まっておろうが。何より、服部は二週間後に試合じゃ。余分な疲労を溜めて、先方さんに顔向けできんわい」

 

 いかに傍若無人な鷹村でも、鴨川には止められる。それも、試合に直結するような事ならば猶更だ。

 

「チッ、仕方ねぇ………おい、服部」

「はい」

「次のスパーで試すぞ」

「はい」

 

 頷く服部に満足したのか、そのまま鷹村はシャワーを浴びに向かってしまう。残った側である服部も、シャドーを再確認の様に少し挟んでグローブを外していく。

 傑物、それが鴨川から服部に対する評価だ。トレーナーとして、コーチとして、育てるものとして、その身に宿したポテンシャルというものは惹かれるものがある。

 

(鷹村との四ラウンド分のスパーリング。それに加えて、こやつは小僧とのスパーリングも熟し外周にも精を出しておる………正しく、ダイヤ。徳川が持てあますのも分かるというものよ)

 

 才能があり、ストイックで、その上器用。鷹村を初めて見つけた時に見惚れた圧倒的なポテンシャルにも似た予感。

 即ち、世界へと通じる器という事。

 

「服部よ」

「はい、何でしょうか」

「お主の目指す展望を、聞かせてもらっても良いか?」

「………」

 

 鴨川の言葉に、真っ直ぐ見返す服部。その目には、静かだが轟轟と音を立てて燃え上がるような炎が隠されているように見えた。

 

「ある人と、戦うために。そして、勝ちます」

「その頂は、遠いぞ」

「望むところですから」

 

 たとえ、修羅の道であろうとも服部は突き進む。その為に作り上げた体であり、同時に身に着けた技術の数々。そして、モチベーション。

 進むために立ちはだかる全てを薙ぎ倒す。それが、服部十三という男だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時、流れる。甘い二月の風習を超えた月末。

 舞台は大阪府立体育館。

 

「す、凄いですね………皆、千堂さんの応援ですか」

「新人王戦の決勝戦は、東京、大阪と交互に行う。小僧、覚えておけ。貴様が上を目指すというならばこの場のようなアウェイのリングは必ずある」

「服部さんは、大丈夫ですかね………」

「あ奴ならば、問題なかろう。どれだけ追い込まれようとも、あの鉄面皮が揺らぐとはわしには思えんからな」

 

 西日本新人トーナメント覇者である千堂の応援団を尻目に、鴨川は今回の服部の対戦相手の事を思い出していた。

 千堂武士。西日本新人トーナメント覇者であり、幕之内と同じくインファイター。だが、その戦い方は野生そのもので喧嘩慣れしている点を生かした豪快なもの。

 まだまだ新人であるし、穴も多数見受けられたがそれでも強くなる才能とでもいうべきか、伸びしろを十全に感じさせるそんな期待の新星。

 ただ、ボクシング記者である藤井に集めてもらった情報も加味して鴨川のはじき出した予想は9:1で服部の勝利であった。十割ではないのは、ボクシングに絶対は存在しないから。

 因みに、この予想を幕之内に伝えてはいない。彼には先入観なく試合を己の眼で見てほしいと考えていたからだ。

 そうこうしている内に、時間は近づいてくる。

 最初に姿を見せたのは、服部。会場内からはヤジが飛ぶが、ヤジられる当人も付き添いの徳川も気にした様子が欠片もないというのは流石だろう。

 そして、大多数の観客からすれば本日の主役の登場だ。

 右腕を上げて観客へと応える千堂。鋭い獣のような目つきと、新人ではあるが鍛え上げられた体つきをした仕上がりの良いボクサーだ。

 リングに両雄、相対する。レフェリーからのお決まりの注意が行われ、両陣営は互いのコーナーへ。

 

「いいか、服部。いつも通り、プランはお前に任せる。目一杯、ぶちかましてこい」

「………はい」

 

 徳川のいつものセリフだ。丸投げではない、信頼。お前の全てを信じているという気持ちをそのまま、言葉にした形。

 服部も服部で、頭の中のプランに変更はない。

 ただひたすらに、勝つこと。それのみに終始するだけ。相手の見せ場など、知ったことではない。

 何より今回の新人王とて、足掛かりに過ぎない。求めるのは、更に上だ。

 

「―――――…………行ってきます」

「ああ、かましてこい!」

 

 いつも通りに送り出す。

 そして、ゴングは高らかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 千堂武士がボクシングを始めたのは、スカウトを受けてからのものだった。

 闘争心旺盛ではあるものの、当人は暴力を至上とするような質な訳ではない。寧ろ、普段は気のいいお兄さん。子供たちからも近所の兄ちゃん程度の感覚で付き合いがある。

 そんな彼がボクシングに求めるのは、単なる勝利ではない。いや、負けることを是とするタイプではないが、ただ勝つだけではない。

 どつき合い。殴って、殴られて。激闘の上で、その上で相手を上回ること。

 要は、試合の内容が激しければ激しいほどに、噛み合えば噛み合うほどに力を発揮するタイプのボクサーだった。

 今回の西の新人王トーナメント。正直言って、当てが外れたというほかない。どいつもこいつも軟弱者、とは千堂自身の感想だ。

 では、東はどうか。

 アマ優勝者。天性のハードパンチャー。カウンターの貴公子。フリッカーの死神。そして、完璧超人。

 新人としては破格のメンツだった。その中でも千堂が目をつけていたのは、天性のハードパンチャー、幕之内一歩。

 典型的なべた足インファイターであり、フットワークは皆無であるがその分、どっしりと構えて強打を返してくる。

 この男なら、殴り合い出来るのではないか。そんな期待。

 だが、その期待は叶う事はない。上がってきたのは、圧倒的な実力を示した男だったから。

 

(向き合って初めて分かる。この男の実力……!半端ないやんけ………!)

 

 アップで火照った頬を一筋の冷や汗が伝う。

 相対する相手は、典型的なオーソドックススタイル。垂れた前髪の隙間から覗く眼光は無機質ながらも鋭く、冷ややか。

 試合開始から、まだ十秒と経っていないにも拘らず千堂は異様に濃密な時間を味わっていた。

 

(ッ!飲まれとる場合やない!ワイから仕掛けにいかんでどないすんねん!)

 

 一際強く、マットを踏みしめて千堂は腹を括る。

 数度のタイミングを計って前へ。

 一歩、二歩、と踏み込んだ瞬間繰り出される迎撃。

 お決まりとなりつつある、左のジャブ。とっさにガードした千堂だったが、小手調べとは思えないその重さに若干目をむいた。

 そこから更に重ねられる左。まるで測るようなそんな意図が見え隠れする。

 

(~~~~ッ!!調子に乗んなやっ!!!)

 

 元々、闘争本能で戦うようなタイプの千堂。明らかに、測っているようなジャブに対して直ぐにとさかに来ていた。

 何発目かのジャブ。最早本能でそれを躱して、飛び込むのは懐。放つのは、アッパーとフックの中間、斜め下から突き上げるという独特な軌道を描く左の強打。

 スマッシュ。サンデーパンチにもなりうる一撃であり、同時に千堂の得意技。

 だが、この場合は性急すぎるというもの。空を切り裂く大振りが、服部の目と鼻の先を通り過ぎていく。

 スウェーバック。上体を後方へと引くことで、パンチを躱す技術の一つ。服部は、これによって千堂のスマッシュを文字通り紙一重で躱し、そのがら空きとなった左わき腹へと右拳を突き刺していく。

 アウトボクサーならば、ここからジャブなりなんなり打って距離を取りに行くだろう。だが、生憎と服部はボクサーファイター。この隙を逃す、などという甘い事はしない。

 左わき腹を打たれ、悶絶した千堂の空いたボディへと左ボディアッパーが突き刺さる。

 たった二発のボディ。だが、その破壊力と爪痕は、常軌を逸した代物だった。

 トレーナーであり、セコンドとして千堂についていた柳岡はその光景に目を見開く。

 

(千堂の腹は、軟やない。それこそ、現役ランカーのボディブローでも問題なく打ち返せる。せやけど、何なんやあのごっついパンチ……!?たった二発で、あの千堂を完全に黙らせおった!)「前を見るんや千堂ーッ!次が来よる!!」

 

 セコンドからの声に反射的に顔面をガードした千堂。瞬間、間髪入れずにガードの上から衝撃が襲い掛かり後ろに数歩たたらを踏まされた。

 服部の、右。ボディ二発で前のめりにさせて顔を前に出させ、そこを右で貫く。非常にシンプルなコンビネーションだ。

 仕切り直し。右の大砲を打ったのだから、いったん間を置く。誰しもがそう考える。

 ()()()()()()()

 

(ぐっ………突っ込んで―――――ッ!)

 

 体勢を立て直す隙など与えない。そういわんばかりの、服部の突進。

 飛燕ではない。純粋な、真っ直ぐの左の連打。だが、その速度は、幕之内、宮田戦などでは見せなかったレベルで、速い。

 ガードする千堂。だが、反撃の糸口など欠片も掴めない。掴ませない。

 

(調子に―――――)「ぶっ!?」

 

 仮に反撃しようとも、今の様に開いたガードの隙間をすり抜けるようにして左ジャブが顔面へと突き刺さる。

 いつしか、会場が静まり返っていた。未だ、一ラウンド目にもかかわらず。

 

「―――――終わりだ」

 

 小さく、誰にも。それこそラッシュにさらされている千堂にすらも聞こえないように、小さくつぶやかれた言葉。

 

 

 ゴングが鳴り響く。



















to be continued

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