あの日の約束を果たすために   作:ララパルーザ

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 叩くなら、折れるまで。

 どのスポーツでもそうだが、弱肉強食。強いものが勝ち、上へ行くのが世の常だ。

 

「むぅ……目を重点的にやられたな。見えておるか」

「み、見えません……」

 

 第一ラウンド。立ち上がれたことは称賛に値するだろう。だがその結果、服部に別の戦術を試させる場を提供してしまった事にも繋がってしまっていた。

 序盤は明らかにオーソドックスなボクサーとしての基本に立ち返った動きだった。だが、ダウンの後よりその動きは変わる。

 的確に、相手を不利に追い込んでいくような戦い方。現に今、幕之内の左の視界は完全に潰されている。

 

「八木ちゃん、氷を」

「は、はい!」

(恐らく、あの右を繰り出した後に小僧が腫れやすい体質だと見抜いたんじゃろう。恐ろしい観察眼と冷静さ、そして己の発想を実行に移すことが出来る胆力を持つ、か)

 

 指示を飛ばしながら、鴨川は後ろ目に反対のコーナーを確認、戦慄が隠せない。

 ボクサーの中には、実力差を理解した時点で短絡的に勝ちを拾おうとする者が少なくない。結果、かませ犬などの調整相手に食われる場合もあるのだが、とにかくそんなボクサーは後を絶たない。

 今回もその例には組み込めるだろう。事実、幕之内と服部の戦力差は歴然なのだから。仮に油断の一つでもしてくれていたならば、そのボディに一撃叩きこむことも出来たかもしれないが。

 だがしかし、服部は油断しなかった。強打を恐れて逃げに徹することも、逆に焦って倒そうともしなかった。

 ただ確実に、積み木を一から組み立てるように、難問な数式を解くように、一歩ずつ進む様な慎重さを見せていたのだ。

 これでは付け入る隙が無い。そして今、幕之内は片方の視界を奪われてしまった。

 

「会長……」

「ううむ……決めるのは小僧じゃ。儂は、こやつが諦めると言わん限りは、余程の事が無い限りは選手の気持ちを優先する」

「い、一歩君。今回は流石に…………」

「………い」

 

 止めようとする八木の言葉を遮ったのは小さな呟き。

 

「戦わせて、ください…………」

 

 片眼を塞がれながらも、真っ直ぐに幕之内は鴨川と八木を見ていた。

 怯えは無い、恐れも無い。あるのは、純粋なまでの闘志。

 

「あの人は……服部さんは、僕と真正面から戦ってくれたんです…………お願いします、戦わせて

ください」

 

 実力差など明らか。それでも、相対したからこそ分かる事もある。

 服部は明確に幕之内を“敵”として相手していた。それが相手にも確りと伝わるような集中力を発揮しながら。

 だからこそ、ここで終わりにしたくはなかった。少なくとも、幕之内はここで引く事が、そのまま逃げる事になる、と思ったから。

 

「逃げたく、ないんです」

 

 真っ直ぐにそんな目で言われ、鴨川も八木もこれ以上苦言を呈することなど出来るはずもない。

 

「…………良いじゃろう。じゃが、戦うというならば生半可な態度は許されん。これから貴様は、呆れるほどに殴られることになるじゃろう。それでも、やるか?」

「はいっ!」

「な、何ていい返事を…………」

「ふっ……しかしじゃ、小僧。一つだけ貴様に言っておくことがある」

「な、何でしょうか」

「儂はセコンドとして、試合続行が不可能じゃと判断した時点でタオルを投げる。これは、貴様を指導する者として最低限の務めだからな。分かったな?」

「わ、分かりました!」

 

 そんなやり取りが行われた対面では、

 

「あの豪打はお前でもキツイか、服部」

「…………」

 

 口を濯がせ、汗を拭った会長はそうお道化るように服部へと言葉を振る。

 件の彼は、真っ直ぐに反対のコーナーで座る対戦相手を見やり、そして一度首を縦に振った。

 人体構造はどれだけ鍛えようとも限界というものが存在する。その上、ボクサーは階級の制限により付けられる筋肉の量も限られてしまう。

 如何に持久力を備え、技術を有し、体を鍛えた服部と言えども骨の強度は人並みなのだ。そして幕之内の強打は一発で骨に罅を走らせる。

 骨だけではない。腹筋をどれだけ固めようとも、突き抜ける衝撃というものは軽減しきれず、内臓へのダメージは足に来る。

 インファイターがボディにパンチを集めるのはそういう事なのだ。ついでに人間は腹が痛むと身を屈める。そうなると顎が狙いやすくなるというのもある。

 

「……当たりたくはないです」

「ははっ!確かにそうだ。俺だって、あんなパンチ現役時代でも食らいたくねぇよ。まあ、奴さんはやる気みたいだがな」

「…………」

「お前との力量差も関係ないらしい。鴨川さんなら分かってそうだが、ボクサー、幕之内の意思って所か…………強い奴だよ」

「……そうですね」

「おっ、お前が認めるとは珍しいじゃねぇか。速水とは違うか?」

「……彼は、油断しきってましたから」

 

 幕之内の評価に対して、明らかに劣る速水の評価。

 服部が彼を気に入らないのは、最初から本気でこなかったから。

 余裕と油断は違う。どれだけ実績と、実力が身に付いていようともその点を疎かにする者は確実に足をすくわれると、彼はよく知っているから。

 もしも、速水が何の実績も無い服部に対して本気で最初から向かってくるようならば試合展開はもっと違ったものとなっていただろう。

 だからこそ、服部は幕之内を評価する。

 そこに強弱など、関係なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 両者様々な思いを乗せた第二ラウンド。その立ち上がりは、第一ラウンドの慌ただしさが嘘の様に静かなモノだった。

 ベタ足インファイターである幕之内は上体でリズムを取り、たいして服部は軽快にステップを刻む。

 睨み合いながらも、徐々に徐々にお互いの距離が縮まり、

 

「…………シッ」

 

 先制は、服部。第一ラウンドの擦り付けるようなジャブから、再び伸びと重さのあるジャブへと切り替えたものであり、的確に幕之内のガードの上から押し返さんとする。

 

(ッ、やっぱりジャブが重い……!もっと体を振って、少しでも躱さないと!いや、全部躱すつもりで体を振るんだ!)

 

 左ジャブのみでありながら回転率の良い服部に対して、幕之内はより激しく体を振る。

 彼の足腰は天然ものにして、強靭。それに加えて夏場の合宿で足の裏のどこに力を入れればより鋭くダッシュできるのかを、そしてシフトウェイトを学んだことによりその動きは実に軽快だ。

 全てを躱そうとする心意気。それは成果にも表れ始める。

 塞がってしまった右側は見えない為にやや被弾するものの、それでも徐々にだがガードの上からのクリーンヒットは減って来ていた。

 こうなれば、次にやるのは距離を詰める事。

 ジリジリと迫る幕之内。ピーカブースタイルという体を凝縮するような構えと左右に振られる体は実に厄介。

 

「…………」

 

 ジャブを繰り出しながら、服部は目を細める。

 目の前のボクサーは不器用だ。不器用だが、下手ではない。練習の成果を実戦で確りと発揮できる、そんなタイプ。

 この手のタイプは稀だ。どれだけ練習しようとも、どうしても発揮できない人間は珍しくない。

 だからこそ、敬意を表する。

 

「ぶっ!?」(さ、更に速く!?)

 

 幕之内の前進が、ここで初めて止められた。

 体を振る事で的を絞らせない作戦。それは、放たれるジャブの数が増えたことでその機能を半減させられてしまったのだ。

 威力は変わらない。ただ数が増えたジャブ。ダブル、トリプルとそのギアを上げるようにして逃げ道を的確に塞いでくる。

 徐々に頭を振れるスペースが削られていき、そのふり幅が小さくなった頃、

 

「…………フッ」

 

 大砲が撃ち放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおいアイツ、どれだけの武器を搭載してやがるんだ!?」

 

 頭を抱えるようにして叫ぶ木村。その隣では唖然とした青木も似た様な感想だろう。

 逃げ場を封殺するようなジャブの嵐の中、幕之内の動きが鈍った瞬間そのガードごと沈めてしまわんと言わんばかりの右がステップインと同時に打ち放たれていたのだ。

 幸いと言うべきか、幕之内はギリギリ耐えて後方へと押し戻される程度で済んだ。だが、そのダメージは決して小さくはない。

 

「コークスクリューか。それも、随分と貫通力を高めてやがるな」

 

 冷静に見極める鷹村には驚きはそれほどない。

 隙の大きいパンチではあるが適切なタイミングで用いれば、その破壊力は通常の右ストレートよりも出る事があるからだ。何より、抉りこむ為緩んだ相手の防御の隙間から拳を捻じ込んで無理矢理防御を壊すことも出来る。

 服部のコークスクリューも幕之内の防御を崩す事に成功していたが、それ以上に周りを騒めかせたのは、その構え。

 

「「サ、サウスポー!?」」

 

 青木と木村の声が揃った。

 そう、今の服部は右半身が前に出たサウスポーの構え。右拳がジャブを放ち、左拳は大砲として後方に構えるあの状態だ。

 先程のステップイン。これは単に右の拳を捻じ込む為だけの動きではなかった。

 言うなれば、構のスイッチ。オーソドックスなボクサー、サウスポーのボクサーへと変化するためのもの。

 過去にも幕之内が瞼を切った際にサウスポーの真似事をしたが、そんな物とは比べ物にならない程にその姿は様になっている。

 そして放たれる右ジャブ。そのキレは左のジャブと遜色ない。まるで鏡に映った存在がそのままリングに現れたのではないか。そんな感想を抱かせる。

 

「おいおいおいおい、マジかあの野郎。サウスポーも出来ますってか?」

「相当なキレのジャブじゃねぇか。左と殆ど遜色ねぇぞ」

「それだけじゃねぇ。距離、ステップ、呼吸。どれも揃ってやがる付け焼刃じゃねぇ、マジのサウスポーだ。あの野郎、元々左利きだったって事か?」

「多分違うな」

「え?」

「どういう事っすか、鷹村さん」

「お前らもボクサーなら見てわかるだろう。服部のジャブは一朝一夕、思い付きでどうこうなるようなレベルじゃねぇ。恐らく、奴は両利きだ。あの慣れたスイッチからも考えて、相当な鍛錬を積んできたんだろうよ」

「で、でもですよ、鷹村さん!服部のボクシングは言っちゃあ何だが、八回戦、いや十回戦でも通用するようなもんすよ!?だったら、態々サウスポーへの切り替えなんざ―――――」

「確かに、無駄に思えるだろうな。実情で満足しちまった奴なら」

 

 鷹村はそこで言葉を切ると、手摺に頬杖をつく。

 

「見据えてやがるんだろ。日本の、東洋の、世界のベルトをな。その為の武器だ」

 

 一芸を極める事もボクサーにとっては重要になる。器用貧乏のボクサーは大成できない場合があるからだ。

 だがそれも、多芸を身につけるだけの才覚と、それに見合った努力を積むことが出来るものならば話は別となる。

 そして、試合は佳境へと差し掛かる。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つ、強い……まさか、サウスポーも出来るなんて…………!)

 

 ガードを固めるしかない幕之内は、残った視界である左目をどうにか守りながらどうにか反撃の糸口を探していた。

 

(サウスポーの対策は分からない………でも、基本に立ち返るんだ!試合の回数は少なくても、練習はちゃんとしてきたんだから!)

 

 そう思い至り、思い返すのはこれまでのまだまだ短いボクサー人生。

 

(アウトボクサーは足を使う。ステップの見切り方は、足を見てから!)

 

 軽快にフットワーク刻みながらガードを叩いてくる服部の足を注視。

 右に左に自在にステップを刻む足だが、その実どんなボクサーであろうとも自然と身に付いた呼吸というものは無意識の内に出てしまうもの。

 ガードの硬さが功を奏し、見る分には十分。体を振りながら、幕之内は行動を開始する。

 

(思い出すんだ、あの合宿の砂浜ダッシュを!足の裏、親指の付け根を意識して、前に出る!)

 

 何度目かの服部のステップ。足を見て、その動きを盗んだ幕之内は合わせるようにして前に出た。

 第二ラウンドが始まって、初めての接近戦。

 

(フックやリバーブローじゃダメだ。またカウンターが来る!小さく、速く、ジャブを打つ!)

 

 ピーカブースタイルからのジャブは、他のパンチと比べて隙が少なくコンパクトに放てる。その上、幕之内は殆ど左右の拳の威力差がないボクサーだ。ただのジャブでも、かなり重い。

 無論、当たればだが。

 ステップに合わせられようとも、服部は目が良い。そうでなくとも、スウェーバックやステップバックで躱してしまえばいい。

 しかし、彼はあえてその場に留まった。

 冷静に、着実に、目の前の急成長するインファイターがそんな手段で攻めてくるのか見極めようとしていた。

 服部は強くなることに貪欲だ。そして、その為ならば子供が相手であっても躊躇い無くその頭を下げる事だろう。

 今回も、その一つ。より正確に言ってしまえば、幕之内が学んだであろう技術を盗もうとしていた。

 そんな事を知る由もない幕之内は、ここにきて賭けに出る。

 

(あの時のパンチだ。宮田君とのスパーリングで出せた、あのパンチ!)

 

 それは今の彼にとって、必殺技ともいえるもの。

 最早、幕之内の頭の中にはこの試合に勝つことは無い。仮にあったとしても、それは今は目を逸らされている事だろう。

 全てを出し切る。ただその一意専心のみ。

 多少の被弾は気にしない。文字通り体でジャブのタイミングは覚えたのだ。無意識の内に、という但し書きが付くが。

 構えはストレート。斜め下より、突き抜けるようなパンチ。

 

(いけぇええええええええッ!!!)

 

 通常のスマッシュよりも更に速い、変則スマッシュ。足腰のバネも上乗せされた一撃は、直撃すれば階級が上の相手であろうとも一瞬で意識を空の彼方へ吹き飛ばす事だろう。

 乾坤一擲。渾身の一撃は、空気を突き抜けて―――――

 

 肉を打つ音が響いた。


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