あの日の約束を果たすために   作:ララパルーザ

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 幕之内一歩は不器用なボクサーだ。

 天性の豪打を持ってはいるものの、フットワークの苦手なベタ足インファイター。裏を返せば、密着状態において真価を発揮するという事。

 

「良いか、小僧。これから二ヶ月。貴様の下半身を鍛える」

「はいっ!」

「ダッシュ力の強化じゃ。密着し、貴様のパンチをボディに集める」

「はいっ!…………?あの、それだけ、ですか?」

「何じゃ?不満でもあるのか?」

「あ、いや、その…………」

「…………まあ、お主が不安になるのも分かる」

 

 幕之内の不安を感じ取った鴨川ではあるが、それは彼自身にとって指導者としての力不足を痛感させる事でもあった。

 

「ハッキリ言っておく。お主の次の相手、服部は実力で言えば宮田を凌駕するじゃろう」

「ッ!み、宮田君をですか!?」

「ああ、そうじゃ。才能だけで見れば、鷹村にも匹敵するかもしれん。そのような相手に奇策は通じん。あの男は速水のラッシュを受けて尚、冷静さを失わなかったのだからな」

「…………」

「何をしょぼくれておるか!貴様は、宮田と戦うのだろう!?であるならば、早晩服部の様な才能あふれる男と戦う事にもなっておったわ!そして、最初から負けるつもりでリングに上がるボクサーなど居らん!そんな覇気の無さでは、勝つどころか何もさせてはもらえんぞ!」

「ッ、は、はいっ!」

 

 一応、元に戻ったのか顔を上げる幕之内。

 そんな彼をロードワークへと送り出し、鴨川は溜息をもう一つ。

 

「………どうしたもんか」

「にっひひひ、一歩の奴にしょぼくれるな、とかなんとか言いながらジジイもしょぼくれてんじゃねぇか」

「しょぼくれてなぞおらんわ、馬鹿者」

 

 お道化るように揶揄おうとしてくる鷹村をあしらおうとする鴨川。

 だが、鷹村とて単にふざけて口を出そうとした訳では無かった。

 

「本気でやらせるのか?」

「不安がってはおった。じゃが、あ奴自身が『諦める』と宣言せん限りはわしも引かせるつもりはない」

「頑固ジジイめ。それじゃあ、何だ。一歩の野郎がぶっ壊されるかもしれねぇだろ」

「引き際は弁えておる…………珍しいではないか、貴様がそこまで食い下がるとはな」

「ケッ、小物の事なぞ俺様には分んねぇよ…………だが、あの服部ってヤローはまだ何か持ってやがるぜ。ただのカウンターパンチャーな筈がねぇ」

 

 常ならば周りを見下した面もある鷹村の思いもよらぬ高評価に、鴨川は思わず顔を上げてしまった。

 

「断言するぜ、ジジイ。少なくとも今の一歩どころか、宮田も服部には勝てねぇ」

 

 鋭い目だった。それこそ、常日頃のふざけた態度ではなく、ボクシングに対する真摯な姿勢を見せるボクサーとしての鷹村の目だ。

 鷹村にここまで言わせる服部という新人。鴨川の眉間により深く皴が刻まれるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 対戦相手である鴨川ジムが対策に追われている頃、件のボクサー服部もまた練習に打ち込んでいた。

 

「分かってると思うが、幕之内はインファイターの上にハードパンチャーだ。黒人のボクサーとも真正面から殴り合える馬力がある。一発食らえば、その時点でアウトだと思っておけよ」

「……うす」

 

 二重の濡れマスクを付けながらのミット打ち。

 1ラウンド三分は愚か、慣れていなければ間違いなく一分も持たないであろう状態で服部は、拳を繰り出し、既に六ラウンドを消費していた。

 構えはオーソドックスなボクサースタイル。細かくリズムを刻みながら、風を切る左のジャブを的確に急所に構えられたミットへと打ち込んでいく。

 恐るべきは、その速度か。綿抜ミットでもない筈ながらかなりいい音を響かせ、尚且つ次の拳の出が異様に速い。相手によっては一度に二、三発ジャブを同時に受けたように錯覚するかもしれない。

 

「ラストッ!」

 

 声と共に顔面の前に両手を重ねるようにして構えられるミット。

 そこに突き刺さるのは踏み込みと体の回転を利用した右ストレート。

 文字通りミットへと突き刺さった拳は、その力を余すことなく相手に貫き通さんと言わんばかりの真っ直ぐっぷりだった。

 それは構えた側が踏ん張っても後ろに押されてしまう破壊力。

 

「ッ、ふぅ……相変わらずのハードパンチだな。それも、腹の底にズンッと響く一発だ。並大抵の奴なら一ころだろ」

「…………」

「はっはっ!分かってる。まだまだお前の目指す高みには程遠いってな。だがよ、だからこそ何度でも言うぞ。オマエがもっと上に行きたいんなら、もっと別のジムに入っても良かったんじゃないか?それこそ、鴨川さんのとことかな。あそこは、世界にも手が届くって言われてる鷹村が居る。だから―――――」

「……走ってきます」

 

 言葉を連ねようとした会長のセリフを無理矢理断ち切り、服部は柔軟を済ませるとランニングへと向かってしまう。

 というのも、会長がこの手の話題を服部へと切り出すことはそう珍しい事ではないのだ。

 ぶっちゃけた話、このジムはそれほど活気がある場所ではない。

 対戦成績も服部を除いてしまえばパッとしない上に、上位ランカーも居ない。

 会長としても、期待の新人である服部を手放したい筈もない。無いのだが、同時に指導者としてよりよい環境を与えたいとも思うのだ。

 もっとも、今の所その度に服部自身にはぐらかされてしまっているのだが。

 

「会長も諦めないっすねぇ。良いじゃないですか、服部の好きにやらせれば」

「うっせぇ。俺だって手放したかねぇよ。だがなぁ……やっぱり、色々整っている方が鍛えやすいだろ?さっき言った鴨川さんの所や、元OPBFチャンピオンの伊達が居る仲代さんの所とかな。ここじゃあ、フェザー級のスパーすら真面にさせてやれねぇってのに」

「まあ、そっすね…………でも、服部の実力ならフェザー級に限定しなくても上の階級の奴らでもいい勝負するじゃないっすか」

「まあな。だが、いくら上の階級と戦えても、本命のフェザー級での経験が薄けりゃ意味がねぇ。リーチ、スピード、パワー。上の階級に慣れすぎるのも、考え物ってこった」

 

 階級が分けられているのは、体格のハンデをできうる限り無くすためにある。それでも、技術や筋肉のつき方、才能によってどうしても差が生まれるがそれら全てを飲み下して叩くのがボクサーだった。

 話を戻すが、階級が一つ違えばそれだけパワーが違う。スタミナが違う。リーチが違う。

 この差をデフォルトとして慣れてしまうと、いざ自分とほとんど同じ体格、或いは小さい相手と戦う場合に混乱を招きかねない。

 パンチを耐えられるという事は、裏を返せば油断し必要以上のダメージを蓄積させられるという事。

 リーチが届かないという事は、裏を返せば相手の距離と自分の距離を読み違う可能性があるという事。

 利点もあれば、欠点もある。

 

「はぁ…………」

 

 贅沢な悩み。優秀過ぎる逸材と言うのもまた、困り者であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自身の会長がそんなため息を吐いている丁度その頃、件の困り者である服部はと言うとロードワークと言う名の全力疾走を行っていた。

 距離にすれば20キロ。ダッシュとジョグの切り替えで心肺機能に負荷をかけまくる地獄のランニングだ。

 下手な自転車よりも加速し、砂埃を巻き上げるような勢いで駆けながらも突然速度を落としジョギング、少し進めばまたダッシュと繰り返し、やがて辿り着くのは程々の大きさである公園。

 木陰へとゆっくり歩みを進め、近くの自販機からスポーツドリンクを一つ購入。

 相当息苦しいマスクを顎の方へとずらして、冷たいスポーツドリンクを一口含めば火照ったからだが冷えていく。

 冷たい飲み物で急激に冷やすのはあまり宜しくないのだが、ソレはソレ。イジメまくった体へのちょっとしたご褒美という事。

 

「…………」

 

 常の癖として水分補給の数も、量も少ない服部は木漏れ日の揺れる梢を見上げる。

 思い浮かべるのは、次の試合の事。

 相手は典型的なインファイターであり、尚且つ一発で相手の二、三発をチャラにしてしまう程の破壊力を秘めたハードパンチャー。

 技術面はまだまだ拙いと言う外ないが、それも言い方を変えれば一つの事に全てを懸けて挑んでくるという事。選択肢で迷う事も無く、最短最速で自分の出来ることをしてくるという事。

 迷わない相手と言うのは、それだけ厄介なのだ。

 スポーツドリンクのボトルを道と、垣根の境目に置かれたブロックの上に置いて、服部は構えをとる。

 ボクシングの構えは幾つかあるが、その中でも服部は比較的オーソドックスな構えを好んでいた。

 一応、その他にもヒットマンスタイルであったり、ピーカブースタイルであったりと色々存在するが基本の構えというのは、即ち手を出しやすいという利点があるから。

 繰り出すのは左のジャブ。

 最短にして最速。その上であっても、最弱であってはならない基本の技術。

 左を制すものは、世界を制する。服部自身、この格言を意識しているわけではないが、それでも目標とする選手のジャブへと迫る為の努力を惜しまなかったつもりだ。

 シャドーの相手は、自分よりも小柄なピーカブースタイルのインファイター。

 意地でも前進してくる。ならば、その機先を制するのが一番というもの。その上で重要になるのが、ジャブだ。

 手打ちの軽いものではいけない。しかし、威力を重視しすぎて回転を疎かにすれば拳を引き戻す間に距離を詰められるだろう。

 鋭く、素早く、数を打つ。尚且つ狙うのは常に同じ部位。

 ボクサーには二種類いて。単純に拳の痛みで悶絶する者と、如何なる痛みも精神で組み伏せて突貫して来る者。

 前者は兎も角、後者は完全に意識を断ち切るか、相手セコンドに試合続行不可であると思わせるしか終わらせる手段がない。

 だからこその、右。斜め上から斜め下へとテンプル、或いは顎骨を砕く勢いで振り抜く。

 ボクシングは“事故”が起きる。グローブで包んだとはいえ鍛えた拳を急所めがけて振るうのだから、当然といえば当然なのだが。

 体に染みついた三分間。服部は拳を振るい続けた。

 彼は基本的にシャドーをするとき、相手はどれだけ殴っても倒れない泥人形を想定している。

 

「…………ふぅ」

 

 最後に右ストレートを振り抜いて、一息。

 見据えるのは新人王の頂―――――ではない。

 もっと先、更なる先。全てが単なる足掛かりでしかない。

 ただ約束を果たす、その一つの理由の為に、彼はリングに上がるのだから。

 

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