あの日の約束を果たすために   作:ララパルーザ

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 仲代ボクシングジム。

 日本フェザー級チャンピオンである伊達英二擁するジムであり、昨年度のフェザー級全日本新人王に輝いた沖田佳五なども所属している。

 そんなジムにて、相対する二人のボクサー。

 青コーナー、服部十三。赤コーナー、伊達英二。

 新進気鋭の若手と、ベテランの日本チャンプ。本来ならば、マッチメイクは愚か、こうしてスパーリングを組むことすらも無いだろう組み合わせ。それも違うジム同士ならば更にあり得ない。

 それでもこうして相対しているのだから、拳を交える以外に選択肢は無いのだが。

 

「おい、英二。良いのか?相手は腕はあるが新人だぞ」

「おやっさんもアイツの試合見ただろ。ありゃ、メキシカンのジャブだ。これから先、あの男と戦おうってんならもう一度体感しとくのも悪くない」

「だがなぁ…………」

「何より、服部は未だに底を見せちゃいない。まあ、新人王トーナメントじゃ仕方ねぇがな」

 

 渋る仲代から視線を外して、伊達はコーナーの反対側でヘッドギアを着ける服部を見る。

 メキシカンのジャブ、チョッピングライト、コークスクリューブロー、左右のスイッチ、カウンター。搭載してる武器の量が頭おかしいが伊達はそれだけではないと睨んでいたのだ。

 

(もしも、服部があの男を目標としているなら()()()()の筈がねぇ)

 

 知りたい、と思う。そう、これは単純な興味からの行動だ。

 正直な所、今の日本に伊達に迫るボクサーは片手で足りる程居るかどうか、と言った所。

 追いつこうとする後輩は居る。しかし、()()()()()()()()者は、心のどこかで諦めていない者は少なかった。

 だからこそ、興味と同時に期待がある。目の前のボクサーはそれだけの物を持っているのではないか、と胸が高鳴る。

 若くもないのに、と心の隅の方から冷めた声が聞こえる気がしないでもないが、そこには蓋をした。

 爛々と獰猛な光を宿した目で、スパーリングとは思えない雰囲気を発する伊達。対して、対面する服部の表情はと言うと、凪。

 ヘッドギアを着けるために掻き上げられた髪の下、いつもよく見えるその顔は無表情。表情筋が鉄で出来ているのではと思えるほどに無表情だった。

 服部にしてみれば、相手が誰であろうとも関係ないからだ。

 それが例え、素人丸出しであろうとも、ベテランであろうとも、ランカーであろうとも、チャンピオンであろうとも。もっと言えば、客が盛り上がろうと盛り下がろうとも勝つための戦いをする、その一点に終始しているから。

 

「良いか、服部。相手は日本チャンピオンの肩書を持っちゃいるが、その実力は世界の上位ランカーに食い込んでもおかしくないレベルだ。今はまだ本調子じゃなくとも、強いんだからな?」

「……分かってます」

 

 故に、会長に言われるまでもない。

 マウスピースを咥え、肩を回し、首を回し、前を見る。

 それぞれの思惑を乗せたゴングが今、鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 沖田佳吾が、仲代ジムへと入門したのは彼が伊達英二のファンであったからだ。

 その憧れっぷりは筋金入りで、階級のみならずそのボクサーとしてのスタイルも寄せているほど。最早、尊敬を通り越して崇拝しているのではと思われそうなほど。

 だからこそ、今日のスパーリングは気に入らない。そもそも、伊達のスパーリングの相手は沖田が務めることが多いからだ。

 その役目を、デビューしたての新人に奪われる。これほど、彼のプライドを傷つけるものはない。

 

(いっちょ前に、様子見かよ)

 

 だからこそ、自然とその目にも色眼鏡が掛けられる。

 リングの上で睨み合う新人(服部)憧憬(伊達)

 どちらもゴングが鳴って接近すらもしていないのだから、拳を出さないのは当たり前なのだがそれでも沖田には服部が悪く見えてしまう。

 スポーツのみならず、自分が贔屓している相手だと自然と評価と言うか、見る基準が甘くなる。それと同じこと。

 内面穏やかではない沖田を置いて、二人は漸く互いの間合いに入り込む。

 

「…………」

 

 仕掛けたのは、服部。手を伸ばせば届く距離。まるで探るような、威力は無くとも速度の乗った左のジャブ。

 手打ちにも見えたが、伊達はあえてソレを防御の上から受ける、何てことはしない。

 ヘッドスリップを利用してジャブの内側へと潜り込み、ボディを―――――

 

「ッ!」(そう簡単に潜らせちゃくれねぇか……!)

 

 それは長年の勘。咄嗟に左腕を上げれば、容赦の無い右の振り下ろしが間髪入れず叩き込まれる。

 後一瞬、それこそ半拍でも反応が遅れていたならば、そのままマットに叩きつけられていたかもしれないそんな拳。

 バックステップで距離を取りながら、伊達は己の浅慮さを内心で恥じた。

 服部と、幕之内の試合は見ていたのだ。その際に、これと似たような場面、即ちジャブからのチョッピングライト、という流れもあった。あったにも関わらず、少し揶揄い混じりに突っ込み、そして反撃を貰った。

 

(防げたのは、偶々…………いや、あの目が見れたからか)

 

 未だに衝撃の残る左腕を軽く振って握り直し、思い返すのは潜り込んだ瞬間の事。

 ヘッドギアの下、服部の冷静な目。その目を見た瞬間、昂った心に冷や水が浴びせられ頭も冷え、その結果勘が働いたお陰で今がある。

 

(欠片も、焦っちゃいなかった。反撃する手段があったから?いや、違う。反撃する手段があろうとも、誰だって初撃で懐に潜り込まれちゃあ、焦るってもんだ。つー事は、こいつ。インファイトもいける口か?)

 

 左右の拳でフェイントを掛けつつ距離を詰める伊達は、至極冷静だ。

 彼と服部の間にある明確な差。それは経験値。如何に才能あふれていようとも、どうしても蓄積した年月は壁になりやすい。

 そして、その壁を無効化、ないしは軽減するのが服部の冷静な目だった。

 

(フェイントに引っかからねぇか。右か、左か。カウンターを狙ってるようには見えねぇが)「シッ!」

 

 考えながら今度は伊達のジャブが繰り出される。

 ウィービングによってソレは空を切り、返すように再び服部のジャブが飛ぶ。

 そこから始まるのは、ジャブの応酬。交差しまくる左の乱舞。

 当たりこそしないものの空を切る音がその鋭さを物語る。

 

「…………」

 

 そして、その光景を見た沖田の色眼鏡も外れた。

 あれほど、伊達のジャブを躱すボクサーも、あれほど、伊達にジャブを避けさせるボクサーも見たことが無かったから。

 殆どリングの中央から動くことなく、拳が空を切る音とそれに合わせたシューズの底とマットがこすれる音が響き続ける。

 膠着状態。打破したのは、服部。

 何度目かの伊達のジャブが空を切った瞬間、ステップイン。その勢いを殺すことなくリバーブローを叩きこみに掛かった。

 無論、ここまでモーションが大きいとベテランである伊達には折りたたまれた右腕によって防がれてしまう。だが、ここまではまだ序の口。

 何の躊躇いもなく放たれる右。左腕を引き戻す反動を利用した覆いかぶさるような軌道は、顔面を狙う。

 直撃の軌道。しかしここで、惜しくもゴングが鳴り響いた。

 誰からともなく零れる溜め息。まるで試合、それもタイトルマッチでも見たかのようなプレッシャーが周囲には立ち込めていたからだった。

 それぞれコーナーへと戻っていくボクサーたち。セコンドが声を掛ける。

 

「スゲェ奴が出てきたもんだな。英二、ヘッドギアを着けるか?」

「要らねぇよ……ふぅ、スパーリングって事を忘れちまうな、こりゃあ」

「ああ、見てるこっちも息が詰まりそうだったぜ。特に、あの左の応酬。ありゃ、早々お目にかかれるもんじゃねぇ」

「それだけじゃねぇよ。アイツ、最後の右に関しては狙ってあのタイミングで出しやがった」

「あ?どういうことだ?」

「時間を計ってやがったんだろ。相打ちになる前にゴングが鳴るタイミングを、な」

 

 椅子に腰かけた伊達が思い出すのは、最後の交差。

 あの瞬間、服部の右は伊達の頭部を捉えていたが、同時に伊達の左アッパーもまた服部の顎を捉えていた。

 コンマ一秒。ほんの一瞬、ゴングが鳴るのが遅ければそれぞれの顔が吹っ飛ばされていた事だろう。

 

「面白れぇな。スパーリングで終わっちまうのが勿体ないぐらいだぜ」

「これが試合なら、セコンドの俺は冷や汗もんだ。どうする、まだ続けるか?」

「当たり前だろ、ここからだぜおやっさん。なあに、俺もアッチも試合にダメージ残すようなヘマはしねぇさ」

 

 ニヤリと笑う伊達。

 そんな彼の纏う雰囲気の変化を、長年見てきた仲代は敏感に感じ取っていた。

 今でこそ、落ち着いた試合運びをする伊達だが、その実元のスタイルは相手を力で捻じ伏せるような荒々しいもの。

 

(眠ってたもんが、目覚めたか。感謝するぜ、ルーキー(服部)

 

 内心でそう呟き、仲代は流れる伊達の汗を拭き上げる。

 一方、反対のコーナーの側も慌ただしい。

 

「流石は、日本チャンピオンだな。お前と、真っ向から打ち合ってくるとは思わなかったぜ」

「…………」

 

 薄く頬を流れた汗を拭いながら、会長が思い返すのはジャブの差し合い。

 日本チャンピオンを舐めていた訳ではない。寧ろ、その凄さを対戦している服部以上に知っているつもりではあったが、それでも彼の才覚を目の前で見続けてきた彼はどうしても期待してしまっていた。

 もしかすると、予想外の結果を見られるのではないか、と。

 だが、その結果はある意味予想の範疇。

 チャンピオンの伊達の技量に驚嘆すべきか、それとも服部の才覚に唸るべきか。そんな結果。

 勿論、スパーリングで実力の底が測れるほど二人は弱くは無いだろう。少なくとも、試合の全力全開にはどうしても劣る。

 しかし、裏を返せば今の服部の実力は全力ではないとはいえ、伊達に食らいつける程度にはあるという事。本人も全力ではない為試合になれば、更に白熱した展開となる事だろう。

 見てみたい、と思うのはボクシングに深く携わる人種だからか。

 程なくして、スパーリングの第二ラウンドが始まる。

 その先に待つのは、果たして―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

「一郎、ラストだ」

「……フッ!」

 

 キレのある右ストレートがミットを打ち、ブザーが響く。

 川原ボクシングジムのリングにて、宮田一郎は、父であり同時に専属トレーナーと共に練習に汗を流していた。

 

「随分と気合が入っているな」

「まあね……」

「幕之内の事が原因ならば、止めるところ何だがな。その目は、違うな?」

 

 長年息子として、そしてボクサーとして見てきた父の目には仇討や八つ当たり、ではなく純粋な闘志がその目に見えた。

 かくいう宮田も否定する気は無いのか、少し間を空けて、小さくうなずく。

 

「仇討……オレ達の約束が潰されたのは、思う所があるさ。けど、ボクシングは強いから、勝つんじゃない。勝った方が強いんだ。あの服部が、幕之内よりも強かった。それだけだ」

「……ふっ、その割には表情が強張っているぞ。それだけではあるまい。あの男、服部のカウンターは見事なものだったからな。幕之内の強打を前に、冷静に拳を合わせていた」

 

 思い出すのは、幕之内戦の最初のダウン。

 少し調べれば分かるが、幕之内のボディブローは、肋をへし折る。如何にボクサーと言えども真正面から受けるのは遠慮願いたい相手が彼なのだ。

 そんな拳を前に、服部は狙いすまして右を合わせ、結果マットに一撃で沈めて見せた。二度目のカウンターも同じくだ。

 カウンターパンチャーとしてのプライドがある宮田をして、見蕩れる一撃。その見蕩れてしまった、という事実が、この練習への熱の入れようにも繋がっている、と宮田父は理解してもいた。

 クレバーで冷めた見た目に反して、中身は熱くそして負けず嫌い。

 その負けん気こそが、宮田の原動力でもあり向上心にも一役買っているといえよう。

 

「勝算はあるのか?」

「勝算、ね……最初から安易に行く気は無いけど、一つ狙ってる事はあるよ」

「ほう。それは、何だ?」

「左さ。服部は、必ず左ジャブから試合に入る。多用するのも、左のジャブだ」

「そこにカウンターを合わせる、と。問題は、服部の耐久度か。速水、幕之内と決して弱くはないボクサーを相手に被弾を0で抑えてきたことを考えると、打たれ弱いボクサーなのか……いや、先入観は持つべきではないか」

 

 思い出すのは、準決勝の間柴の事。

 突き出た顎は諸に弱点だった。そこにカウンターが入り、倒せるはずだったのだ。

 だが、想定外の執念により間柴は耐え、その上で反撃もする始末。この瞬間だけは、さしもの宮田もリズムを崩し、あわや被弾といったところで間一髪バックステップが間に合い事なきを得た。

 その点、服部は未知数。弱点らしい弱点も無ければ、寧ろ手札の多さに対策が間に合わない程。

 だからこそ、出来ることをやる。出来るまでやる。

 更なる鋭さを求め、宮田の拳は空を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、運命の日はやって来る


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