あの日の約束を果たすために   作:ララパルーザ

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 その光景をセコンドとして見ていた鴨川は、驚愕を禁じえなかった。

 

(まさか、ここまであ奴の掌の上、という事か…………パフォーマンスではなく、全てが勝つための、布石。これ程の男が居ったとは…………)

 

 内心で唸りながらも、勝敗は決した。

 幕之内渾身の変則スマッシュは、しかし服部の頬を掠めるようにして突き抜け、そのがら空きとなった顎にカウンターとして左の斜め下からのフックが突き刺さったのだ。

 原因は、塞がった右目。

 人間は左右の目が揃っていないと遠近感が曖昧になってしまう。

 僅かにだが、幕之内のパンチは顔面直撃から逸れていたのだ。それを差し引いても、服部は見た上で躱したかもしれないが、それでも通常時避けるよりも楽に避けた。

 そしてサウスポースタイル。自然と左半身が後ろに下がる事から、相手の右を懐に呼び込みやすい点がある。

 相手が遠距離でも戦えるアウトボクサーは別として、インファイターならば突っ込ませるタイミングを自分で調整できるだろう。相手にもよるが。

 誘い込み、相手の大砲を放たせた上でカウンターを決める。

 担架で運ばれていく幕之内。その姿を見送りながら、服部は拳の掠めていった頬を撫でた。

 重くも鋭い拳だった。それこそ、直撃を許していたならば膝が震えるであろうと思えるほどに。そして、熱い拳でもあった。

 

「最後の一発は、ひやりとしたな」

 

 セコンドとして見ていたであろう会長も同意見なのか、パンチの掠めた彼の頬を眺めそう一言呟く。

 周りから見れば、服部の完勝だろう。だが、その実幕之内拳は一発でも当たれば場をひっくり返す、そんな可能性を秘めた拳だったのだ。

 終わったからこそ“もしも”という言葉を人々は思い浮かべる。

 もしもあの時、拳が当たっていたならば。

 もしもあの時、足を止めなかったならば。

 もしも、もしも、もしも、もしも―――――。

 それを人は、後悔と言う。そしてそれは、何も当人たちだけの感情ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 新人王トーナメント準決勝が終わり、次の試合は凡そ一ヶ月後となったその日、殆ど殴られる事の無かった服部はいつもの様にロードワークへと出ていた。

 やれることをやるだけ。やってきたことをやるだけ。どんな事にも言える事だが、練習で出来ない事が急に本番で可能になる、何てことはまずありえない。

 だが、そのやれる事をやる為には、基礎体力が必要だ。折角に効果的なタイミングでスタミナ切れなど洒落にもならない。

 いつも通り、ジョグとダッシュを組み合わせた地獄のランニング。コースも変わらず、いつも通り休憩の為に公園へと訪れ、

 

「―――――よぉ。ハジメマシテ、だな」

「?」

 

 そうして声を掛けられる。

 

「……貴方は」

「オレは、伊達。伊達英二だ。一応、フェザー級のチャンピオンやらせてもらってる」

 

 そう言って、伊達はニヒルな笑みと共に右手を差し出してくる。

 愛想のない服部だが、それでも最低限度のマナーは弁えているつもりだ。無言で同じく右手を出して、その手を握り返した。

 風が吹き、二人の視線が交錯する。先に手を離したのは伊達だった。

 

「オマエの試合、見せてもらったぜ。アウトボクサー、ハードパンチャー、歯牙にもかけずほぼ無傷で決勝まで上がったってな」

「……ええ、まあ」

「ふっ……愛想のねぇやつだ。まあ、良い。急に話しかけるのもどうかと思っちゃいたんだがな、()()()()()を見たらそうも言ってられなくてな」

 

 そこで言葉を切った伊達の雰囲気が急激に重くなる。

 まるでリングの上で相対したような臨戦態勢。だが、その覇気を一番に向けられているであろう服部はと言うと静かな雰囲気のままであり、マスクもつけたままだったりする。

 

(へぇ、ここまでやる気を見せても揺れねぇか)

 

 伊達は、冷静に目の前の少年を観察する。

 精神面の強さというのは、どのような場面でも役に立つ。それこそ、リングの上のみならず日常生活でもそうだろう。

 だからこそ、伊達は解せない。プロですら稀に見る精神力に加えて、そこら辺のプロは愚か上位ランカーすらも舌を巻くであろう技量を持ちながら、何故この新人王トーナメントが始まるまで日の目を見る事が無かったのか、という事を。

 リングの上ならば兎も角、日常生活で腹芸をするほど伊達は賢しくない。ついでに、勘ではあったが目の前の少年は真正面から突っ込むのが一番と思ったりもしたわけで、

 

「単刀直入に聞くぜ?お前さん、()()()()に居たことがあるか?」

「…………ええ」

「!なら、そのボクシングの腕も、そっち仕込みって訳だ」

「……いえ、向こうに居たのは一年だけです」

「…………」

 

 無言で続きを促せば、そこで初めて服部はマスクを顎へとずらした。話す気になったらしい。

 

「……自分の両親は、世界を回る人でした。自分も幼いころからついていろんな国に行ったんです。ボクシングと出会ったのは十年前位ですね。そこで二人のある人と出会いました。ボクシングは彼らから基礎とトレーニングメニューを。残りは独学です」

「独学、ねぇ…………今も、そのメニューは続けてるのか?」

「……はい。最初からは出来ませんでしたけど、今はマスクを付けて高負荷のものになってます」

「そう、か……」

 

 頷きながらも、伊達は改めて目の前の若い才能に冷や汗が流れる思いだ。

 どれほどのトレーニングメニューを渡されたのかは検討もつかないが、それを約十年間、毎日欠かさず途切れさせる事無く、尚且つ慣れてくれば高負荷の物へと切り替える真面目さをもって愚直に鍛えた結果が目の前の怪物。

 恐るべきはその真面目さか、それとも幼かったであろう彼の才能を的確に見抜いた誰かか。

 

「敢えて聞くが、お前はどこを目指してるんだ?」

「…………」

 

 問いかける伊達の目を真っすぐに見返した、服部。

 一際強く風が吹き抜けて梢が揺れる。

 

「……あの日した約束を果たすだけです」

 

 ただ静かに、その言葉は紡がれるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現チャンピオンとダークホースが邂逅していた丁度その頃、精密検査を終え熱も引いた幕之内の姿が病院のベッドにあった。

 幸いと言うべきか、クリーンヒットは二発だけ。ジャブで瞼も腫れていたが、冷やせば引きも早かった。未だに、ボコボコ顔である事には変わりはないが。

 

「大事が無くて、何よりじゃ。暫くは安静にしておくんじゃな」

「は、はい……あの、会長」

「何じゃ」

「トーナメントの決勝は………」

「負けたお主が気にする事ではない……と言う所じゃが、無茶に動かれてもかなわん。決勝は、服部と()()じゃ」

「!み、宮田君が勝ったんですね!」

「騒ぐでないわ。間柴も善戦しておったがな、技術による差は覆らん」

 

 見舞いに来た鴨川は、ため息を一つ。

 ぶっ倒された幕之内に変わり、試合を観戦した彼はそこでハッキリと見たのだ。

 勝つことへの執念、というものを。

 カウンターを顎に貰い、それでも立ち上がり反則すらも辞さない態度で戦おうとした間柴。

 そして、そんな相手を前にしてそれ以上のキレを持って勝ちをもぎ取った宮田。

 今の幕之内には、お世辞にも二人に迫るような執念は無い。

 試合にも、練習にも真面目に取り組み、その真面目さが確りと結果に表れるからか、絶対的に勝ちたい、という意思がどうにも欠けているのだ。

 草食動物に肉食動物的闘争心を求めるのも間違っているといえば、間違っているのだが。

 

(インファイターとしての、素質は十分。じゃが、こやつは打たれ過ぎる。激しい殴り合いは、客の望むところではあるが、ボクサーの寿命を著しく削ってしまう。何とかせねばな)

 

 昔は、鴨川も打たれるボクサーだった。相手の二発や三発を一発で打ち返すような、そんなボクサー。

 今の幕之内にも近いものがある。あるが、大成するには荊どころか、灼熱の溶岩の上を歩き続けるような不可能な苦難が待ち受けている事だろう。

 

「良いか、小僧。貴様がボクサーとして生きていくためには、まず防御能力を上げる事じゃ」

「防御、ですか?」

「そうじゃ。前進しか出来ぬボクサーなど、その間にアウトボクサーにタコ殴りにされてしまう。服部との試合でも痛感したのではないか?」

「…………はい」

 

 鴨川に言われ、幕之内は試合を思い出す。

 一方的だった。殆どジャブだけで抑えられ、決めようとしたパンチは二つともカウンターを決められ、マットに沈んだのだから。

 

「無論、全ての拳を避けられるほどボクシングは甘くはない。じゃが、なるべく被弾を抑え続ければ相手も焦れてくる。その隙をつき、懐に潜り込み貴様の拳をボディへ集め顎を下げさせる。まずはそこからじゃ」

「まずは?」

「貴様がボクサーとして生き残りたいのならば、打たれる数を減らさねばならん。特に頭はな」

「頭、ですか」

「打たれる前に、打つ。それが出来れば苦労はせん。いや、儂もこの試合が無ければそう考えておったじゃろう。じゃが、特攻させることに意味はない。故に、小僧。貴様が退院し、ボクサーを続けるというならばまずは防御を徹底的に仕込む。良いな?」

「……分かり、ました」

 

 頷く、幕之内を確認し鴨川はプランを練る。

 防御を強くするという事は、そのまま試合が長引くという事であり、同時に打たれる可能性が増すという事でもある。

 だが、逆に打たれる前に打つ。短期決戦を意識させ続けるのも問題なのだ。早い試合展開は、そのまま意識の加速、ひいては焦りへと繋がってしまう事も珍しくは無いから。

 そこで思いだすのは、新人とは思えない試合運びをした冷静なボクサー。彼の様に先手を打とうとしても、更にその上から潰してくるようなボクサーがこの先も現れる可能性は決して低くはない。

 だからこそ、防御。とはいえ、それは取っ掛かりに過ぎないのだが。

 

(自分のスタイルを見つける。まずはそこからじゃ。その為の基礎を今一度固め直さねば)

 

 指導者として、一度導くと決めたならば最後まで面倒を見る。

 幸い、今回の敗北は小休止となった。今一度、実情を見返す為のチャンスなのだから。

 幕之内一歩のボクサー人生は、まだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――おい、何でこんな事になってる」

「……スパーリングの相手をしてくれるらしいです」

「んなもん、見りゃ分かる!何でその相手が、チャンピオン(伊達英二)なんだよ!?」

「…………話の流れ、ですかね?」


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